アホであること

2019.09.06 Friday

 

先日、「『バカになれ』と言われた」という話題が出ました。

 

わたしも、同じことを言われたことがあります。20代の頃、会社でとてもお世話になった方が退職されるときに、贈ってくださったことばのひとつでした。

 

そういえば、しばらく忘れていましたが、わたしの今年の一文字は「呆」、阿呆の呆です。「アホ」は、声に出してみると、力が抜けて、笑って踊りだしそうじゃありませんか?この抜けた感じがいいなあ、と思ったのです。

 

「アホ」とか「バカ」って、どういうことでしょうね。

 

自分のそれまでの価値観にとらわれないことじゃないかな、と思うのです。

 

アホは、楽です。

 

「わたしがこんなことをやるなんて、みんなどう思うだろう」とか、「上手くいかなかったら恥ずかしい」とか、思う必要もありません。人目を気にする必要も、ありません。

 

「あの人は今、こんな風に思っているはず」なんて、想像もできませんから、妄想にとらわれずに済みます。

 

あまり難しいことも考えられないので、自然と、今、この瞬間を生きていることになります。

 

違う価値観に触れたときも、「へえーっ」と驚くことはあっても、受け入れる余裕もあるでしょう。自分の価値観はあっても、それに縛られていないからです。場合によっては、それまでの価値観をポイッと捨ててしまうこともあります。

 

ほとんどのことを知らないとわかっているため、どうやっても謙虚にならざるをえません。

 

「なぜあの人は、あれは、こうなのだろうか」という、世の中の大半のストレスに関わりそうな考えも、自分の価値観が基準でなければ、浮かんできません。

 

アホは、自分の人生をどうでもいい、と思っているわけではありません。他人の価値観に振り回されているわけでもありません。

 

そのときどきで、自分なりに大切なことはあって、それに従って生きています。

 

でも同時に、自分の世界がいかに狭いかも、知っているのだと思います。

 

ところ変われば、当たり前も、変ります。

 

たとえば、夏休みに旅したモンゴルで、良く食べられているのは羊肉と乳製品です。魚はありませんし(内陸ですから)、野菜もあまり食べません。

 

それでも、モンゴルの人は骨太で、健康そうです。モンゴル相撲の力士だって、強く育つわけですしね。お肉、お魚、野菜とバランス良く食べるという考えは、ここでは成り立たないのだと知りました。

 

もちろん腸内環境の違いもありますから、ずっと日本に住んでいた人が、いきなりモンゴル人の食生活をすると、バランスを崩すことはあるかもしれませんけどね。

 

他にもあります。中国でバス停で待っているとき、バスがやってくると、みんな列を崩してわれ先に、入口に突進していきます。日本人の感覚からすると「自分の事しか考えていない、礼儀知らず」と思っても、無理ないですよね。

 

でも、実際にその場に身を置いてみると、ちょっと違うのです。突進するのは、「自分がこのバスに乗りたい」という意志が行動に現れているだけで、他人を押しのけて自分が乗ろうとしているわけではなさそうなのです。なぜなら、他人に押しのけられたことは、一度もないからです。

 

そう思うと、この場面に出くわしても、別に嫌な感じもしないのですよ。

 

他にも、田舎の場合だけだと思いますが、バスや電車は満席になるまで出発しません。サービスを提供する側からみれば、効率的ですけれど、日本人の感覚からすると、ありえないですよね。

 

でも、「ここはそうなのだ」とわかってしまえば、イライラすることもなくなります。

 

逆にいえば、こういうところを「そうなんだね」と思えないと、日々の生活は、とっても大変になるかもしれません。

 

そもそも、今、自分が好きなものとか、いいな、と思っているものを見てみたとき、最初からすごく興味があったものばかりではないのではないでしょうか。

 

わたしの場合、モンゴルへの旅行にしても、中国に行くことにしても、太極拳を始めることにしても、どれも最初のきっかけは、自分ではありません。他の人から誘われた、みたいなものばかりです。偶然です。

 

もちろん、そこで選択をしているのは自分ですけれどもね。

 

突然、偶然、人生に現れたものが、可能性や視野を、ぐーっと広げてくれることもあります。思い入れが深くない方が、素直にそこに入れることも、あるのかもしれませんよね。

 

そして、「そこ」の力を存分に発揮できるのかもしれません。

 

どこかで俳優さんが、「すごく難しいセリフは、棒読みにする」と話していたことがあります。神社の宮司さんは、「大祓詞の意味を考える必要はありません。ただ読めばいい。神様のことばは、人間の理屈でわかるようなものではありません」とおっしゃっていました。どちらも、自分の何かを手放すからこそ、そのことばの力が発揮されるような感じではないでしょうか。

 

「アホになる修行」という横尾忠則さんの言葉集があります。ぱらっとめくってみたら、「ぼくは外部の評価よりも、自分で自分を特定してしまうことを恐れるんです」とありました。

 

わたしはこういう人だ、こういう価値観で生きている、これが正しいとか、その時々で思うことはありますよね。でも、それが将来も含めた自分の全てだと特定してしまったとたん、窮屈になってしまうのではないかしら。

 

アホであることは、自由に生きられることなのではないかしらね。

 

そして、アホは、裸の王様にならずに済むのですよ。正直ですものね。

 

「呆」を今年の一文字に選ぶくらいですから、まだまだアホになりきれていません。意固地になったり、小さくなったり、人の目が気になったり、「なんであの人はああなんだろう」と思うこともあります。

 

でも、そんな自分も、それなりに受け入れられているところは、アホの恩恵かもしれません。

 

 

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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