「ホントに初めての武当太極拳」を開催しました

2019.05.07 Tuesday

 

(会場近くの浄真寺。新緑の緑が美しいです)

 

10日間のGWが終わりましたね。

 

平成から令和へという変化もあったためか、お休み前が、ずっと昔のことに思えます。

 

お休みの方も、お休みではなかった方も、それぞれに思いのある時間だったかもしれませんね。

 

 

わたしは通常どおりでしたが、それに加えて「−20歳のカラダ♡ホントにはじめての武当太極拳」を、4月29日と5月6日に、開催しました。

 

通常のクラスとは違い、お話半分、それを踏まえての体験が半分という構成です。

 

お話は、太極拳の「太極」の意味から始まります。

 

太極拳をされていても、この「太極」の意味を考えたことない方もいらっしゃるでしょう。わたしも最初の5年くらいは、考えたこともありませんでした。「太極拳」ということばが、それだけ浸透しているからでもあります。

 

「太極」が最初に世に出たのは、今から約3000年前、「易経」の中です。易は、棒をじゃらじゃらしながら、吉凶を占うもので、そもそもは戦術占いです。棒ではなく、古銭を使ったりもしますが、それは「古いお金は、あちこち巡っているので、世の中のことを良く知っている」からだそうです。

 

「易」には、変化する意味があります。

 

それを踏襲して、王宗岳という武術家が18世紀に「太極拳経」を書き、これを読んだ武術家たちが、「自分たちがやっている拳法は、この考えにぴったりだ」と、太極拳という名前を付けたそうです。

 

モノ(拳法)が先にあり、名前は後からつけられたのですね。

 

では「太極」とは何かというと、ひとことで言えば「調和」です。ただしそれは、安定したものではなく、変化するという勢いを持ちながら、調和に向かうという勢いも、同時に持っています。

 

太極拳は、もともとは武術ですので、相手との攻防の連続です。

 

武当太極拳のある套路(型)の、最初は「開太極」ではじまり、最後は「合太極」という名前がついています。太極という調和のとれた世界を開いた後は、陰と陽という2極がある世界(わたしたちが生きている世)になり、そこは攻防の連続です。攻防の最中にあっても、その先には調和があると知って(信じて)おり、最後には太極に合う、つまり、すべてとひとつになるという、壮大なストーリーなのです。

 

「易経」でも、「太極拳経」でも、陰陽は太極から生まれます。つまりもともとは、調和が取れた、ひとつの大きな源なのです。

 

でも陰と陽に分かれたこの世では、物理的にはひとつではなく、人も「個」として存在します。人や自然も、分かれています。その中には、色々なぶつかり合いや反発もあります。一人の人の中にも、心と体の不調和も起きるでしょう。

 

そんなぶつかり合いを超えて、調和に向かうとき、垣間見えたり触れたりする調和の世界は、衝突を知っている分、いいものだと思えるのではないでしょうか。

 

調和に向かう太極拳とは、不調和なことはしない、つまり、無為自然、不自然なことをしないことです。

 

でもそもそも、何が不自然かわからず、無意識にやっていることも多いのです。それを意識できるようにしていくのも、太極拳の大事な側面です。

 

感覚を育て、今の自分がどういう状態か、何をしているのか、ちゃんと把握できるようにしていきます。

 

また、無意識に「こういうものだ」と思っている思い込みを外していくことも、大事な点です。

 

と、いうことで、今回の体験では、まず足はどこから足なのか、認識を新たにしてもらったり(詳しくは「足はどこから?」)、楽な立ち方を体験してもらいました。

 

立つことは、奥が深いのです。体のあちこちが不調和でも、筋肉を動員して立ててしまいます。自分がやっていることは「馴みのある当たり前」なので、それが不自然でも気づきません。

 

そんなとき、他人の助けがあることで、新しい世界に気づくことができます。

 

楽に立てれば、天と地を結ぶ縁のような軸ができます。この軸を持ち続けることが大切です。一人で立つときもそうですし、他人と交わるときも、です。軸があれば、他人や外の流れに振り回されにくくなります。

 

なんとか立てた後は、陰と陽を動きの中で表現していく基本功を体験していただきました。てこの原理で動けは、少ない労力で大きな力が出せるわけで、それを体で表現していきます。

 

普段のクラスでもそうなのですが、はじめての方は、最初に体験した後、どう言っていいかわからないことも多いようです。混乱する方もいらっしゃいます。

 

それは、それまでどれだけ、複雑に生きてきたからか、かもしれません。

 

「ホントにはじめての武当太極拳」は、套路(型)を体験するまでは、行きつけません。

 

でも、ちゃんと立てるようになって、陰陽の理論で動けるようになってくると、太極拳の套路を習うときに、見えるもの(感じとれるもの)が格段に多くなります。

 

覚えも早くなりますし、その後、自分で深めていくこともできるようになります。怪我につながらないような体の使い方も、身についてきます。

 

そこに行くためには、ちょっと辛抱も必要ですが、それは楽になるためのもので、苦しいものではないはずです。「えーっ」と困惑したとしても、居心地が悪いけれども慣れてしまっているものから出るときに感じる「えーっ」だと思います。

 

どんどん、出てみましょう。

 

自然は変化します。易は変化という意味だと言いましたが、占いでも、変化が起きるのは吉、起きないのは凶なのです。

 

例えば、上に天、下に地を示す象が出ると、安定しすぎているので凶、逆に上が地で下が天の象が出ると、ぐるんと回る動きがあるから吉なのだそうです。

 

今日の常識は、明日の非常識かもしれません。知っていることなど、ほんの少しですしね。

 

太極拳をすることは、套路をカタチとしてすることではないと思っています。もちろん、套路は大切ですが、その入り口からもっと広い世界を見て、体験するためには、その先に進むための基本が大切です。

 

概念や、立ち方、体の感じ方などは、みんな基本に入ります。

 

ほんとうは、それが全てで、套路も基本で成り立つのですけれどもね。

 

ご参加いただいたみなさま、ありがとうございます。参加される方がいてこそのクラスですし、今回もみなさんの様子から学ぶものも、たくさんありました。あの時間を一緒に過ごしてくださったことに、感謝です。

 

 

 

【特別クラスのご案内】

5月11日(土)14:00-16:30は「やさしい站椿功」です。詳細とご応募はこちら

 

5月12日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」第4回 より速く:草原を走る四つ足動物チーター です。詳細とご応募方法はこちら

 

6月16日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇」です。詳細とご応募方法はこちら

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

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