スノードームのように

2018.11.15 Thursday

 

月に2回、「タオを生きることば」のクラスで、老子の「道徳経」を、ゆっくり読んでいっています。

 

読むだけではなく、みんなで感じたことを話したり、体で感じるワークの時間もあります。太極拳は、老子の思想を心身で表現するようなものなので、こんな読み方もできるのです。

 

ことばだけだと「なんのことやら」と思ってしまうことも、あれこれやってみることで、何かしら腑に落ちてきます。「これ」とことばで表現できなかったりしますが、そもそも世の中のものは、ことばで表現できることを超えているのだから、「これでいいのだ」と思います。

 

みなさんと読んでいくことで、わたし自身、ひとりで読むときより、ぐっと深いものを感じます。ありがたい時間です。

 

ちょっと前に、16章を読みました。現代語訳は、こんな出だしです。

 

心をできるかぎり空虚にし、しっかりと静かな気持ちを守っていく。

すると、万物はあまねく生成しているが、わたしにはそれらが道に復帰するさまが見てとれる。

そもそも、万物はさかんに生成の活動をしながら、それぞれの根元に復帰するのだ。

根元に復帰することを静といい、それを命、つまり万物を活動させている根元の道に帰るという。

命に帰ることを恒常的なあり方といい、恒常的なあり方を知ることを明知という。

恒常的なあり方を知らなければ、みだりに行動して災禍をひきおこす(後略)。

(参考:「老子」蜂屋邦夫訳注 岩波文庫)

 

「道(タオ)」というのは、あるがまま、存在の本質です。道を体得している人、それに従って生きている人を、「徳のある人」と呼びます。

 

あるがまま、存在の本質、と言われても、「どういうことなの?」となりますよね。老子の「道徳経」は、それをあれこれ比喩を交えて解説した文書です。

 

そうは言っても、「これが道(タオ)だと説明できるような道は、恒常不変の/本物の道ではない。(第1章)」と言うように、ことばでは説明しきれないのですが、それでもことばを尽くして説明しています。文書ですからね。

 

読む人は、そのことばを頼りに、自分の体験や感覚も足して、その奥に広がる世界を感じていきます。だから人によって、読むタイミングによって、感じることが変わってきます。

 

ひとつ扉を開けると、今まで「知らない」ことも知らなかったことがみえてくること、ありますよね。そんな感じです。

 

さて、16章に戻ります。今回、読んだときに思い浮かんだのは、「スノードーム」でした。

 

スノードームは、手で振ると雪が降りますが、そのままにしておけば、雪はすべて下に落ちます。

 

もともとの恒常的なあり方が、雪が舞っていない状態です。

 

落ち着かせようと、何かをしようとすると、雪が舞ってしまいます。下手すると、何も見えなくなってしまいますよね。静かにしておくのが、いちばんです。

 

老子の超訳本を書かれている黒澤一樹さんは、次のように書いています。

 

静寂は作りだせない。静寂という基盤に、喧噪があるだけだ。

平和は作りだせない。平和という基盤に、争いがあるだけだ。

至福は作りだせない。至福という基盤に、不幸があるだけだ。

静寂も、平和も、至福も、全部、「元からある存在の本質」なんだ。

ただ、絶え間なく続く喧噪や争いや不幸に、覆い隠されているだけ。

(出典:「ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』」黒澤一樹 著アウルズ・エージェンシー)

 

日常では、「あの人は、わたしのことが嫌いなんだ」とか、「意地悪された」とか、いろんなことが起きますよね。でもこれらは、自分の勝手な解釈だったりします。

 

困ったことに、この解釈、そしてそれに伴う感情は、未来に進むと、膨れ上がったり、ゆがんだりします。

 

たとえばトラブルがあって、誰かと仲たがいすると、傷つきますよね。その傷は、後々に10倍くらいに膨れ上がってしまうこともあります。自分に刃をむけているのは、自分の解釈の仕業です。

 

もしくは「なぜ、あんなことをしてしまったのだろう」と後悔することもあります。実際には、いろんな事情があって「あのときは、できなかった」だけなのに、後々になると、解釈の中でいろんな事情は「なかった」ことにされ、「できなかった」ことだけを取り出してしまいます。

 

こんなこと、わたしも、思いっきり経験しています。ちょっと昔を振り返ると、想像や解釈ばかりで、ちっとも「今」にいませんでした。

 

感情は、将来には持って行けません。過去を思い出すと辛いというのは、今の時点から過去を見て、辛いと感じているだけです。

 

こんなことも、「みだりに行動すれば、災禍をひきおこす」に入りますよね。

 

「スノードーム」というイメージは、日常で勝手な解釈をしたくなったときに、「もともとは静寂で、そこに帰るのだ」と思い出すためには、役に立ちそうです。

 

話は変りますが、後半の方に「恒常的なあり方を知ることを明知という」と出てきますよね。恒常的なあり方とは、「静」です。

 

わたしの道号(道教の修行者の名前)は、「静慧」と言い、「静かであれば、智慧が出てくる」という意味があります。中国の武当山の田理陽師父(武当玄武派第十五代伝人)に、「あなたにはこの2つの要素があるから」と、つけていただいた名前です。

 

本文に、智慧ということばは出てきませんが、何か通じるものを感じました(これも勝手な解釈かもしれませんが。)

 

この田師父は、「老子の道徳経を、みんなに読んであげたらいいよ」とアドバイスしてくださった方です。それだけに、感慨深いものもありますが、くぅーっと解釈の海におぼれそうになる前に、さらっと留めておこうと思います。

 

感激しすぎるときも、なにか”盛っている”かもしれませんよね。(それが悪い、と言いたいわけではありませんよ。)

 

(下の写真は、思い切り、手で雪を舞い上がらせています。つい、やってしまいますね、苦笑。)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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