先生と生徒と、共生

2018.05.19 Saturday

 

どの世界でも似たようなことはあるのかもしれませんが、太極拳の世界でも、先生と生徒の確執や、組織についていけない人というのは、出てくるようです。

 

好きで始めて、今でも好きだけれども、これからどうしたらいいかわからず、迷子になっているような状態です(”迷子”というのはわたしの表現で、当人はそう感じていないかもしれません)。そこに、苦しみや痛みを伴っていると感じられる場合も、多々あります。

 

かつて、わたしも迷い、苦しい気持ちを持って訪ね、泣きながら話を聞いていただいた経験があります。同じ道にいる人に、話をきいてもらえるだけでも、ずいぶんと気持ちが楽になりました。そこからまた、続ける意欲を新たにして、続けられる道を見出す機会にもなりました。

 

わたしのところにも、そういう悩みを抱える方々が、時々訪れます。自分の過去の経験もあり、こんなときに”話を聞く”ことも、自分に回ってきたひとつの役割なのかもしれないと、思っています。

 

対象の方を直接知っているわけではなく、仮にちょっと知っていたとしても、当事者ではないため、何かできるわけでもなく、何かしたいわけでもありません。たいしたことは、できないかもしれません。

 

ただ、練習方法や、体の使い方についての迷い、太極拳とはどういうものかという概念や哲学や理論は、答えられること、お話できることは、あります。昔の自分がそうだったように、それが迷子になっている人にとって、光を見つけるきっかけになるといいな、と願っています。

 

悩みの中には、先生の意図がうまく伝わっていないだけかな、と感じることもあります。ものごとの一部分しか伝わっていない気がする場合、「こんな側面もある」と、違う角度からの見方をお話することもあります。

 

どんな指導をする場合であれ、先生には、それぞれの考えがあると思っています。「とにかく動きを真似するだけで、説明がない」という話もよく聞きますが、それもひとつの教え方です。

 

わたしは、たくさん話してくださる先生に習ってきた時間を、多く持っています。それは、教え方という意味でも、よりどころという意味でも、自分の基盤になっています。

 

でも中には、何の説明も受けず、ひたすら真似するだけのお稽古もありましたし、とにかくやり続けたものも、あります。時間数でみても、こちらもかなりあるのです。その経験も、やはりよかったのです。

 

カンフー(功夫)とは、もともと、時間をかけて熟達していく人、という意味です。匠、みたいなイメージです。絶対的に必要なのは、”時間をかけること”です。わからないなりに、雰囲気を感じとり、真似して、ひたすらやり続けることで、ある日、「あっ、これ?」という気づきがあったりするのです。与えられるのではなく、自分で開拓して気づいていくプロセスは、何ものにも代えがたい、貴重な経験です。

 

そこには、「おかしいなあ」「変だなあ」と思うこともあります。迷いもあります。でも、その問いを持ち続けていると、いつかどこかで、答えはやってきます。

 

もちろん、「こんな感じじゃないかしら?」という、明るい兆しのような発見もあります。それはのちのち、先生からのアドバイスにはまってくることもあり、「ああ、あのときこれを、自分なりに感じ始めていたんだ」と思えることもあります。人の体とは、そういうものです。自分で発見していけること、開発していける可能性が、たくさんあるのです。

 

焦らず、のんびりいこうと思えないと、説明もなく続けるのは難しいかもしれませんが、そもそもカンフーとは、そういうものですしね。

 

つまり、教え方としては、なんでもありだと思っています。そして、どんな経験も、苦しいことも含めて、無駄になることはないのだと思います。

 

そうは言っても、今、自分が行き詰っていたら、その場所からは離れたらいいと思います。先生には、好きなやり方をする自由がありますし、生徒には、自分が希望する先生につく自由があります。

 

タイミングが合わなかったり、ウマが合わないことも、ありますよね。

 

共生とは、共に生きることで、仲良く手をつないで生きることではないと思っています。希望するものが違うなら、別の場所で生きる方がお互いのためです。

 

クジラは、金魚鉢の中では生きられないのですから。金魚は、海では生きられません。クジラと金魚、どちらが偉いとかは、ありません。

 

苦しさや傷がある場合、それを癒す時間は必要です。病気がひどければ入院するように、それまでの場所から離れて、治療にふさわしい環境に身を置くべきときもあります。骨折したような場合、回復まで長い時間がかかることもあります。リハビリも必要ですよね。

 

そうやって安心できる場所で自分を癒しながら、時には「忘れて」過ごすうちに、過去の出来事への見方が変わってくることも、あります。

 

起きたことの事実は、変りません。でも、過去の感情は、今に持ってくることはできないのです。つまり、いつも”今”の時点から、過去の出来事を見たときの感情があるだけです。

 

これはわたしの場合ですが、確執も、それを経験する意味があったのだ、自分がそれを経験したかったのだと、素直に思えたとき、苦しい感情は、薄くなったり、消えていることも、あります。

 

起きることすべてに意味がある、今を生きることで過去は変えられる、というのは、そういうことだと思います。

 

みんなそれぞれ、自分にふさわしい場所で、共生していけたらいいですよね。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


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