人生の課題は、繰り返しあらわれる

2018.03.22 Thursday

(和歌山で)

 

繰り返し起きること、ありますか? 場所、相手、環境や状況を変えて、です。

 

わたしには、ありました。

 

わたしは興味のある授業や講座では、一番前で、先生の近くで、体験したい性分です。でも、それを許してもらえず、とっても苦しかった思い出があります。

 

最初は、小学生のときです。担任の先生が席を決めていて、わたしは毎回、一番後ろの席なのです。お隣は、ちょっと困った君。活発で手が負えない”悪ガキ”タイプではなく、おとなしく、勉強についていくのが厳しかったり、クラスに馴染みにくい、というような子でした。

 

あるとき、先生に訴えてみました。「わたし、一番前の席に行きたい!」

 

先生のお返事は、「クラスには、いろんな子がいるんだよ。助けが必要な子もいて、助ける力がある人は、そういう子を助けるんだよ。」

 

”もっとも”な返事ですよね。でもお隣の面倒をみても、まだまだエネルギーが余るのです。「わたし、前で勉強したーい!」

 

先生から過度な期待をかけられているような感覚も、ありました。ただし、現実に先生がどう思っていたかはさておき、ここでは、自分が感じたことだけを書いています。

 

大人になっても、同じようなことが起きました。以前、通っていた、とある教室でのことです。

 

「あなたは目立つから、一番後ろで目立だたないようにしなさい。みんなが忘れるくらいでちょうどよい。ハッと振り返ったら、黄金が輝いていて、あぁいたんだ、みたいな感じ。」

 

正確な言葉は忘れてしまいましたが、わたしが受けた印象では、こんな感じです。こちらも先生がどういう思いだったかはさておき、わたしが感じたことだけを書いています。(つまりここで、先生を非難したいのではないのです。)

 

先生のアドバイスです。頑張って守ろうとしました。でも当時のわたしには、それを”我慢する”という方法でしか、できなかったのです。

 

そもそも、「前に行きたい」のは、自然に湧き上がって、気づいたら行動しているようなもので、無理やりしているわけではありません。抑えることは、苦しいことでしかありませんでした。

 

これだけ我慢すると、怒りとなって爆発します。爆発してしまう自分も嫌で、自分が起こした現実にも、ひどく落ち込みました。

 

この経験、時系列で書きましたが、気づいたのは逆です。大人になってからの体験が苦しくて、それを聞いてもらったり、相談しているうちに、「そういえば」と、子供の頃を思いだしたのです。

 

相談する中で、「繰り返し出てくることは、人生のテーマかも」と、言ってくれた人もいました。

 

今の時点では、苦しい思いは、ありません。「過去の感情は持っていられない」とおり、「あのとき、苦しかったなあ」という淡々とした記憶があるだけです。乗り越えたと言えるのかもしれません。

 

今、このテーマについて、3つ思うことがあります。

 

ひとつは、”合わない場所は、去る”です。人はそれぞれ違って、何でもできる人がいないように、そんな必要もないように、どの場所にも合うわけではないと思っています。そりが合わない人も、います。苦しさを感じるとき、ひとつは”合わない場所に、無理やり居続けようとしていること”への警告かもしれません。

 

そうは言っても、「それなら」と、さっくり去ることも、なかなかできなかったりしますけどね。ぐずぐずしていると、無理やり押し出されるようなことも起きます。

 

そんなことが起きると、「ひどい〜!」と、最初は相手を恨めしく思ったりしますが、実は「離れたいと思っていた」願いが叶っただけのことです。冷静になってみれば、押し出した相手は、悪役の役割を担ってくれた、とも言えます(つまり、相手が悪いわけではありません。)

 

ふたつ目は、わたしの受け止め方です。自然に前に出たい欲求が強いだけのわたしには、後ろに下がることは我慢としか感じられませんでした。

 

でも実際、後ろのポジションは、全体がよく見えるのですよ。その視点は、確かにあの時にはなかったと思います。

 

さらに、当時のわたしは、後ろに下がること=他の人を立てる、面倒を見る、と感じていました。それを”義務”だと認識していました。でも、実際には、誰もそんなこと、期待していなかったかもしれませんよね(笑)。つまり、いらぬおせっかいです(笑)。

 

誰もそれを頼んでいないのに、自分で課して、必死に、苦しく思いながら踏ん張っていた、と思うと、我ながらおかしくて笑ってしまいます。こんな状態では、ほかの人にプレッシャーをかけただろうなぁ、とも思うのです。(ごめんなさい)。

 

3つ目は、自分の理想は、背景に溶けるような存在でいることなのです。つまり、”自分”が主張しない方が好きなのです。

 

たとえば、写真や動画、現実に目の前にいるとき、「背景に溶けて一体になっている」と言われるのが、好きです。公園のお稽古で待ち合わせした生徒さんから、「木に馴染みすぎて見えなかった」と言われたこともあります(ちょっと大げさな気もしますが(笑))。声を出すときも、自然な流れの邪魔にならない声でいたい、と思っています。

 

あらまぁ、ではありませんか。ただしこの3つ目には、我慢はなく、自然体です。わざと控え目に後ろにいるわけでは、ありません。

 

昔の自分を振り返ると、すごく狭い世界で生きていたのだな、と感じます。起きていることを、相手のせいにしがちでしたしね(ごめんなさい)。自分の作りだした妄想です。一生懸命だったので、それはそれで愛しいですけれどもね。

 

この課題がこれで終わりかどうかは、わかりませんし、このほかにもあるかもしれません。でも、苦しさもじっくり感じたことで、大切なことがわかったことは、確かです。

 

起きたことは変りませんが、自分で”苦しい”と思っていた過去を、変えることはできます。過去は、今の自分から見た捉え方でしか、存在できないからです。

 

繰り返し出てくる苦しいことがあったら、そして、それとじっくり向き合えるときがきたら、何かが出てくるかもしれません。(ただし、今はダメっ!というときもあるので、そういうときは無理しない方が良いと思っています。)

 

 

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(2017年 秋、武当山で。お稽古中、友人が「とっても平和な光景だったから」と撮ってくれた写真)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 



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