老子と道教と武当山

2015.03.14 Saturday


(中国、武当山にある大常観という道教の寺にある、老子の壁画)

武当拳は、道教の聖地のひとつである武当山(中国、湖北省)で育まれてきました。
それは道教哲学をもとに成り立っています。
道教は、老子の思想を用いて、その思想の一面を取り込みながら生まれた民間宗教で、
老子を神格化しています。

では、老子とはどんな人物なのでしょうか?

司馬遷の「史記」老子伝からみると、
老子は周王朝の宮廷に仕えて、守蔵室の史(し)、つまり周の国立図書室の役人をしていました。
やがて周の国が衰えるにおよび、老子は周の都の落陽を立ち去ることにしました。
落陽を出て、函谷関(かんごくかん)散関(さんかん)どちらかの関所に至ります。
そこには関守の尹喜(いんき)という人物がいました。
老子を見た尹喜は、これはただ者ではないと感じ、「どうか国にとどまってほしい」と懇願しますが、
老子は首を縦にふりません。そこで尹喜は、「ならばせめて書を著して残していただけませんか?」と
依頼します。そこで老子が一晩で書いたものが、5,000語ほどの「道徳経」だと言われています。
日本語では「老子」というタイトルで出版されていることもあります。

「道徳経」を読んで感銘を受けた尹喜は、関守をやめて老子とともに旅に出たとも言われています。
そして老子と別れた後、尹喜が修業の地を求めてたどり着いたのが、武当山の南岩という話も。
南岩は、玄武大帝(道教の神様のひとり)が、ここから天へととんだという説もある、聖なる地です。
武当山にある36の岩のうち、最も美しいと言われ、わたしがいつもお稽古にいっている場所でもあります。





















(南岩。右の崖に張り付くように建っているのは、
道教のお寺、南岩宮)

南岩で修業に励んでいた尹喜が、いつも憧れをもって眺めていた場所がありました。
それが金頂。武当山の頂上です。「あそこならもっと良い修業ができるはずだ。」

今でこそ南岩から山頂までの道もありますが、もちろん、その頃にはありません。
大変な苦労をした末に、ついに尹喜は金頂にたどりついたそうです。

わたしがいつもお稽古している場所からも、金頂が見えます。


(左手、高いところが金頂)

尹喜も、こんなところから眺めていたのかな。

さて、尹喜はなぜ金頂を理想の修業の場と考えたのでしょうか?
それは、山頂は天と地が接する一番高いところ、つまり宇宙のおへそ、丹田にあたるからです。
中国武術では丹田を大切にし、その鍛錬をします。
人間を小宇宙、宇宙を大宇宙と考え、小宇宙の丹田の鍛錬には大宇宙の丹田という場が良い、
と考えたようです。

宇宙のおへそで太極拳。

南岩という場所のご紹介や、老子の「道徳経」の言葉は、
また次の機会に。


(南岩の夕焼け)
 

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