老子のことば:道(タオ)

2018.01.18 Thursday

 

 

昨日、はじめての『みんみんの陽だまり時間:老子のことば』を開催しました。

 

2500年前に書かれた、81章、5,000語あまりから成る老子の「道徳経」。日本ではよく「老子」として出版されています。少ない語数だからこその、奥深さがあり、さまざまな解釈があります。昨日は第1章を取り上げました。

 

(原文)

道可道, 非常道。名可名, 非常名。无名天地之始。有名万物之母故常欲以觀其妙。常有欲以其徼。此兩者, 同出而名。同謂之玄。玄之又玄, 妙之門。

 

(現代語訳)

これが道だと説明できるような道は、恒常不変の道ではない。これが名前だという名も、恒常不変の名ではない。名前など、天地が生まれる最初にはなかった。万物が現れたときに、それらは名づけられたのだ。常に欲をなくせば「妙」が見える。常に欲望にとらわれていると、万物が活動する結果のさまざまな現象「(徼=きょう)」が見えるだけだ。このふたつ、「妙」と「」は、同じ根源、玄から出て、言い方が異なる。玄のうえにも玄であって、そこからあらゆるものがうまれる。

(参考:「老子」蜂屋 邦夫訳注 岩波文庫 2008年)

 

現代語訳を読んでも、「?????」ですよね。

 

部分的になりますが、今のわたしなりの解釈を、書いてみます。

 

わたしたちは便宜上、いろいろなものに名前をつけています。ペン、お茶、机、などなど、この世の万物には、名前がついています。わたしにも「まゆみ」という名前があります。

 

名前があると、とっても便利です。電話で「のぞみちゃんに、机の上にある「老子」の本を渡してね」と伝えたい場合、名前がなかったらどう伝えればよいのでしょうか。大変そうですよね。

 

便利な反面、名前にとらわれて、おかしなことになる場合もあります。

 

例として、太極拳のクラスでやる、ペアワークをあげてみます。ひとり(Aさん)が壁を背にして立ち、もうひとり(Bさん)がその前に立ちます。Aさんは、まっすぐ立っていればよいだけです。Bさんは、Aさんの片足をゆっくり持ち上げていきます。Bさんは、Aさんの足を自分の足のように感じながら、様子をみて、上げていきます。意外とわかるものです。でも過信は危険なので、「痛い?大丈夫?」と、聞いてあげます。

 

たいていの場合、Aさんは「うわー、こんなに上がった!」とびっくりします。自分が普段思っているよりも、あがるのです。

 

からくりとしては、Aさんが「このくらいしか上がらない」と限界を設定していると、自分ひとりでやっているときは、絶対にそれよりも上がりません。でもBさんに足を上げてもらうと、BさんはAさんの勝手な思い込み設定など知らないため、Aさんの可能性に従って、上げていけるわけです。

 

”限界を超えていくワーク”です。限界とは、自分の思い込みで設定したものです。

 

これには、おまけがあります。このワークをした後は、地に足が着いて、いわゆる”グラウンディング”した状態になりやすいのです。あるとき感想を聞いてみると、

 

「重くなった」

 

「軽くなった」

 

真逆の感想が出てきました。「???」ですよね。わたしは、どっしり重くなる感じなので、「軽くなった」には、最初ちょっと戸惑いました。

 

真逆の感想を言う人たちを、触ったり押したりしてみてから、気づいたことがあります。「言葉は違うことを言っているけれど、これはたぶん、同じ状態を言っている」と。

 

たとえば、緊張して軽くなっていた体(そういうときは、押すとすぐに倒れます)がほぐれると、「重くなった」という感想になります。上下のバランスが整うと、楽に立てるようになり、それを「軽くなった」と表現することもあり得ます。

 

言葉だけで見ると真逆でも、実は同じことを感じていることも、あるのだと思うのです。

 

老子のことばに戻ると、「(きょう)」とは、帰結、端のことを言います。万物が活動した結果のさまざまな現象、ものごとの表面的な解釈のことです。上の場合だと、「重い」と「軽い」という言葉です。

 

老子は、常に欲望にとらわれていると、この「(きょう)」しか見えない、と言っています。欲望を、自分の勝手な思い込みや解釈、と読み替えれば、わかりやすいかもしれません。

 

欲がなければ「妙(みょう)」が見えると言います。「妙(みょう)」とは、微の極みのことで、奥深くて見ようとしても良く見えないこと、「道(タオ)」のことをさします。表面ではなくて、奥にある真実、と言い換えるとわかりやすいでしょうか。

 

天地が生まれる前には、名前(言葉、解釈)などなかったのです。そのときであれば、このワークも、「重い」と「軽い」という言葉にとらわれず、「ああ、同じだね」とすんなりいけたかもしれません。(「どうやって?」という方法は、さておき、です。)

 

もう少し広げてみると、足を上げるワークでも、Aさんは「わたしの体は硬いから」と”名前”をつけて、その解釈に縛られていますよね。それも、ものごとの表面で、奥にある真実とは違います。Bさんが持ち上げたときに上がるところ、それが”奥にある真実”です。

 

こんな思い込み、解釈、わかったつもりのこと、意外とたくさんありそうです。そんなことだらけかもしれません。

 

よく知っていると思っている目の前にいる人のこと、「本当に知っているのか?」と自分を疑ってみてもいいかもしれません。今のありのままのその人を感じてみると、違うことが見えてくるかもしれませんよね。

 

『みんみんの陽だまり時間:老子のことば』、次回は1月31日(水)19時〜です。詳しくはこちらからご覧ださい。

 

 

【1月の特別クラス】

※1月21日(日)の午後は、Bouquet(逗子・葉山)「身体とこころのその先へ 〜本当の思いに触れに行く太極拳〜」(第5回:みんなが知らない太極拳ひみつ5 争いを止める太極拳)です。詳細とご応募はこちらから。

 

※1月27日(土)14:00-16:30は「体の中からキレイになろう!クリスタルボウルと六字訣」です。詳細とご応募はこちらから。

 

(武当山 泰常観にある老子の壁画)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ



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