武当山で感じたこと:中国語

2017.10.14 Saturday

(形意拳のお稽古中。真ん中の黒い服が明月師父。左は長年のお稽古友達。)

 

「中国にお稽古に行く」というと、「言葉はどうしているの?」と、よく聞かれます。

 

基本は、中国語(標準語)です。

 

でも、わたしの中国語は、よちよち歩きレベルです。実際は、わたしのカタコト中国語、漢字(ノートに書く)、先生たちのカタコト英語、そして運がよければ英語と中国語がわかる人に助けてもらいながら、なんとか過ごしています。

 

武当山に行き始めた2008年末から2012年くらいまでは、中国語、全然話せなかったのです。最初の学校は、比較的規模が大きく、オフィスには英語を流暢に話すスタッフがおり、日常生活に困ることはありませんでした。

 

最初の学校のクラス中は、先生がカタコト英語(Goとか、Turnとか、OKとか、簡単な単語レベル)で教えてくれていました。身振り手振りを見て、真似して習うやり方でした。

 

それでも、それまで日本で違う流派の太極拳を習いながら、「これ」という感覚が持てなかったわたしにとって、初めて習う武当太極拳に、「これ!」と感じられたことは、すごく大きな出来事でした。体の中心から動くシンプルな感じがとても気持ちよく、もっとやってみたい、と思ったのです。

 

頭でっかちで、理屈が先だった当時のわたしには、言葉の通じない中で、感覚で感じることができたのは、逆に良い面もあったのかもしれません。

 

2011年、新しい学校に行くことになりました。今の先生の先生(武当玄武派第十五代伝人 田理阳師父)の学校です。当時、東京で習っていた先生に、田理阳師父とのご縁ができたためでした。

 

この時は、同級生にずいぶん助けてもらいました。日本語が話せる中国人、英語が話せる中国人がいて、細かいことを話したいとき、知りたいときは、翻訳してもらっていました。

 

先生は、言葉の通じない外国人に教えることも多いため、身ぶり手ぶりを交えて上手に教えてくださったと思います。そのためもあって、語学ができないことのデメリットを、それほど大きく感じてはいませんでした。(振り返ってみると、まだよくわかっていなかった、とも言えます。)

 

2012年、今の先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)が独立して、現在の学校に移りました。当時、東京で習っていた先生が「明月師父についていく」と決めたためです。2回の転校?は、どちらも自分から積極的にしたものではないのですが、今から振り返ると、それが良かったような気がします。選択とは、ご縁とは、不思議なものです。

 

新しい学校に初めて行ったとき、途中で明月師父が地方に行くために不在となり、弟弟子の虚谷師父(武当玄武派第十六代伝人)に教えてもらうことになりました。それまでの数日、わたしのお稽古をじっと見ていた虚谷師父は、最初の日に「これまで誰に習った?何年習った?何を習った?」と質問ぜめにしてきました。中国語ですが、当時のガールフレンド(今の奥様)が英語で訳してくれました。いろいろ話した後、「あなたの動きは、見た目はきれいだけれども、体の中が悪すぎる。体の緊張が強すぎる。」と言われ、それを改善する練習として、五行六合功を教え始めてくれたのです。(このときのことは、こちらの「先生との出会い」にも書いています)

 

これだけはっきりと指摘してくれた先生は、初めてでした。

 

田理阳師父も、虚谷師父も、今の明月師父も、教えるときに、よくしゃべります。それは、「見た目に同じように見えても、やっていることは全然違う」からです。だんだんと、形ではなく、その根底にある考え方や哲学、理論などなどに意識が向くようになり、言葉がわからないことで、受け取れていないものが、ものすごくたくさんあるのでは、と思うようになりました。

 

学習は、のろのろ亀ペースですが、少しずつ前進しているようで、毎年行くたびに「わかるようになってきたね」と言われます(みんなが優しい、とも言えます)。今年は10代男子の生徒さんに、「ここで生活している間に習えばいいんだよ。ずっと聞いて話していれば、できるようになるよ」と、励まされました。確かに滞在日数が過ぎてくると、だんだん耳が慣れてきて、ちょっとずつ聞けるようになってきます。

 

ありがたいことに、あまりわからないわたしに向かって、ちゃんとみんな中国語で話しかけてくれます。

 

不思議だな、と思うのは、みんなわたしの中国語のできなさ加減を知りながら、普通のスピード(つまり、かなり速い)で話しかけてくることです。わたしだったら、日本語がわからない人や、英語がわからない人には、単語を選んでゆっくり話すのになぁ、と思うのですが、そういう配慮はあまりないようです。

 

それはもしかしたら、国の違いかもしれません。日本は小さな島国で、人口も少なく、世界では少数派です。少数派の気持ちを理解しやすいのかもしれません。それに対して中国は、国土も広く、人口も多く、大きな国です。少数派の気持ちを察するのは、難しいかもしれません。

 

いつもお世話になっているタクシーの運転手さんは、「わかるようになってきたね。次は自分で電話をかけておいで(注:いつもは学校の人に頼んでかけてもらっています)」というので、「それは.....もごもご」「みんな、話すのが早いから、聞きとれないの」と言ってみたら、「ゆっくり話せば聞き取れるの?」と聞き返されました。そうなのか、ゆっくり話してね、と、わたしがお願いすればよかったことなのですね。

 

今回、武当山に到着して、明月師父に一番最初に会ったとき、先生からの最初のひとことは、「中国語、どう?」でした(苦笑)。どう答えればよいのか、もごもごしながら「我不知道(それはわからない。。。)」と答えたら、周りにいた人たちがみんな笑って、「”不知道”は、便利な言葉だよね」と。

 

いまだに周りの人に助けてもらいながら、しどろもどろな日々が続いています。もっと言葉がわかるようになったら、もっと深い対話もできるし、いろんな文書もスラスラ読めるし、そうなりたいな、と思っています。

 

思うなら、やらないと、ですね。

 

中国に行き始めた頃、「中国語、わからなくても習えるよ」と言っていた自分を思い出すと、恥ずかしいです。その反面、タイミングもあるような気がしていて、学校が変わり、先生が変わり、自分の興味が変わり、という中で、言葉が必要になってきたのは、自然な流れのようにも感じます。

 

ちなみに、国土が広い分、方言もあります。武当山も結構方言が強く、南方なまりなのか、hの発音が抜けていることが多いです。「吃饭了(チーファンラ=ごはんだよ)」は、ツーファンラ、と聞こえます。わたしの発音は、この先、なまっていくのでしょうか......

 

 

武当山での写真は、こちらから

武当山での日々を語った自由が丘FMTVの録画は、こちらから

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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