困ったときの神頼み

2017.10.10 Tuesday

(武当山、紫霄宮)

 

「困ったときの神頼み」と言いますね。しますか?

 

わたしは、します。以前は、絶対にやりませんでした。

 

やりたいことがあるなら、まず必要なことを身につけて、それから応募したり申し込んだり......と自分で動かない限りは絶対に叶わないと、本気で思っていたのです。

 

その様子を見た何人かの方々に「自分で動かない限り叶わないと思っているでしょ。違うよ。待っていたらくるんだよ」と、「待つことを覚えよ」とアドバイスされました。そう言われても、「そんなこと......」と、とっても半信半疑でした。

 

「棚からぼたもち」なんて、期待することが間違っていると思っていました。

 

こう書くと、努力家のように見えますし、実際にそうだったと思いますが、その反面、「なんでも自分でできる」と、とっても思い上がっていたのです。

 

でも、そもそも自分でできることなんて、ほとんどありません。

 

お稽古中に、生徒さんよくする質問があります。「なぜ、立てると思う?」

 

「足があるから」「立つという意志があるから」などなど、それも確かにそうです。でも、足があって、立つ意志があっても、”これ”がなければ立てない、という大切な要素があるのです。

 

「重力があるから」は、結構よいセンいっています。そこからもうちょっといくと、「地面があるから」に行きつきます。

 

当たり前すぎて、思いつかなかったりしますよね。それを意識して、地球と一緒に立っているのだと思うと、絶対的な安心感が生まれてきませんか?わたしたちは運命共同体で、自分を大切にするのと同じように、地球も大切にするのだと、自然に思えてきたりします。

 

思い上がっていたころのわたしは、自分の意志で立っていると思っていましたし、上手くいかなかったときは、人のせいにしたり、自分を責めたりしていました。他人にぶつけるか、自分にぶつけるかの違いはあっても、誰かを責めていたわけです。

 

それは、見ている人をつらくさせたと思います。それで何人かの方々が、「待つことを覚えるんだよ」と言ってくれたのだと思うのです。世の中の人は、優しいし、ありがたいですよね。

 

そんなこんなで、どうしたらよいかわからないときに、「神様、助けてください」とお願いすることもできるようになりました。最初は、「何を助けてほしいかを具体的に言わないと......」と、昔のクセが抜けなかったのですが、本当に困ったときは、そんな状態ではないのです。何をどう頼めばよいのかわからないのですよ。

 

必死に「助けてください」とお願いするだけです。そうすると、どこかからヒントや答えがやってくるようになってきました。友人がぽろっと言ったことだったり、本やテレビだったり、歩いている間に見たり、感じたり、聞こえてきたり、さまざまな入口から入ってくることを経験をして、ようやく”待つ”ことの意味が、少しわかるようになってきました。

 

先日、「アニマル進化体操」を教えてもらった田中ちさこ先生が、マサイのジャンプをみんなに体験させてくれたときに、印象的なことをおっしゃっていました。(「アニマル進化体操」についての詳細は、こちらのブログからどうぞ)

 

受講生さんが、自分の内部に意識を集中させようと目を閉じたとき、「目は閉じちゃだめ!」とおっしゃったのです。

 

体には、いろいろ感じ取れる感覚やセンサーがあって、そのままにしておけば、情報は”入ってくる”のです。目を閉じてしまうことは、その感覚を閉じてしまうことでもあります。

 

集中するために目を閉じることは、よくありますよね。でも実際は、まぶたを閉じてしまうと、たいていの場合、黒目がくるくる動いてしまうのです(自覚するのは、ちょっと難しいですが。)集中しようとしても、逆に意識は散乱し、かつ、エネルギーは消費します。

 

意識しすぎると緊張して、動きが制限される、とも言えます。

 

脱線した話をもとに戻すと、「何でも自分でやろうとせず、神頼みする」というのも、無駄な緊張をつくらないないための、ひとつの智慧だと思います。自分を外に向けてやわらかく開いた状態にしておけば、自然と必要なことが入ってくるようにしておく、ということです。

 

何かをピンポイントで狙うと、それを手にするか、失敗するかとなり、その周囲にあるものを拾える確率はゼロに近くなります。でも、そのプロセスを大切にして周囲に対して開いた状態にしておけば、最初の目的を得ることのほかに、それ以外の周りの”何か”をたくさん手にできる可能性は広がります。

 

ちなみに聞いた話ですが、東京の神様は、”お暇”らしいのです。なぜかと言うと、東京(都会)の人は、なんでも自分でやろうとするので、神様の出番がないとか。「だから、どんどん頼んだらいいよ。」と。

 

そして、ここでは”神様”と書いていますが、本当は、神様ではなくても良いのです。大いなるもの、とか、”何か”とか、人によっては”愛”と表現する人もいると思います。自分にしっくりくる表現が、それぞれあると思います。

 

「困ったときの神頼み」とは、何もしないように見えて、実際には心身を開いて”入ってこられる”状態にしておくことでもあると思います。だからと言って、必死に「心身を開いて〜っ!」とすると、逆に緊張してしまうところが、難しいところかもしれませんけどね。

 

(武当山で出会う犬。飼い犬かどうかはわかりませんが、こちらの犬はみんなとっても穏やかで幸せそうな顔をしています)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


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