「太極十年不出門、形意一年打死人」

2017.10.04 Wednesday

(形意拳)

 

中国には、「太極十年不出門、形意一年打死人」ということわざがあります。

 

太極拳は使えるようになるまで10年はかかるが、形意拳は1年で人を打ち倒せるようになる、という意味です。

 

太極拳と形意拳は、よく対照的に語られます。

 

太極拳は、原則、ゆっくり動きます(例外的に早く動くこともあります)。直線ではなく、丸く円を描くような動きが特徴的です。直線でカタイものは実は弱く、やわらかく丸いものが強いことを体現しており、「柔を持って剛を制す」と表現されます。

 

硬い棒は、力をかければ折れますが、柳の枝は、しなるだけで折れにくいですよね。同じように人の腕も、まっすぐにぴんと伸ばすと弱く、少し湾曲させる方が折れにくくなります(コツは、必要です)。

 

コマがくるくると回るとき、とんでくるものをはじき返すことをイメージしても、わかりやすいかもしれません。

 

表向きにはやわらかく、優雅にも見える太極拳は、内面では何よりも強い力を蓄えています。

 

形意拳は、動きが早く、打撃も続くため、直線的で、力強い印象を受けます。見た目の印象としては、ゆっくり丸く動く柔かい太極拳と、早く直線的で硬い形意拳と、対照的に映ります。でも実際に形意拳をするときには、内面がとてもリラックスしていること、やわらかいことが大切です。動作は小さく、シンプルで、体力を使わずに強い打撃力を得ることができます。

 

習い始めは、ついつい見た目のハードさに目を奪われて、力強くやろうと(力を使ってやろうと)することも多いと思います。でも、そんなことをしたら、体が持ちません。体に負担をかけてしまい、ヘンな筋肉痛や痛み、凝りが出てきます。

 

そういう経験は、わたしにもあります。これは悪いことばかりではなく、「そのやり方は違っているよ」というお知らせでもあります。自分で内面を硬くしてしまっているところに気づいて、それをなくしていくと、だんだん楽に動けるようになります。

 

”柔”と”剛”は、陰陽で見ると、柔が陰、剛が陽です。陰と陽はお互いに助け合いながらバランスが成り立っています。そして陰の中には陽の要素があり、陽の中には陰の要素があるように、ばっさり二つに分けられるものでもありません。これはわたしの理解ですが、同時に存在すると考えると、外側が柔かく見える太極拳の内側は剛で、外側が剛に見える形意拳の内側が柔かいことには、納得できます。

 

形意拳の見た目のハードさに目を奪われて、力づくでやろうとする場合、その”剛”は、”柔”を含んだ”剛”ではありません。だから弱いし、自分もくたびれます。

 

太極拳の見た目のソフトさに目を奪われている場合、その”柔”は、”剛”を含んだ”柔”ではありません。だから押されるとすぐに倒れます。(ただし、たとえ倒れやすかったとしても、ゆっくり動くことで副交感神経の働きが上がり、自律神経のバランスが整っていくことはある、と思います。せかせかした毎日を送りがちな場合、心のゆとりにもつながると思います。)

 

冒頭の「太極十年不出門、形意一年打死人」という言葉から見ると、柳のような強さを持って太極拳ができるようになるよりも、力づくで形意拳をやらないようにする方が、わかりやすいような気がします。

 

さらに、形意拳は直線に動くように見えますが、その力を出しているのは、やはり丸い動きです。太極拳が陰陽バランスで力を出していくのと、同じ原理です。そう見ていくと、表面的、平面的には真逆に見えるものでも、立体的に見て、その構成を見ていくと、同じものが見えてきます。

 

”一撃必殺”と表現されるような形意拳ですが、先生の形意拳を見ていると、とても平和で穏やかな気持ちになります。いろいろあっても丸く円満におさまり、平和で穏やかに生きていける道に続いていくこと、教えてくれるような気がします。それは、太極拳が見せてくれるものと、同じです。

 

ここからも、すべてのものは、もともとひとつなのだと、感じます。

 

攻撃性が高い形意拳をお稽古することは、しなやかで強い柳のような体を作ることにも役立つと思っています。さらに、争いがある中で攻防を経験し、そこを超えて”ひとつ”に行くという道を、わかりやすく体験することでもあるような気がします。それは、太極拳の体感覚と理解をも、深めてくれると感じます。

 

さて、最初の「太極十年不出門」にかえると、わたしはちょうど今、10年くらいです。まだまだな部分はありますが、ちょうど10年になるくらいの去年あたりから、迷うことが少なくなりました。できているわけではありませんが、自分なりに「ここはこうだろう」という理解ができるようになり、体でも表現しやすくなったと感じます。

 

十年という表現は、焦らず気長にね、という意味でしかないと思いますが、石の上にも十年という表現もあるように、人の体感としては、一区切りなのかもしれません。

 

そしてその10年という期間は、一足飛びに10年目に到達するのとは違い、そのプロセスを歩むこと自体が豊かさをもたらしてくれたと感じます。だからこそ「10年かぁ」と気が遠くなるのではなく、そのときそのとき、今の自分にできることを淡々としていくことで十分なのだと思います。

 

武当山での写真は、こちらから

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(薄く雲海が出た武当山の朝)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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