武当山で感じたこと:学ぶこと

2017.09.28 Thursday

(夕焼けの武当山)

 

武当山でお稽古していると、習うときにポイントを掴むのが早い人と、そうでない人がいます。

 

もちろん、武当拳をはじめて習う人、長くやっている人、という差もあります。ほかの流派を習っている人の場合、最初は戸惑うことも多いですが、それは時間が解決してくれます。実際「難しい」を連発していた人も、3日、5日と続けていくうちに、本人の感想とは別に、とっても良くなってきたなと感じることもあります。

 

一方、なかなかポイントを掴めない人もいます。

 

ここで言うポイントとは、「ここに注意して練習する」という意味です。すぐに体がそのように動けば素晴らしいですが、わたしの場合はそんなことはないので、そのポイントを確認しながら、何度も繰り返し練習します。

 

そういうポイントは、先生いわく、「外から見たときには、見えないことも多い」ところです。でも、そこを大切にするかどうかで、実際の自分の感覚は、全然違います。

 

習うのが早いな、と思う人に共通していることがあります。

 

まず行動としては、自分のお稽古に集中しつつ、人が習っているときにすっと近く来て、自分も一緒に習うのです。いつもというわけではなく、「ここ」というタイミングでやってきます。先生はちゃんと見ていて、そうやって近くに来た人に、必要であればアドバイスをします。

 

自分に集中しつつ、周りにも意識をむけている、というような状態です。これは、太極拳などの套路(型)をするときの意識の持ち方と、同じです。「木を見て、森も見る」というような感じです。

 

周りに気を取られすぎると、自分が今しなければならない練習がおろそかになります。それは本末転倒です。逆に、自分に集中し過ぎて、周りが見えていないと、あるはずのチャンスを失います。こちらは「ちゃんと教えてもらっていない」という愚痴につながることもあるような気がします。

 

「習う」ことは、目の前に先生がいて、「はい、これだよ」と、手取り足取り教えてもらうことではないと思っています。同じ状況で、何を吸収するかは、その人次第です。

 

逆に言えば、そのときのその人に合ったことだけを学べる、ということでもあるかもしれません。

 

なかなかポイントを掴めない人を見ているとき、「本当にやりたいことと違うのではないか」と思うときがあります。本人の希望と違えば、一生懸命やっても、身になることが少ないのは当然です。本人がそれに気づいていない場合もあるでしょうし、もしくは、本当にやりたいことの前に、何か越えないといけないことがある場合もあるのかもしれません。

 

それも含めて、その人に合ったことを学べるような気がします。

 

だから、覚えの良し悪しは、良ければ良い、悪ければダメというような単純な話でもなく、どっちでもいいのです。ただし、その自分の状況を把握できない場合は、苦しいかもしれません。なんで上手くいかないのだろうと悩んだり、不満や愚痴ばかりが出てくるとき、それも自分の希望とは違うことをしているサインかもしれませんよね。

 

わたしの印象ですが、習うのが早い人に、マイナス思考の人はいません。そもそも、できること、できないことを、気にしません。

 

そして習うのが早いとはいっても、「でーきた」で終わるのではなく、ひとりでしっかり練習します。同じことを、繰り返し繰り返し練習します。それをそれを苦に感じてそうな人は、いません。それでは続きませんよね。

 

こういうものに、もともとの才能や素養が関係しているのかないのか、わかりません。あるのかもしれませんし、上を目指す場合はやっぱり関係するのかもしれません。でも、わたしが知る限り、ひとりでしっかり練習しない人の中に、進歩していく人はいません。

 

何かを学ぶとき、できる、できないに目が行きがちです。でも、そんなことはどうでもよいと思うのです。すべての人がパーフェクトに何でもできることが良いわけではなく、人それぞれ、自分に合ったものがあるはずです。それを見つけてやっていけば、「あなたのそれは、いいね、素敵だね」とか、お互いを尊重する、ほんわかした社会になるような気がします。

 

何かを学ぶことは、自分がどうしたいのかを知る、良い機会です。何かおかしいな、とか、ちょっとマイナス思考になるときには、そこに無理や”ずれ”があるのかもしれないということを、覚えておきたいと思っています。

 

 

武当山での写真は、こちらから

武当山での日々を語った自由が丘FMTVの録画は、こちらから

 

(形意拳を練習するわたし(左奥)と、棍という武器を使った練習をしている人たち......ですが、何か別の話題で盛り上がっている???)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 


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