体で探る間のとり方:古琴と太極拳

2016.01.26 Tuesday


(古琴。世界遺産(無形文化遺産))

今日は古琴のお稽古でした。

先生が「良く練習しましたね。でもね、息をつけるところがありません。」

「焦って音だけ追うと、聞いている人も息がつけずに苦しくなります。
ひとかたまり終わるところで一息ついて、間を置いて次に行く。そうすれば、
聞いている人も同じように息ができて心地よいでしょ。
そのタイミングは、自分で探って体で覚えていくしかないの。」

古琴に楽譜はありますが、そんなに細かく書いてあるわけではなく、
新しい曲を弾き始めるとき、音は取れても、音の流れを作っていくのは、なかなか難しいです。
そのためか、弾く人の表現によって、だいぶ違ったりするそうです。

「今はネットで映像も見られるから、それを聞いて練習する場合もあるけれども、
昔はそんなものはなかったから、わたしは自分で探ってきたの。体で覚えると、忘れないから。」

太極拳も同じだと思いました。
套路(型)はありますし、止まらず続けるところ、一呼吸置くところ、など、
決まっています。でも細かい部分は、自分で呼吸をしながら居心地の良いところ、
体が動きたいところを探り続ける感じがあります。

わたしの場合、習っている途中で映像を見ることはありません。
自分の体で感覚を探りながら、覚えていきます。
そうやって覚えたものは、頭では忘れても、体は覚えていて、
しばらく動いていると思いだすこともあります。

套路(型)は大切です。昔の人たちの智慧がたくさんつまっているので、
自分のオリジナリティなど加えようとせず、その通りにできることが大事だと思っています。
でも、その通り、というのは、外側に見える形だけではないような気がするのです。

古琴の先生は、「良いものをたくさん見るといいです。絵でも、なんでも。そうすることで、
どんなバランスが良いのか、わかってくるから。」とおっしゃいます。

太極拳も、中国の先生たちの動きを目の前で見ると、すごく印象に残るものがあります。
それが何かはうまく言えませんが、その一瞬の印象をずっとどこかに持っていて、
お稽古を続けていっているような気がします。
そういう印象は、わたしの場合、映像からではなかなか得られないのです。
(ただし、これはわたしの場合で、人によって違うかもしれません。
古琴の先生も、今の時代に映像を見て練習することを否定されているわけではありません。)

どんなに便利な世の中になっても、人の体は同じで、呼吸して生きています。
呼吸によって、居心地の良さは変わってきます。
メトロノームが刻むリズムは正確で、そこから生まれてくるものもあるのだと思いますが、
そうではなく完ぺきではない人が、探り探り表現していくことが、すごく人間らしいような気がします。

ちょっと話はとびますが、ミンチ肉を使った料理のとき、機械で挽いたか、包丁で叩いたか、
プロの料理人はどちらで作られた料理か、すぐにわかるそうです。
機械は断面が均一になります。包丁で叩く方は均一にはできない分、調味料がしっかりしみこむそうです。
急いでいるときには機械で挽くのもありですが、時間があってよりおいしく作りたいなら、断然
包丁で叩く方がおすすめだそうです。
この包丁で叩くことで生まれる”おいしさ”が、古琴も、太極拳にも共通する大切なことような気がします。

どう料理するか、どう表現するかは、その人次第です。
芸術とは、そういうものなのでしょうか。
そこが楽しいところですね。
















(包丁で叩いてミンチにした羊のハンバーグ。見た目ではわかりません、笑。)

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