Let it be 〜なるようになるさ〜

2020.07.03 Friday

(2019年秋、武当山で、一緒にお稽古した大好きな人たちと)

 

今朝、目が覚めたとき、ビートルズの「Let it be」が、思い浮かびました。

このタイミングって、夢の続きのようなもので、自分の深いところからやってくる気がします。

 

Whisper words of wisdom

魔法のことばをそっと唱えよう

 

Let it be 

なるようになるさ

 

There will be an answer

答えはきっと やってくる

 

下の和訳は、今日の気分であてた意訳です。

 

Let it be、ありのまま、なすがまま、というのが、words of wisdom、智慧のことばですからね。智慧のことばが、あれこれ考え抜いたものではなく、流れに任せる、みたいなものであることが、いいですよね。

 

音楽は、聴く人の”いま”によって、受け取るもの、感じることが、変わるような気がします。

コロナに伴ういろいろな出来事や、変化の中にいる状態で、この歌は、ことのほか響いてきました。

 

音楽って、いいですよね。時代を超えて、寄り添ってくれたり、励ましてくれたり、心をあたためてくれます。

 

 

いま、わたしに起きていることも、この歌みたいだなあと、思いました。

 

7月1日から「夏までがんばる!21日間チャレンジ♪ザ・もも上げ」を始めました。

 

前の投稿に書いたように、「何かを見て胸が痛み、自分の無力感を感じるときにすることは、こんなわたしに出来ることは何だろうと考えて、小さなことを実行する」というメッセージが目にとまり、「いま、できることは何だろう?」と思ったときに、出てきたアイディアです。

 

6月30日、前日の夜11時半に思いついた、ホヤホヤ企画です。

 

「やろう」と思った次の瞬間、「どうせなら、一緒にやりたい」と思って、Facebookで声をかけることにしました。この時点では、21日間もも上げをすること、Facebookで非公開グループを作ること以外、何も決めていません。

 

声をかけると言っても、もう当日です。準備期間など、ありません。

 

こういうとき、「誰も来てくれないかも」と躊躇してしまうことも、ありますよね。「誰も来てくれなくても、自分はやるもんね」と、ちらと思ったのですが、それを言うのも違うな、と感じました。

 

それって、ただの強がりじゃないですか。

誰も来てくれなくても、落ち込まないように予防線を張っているような感じで、実は、ものすごくカッコ悪い(笑)。

 

今回は、人と一緒にやりたいのですよ。素直に、それだけ思えばいいのに、ですよね。

 

最近、読んだ話に、何かを投げかけて応えてもらえるには、「信用」が必要、という文章がありました。よっぽどの著名人は別ですが、そうでなければ、信用してもらえるだけの材料を、自分が投げているかで、結果が決まる、みたいな感じです。集客も、同じですよね。

 

出せる材料を出し切って、それでもまだ足りないなら、「とにかく、わたしを信用してくださーい!」みたいに、全身を投げ出すくらいの勢いで訴える、ともありました。最後は、それね。こういう心意気、好きです。

 

さて、企画がどうなったかというと、朝からぽちぽちと、「一緒にやりたい!」と言ってくれる人たちが現れて、いま現在、わたしを入れて24名になりました。うれしいです(涙)。

 

声をかけた日にスタートしたので、進め方も、走りながら考えます。もともと、前もってじっくり考えるよりは、思いつきで行動する方が向いているタイプです。

 

でも、実際のところは、いろいろと断片的に考えていたことを、一気につなげて、ひとつの企画にした、みたいな感じです。

 

コロナに伴う自粛生活で、「何かできることをしよう」と、「カンタン体操」を無料で公開したり、オンラインの動画レッスン(有料)をリリースしたりしました。

 

どちらも内容には、自信があります。

 

でも、6月から対面のお稽古を再開して、実際に生徒さんとお稽古したり、動画を見てくださった方の意見を聞いたりしたときに感じたのは、その限界です。

 

動画がダメ、オンラインがダメ、というわけではなく、わたしが大切にしたいこと、実現したいことが、できないというだけです。

 

たとえば動画レッスンで言うなら、太極拳の動きだけを習いたいのであれば、それでも十分できるのかもしれません。

 

でも、わたしが大切にしたいのは、「実感」です。「これとこれは、こう違う」とか、自分で体験して、感じる力を育ててほしい、という願いが、強くあります。

 

それが、たとえば今のような状況のときに、自分で感じて、考えて、選択して行動する力になると、思っているからです。それが生き抜く力だと思っています。

 

動画を見てやっているとき、生徒さんが「できているつもり」のことも、実際に対面で見ると、そうではないこともあります。生徒さんが悪いのではなく、知らないことを習うのは、そういうことで、出来ているのかどうか、自分ではわからないものです。先生は、そのためにいるのだと思っています。

 

動画の限界のひとつは、どうしても”見える結果”に引きずられることです。

 

本当は「こうやって、こうやる」というプロセスがあって、その結果として目に見える形で現れるので、プロセスの方が大切です。見える結果に引きずられると、そのプロセスが抜けやすくなります。

 

人によっては、それを補完して動画で習うことができる人もいるのかもしれませんが、そういう人は、たぶん、習う必要ないですよね。(ちょっと実験で、習ったことのない太極拳の動画で見て、どんな感じになるのか試してみようと、思っています。)

 

対面で教える大切さを実感できたことは、「こういうことを、していきたい」と感じる、よい機会にもなりましたが、

 

「もしこのまま人に会いにくい状況が続いたら、この役割は廃業かもしれない」(というのは、ちょっと大げさですが)と、思ったりもしました。

 

直接会わず、人の体にも触らず(クラスでは、触って理解してもらうことが多いです)、どうやって自分が願っていることを実現すればいいのだろうと、頭を抱えていました。

 

自分がそんな状態だったからこそ、活力を取り戻そうと、「こういうときは、もも上げだ!」と、思ったのですけどね。頭を抱えるのも、悪いことではありませんね。

 

今回の企画では、大事なポイントを小出しに伝えていくことにしました。すでにYoutubeにあげている動画では、全部まとめて説明しているのですが、それを分割して、「今日は、これを意識してね」と、ポイントをひとつにするように心がけています。

 

まだ3日目ですが、みなさん、「自分で体験して、感じたこと」を、コメントに書いてくださったりします。

 

もしかしてこの方法なら、わたしが頭を抱えた動画の限界を、突破してくれるかもしれないなと、ちょっぴり期待しています。

 

自分でやった後の感想や質問は、わたしにとっても貴重です。その人になることはできませんが、実感を言葉にしてくれる場合、その人の課題が見えやすいのです。

 

太極拳を教えようと思ったときから、「質問に全部答えられるわけではないから、わからないときは、そのまま伝えよう」と思ってきました。でも数年やってきて感じるのは、生徒さんが実感したことを質問してくる場合は、それなりに答えがある、ということです。

 

どう答えたらいいかわからないのは、「一般的に、こういうけれども」という、聞いた話の場合です。面白いですよね。

 

今回も、一つひとつ答えながら、それなら「明日はこれを説明してみよう」と、思いついたりします。こういう双方向のものは、生き物みたいなので、最初からきっちり準備するよりは、やりながら次を決めていく方が、よかったりします。

 

やってみて気づいたこともあります。わたしには、みんながこうやって自分で取り組んでいく場所を用意して、見守っていきたい、という思いがあります。

 

それは現実の場所としても、たとえば中国の武当山にある先生の武館のような、人が来て、集まれる場所を作りたいな、と、ぼんやり思い始めています。

 

どんな人でも来ることができて、人それぞれ、他人と比較したりすることなく、自分なりに楽しく取り組んでいけるような場所です。休みが足りない人は、まずはゆっくり休んで、しっかり充電できた人は、自分の進みたい道を進む、みたいな場所です。

 

まだ、何も進めていませんが、夢は、ことばに出しておこうと思います。叶いやすくなるかもしれないから。

 

今回はSNSですが、そんな場所をちょっと作れたような気がします。「こういうこと、したかったな」と、改めて思いました。

 

まだまだ、あります。

 

何かに取り組むとき、「できない」と感じる中には、要領がわかっていないだけのことも多いのです。同じように見える動作でも、目撃が違うと、やることが違います。その違いがわからずに、「できない」と挫折してしまうことも、多いのではないかしら。

 

大切なのは、目的と、それに合うやり方です。それがわかると、「できない」を、軽々と越えられることも、あります。

 

たかが”もも上げ”、されど ”もも上げ”です。今回で、そんな体験をしてもらえたらいいな、と思っています。

 

 

(ほろほろ泣いてしまった動画です)

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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    ヒグマの母子と、たくましく生き抜く力

    2020.06.29 Monday

    (Photo by Xie Okajima)

     

    先日再放送されたNHKのドキュメンタリー「ヒグマを叱る男〜完全版36年の記録〜」は、

     

    世界自然遺産の北海道、知床の奥地にあるルシャで共生する、人間とヒグマのお話でした。番組の感想は、「境界で生きる」(2020年6月10日)にも書きましたが、そこには書かなかった印象的なシーンがあります。

     

    ルシャは、サケやマスが豊かに獲れるところで、人間にとっては漁をする場、ヒグマにとってはエサを獲る場です。

     

    近年サケやマスの量が減ってしまい、漁もうまくいかず、ヒグマもお腹いっぱい食べられず、やせ細ったヒグマが目撃されるようになりました。

     

    番組でもカメラが、お腹を空かせたヒグマの母子を撮影していました。母グマは、ようやくありついた1匹の魚を、ムャムシャと食べています。

     

    その後ろから、1歳に満たない赤ちゃんグマが、鳴き叫び続けています。小さな体、短い足で、鳴きながら必死に母グマを追うのですが、母グマは魚を分け与えようとはせず、とうとう最後まで食べきってしまいました。

     

    それからしばらくして、またカメラが、この母子グマをとらえました。

     

    母グマが、しきりに赤ちゃんグマの体を舐めています。そのうち赤ちゃんグマが、ごろんと転がりました。

     

    死んでしまったのです。

     

    ごろんと転がった赤ちゃんを、母グマは、さらに舐めます。でももう、生き返ることはありません。

     

    ヒグマの気持ちは、わかりませんが、

     

    あの1匹の魚にありついたときは、とにかく自分の空腹を満たすことだけで、いっぱいだったのかもしれません。それでも赤ちゃんグマを育てる気持ちがないわけではなく、実際に死んでしまったときには、なんとかしたかったのかもしれません。

     

    観ているのが、つらい場面でした。

     

     

    番組を観たあと、ときどきその場面をぼんやり思い返して、思い出したことがあります。

     

    断食です。

     

    わたしが最初に断食したのは、大学生の頃です。イギリスに留学していたとき、イスラム教徒の同級生がいて、彼らにはラマダンという断食月がありました。1か月、日の出から日の入りまで、何も食べません。

     

    今では健康のために断食をする人も、そこそこいますよね。でも当時の日本で、わたしの周りに断食をしたことがある人は、いませんでした。

     

    知らない文化の、知らない習慣を「そんなこと、するんだ」と、驚いて聞いていると、一緒にいたカナダ人たちが「君は断食したことないの?」と聞いてきました。

     

    「ない。」と言うと、「あれは、チャンレジだ。自分に打ち勝つんだ。ぜひやるべきだ」と言うのです。

     

    そういうガッツとは無縁に、ぽぉーっと生きてきたわたしは、「チャレンジ...ですか...」と、さらにぽぉーっ。

     

    そのとき、仲のよいイスラム教徒の友人が、「これをするのは、もちろん宗教上の理由なのだけれども、それだけじゃない。お腹が空いたらどうなるか、わかる?本当に空いたときは、隣の人なんてどうでもよくなって、とにかく目の前にある食べ物を、独り占めしたくなるんだよ。お腹が空くって、そういうことだ。」

     

    「でも、そうなったときでも、誰かと一緒にいたら、目の前にある食べ物を分け合える人でいたいよね。だから、自分がお腹が空いたとき、どんな風になってしまうかを、知っていた方がいい」と。

     

    ものすごく納得して、1日だけ挑戦しました。

     

    1日なので、大したことないはずなのですが、午後3時くらいから辛くなってきて、夕方5時くらいに、まだ日の入りではなかったのですが、食べてしまいました。

     

    友人が言っていた「他の人なんて、どうでもいい」という境地には至っていないのですが、「これは大変だ...」と感じるには、十分なインパクトでした。

     

     

    人は、弱いものです。弱いことが悪いわけではなく、「これがいいよね、こうでありたいよね」という目指す理想は、非常事態には、もろくも崩れることもあるだけです。

     

    非常事態に直面したときに、「え?そんな人だったの?」というように、今まで知らなかった面が見えてくることもありますよね。

     

    それを、単純に非難する気にはなれません。少なくとも、そこそこ満たされている状態の人が、安全な場所から、理想っぽいことを言うのは、違う気がします。

     

    頭でわかっていても、体がついてこないことって、ありますしね。

     

    たとえば飢えているような状態で、ほんの少しの食べ物を見つけたとき、野生的な面が出れば、自分が生き残ることが最優先になって、母グマのように独り占めするかもしれません。

     

    でも、もし、友人のように「そんな状態になるんだよね」と知っていたら、そして「でも分け合いたいよね」と思っていたら、本当にそういう状態になったときに、隣にいる人と、食べ物を分け合えるかもしれません。

     

    人間の理性というのか、知能というのか、そういうものは、こういうときに使うのではないでしょうか。

     

    人間は、「こうなったら、こうなる」という過去の経験を記憶して、同じ状態になったときに、それをあてはめることができます。たとえ疑似体験であっても、断食してみてどうなるかを経験するのは、約に立つのではないでしょうか。

     

     

    こういうことは、頭での知識よりは体験だと思うのですが、頭での知識だけでも、役に立つこともあります。

     

    たとえば、人間が食べなかったら、死ぬまでにどのくらいかかるか、知っていますか?

     

    26日くらいかかるそうです。

     

    最後の方は、おそらく意識もなく、どんどん衰えていくのだと思いますが。

     

    でも、けっこう持つと思いませんか?そうわかると、2−3日食べなかったとしても、大丈夫だと思えてきませんか?

     

    おそらく、ある程度のリズムで食べていたのが、食べなくなったとき、緊急事態が発動されるような感じはあるのだと思います。命を守るためには、「食べなければ!」と、なるのは、自然は反応ではないでしょうか。

     

    でも、その時点で本当に足りていないわけではなく、頭が食べたがっていたり、緊急事態を解除しようという力が働いていたり、ではないかと思うのです(想像です。)

     

    本当にそういう事態になったとき、このことを知っていると、もしかしたらパニックにならずに、冷静に戻れるかもしれないと、思っています。

     

    パニックになったら、エネルギーを消費してしまいますからね。それよりは、落ち着いて温存する方が、助かる確率は高くなるのではないでしょうか。

     

     

    「人は、食べなくても26日くらい死なない」という話は、ネイティブアメリカンのシェルター、デブリハットを作る体験をしたときに、聞いた話です。

     

    デブリハットは、自然にあるもの、木の枝と枯葉だけで作ります。冬、外で過ごさないといけないときに身を守るための方法で、雨が降って地面が濡れているときでも、体が濡れないように枯葉でマットレスを作るなどの智慧も、学びました。

     

    枯れ葉は冬しかないのですが、そのほかの季節は、そのまま野宿でも命は守れるでしょう。うまくできています。

    こういうことも一度体験しておくと、いざというときに役に立つかもしれません。

     

    (デブリハットは、作った後に不思議な体験もしていて、それは「見えないものを信じる」(2017年12月30日)に書きました。もしご興味があったら、読んでください。)

     

    (デブリハット。丈夫なので、上を歩いても崩れません)

     

     

    (夜は、ここに入って、枯れ葉で蓋を閉めて寝ます。ちなみにこれは、出来としては7割くらいなので、恐ろしく寒かったです。)

     

     

    こうやって書くと、もしかしたら、お腹が空いてたまらないときに、食べものを分け合えることがよい、みたいに感じる人もいらっしゃるかもしれませんが、

     

    そう言いたいわけではありません。道徳的に言えば、そうなのでしょうが、どちらかというと、そういうとき、どういう自分でいたいと思うか、ではないかと思うのです。

     

    そしてもうひとつは、人はちょっとしたことで、パニック状態になるし、我を忘れるのだと、わかっていることも大切だと思います。

     

    わたしが太極拳を教えるときに、大切にしていることの一つは、いかに簡単に平常心を失うか、どんなときに失うかに気づいてもらうことです。

     

    あっという間です。人間って、本当に脆いです。

     

    平常心を失わないようにする方法もあると思いますが、それよりは、失ったときに、そのことに気づく力を育てておくことが大事だと思っています。わたしは「失うな」と言われても、それは難しい気がするからです。

     

    平常心を失ったときは、必ず体の反応に出ます。それに気づけるかどうか、です。

     

    日常から自分の体の様子を観察して、どういうときに、どんな状態になるのかを身をもって知っていれば、気づける可能性は高くなります。

     

    どんなに気をつけて生活をしていても、非常事態は起こりえます。コロナだって、そうですよね。そういうとき、平常心を取り戻せるかどうかは、それこそ命を守り抜けるかどうかに、かかわってくる気がします。

     

    平常心があれば生き残れるわけではありませんが、せっかく生まれてきたのだから、命を大切にして、生き抜きたいと思いませんか?

     

    太極拳って、どんな状況になっても、たくましく生き抜く力をつけるためのものでもあると、思っています。

     

    始めたときに、そんなことを知っていたわけではなく、やりながら感じたことなのですけどね。これもまた、経験です。

     

     

     

     

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      ひとりで、なんでもやらなくても、いい

      2020.06.24 Wednesday

       

      (2016年秋。武当山で。兄弟子と、仲良しの友人たちと)

       

      「ひとりで、なんでもやらなくても、いい」と、よく思います。

       

      今、いろんな技術の発達もあり、やろうと思ったら、かなりのことが自分でできますよね。

      やり方も、ちょちょいネットで調べたら、でてきます。

       

      昔は、知っている人を探して、手紙を書いたり、電話で約束して、会って話を聞いて、という方法しかなかったのに、です。

       

      でも、なんでもひとりでやろうとしなくても、得意な人がいるなら、その人にやってもらうほうが、いいじゃないかと思うのです。

       

      自分がやりたいなら、やればよくて、その気にならないなら、やらなくてもいい。それが世の中に必要なことなら、自分より、もっとふさわしい人が現れて、代わりにやってくれるものです。

       

      そう思うのには、こんな体験があるからです。

       

       

      4年前、中国の武当山で出会った友人がいます。

       

      とてもいい人なのだけれども、他人との間に壁を作っているような感じで、少し窮屈そうに見えました。

       

      「そんなにいい人でなくても、大丈夫なのに。」と思ったものの、自分が言いたい気分にならず、そのままにしていました。言ったら気まずくなる、と思ったわけではなく、今じゃない、という気がしたのです。

       

      こういうとき、「その人のためなら、耳の痛い言葉も言うべき」という意見もあるかもしれませんが、わたしはそうは思いません。伝えるには、状況やタイミングがあります。その人が受け取れそうな状態かとか、あるような気がします。

       

      そうしたら、です。

       

      ある日、みんなでお茶を飲んでいるとき、ある中国人の男性が、「〇〇(その人の名前)!君は、心を開いていない!」と言い出したのです。

       

      みんなの前で、大きな声で、びっくりです。

       

      言われた本人、「何を言うの!わたしはとってもオープンなのに」と、ニコニコ笑顔を絶やさずに、反論します。

       

      わたしは「まさに、これだ」と、自分が思っていたことが、違う人の口から出てくることを、驚きながら眺めていました。

       

      他の人たちも、しばらくお茶を飲みながら見守っていましたが、やがて違う話題に変わって、やりとりは終わりました。

       

      翌朝、その友人は、だいぶ柔らかくなったというか、壁が少なくなったような気がしました。それを見て、なんだかすごく感動して、本当によかったと、思いました。

       

      このことから「自分じゃない、と思ったことは、そのままにしてもいい。わたしよりも、もっとふさわしい人が現れて、やってくれるから」と学びました。

       

      わたしは何もしていないのですが、願いは叶っているわけです。うれしいです。

       

      (夕食の後、お茶をふるまってくださる先生。上の話は、この後、先生が立ち去った後のことです。話題の人は、左のふたりではありません。)

       

       

      今回、コロナにまつわる自粛でも、同じようなことを感じました。

       

      外での活動が出来なくなり、対面クラスを10週間、すべて休止しました。その間、閉塞的な気分になったり、ストレスがたまりがちになる状況に、何かしたい思いがあって、

       

      太極拳を知らない人でも、短い時間で、畳半畳くらいあればできるカンタン体操を動画でアップしたり、

      ひとりでもお稽古をしたい人のために、動画レッスンを用意しました。

       

      役立ててほしい気持ちもありましたが、自分が楽しんでできるかどうかを、大切にしました。

       

      もともと、わたしは気分で動く人で、その気にならないと、動きません。

       

      ただし、最初は乗り気でなくても、ちょっとすると、がぜん、やる気になったりするので、「こんなのやってほしい」とかは、いつでも大歓迎なのですけどね。

       

      この期間、周りでたくさんの人が、リアルタイムのオンラインレッスンを提供していました。わたしがそれをしなかったのは、楽しんでできそうな気がしなかったからです。

       

      チャンレジから逃げている面もあるのかもしれませんが、自分が大切にしたいことが、その環境で大切にできる気がしなかったことと、

       

      外に出られないなら、同じことを違う方法でやるよりは、自分とじっくり深く向きあう時間にしたかったこともあります。

       

      自分に栄養をあげて、外に出られるようになったときに、機が熟して花が開くように。

       

      もちろん、リアルタイムで一緒にやる機会を求めている人もいます。それで心がほぐれたり、ちょっとニコッと笑顔になれたりすることも、ありますよね。それはまさに、この時期にわたしが願っていたことです。

       

      「こうなったら、いいよね」と願うことを、実現するのにふさわしい人がいるなら、自分がしゃしゃり出るより、その方にお任せするほうがいい、と思います。わたしは、そんなに器用ではないので、しゃしゃり出るほどの余力もない、という事情もありますが。

       

       

      こんな風に思うのは、人は存在するだけでも十分だ、という思いがあるからかもしれません。

       

      これまで生きてきた中で、「何もしない役に立たない自分ではだめだ」と思っていた時期もあり、この思いを信じているというよりは、これを学ぶために生きているのかもしれませんが。

       

      日本の神さまのお話の中に、好きなエピソードがあります。

       

      男女ペアの神さまといえば、イザナギ、イザナミですよね。でも実は、その前に、知られていないけれども、何組か男女ペアの神さまがいらっしゃるのだそうです。

       

      何もしなかったから、知られていないのですが、それを教えてくださった神主さんが、「いたことに、意味があると思っています」と話してくださいました。

       

      いいでしょ。じーんと、きます。

       

      自分の願いを叶えることって、自分が直接行動することだけでは、ないような気がしています。そう考えると、気楽になれることも、あるのではないかしらね。

       

       

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        しあわせは、ひとそれぞれ

        2020.06.19 Friday

        (Photo by Xie Okajima)

         

        昨日は、いろんな「しあわせ」を書いてみました。

         

        文学作品に書かれている「しあわせ」とか、もっと広い意味での内側から温かくあふれてくる「しあわせ」とか。

         

        わたしにとっては、特に、後者の「しあわせ」は、何をするかに関係なく、存在するだけで満たされている感覚で、生きていく上での土台のようなものです。

         

        ある神父さまが、幼稚園の卒園式に園児たちに贈ることばとして、「神様の子供たちであるみなさんを、神さまはいつでも愛していることを、忘れないでください」と、言っていたことがあります。

         

        これ、とってもいいな、と思うのです。

         

        大きなものは、人によって神さまと呼んだり、宇宙と言ったり、なにか、この世の人や、時間や空間を超えているものです。太極拳の太極という領域も、これだと思っています。

         

        この世に「絶対」はない、と思っていますが、この大きなものに愛されていることだけは、絶対だと思っています。

         

        「そう感じるから」としか、言えないのですが。

         

        東洋でも西洋でも、古い時代も現代でも、このテーマを扱うものは、たくさんあります。

         

        大切なことは、目に見えないけれども、感じることはできます。

         

        何かを感じた人たちが、この世で見えるカタチで表現せずにはいられないものが、アート(芸術)だと思っています。そのおかげで、まだ気づいていない人たちにも、見えるカタチで伝えることができます。

         

        そいう言えば、アインシュタインの名言のひとつにも、「人生の大きな決断は、宇宙を味方だと思うか、敵と思うか」がありました。味方=愛されている、ですよね。

         

        これが腑に落ちたら、辛いことがあったとき、ひとりぼっちだと思うときでも、また立ち上がる力になるのではないでしょうか。

         

        辛いとき、自分を守ために、心を閉ざすのは、防衛本能として当然かもしれません。そんなとき、自分ひとりでも「愛されている」ことを思い出せたらいいのですが、心が閉ざされていたら、難しいですよね。そんなときでも、宇宙はあの手この手で、いろんな見えるカタチで、それを見せてくれるのだと思います。

         

        アートが人の心を救うと思っているのは、こういうことからです。

         

         

        人は、本来踏み込んではいけない奥地に入って、自然環境を破壊したり、戦争したり、争ったりします。

         

        でも、この世に人が存在するということは、宇宙や地球にとって必要だからだと思うのです。

         

        全体が大きな「生命の循環」で回っているなら、そこには人も必要で、人は望まれて誕生しているとしか思えません。

         

        そして、そんな人に望まれていることは、「しあわせに生きること」だけではないか、と思っています。

         

        何にしあわせを感じるかは、人それぞれです。それを試行錯誤して探していくことが、時間と空間のあるこの世で生きることのような気がします。

         

         

        わたしの学生時代の研究テーマは、文学作品にみる「宿命と自由意志」でした。

         

        天動説が信じられていた時代、生まれたときの天空の図、星の位置をもとに、人の性質や体質が解説されたり、そこから病気になったときの治療方法を引き出していったりしていました。当時の文学には、この占星術の要素が、色々なところに現れています。人にはもって生まれた”Destiny(日本語に訳すなら、宿命)”がある、ということです。

         

        このDestinyという単語、そうなると決まっている、という意味を持ちます。

         

        今でも占星術のホロスコープとか、ありますよね。数秘とか、四柱推命とかも、そうでしょうか。

         

        こういうものを知ることで、「どうして自分はこうなのだろう」という悩みの理由が、わかることもあります。「わたしにはこういう性質なのだ」と知ることもできます。

         

        それだけではなく、人はそれぞれ違うのだと、理解するのにも役立ちます。目に見えない多様性ですね。

         

        見える多様性は、見えるだけにはっきり問題になりますが、見えないほうは、問題として認識されにくいかもしれません。たいていの悩みは「どうしてあの人は、ああなんだろう」という、自分との違いから始まります。それは、違う人だからなのですが、それが目に見えないために、悩みも深いのかもしれません。

         

         

        では、そうなると決まっている宿命を生きるとは、どういうことでしょうか。

         

        わたしの実感としては、「やってみなければわからない」です。

         

        ホロスコープは参考になりますが、その意味は、経験してはじめてわかります。「こうかな」と思ったことをやってみて、すごく苦しい思いをして「なんだか違う」と気づいては、また違う「これかな?」をやってみたり、の繰り返しだと思うのです。

         

        生まれたときに選んだ(らしい)ホロスコープを、あれこれ試行錯誤してみたわたしの体験は、「クールでホットなわたしを生きる」(2019年4月22日)と「最上志向のわたしを生きる」(2019年4月23日)に書きました。ひとつの例として、もしよければ読んでください。

         

         

        あれこれやってみるのは、自分の自由意思です。

         

        宿命とは、言ってみれば神さまの領域で、時間も空間もなく、過去、現在、未来、すべてが見えています。

         

        でも、この世には、時間と空間という広がりがあります。ものごとは、いっぺんには見えず、未来はわかりません。

         

        この時間と空間という広がり(スペース)があるからこそ、人は自由意志を働かせることができます。

         

        言い換えれば、そこで自由意志を働かせて、行動していくことが生きていくことで、そうやって、自分にとっての「しあわせ」を知っていくのではないでしょうか。

         

        自由意志というか、どうやらわたしが自分で決めたらしい例が、ひとつあります。

         

        数年前、占星術のわかる友人と、四柱推命をする人、ふたりから、「あなたはもうすぐ、中国に行かなくなる」と言われました。「それは、自分側の理由ではない」ということも。

         

        言われたとき、「そんなことも、あるかもしれないな。でも、自分の理由ではないって、なんだろうな」と思いました。

         

        でも、それからたぶん2−3年は、毎年、行っていました。そして、今年に入って新型コロナウィルスが出てきたときに、行けなくなりました。まさかウィルスが原因で行かなくなるとは思っていませんでしたが、「このことだったのかな」と思いました。

         

        「あの話、そうだったね。でも、それが一昨年とか去年じゃなくて、今年でよかったと思っている」と、占星術のわかる友人に話したら、「あれは、ホロスコープではなくて、カンだったんだよね。でもあの後もずっと行っていたから、わたしのカンも外れたな、と思っていたのだけど、やっぱり時期は自分で選ぶんだね。」と、言われました。

         

        時期は自分で選ぶ、というのも、自由意志を働かせる余地があることの、ひとつかもしれません。特に意識しているわけでは、ないのですけどね。

         

         

        自分にとっての「しあわせ」は、ひとつではなく、増えていくかもしれませんし、変わっていくかもしれません。でも共通しているのは、とにかくやってみないとわからないことだと思います。

         

        中でも、特に大切なことについては、違うことをやりきって、「もうだめだ」とならないと、気づかないこともあります。わたしにもそんな経験があって、「なんであのとき、あんなに辛かったのに、やり続けたんだろう」というのもありますが、きっとそれは、違うと実感できるまで、やり切りたかったのだと思います。

         

        それなら、仕方ありませんよね。遠回りしているように見えるかもしれませんが、自分にとっては、必要な時間と経験だったと思います。

         

        そうやって人が、あれこれやって気づいていくように、地球全体としても、あれこれやって気づくこともあるのかもしれません。環境破壊についても、良かれと思ってやってみたことが、「あれ?困ったぞ」という結果として現れるという、試行錯誤のひとつなのかもしれません。

         

         

        「しあわせ」は、人それぞれです。

         

        わたしの場合は、空を見上げているとき、鳥の声が聞こえるとき、緑の中にいるとき、とかもありますし、おいしいものを食べるときも、そうです。

         

        好きなことにまい進する人を見るときも、匠みたいな技を見るときも、

         

        気づかってくれたり、助けてくれる人たちがいたり、一緒に笑う時間とか、

         

        「愛されている」ことを感じた人たちが、表現してくれるものに触れたときも。

         

        ひとことで言うなら、美しいものに触れるときが、しあわせですが、わたしなりの「美しい」という基準があると思います。そういうときは、自然に笑ったり、泣いたりします。

         

        人によっては、社会的に成功することとか、地位や名誉をあげる人もいるかもしれません。そんなものは死ぬときに持っていけないよ、という人もいるかもしれませんが、社会的に成功することで、影響力を持って、大事だと思っていることを、多くの人に伝えられることもありますしね。

         

        そして、この世でどんな役割を担って生きるかという、自分の使命を果たすことも、「しあわせ」につながると思います。

         

        わたしにとっては、「愛していると伝えること」だと思っているのだけれど、その手段とか方法は、いろいろあるわけです。太極拳をすることも、教えることも、こうやって文章を書くことも、誰かに何かを話すこともそうですし、他にもまだまだ、方法はあると思います。

         

        その前に、自分がそれをあきらめてしまおうとするときもあり、それも含めて、試行錯誤なのかしらね。

         

        やってみなければわからないのだから、おおらかな心で、大目にみようと思います。自分のことも、他人のことも。

         

        そして、そうやって生きること自体がしあわせなのだと思います。

         

         

         

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          しあわせって?

          2020.06.18 Thursday

           

          (photo by Xie Okajima)

           

          しあわせって、なんでしょうね。

           

          これまでに、「しあわせ」について気づいたり、感じたり、いくつか印象的な出来事があります。そんな体験を振り返ってみます。

           

          23歳、大学院生だったとき、イギリスの中世、14世紀後半の、ジェフリー・チョーサーという詩人の作品を研究していました。

           

          「カンタベリー物語」の「騎士の話」の中に、”しあわせを求めるのは、酔っ払いが家に帰ろうとするようなものだ”、という話がでてきます。

           

          酔っ払いは、家があるのはよく承知しているが、帰り道がわからず、溝に落ちたりもする、というような文章でした。しあわせを,

          家にたとえています。(参考として、前後を含んだ文章を下に載せます。)

           

          すごく印象的な一節でした。

           

          もうひとつは、Happyという単語の成り立ちです。中世の中英語には、"hap”という単語がありました。"by chance"、偶然、という意味です。

           

          ”起こる”という英語は、occur とか、happenがありますが、occurは原因があって起きる場合、happen は偶然に起きる場合です。”hap"の名残が見えますよね。

           

          Happyには、偶然やってくるというニュアンスが入っています。求めたり、狙って、やってくるものではないのですよね。

           

          ただし、この”偶然”は、ちょっとくせものです。

           

          たとえば、道端に咲いている花に「きれいだな」と小さなしあわせを感じるとき、その花は自分が植えたものではありませんが、誰かが植えたかもしれませんし、種が飛んできたかもしれませんし、別の原因があります。

           

          こんな風に、誰か別の人が作った原因と、自分が手にする結果が結びつくことも、よくあります。「ここ掘れワンワン」で掘ってみたら、大判小判がざっくざくなんて話も、そうですよね。

           

          自分にとっては”偶然”でも、宇宙レベルで見たら、原因と結果は、つながっています。

           

          こうやって文学作品の中で気づいたことは、その後の日々の暮らしでも、いつも心のどこかにあった気がします。あれから倍以上の年齢になっても、まだ覚えているくらいですしね。

           

          しあわせを、実感として感じたのは、今から10年くらい前のことです。

           

          それまで感じたことがなかった訳ではなく、それまでとは全然違う種類の、上に書いたしあわせとも、たぶん種類が違うものを感じた体験です。

           

          2011年の春、中国の武当山にお稽古に行っていたときのことです。

           

          毎日、午後の練習は、六字訣(ろくじけつ)という内臓をケアする気功から始まりました。あぐらで座り、それぞれの臓器に対応する音を自分で出して、響かせていくものです。

           

          やり方を詳しく教わったわけではなく、毎日、お手本を見ながら真似する方法で学びました。時間はかかりますが、そういう学び方も、あります。

           

          よくわからないなりに、とにかくやり続け、1か月くらいたった、ある日のことです。

           

          「背中(腰)が、ほわ〜っと、あったかい。」と感じました。それまでにない感覚です。


          部屋の窓からは緑の樹が見え、明るい光がさして、鳥が鳴いています。お天気もよく、おひさまの光がきれいで、窓から見える緑は、風に吹かれてキラキラしていました。

           

          ものすごく平和で、しあわせな感覚でした。(そのときの話は、「心身の、平和な記憶」2015年8月12日)

           

          日本語にしたら「至福」、中国語だと「喜悦」、英語だとblissと表現すると思います。

           

          どの単語も、何かを達成した場合のしあわせにも使いますが、この場合は、別です。何かを達成したわけでもなく、何かしたわけでもありません。

           

          ただ存在するだけでしあわせで、内から湧き上がってくる喜びとか、ものすごく満たされている、そんな感覚です。

           

          この経験があるから、何かをするからしあわせになれる、とかではなく、ただ生きているだけで、すでにしあわせなのだと、わかりはじめたのだと思います。

           

          ときどき(しょっちゅう)、忘れますけどね。でも、忘れて、戻って、を繰り返していくうちに、だんだんと覚えている時間が長くなっていきます。

           

          こういう感覚は、理屈ではありませんし、頭での理解では到達できませんし、「これをすれば必ず体験できる」というものでもありません。

           

          それでも、わたしが知っている中では、太極拳とか站椿功(立禅)は、この感覚に届きやすい方法のひとつです。

           

          特に、静功という動きのない站椿功が、いちばん届きやすい、と感じます(動きがない、と言っても、それは見た目で、実際には動き続けます)。

           

          武当山で先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)が、站椿功のお話をしてくれたことがあります。

           

          站椿功には、やり方のコツがあります。それをやった先にくる感覚なのですが、「天と地は友達だ。そこにつながっていくと、日常の気になっていることなど、どうでもよくなるよ」と、言うのです。

           

          そして、この感覚を「喜悦(Xǐyuè)」と、表現していました。外部の要因による嬉しさ(中国語だと「高兴(Gāoxìng」)とは違って、内から沸き起こる喜びのような感じです。(このときの話は、「武当山日記:站椿功がもたらす『喜悦』 2018年9月26日

           

          ちょうど上で、六字訣をしていたときに感じた感覚にも、通じます。

           

          この感覚を忘れているとき、もしくはもう一段深くなったときは、涙が出ることもあります。

           

          涙が出るのがいいわけではなく、忘れていたことを思い出したときに出る、と感じていて、忘れずにいられる時間が長くなってくると、泣かなくなってくる気がします。

           

          「あなたにとって、しあわせってどんなもの?」と聞かれるとき、

           

          いろいろ答えはあるでしょう。わたしも、きれいなものを見たときとか、おいしいものを食べたときとか、人と一緒に楽しい時間を過ごしたとき、とか、しあわせを感じます。

           

          でも、この「喜悦」みたいな感覚は、そういうものとは次元が違って、すべての土台で、いつでもここを始まりとして生きていく、みたいな感じです。

           

          この土台があっても、大変なこと、嫌なことは、起こります。でも土台に還ってくることで、感じ方や対応は、変わってくると思います。

           

          わたしの体験では、嫌なことは、圧倒的に少なくなります。

           

          この「喜悦」は、太極という宇宙の根源の感覚でもあると、思っています。太極拳をするときって、内に深く潜って、同じように外にも広がって、意識は覚醒しつつ、ぼんやり夢を見ているみたいな感じになってくるのです。

           

          そういう時間があることは、日々を生きていく中では大切です。これに助けられて、今を生きています。

           

          こういう感覚は、太極拳だけではなくて、芸術と呼ばれるものの奥にあると、思っています。文学とか、音楽とか、絵とか、映像とか、建物とか伝統芸とか、いろいろ。

           

          奥、と書いたのは、その手前に、たとえば「悲しみ」という、しあわせとは逆のテーマがあることも、あるからです。でも、その奥とか土台には、絶対的なしあわせがある、と思います。

           

          心は、そういうものに救われると思っています。

           

          最後に書いたしあわせは、大きな意味でのしあわせですが、もうちょっと狭い意味で、「わたしにとってのしあわせとは?」も、ありますので、それは次回に書きますね。

           

          ※続きの、「ひとそれぞれの、しあわせ」は、こちら

           

           

          ≪参考:「カンタベリー物語」騎士の話から≫

          ああ、人々はそろいもそろって、なぜこうも神や運命の摂理に不平を言うのだろうか。自分たちでは思いもつかぬほど、さまざまに良いはからいを授けられているというのに。金持ちになりたいと願い、そのために殺されたり、大病をわずらったりする人がいる。また、牢屋から喜び勇んで出たものの、家で下男に殺される人もいる。この問題について不幸な例はいくらでもある。この世では何を願っているのやら知るよしもない。まるで酔いどれねずみのような暮らしぶり。酔っ払いは家があるのはよく承知しているが、帰り道がわからない。そのうえ道に足をとられやすい。ところがじっさいわたしたちはこの世でそんな生き方をしているのだ。ひたすら幸せを求めはするが、ほんとうのところはほとんどが見当はずれ。

          (「カンタベリー物語:騎士の話」ジェフリー・チョーサー著 繁尾久訳 グーテンベルグ21)

           

           

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          「陽だまり」とは

          「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

           

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          いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

          太極道家

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