アホであること

2019.09.06 Friday

 

先日、「『バカになれ』と言われた」という話題が出ました。

 

わたしも、同じことを言われたことがあります。20代の頃、会社でとてもお世話になった方が退職されるときに、贈ってくださったことばのひとつでした。

 

そういえば、しばらく忘れていましたが、わたしの今年の一文字は「呆」、阿呆の呆です。「アホ」は、声に出してみると、力が抜けて、笑って踊りだしそうじゃありませんか?この抜けた感じがいいなあ、と思ったのです。

 

「アホ」とか「バカ」って、どういうことでしょうね。

 

自分のそれまでの価値観にとらわれないことじゃないかな、と思うのです。

 

アホは、楽です。

 

「わたしがこんなことをやるなんて、みんなどう思うだろう」とか、「上手くいかなかったら恥ずかしい」とか、思う必要もありません。人目を気にする必要も、ありません。

 

「あの人は今、こんな風に思っているはず」なんて、想像もできませんから、妄想にとらわれずに済みます。

 

あまり難しいことも考えられないので、自然と、今、この瞬間を生きていることになります。

 

違う価値観に触れたときも、「へえーっ」と驚くことはあっても、受け入れる余裕もあるでしょう。自分の価値観はあっても、それに縛られていないからです。場合によっては、それまでの価値観をポイッと捨ててしまうこともあります。

 

ほとんどのことを知らないとわかっているため、どうやっても謙虚にならざるをえません。

 

「なぜあの人は、あれは、こうなのだろうか」という、世の中の大半のストレスに関わりそうな考えも、自分の価値観が基準でなければ、浮かんできません。

 

アホは、自分の人生をどうでもいい、と思っているわけではありません。他人の価値観に振り回されているわけでもありません。

 

そのときどきで、自分なりに大切なことはあって、それに従って生きています。

 

でも同時に、自分の世界がいかに狭いかも、知っているのだと思います。

 

ところ変われば、当たり前も、変ります。

 

たとえば、夏休みに旅したモンゴルで、良く食べられているのは羊肉と乳製品です。魚はありませんし(内陸ですから)、野菜もあまり食べません。

 

それでも、モンゴルの人は骨太で、健康そうです。モンゴル相撲の力士だって、強く育つわけですしね。お肉、お魚、野菜とバランス良く食べるという考えは、ここでは成り立たないのだと知りました。

 

もちろん腸内環境の違いもありますから、ずっと日本に住んでいた人が、いきなりモンゴル人の食生活をすると、バランスを崩すことはあるかもしれませんけどね。

 

他にもあります。中国でバス停で待っているとき、バスがやってくると、みんな列を崩してわれ先に、入口に突進していきます。日本人の感覚からすると「自分の事しか考えていない、礼儀知らず」と思っても、無理ないですよね。

 

でも、実際にその場に身を置いてみると、ちょっと違うのです。突進するのは、「自分がこのバスに乗りたい」という意志が行動に現れているだけで、他人を押しのけて自分が乗ろうとしているわけではなさそうなのです。なぜなら、他人に押しのけられたことは、一度もないからです。

 

そう思うと、この場面に出くわしても、別に嫌な感じもしないのですよ。

 

他にも、田舎の場合だけだと思いますが、バスや電車は満席になるまで出発しません。サービスを提供する側からみれば、効率的ですけれど、日本人の感覚からすると、ありえないですよね。

 

でも、「ここはそうなのだ」とわかってしまえば、イライラすることもなくなります。

 

逆にいえば、こういうところを「そうなんだね」と思えないと、日々の生活は、とっても大変になるかもしれません。

 

そもそも、今、自分が好きなものとか、いいな、と思っているものを見てみたとき、最初からすごく興味があったものばかりではないのではないでしょうか。

 

わたしの場合、モンゴルへの旅行にしても、中国に行くことにしても、太極拳を始めることにしても、どれも最初のきっかけは、自分ではありません。他の人から誘われた、みたいなものばかりです。偶然です。

 

もちろん、そこで選択をしているのは自分ですけれどもね。

 

突然、偶然、人生に現れたものが、可能性や視野を、ぐーっと広げてくれることもあります。思い入れが深くない方が、素直にそこに入れることも、あるのかもしれませんよね。

 

そして、「そこ」の力を存分に発揮できるのかもしれません。

 

どこかで俳優さんが、「すごく難しいセリフは、棒読みにする」と話していたことがあります。神社の宮司さんは、「大祓詞の意味を考える必要はありません。ただ読めばいい。神様のことばは、人間の理屈でわかるようなものではありません」とおっしゃっていました。どちらも、自分の何かを手放すからこそ、そのことばの力が発揮されるような感じではないでしょうか。

 

「アホになる修行」という横尾忠則さんの言葉集があります。ぱらっとめくってみたら、「ぼくは外部の評価よりも、自分で自分を特定してしまうことを恐れるんです」とありました。

 

わたしはこういう人だ、こういう価値観で生きている、これが正しいとか、その時々で思うことはありますよね。でも、それが将来も含めた自分の全てだと特定してしまったとたん、窮屈になってしまうのではないかしら。

 

アホであることは、自由に生きられることなのではないかしらね。

 

そして、アホは、裸の王様にならずに済むのですよ。正直ですものね。

 

「呆」を今年の一文字に選ぶくらいですから、まだまだアホになりきれていません。意固地になったり、小さくなったり、人の目が気になったり、「なんであの人はああなんだろう」と思うこともあります。

 

でも、そんな自分も、それなりに受け入れられているところは、アホの恩恵かもしれません。

 

 

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果報は寝て待て

2019.09.02 Monday

(武当山)

 

海外に行くときは、普段よりも慎重になります。

 

バッグは常に手から離さない(お店に入って座ったときも、腕にかけておきます)とか、お財布は人目につくところで開けないとか、日常的な動作の警戒レベルが自然と上がります。

 

スケジュールにも余裕を持たせて計画を立てますが、それでも、何か起きるときは、起きます。

 

2013年に中国の武当山にお稽古に行った帰りのことです。

 

当時、いちばん近い空港は襄陽(シャンヤン)空港でした。山門からは、車で高速を使って2時間ほどかかります。

 

余裕を見て3時間、飛行機が出る1時間前に着くとして、出発時間の4時間前に武当山を出発しました。

 

車は学校にお願いして手配してもらうため、運転手さんは先生のお知り合いです。これだけでも、安心度が上がります。

 

午前中の便だったので、早朝にお迎えに来てもらいました。無事に会えると、まずほっとします。あとは座っているだけですし、帰るという感傷にひたりながら、しんみり、外の景色を見ていました。

 

いつも乗る高速の入り口に来ると、封鎖されていて、入れません。下の道路を走って、次の入り口に来ても、入れません。その次も...と続き、どうやら今日は、高速にのれないようです。

 

高速を使わずに行ったことがないため、何時間かかるのか、わかりません。

 

運転手さんには、飛行機の出発時間は伝えてもらっていたのですが、あらためて「○○時に出発で、〇時〇分までに空港に着かなければならない。急いでください」と、つたない中国語で、必死に伝えます。

 

ときどき現れる「〇〇まで〇キロ」という標識を見るたびに、焦ります。時速〇キロで見積もるとあと〇時間...、ギリギリか、乗れないか...

 

今日、中国を出発できなければ...国内便も、国際便も、飛行機は買い直しです。経由地を変えて今日帰ることができるのか、1日ずらすのか...1日ずらすと、ビザなしで滞在できる期間(15日)を超えてしまいます。その手続きが必要になるのだろうか...とか、ぐるぐる、いろんなことが巡ります。

 

のんびり走っているように見える運転手さんに、この事態を本当にわかっているのだろうかという不安を抱きながら、「お願いだから急いでください」と必死の懇願をし、他にできることは、と考えて、航空会社に電話してみました。

 

「到着がギリギリになりそうなのです」と言ってみると、その電話で、チェックインしてもらえました。親切な対応に、ほっとしましたが、「到着は何時になりそうですか?チェックインはできていても、ご本人が〇分までにいらっしゃらなければ、飛行機は出てしまいます。わたしたちにはどうすることもできません。」と、当然のことをおっしゃいます。

 

「...あと1時間くらいです...」ウソです。わかりませんもの。でも、ギリギリに間に合いそうな時間を言っておくしかありません。

 

電話を切って、外を見れば、「〇〇まで〇キロ」の残酷な表示が目に入ります。焦りは募るばかりですが、どう考えても、もうわたしにできることは、ありません。運転できるわけでもありませんし、運転手さんが急いだとしても、速度には限界もあります。

 

ああ、どんなに焦っても、もう何もできないのだ、と思ったら、

 

............いつのまにか寝てしまっていました。

 

バッグについていた鈴がチリンと音を立てて目が覚めて、時計を見たら30分くらい経っていました。

 

「え?寝てた?」

 

朝、早かったから、眠かったとはいえ、この状況で寝てしまうとは...

 

空港にはだいぶ近づいていましたが、最後の最後、道に迷ったようで、運転手さんは窓を開けては道を聞いている様子です。

 

でもやっぱり、わたしにできることはありません。じっと待つだけです。

 

なんとか到着し、カウンターに走って荷物を預け、「急いで!」と言われて搭乗口まで走りました。運転手さんも一緒に走ってくださり、中に入るまで見届けてくださいました。

 

運転手さんも、心配してくれていたのだと、わかりました。

 

そして空港に到着してから10分後、飛行機のドアが閉まりました。小さな地方空港とは言え、人生で最速です。

 

「果報は寝て待て」ということわざがあります。

 

運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良い、とか、人事を尽くしたら、あとは気長に良い知らせを待つしかない、という意味です。

 

まさかこのタイミングで、本当に自分が寝てしまうとは思いませんでしたが、おかげで休めましたし、不安な気持ちからも逃れられました。

 

今から思うと、運転手さんにしても、不安そうな顔でソワソワしていられるよりも、すやすや寝てくれた方が、安心して運転できたかもしれません。

 

自分の力なんてちっぽけで、どんなに準備したとしても、そのとおりになるわけでもありません。それ以上、何もできないこともあります。

 

それなら、寝てしまって、体力や気力を温存するというのも、いい方法なのかもしれませんよね。もちろん、そんなことを考えたわけでもありませんが。

 

間に合ったことは、運転手さんが安全運転でベストを尽くしてくれたり、電話でチェックインさせてもらえたり、道路が混んでいたわけではなかったり、いろいろなことが重なってのことですが、

 

運がよかった、としか言いようがありません。

 

その運は、わたしが何かをしたからではありません。ほんと、ありがたいです。

 

 

 

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伝えていくこと

2019.08.31 Saturday

 

モンゴルで乗馬体験をさせてもらったとき、印象的なことがありました。

 

キャンプを主宰している遊牧民の方が、「乗馬を教える」と決めたとき、周りの人は「何おかしなことを言っているんだ?」と、全く理解されなかったのだそうです。

 

なぜなら、遊牧民には「教える」とか「教わる」という概念がないからです。みんな3歳くらいから落馬しながら、自分で乗り方を覚えていくのです。

 

現在のモンゴルは、馬に乗れる人、乗れない人に、分かれます。遊牧民の家に育ち、自分で覚えた人と、都会で育ち、まったくそういう機会がなかった人、の2種類です。都会に育った人が、大人になってから乗馬を習うことは、ないのだそうです。

 

「教える」という概念がないので、「キャンプをはじめたとき、教え方なんてわからなかった」と話してくださいました。2年かけて、自ら修得していったそうです。

 

ここでは、まず乗る前に、馬との距離の取り方、怖がらせない近づき方、そして乗るときのコツを、簡潔に教えてくれます。「こんな感じ」と、実際に体で体験させてくれます。

 

そして乗っている間に「もっと〇〇」とアドバイスしてくださいます。何度か繰り返されると、だんだんと「これじゃな」とか、

「ここができていない」とか、わかってきます。

 

初心者は、最初は遊牧民の方が馬を引いてくださいます。様子を見て、「この人はひとりにしても大丈夫」と思うと、引いている綱を持たせてくれて、ひとりで乗らせてもらえます。「その見極めも、今はできるけれど、最初はできなかった」とおっしゃっていました。

 

教えるという概念がない分野で、新しいことを思いついて実行する発想と行動力は、すごいな、と思いました。これは、今の時代に、遊牧民の文化を後世に引き継いでいくひとつの手段なのかもしれないと思いました。

 

この経験から、いろんなことを考えさせられました。

 

自分ができることと、教えることは違う、というのは、どの分野でもある話かもしれませんね。良い選手と良いコーチは違う、とかね。これは好き嫌いもありますし、向き不向きもあるのかもしれません。

 

みんなが先生になる必要もありませんし、カリスマのように、その人がいてくれるだけで存在が大きな影響を与えることも、ありますしね。人には、それぞれの役割がありますよね。

 

太極拳の場合、先生について習う場合がほとんどだと思いますので、モンゴルの遊牧民の子供のように、ひとりで学ぶことはありません。

 

自分が教えるようになったとき、先生から教わったことは、ひとつの指針になります。わたしの場合、何を大切にしているかという基盤になるものから、教えるときの具体的なポイントまで、広く影響を受けていると思います。

 

それでもやはり、教えるとは、自分なりに開発していくものだと感じます。

 

太極拳は、形ではなく、感覚が大切だからです。感覚は、言葉で表現できる範囲をはるかに超えています。

 

感覚を自分なりにしっくりくる言葉で表現してみるのですが、同じ言葉を同じように理解しないのが、人というものです。たとえば「やわらかい」と言っても、お餅、パン、ほっぺた、いろいろですよね。教えながら「この表現では通じない」と感じることも、あります。

 

そんなときは、違う表現を探します。経験が増えると、ある程度の傾向もわかってきます。〇と言って×をする人は△と言うと伝わりやすい、とか、です。

 

さらに、そのときの時代や環境に合う教え方も、あると思っています。

 

たとえば中国で習うとき、肩とか膝とか体の部位の話は出ますが、〇〇筋とか、〇〇骨とか、解剖学的な言葉がでることはありません。

 

なんといっても、丹田という目で見ることができないものを大切にしている文化です。体を理解するときに、解剖図ではなく、自分の感覚を頼りにしている部分が大きいのではないでしょうか。

 

日本にも、あん摩はありますし、ツボの理解もありますから、文化的に似ているところもありますが、今の時代の日本は、もうちょっと西洋よりのような気がします。場合によりますが、「これは〇〇筋を使う」という方が、伝わりやすいこともあります。

 

人間は、頭でわかると体が動いてくれることもあります。たとえば片足の膝を上げるとき、体の構造を知ることで、一瞬で5僂箸10僂らい高く上がるようになったりするのですよ。すごいですよね。

 

ただし、あまり構造ばかり意識すると、感覚がおいてきおりになり、頭と体がバラバラになってしまいます。

 

言葉で説明するときに、それが自分の感覚から出てくる言葉かどうかで、同じことを言っても、伝わり方が違うと思っています。

 

たとえば、よく言われるひとつに、「足の指で地面をつかむ」があります。習い始めの頃は、指で地面をつかむようにすると思っていました。

 

でも、そうすると、足に無駄な緊張を引き起こしてしまいます。

 

今は、こんな風に意図的に掴むのではなく、”指が自然に勝手に掴む”のだと思っています。

 

アスファルトの上の生活では、靴が欠かせませんが、そのために足が守られすぎて、足裏の能力が発揮されにくい状況になっています。足の指も、縮んでいる人も多いように見えます。

 

足がほぐれて、足の指もほぐれて(=関節の隙間があいて、骨がバラバラに動くようになって)いくと、ある日、指の腹で、くっ、と地面を掴むような動きをするようになります。

 

両手を伸ばしてぺったり机につけると、自然に指の腹で、くっ、と掴む力が生まれせんか?あんな感じです。

 

わたしにこれが起きたとき、「そういえば、中国の先生は、『足指で掴む。ほんのちょっとね』と言っていたな」と思い出しました。あの『ほんのちょっと』は、こういうことなのか、と感じました。

 

足指が自然に掴むようになるためには、とにかく足指を伸ばして、ほぐすことです。そして足は柔かいまま、緊張させず、ぺったり地面につけます。ほぐしていけば、足指の腹が、自分で地面を掴み始める日が、自然にやってくると思っているからです。

 

以前も今も、「足指で掴む」という表現は同じなのですが、中身は全く違います。

 

これで終わりではなく、またこの先「これ!」と思う感覚がやってくることもあるかもしれませんけどね。

 

 

自分のお稽古を深めていくことは、たくさんのものをもたらしてくれます。

 

でも、人に伝えるときには、自分がわかるやり方や表現だけではなく、工夫も必要です。その工夫が楽しいから、教えているのかもしれません。

 

わたしは、こんな風に感覚を言葉にすることも、今の時代や環境、日本で教えるのに合う方法を考えることも、好きです。人の数だけバリエーションがある反応も、「そう来たか」というように、楽しんで受け止めています。

 

以前、気功を教えてくださった先生が「教わるときは、そのとおりにきちんと習う。でも、それを消化して表現するときは、自分なりの表現になっていい。だから、同じ先生に5人の生徒がいたら、5人が教えるときに違う表現になることもある。」と、話してくださいました。

 

消化して、表現していくとき、教えるとき、それには今の時代だったらという要素も、教える対象という要素も、もちろん入ってきます。

 

型があっても、実際にはとっても自由で、オリジナリティあふれるものだと感じています。

 

伝統とは、変わらずに伝えられていくもの、というイメージがありますが、引き継ぎたい大切なことを伝える方法は、時代や環境に合わせて変化していく方が、自然かもしれません。

 

太極拳の場合、型自体が変わっていくこともあります。それは、型を伝えることが大事なわけではないことの現れかもしれませんよね。

 

 

 

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月のパワー

2019.06.19 Wednesday

(5月19日、武当山で見た満月)

 

7月17日(月)は満月でしたね。

 

ストロベリームーンと言うロマンチックな名前は、アメリカの先住民たちが、イチゴの収穫時期であることから、つけたようです。実際には、現実的なのですね。

 

インターネットでもたくさんの方が、満月を楽しんだり、きれいな写真を投稿されていました。

 

わたしはというと、ものすごく眠くて、ぐったりぐっすり寝ていました。

 

もともと月の満ち欠けには影響を受けやすいようで、新月はひたすら眠く、満月は、オカミが吠えるように”沸き立つ”感じになります。

 

月の満ち欠けは、海の潮の満ち引きに関係していると思うと、満月のときは、海が引っ張られるように、体の中の血もひっぱられているのかもしれないな、と感じますが、

 

本当のところは理由などはどうでもよく、自分の感覚の方が大切だと思っています。

 

今回は満月にもかかわらず、ものすごく眠く、月を愛でる気分にもならず、ぐうぐう寝ていました。

 

眠いとき、ぐったりしているときは、眠るに限りますす。

 

ぐったりしてしまうと、体調管理ができていないとか、自分を”ぐうたら”だと思ったり、責めてしまったりしませんか?

 

見渡せば、はつらつと活動している人がいるのに、どうして自分は動けないのだろうと、サボっているように感じるかもしれません。

 

でも、しっかり休むことは、動くためには必要です。陰陽から見ても、「動く(陽)ためには、しっかり休む(陰)」ですしね。

 

植物だって、種の間じっとしているからこそ、時期がくれば、ぐんぐんと成長し始めます。

 

クマだって、冬眠します。エサが少なくて体温が下がる冬を乗り越えるために、代謝を下げて省エネモードにするのです。

 

それぞれの生物には、それぞれのリズムがあります。

 

人間の場合、もともとが自然のリズムから離れやすいためか、四季のリズムや昼夜のリズムからの影響だけではなく、個体差が出やすいかもしれません。

 

ですから自分のことは、自分にしかわかりません。

 

昔、わたしが会社を休職したとき、上司が「職務上の立場はとりあえず置いておいて、自分が休まなければ、と思ったときは、そうすべきだ。なぜなら、何かあったとき、会社は何もできないからだ。」と言ってくださいました。

 

制度としての補償はあっても、それで病を負った人が治るとは限りません。大変なのは、本人です。おそらく、そんな例をたくさん見てきたであろう上司の言葉は、今でもしっかり覚えています。

 

子供の場合、電池が切れたようにパタッと寝るなど、自然な反応をしますが、大人は理性とか責任感とか世間体とか、いろいろなものがあって、休むためには勇気が必要なこともあります。

 

そんな勇気、本当は、おかしいですけれどもね。

 

太極拳をはじめてから得た大きなことのひとつは、「休むこと、無理をしないこと」です。

 

自分はそんなに強くないし、強くなくてもいい。なんでも完璧にできるわけでもないし、できなくてもいい。

 

疲労に気づくことも大切です。周りが元気でも、自分がくたびれていることは、あるでしょう。自分の体調を、周りと比較しても意味がありません。

 

自分を見ても、他の方を見ていても、意外と”頑張る”ことは得意なのです。

 

お稽古でもやりすぎていることもあり(こういう場合、充実感があります(笑))、そんなときはよく、「もっと楽に、力を抜いて」と言われます。

 

すると、「こんなのでいいの?」くらい軽く、サボっているような感覚にさえなるのですが、「そうそう!それ」と声がかかります。

 

がんばっている感じ、充実感が満載のときは、やりすぎている可能性も高いのです。

 

そんなことの繰り返しで、わたしはだんだん、”やりすぎないこと”を覚えてきた気がします。

 

やりすぎなくても、何もやっていない感じでも、実は充分できているのです。

 

そして何もやっていない感じのほうがよく動けますし、ちゃんと休んだ後のほうがよく動けます。

 

中国の武当山でも、わたしの先生は、いつでも元気ハツラツなわけではありません。「今日は具合が悪いから、明日教えるね」と言われることも、あります。

 

ダメなときはダメだと言える正直さも、いいなあと思うのです。

 

今でも覚えているのは、2011年の春、先生が結婚されたときのことです。結婚式が終わってしばらくしてから、学校に戻ってきた先生(その頃はまだ、その上の先生の学校のコーチでした)は、1週間くらい、ぼーっと、していたのです。

 

ぼんやり庭を歩いて、草木をぼーっと眺めていたり、という日々が続いて、みんなで「どうしちゃったのか、魂が抜けてしまったようだ」と話していました。

 

そんなある日の夕方、突然、「今日はキック練習をしたい気分だ」と言い出し、弟弟子にミット(防具です)をつけてもらい、次々とキック、パンチをし始めました。それはそれはものすごい勢いで、翌日から、通常通り教える仕事にも戻っていました。

 

結婚式、家族も巻き込む一大イベントですからね。あのぼーっとする時間は、必要な時間だったのかもしれません。

 

大事なのは、自分に正直であること、嘘をつかないこと、かしらね。

 

翌日、火曜日には大きな地震がありましたね。不安な状態、気持ちで過ごされた方も、多いことでしょう。自然災害の前には、なすすべはありませんが、昨日は直後からいっせいに津波への注意が呼び掛けられ続けていて、今の時代だからこそできることは、あるのだとも感じました。

 

被災された方、心配された方、お仕事で働いてくださった方、どなたも、必要なだけ、少しでもゆっくり休めますように。

 

 

 

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武当山に行ってきます

2019.05.14 Tuesday

 

毎年お稽古に行く武当山に、今年も行ってきます。

 

ここしばらく9月に行っていたのですが、今回は春です。どちらも、いちばん過ごしやすい季節です。

 

何度も行っていると言っても、やはり外国、ことばも完璧に話せるわけでもなく、毎回緊張します。

 

「予定日よりも早く生まれた子は、石橋を叩かずに渡る」と聞いたことがありますが、わたしはそれに当たらず、かなり「びびり」なので、危ないことはできるだけ避ける慎重派です。

 

違う文化と習慣の国ですから、日本にいる感覚で「大丈夫」と思ってしまうと、危ないこともありますしね。

 

たとえば、かつては空港から武当山まで長距離バスを使っていました。でも薬膳料理の先生(中国人)に、「女性ひとりで、しかも言葉も話せないのに、危ないから絶対ダメ」と注意されて以来、必ず学校にお迎えを頼んでいます。忠告に、感謝です。

 

武当山に行くというと、「修行ですね」と言われることも多いのですが、わたしにとっては「南の島にバカンスに行く」感覚と、たぶん同じです。したいことをする、という意味ですね。

 

大自然に囲まれていると、それだけでも日ごろの不自然な行動や思考に気づきやすくなります。

その中でするお稽古は、自分の体と心とじっくり向き合えます。

 

シンプルな生活だと、自分の課題が浮き彫りになりやすい気がします。今、気づくべきこと、手放すべきことが、浮上してきます。

 

そして、シンプルに生きる人たちに囲まれて過ごす日々は、大切なことを思いだす時間でもあります。人は鏡、人は自然からも習いますが、人からも習います。

 

「修行」というとき、限界を超える挑戦をしたり、苦しいことを乗り越えることを望む場合も、あるでしょう。

 

それもひとつかもしれません。達成感もあるでしょうし、苦しさという摩擦は、自分を感じさせてくれる機会になるかもしれません。

 

ゴツゴツぶつかって、自分を感じたい時期も、あるような気がします。

 

でもわたしが選びたいのは、自然に還ることです。自然とは、あるがまま、抵抗しないことです。抵抗していることに気づいて、それをやめていくことです。

 

太極拳には、套路という型があります。習うときには、プラスされる印象があるかもしれません。でも最近思うのは、これは新しく何かができるようになるのではなく、「本来こうある姿」に戻っていくだけなのです。

 

いろんな理由で自然ではなくなっているところに、套路にはめていくことで、不自然さに気づき、もともとの自然な姿が現れてきます。無意識にまとっている薄皮(ときどき鬼皮)が、1枚ずつはがれていくように、です。

 

そうなっていくとき、いろいろなことが、自然に流れ始めます。

 

骨や筋肉は、「こうして、ああして」と動かすのではなく、意念に従って、必要なところが必要なだけ動きます。

 

「面倒だなあ」と思っていたことも、突然、まったく気にならなくなることもあります。丁寧な生活とは、丁寧にするのではなく、自然と丁寧になるのだと、思っています。準備ができて、そのときが来たら、です。

 

得るのは達成感ではなく、ふんわり、ぼんやり感です。抵抗しないため、心身ともに、摩擦は起こりにくくなります。背負っていた重荷を下ろすと、身軽になれます。

 

皮膚もふんわりしてくると、内側と外側の境界があいまいになってきます。「個」がうすくなり、「つながり」を感じはじめます。これ、気持ち良いのですよ。穏やかで、安心します。

 

わたしもみんなも、もっと楽になれると、思っています。

 

さて、今回の旅で、どんな薄皮や鬼皮が、剥がれ落ちていくのでしょうか。

 

剥がれ落ちるときが今ではないなら、何も落ちないかもしれませんが、それはそれで、よいですよね。「かさぶたは、自分で剥いてはいけません」と言いますしね。

 

 

 

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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