いまは、自分に栄養を与えて育てるとき

2020.03.27 Friday

(Photo by Xie Okajima)

 

新型コロナウィルス感染拡大を防ぐために、不要不急の外出を控えるように、呼びかけがありましたね。

 

今回は、自分の免疫力が高ければいいのではなく、元気な自分がウィルスを運んでしまうかもしれず、誰でも無自覚に加害者になってしまう危険性があります。

 

元気なのに外に出られないのは、辛いところもありますが、未知の事態には専門家の意見を尊重して、自制を心がけようと思っています。さらに制限が強くならないためには、今が、ほんとうに、がんばりどきなのでしょう。

 

この状況では、今までどおりのやり方では通用しません。テレワークが増えたり、対面の代わりにオンラインでイベントが開催されたり、新しいチャレンジも試されていますよね。

 

この時期をどう過ごすかは、個々のいろいろな事情によって違う気がして、一概では言えません。

 

そんな中、わたしが感じているのは、いまは、自分を養って育てるときなのかもしれない、です。

 

人には運気がありますよね。大殺界とか、天中殺とか、運気がよくない時期があります。タイミングは、人それぞれ、バラバラです。

 

何をやってもうまくいかない時期、と言われたりしますが、それは、外での活動という意味です。だからこそ、勉強したり、自分を充実させるにはいい時期でもあります。

 

こんなとき、作家の遠藤周作さんが、エッセイか何かに書いていたことを思い出します。

 

遠藤周作さんは、お若いころ体が弱く、よく入院されていたそうです。学校にも満足に行けず、病院のベッドから落ちる枯れ葉を見る、みたいな日が続く中、

 

だからこそ、本をたくさん読んだ、と書かれていました。

 

わたしにも20代の頃、思いはあるのに、なかなか外で活躍できない時期がありました。イギリス留学から帰国して、仕事を探そうとしたら、ものすごい不況で、すでに新卒ではなく、既卒になってしまったわたしには、門がとても狭かった時代でした。

 

仕事の文句を軽く言いながら働く友人たちに、「そんなに文句があるなら、代わってほしい」と思ったりしました。その人たちが一生懸命でなかったわけでもなく、何かが悪かったわけではないのですけどね。(そして、今から振り返れば、自分にとっても、あの時期を体験して良かった、と思えるのですけれどね。)

 

そんな頃、この話を読んで、とても勇気づけられました。

 

何も出来ないわけではないのだ、と。

 

 

この世界は、陰と陽のバランスで成り立っています。

 

毎日が、朝になれば太陽が昇り、夜になれば日が沈むように、

春夏秋冬と、四季が動いていくように、

 

一定のリズムで陰と陽がくるくると転換しつづけています。

 

陽となる昼間、陰がなくなってしまうわけではありません。見えないところで、陰の下支えがあるから、陽が成り立ちます。光は、暗いところにしか射しこみませんしね。

 

太極拳は、陰と陽がくるくる転換しながら、進みます。陰陽どちらか片方になることはなく、必ず両方が存在することで、バランスが保たれます。

 

動きで目立つのは、陽です。前へ、上へと進むからでしょう。それに対して陰は、後ろへ、下へ向かいます。小さいですし、とっても地味です。

 

人は、見た目に騙されやすいです。五感の中でほとんどを占めるのは視覚ですので、それも当然の成り行きなのかもしれず、太極拳でも、多くの人が陽を作り出そうとします。

 

でも、それは違います。陰と陽では、陰がベースです。陰を作れば、陽は自然に発生するというのが、陰と陽のバランスです。

 

例えばシーソーを動かすとき、左を持ち上げても、右を押し下げても、できる形は同じです。でも、その過程は、全然違いますよね。右を下げるほうが、はるかに楽です。この場合も、陰を作れば、陽は自然に発生してくれます。

 

陰と陽は、”休む”と”動く”にも当てはまります。よく眠ることで英気が養われたら、自然と活動できるようになります。

 

わたしの体験と、周りを見ていての感覚ですが、一心不乱に必死にお稽古していても、うまくなりません。眉間にしわを寄せて、できないことにイライラしている人は、ずっとイライラしています。(わたしにも、そんな時期もあります。)

 

やっているものの特性にも関係しているかもしれません。太極拳とは、苦しい思いをして、自分の身を削って体得していくものではなく、体と心を解放し、しばりから解き放たれて、楽になっていくためのものだからです。

 

お稽古時間に練習したら、休むときはゆっくり休む。

 

お稽古時間も、一心不乱に取り組むのではなく、ときにはみんなで遊んだり、大笑いした方が、いい調子で体が緩んで、いいお稽古ができます。

 

10年前、武当山に行き始めた頃のわたしは、赤信号でも無理やり渡ろうとするような性格で、とにかく考えて行動しなければ、何も成果はやってこない、と思っていましたが、

 

武当山で、あちらの人々に囲まれて、こんな経験を繰り返すうちに、そうではなく、やるときはやる、休むときは休む、それでいいのだと、わかるようになりました。青信号は渡る、赤信号はいったん止まる、です。

 

 

だから、外での活動がしにくいならば、今は内を充実させるとき、自分を整えて育てる時期なのかもしれません。

 

遠藤周作さんのように病床にいるわけではありませんし、日々の生活のためには、なんとか外に向けて活動しないと、という場合もあるでしょうから、みんなに当てはまることでもなく、ひとつの過ごし方の、小さな提案でしかありません。

 

家にいる時間が多いなら、お掃除・お片付け、どんどん断捨離をすると、この空間で過ごす時間も、快適になります。すっきりしますしね。

 

食生活を見直すのにも、いい時間かもしれません。ちょうど冬から春に移るため、脂肪を落とすにはいい時期です。寒さに耐えるために蓄えた脂肪は、暑い時期には邪魔になります。

 

そして、いつか読もうと思っていた本を読むのにも、ぴったりです。

 

本を読む人、あまり読まない人、いますよね。新しいことに触れる方法は、人それぞれです。実際、本を読まない人の人間としての厚みが、本を読む人に比べて薄いと思ったことはありません。

 

ただ、わたしにとって本は、大切なものです。新しい世界を見せてくれて、そのときどきの価値観を揺さぶり、視野を広げてくれるものです。

 

本のよいところは、想像力が働くこと、”行間を読む”力がつくことかもしれません。

 

単なる文字の羅列から、状況を想い浮かべて、登場人物に寄り添ってみたり、

 

2次元のものが、自分の中で3次元に展開されていく中で、表面には表れていない奥にあるものを感じることもできます。

 

自分にはないことを疑似体験することで、現実にその状況のいる人への理解を、少し深められるかもしれません。

 

そういうことの積み重ねで、実際に人やことがらに対面したとき、

 

表に出ていることよりも、その奥に隠れている別の顔や、もしかしたら真実に近いものが、見えるようになるかもしれない、と思っ

ています。

 

 

陰と陽の話にもつながりますが、意外と人も、いちばん表に見えている顔と、その奥にある顔と、違ったりします。

 

わかりやすい例でいうと、素直に喜びを表現する人は、わかりやすいですよね。愛されやすいと思います。でも、中には喜びや感動を、じっくりとかみしめる人もいて、「何か文句があるのか」くらいに見えてしまうこともあります。こういう人は誤解されやすく、「わかりにくいと思いますが、すごく感動しているんです」とわざわざ言ってくださる方も、いらっしゃいます。

 

後者を”感情を表現するのが下手な人”として、「表に出せるように、していこうね」と言う方もいらっしゃいますが、わたしはそうは思いません。

 

人は、それぞれです。喜びの表し方も、それぞれで、じっくりかみしめる人は、そのまま大切にしたらいいと思っています。

 

すぐにはわかりにくいですが、じっと見ていれば、その人が感動していることは、わかったりします。

 

この人が、この場面で、こういう感じになっている、と、とらえた場合、そういうことが見えてくることもあります。

 

発言も、同じですよね。その言葉だけ聞いたら、「ケンカを売っているのか?」のようなことも、その流れの中で感じていくと、「本当に言いたいのはそれではない」と感じられることもあります。

 

これの何がいいかというと、表面的なことに自分が振り回されにくくなることです。自分のゴキゲンを損ねずにすめば、平和でいやすいですよね。

 

わたしの場合は、太極拳を通して、その人の緊張ぐあいや、体の使いかたから、奥に隠されたその人を見ることも多く、単純に本の行間を読むように、その人の奥行きを見ているわけではないと思いますが、

 

それでも、様々な人、出来事への理解を広げてくれることで、愛を素直に表現しやすくなる気がします。

 

さまざまな存在への思いやりや、尊重です。

 

「そんな行為は、嫌だよね」ということはあっても、「それでも、この状況や流れだったら、それも致し方ないかもね」と、温かい眼で見て、その人自身を否定せずに済むことも、あると思います。

 

いつも絶対に、というわけではなく、たとえばマスクを高値で転売する話を聞くと、「そんなことしていると、いい死に方をしないよ...」と思ってしまうこともありますが。

 

人とは、情けなくも弱いものだ、というのも、ひとつの事実です。

 

ダメなものはダメと、冷静に見ることを大切にしたいですが、その一方で、温かい目で思いやることも、忘れたくありません。

 

 

今の時期、どんな栄養を自分に与えたいかは、人それぞれでしょう。

 

しっかり栄養を取って、しっかり休んだら、タイミングが来たときに、自然と芽が出て茎が伸びていくように、ぐんぐん成長しはじめて、いつかはきれいな花が咲きます。

 

そのためにも、地味で目立たないけれど、根っこをしっかりはって、お水と栄養を与えてみようと思います。

 

時期がきて、あふれるように表に出始めるかもしれませんしね。

 

その時期がいつ来るのか、今はまだわかりませんが、しばらく、がんばろうね。


そういえば、封鎖が続いていた中国の武当山は、3月25日、60日ぶりに封鎖が解除されたようです。やまを越えるときは、きっとわたしたちにもやってきます。

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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自分の内に響く歌をうたう

2020.03.21 Saturday

 

(南紀白浜)

 

先月、たまうた”(魂とつながる歌の唄い方)というワークショップに出てから、歌いたい気分が続いています。

 

もともと適当な鼻歌は歌うのですが、今は、もっと響かせて歌いたい気分です。

 

どこに響かせるかというと、自分の内側です。

 

骨が、細かい振動で震える感じです。意識しやすいのは、胸のあたりの胸骨です。

 

歌うとき、つい外に向けて歌おうとしませんか?大きな声が出るのがいい、と思ったりしませんか?

 

意識が外に向きすぎると、内側から絞り出すような感じになり、窮屈だったり、苦しかったりします。

 

大きな声は出るかもしれませんが、その声はとがっていて、戦闘態勢のようです。絞り出した後の自分はすっからかんで、頑張りすぎて、くたびれたりします。

 

頑張ることをやめて、自分の内側、骨や細胞に響かせるように歌ってみると、振動でふるふるしてきます。声の質も、とんがりが取れて、ふわっと広がる感じになります。

 

「ふるえる」と言いますよね。

 

「魂がふるえる」とか、「心が震える」とか。じーんと感動したり、しみじみ感動した場合などに使います。

 

からだの中で、振動が起きる感じです。振動数が上がると、本来のすこやかさを取り戻しやすくなると思うのです。

 

以前、こんな話を読んだことがあります。

 

生まれる前の魂は、どこでも自由に行けます。振動数は、高いです。でも、魂がからだに入って、この世に生まれるときは、振動数を落とすのだそうです。からだには制約があって、地球の裏側に一瞬で行けたりはしませんしね。

 

からだが動かないと、どんどん振動数が落ち込んで、その文字通り、自分の心も落ち込んでいくのだそうです。

 

落ち込んだ振動数を上向きにさせるための簡単な方法は、器(からだ)ごと動かすことです。からだを動かすとスッキリするのは、振動数が上がるから、だとか。

 

この信ぴょう性を計るのは難しいかもしれませんが、わたしには「なるほど!」と、しっくりきます。

 

そして、器ごと動かすのもいいのですが、歌って内側をふるえさせるのも、いいと思うのです。

 

骨に響かせて、細胞を揺らして、からだの中の水分も揺らします。「流れる水は腐らない」というように、水は流れれば、きれいなままでいられますよね。

 

 

人は、人の中で生きているので、意識が外に向きがちになることもあります。自分の価値を、自分で認めることができず、人の評価で一喜一憂することも、ありますよね。

 

人の期待に応えることに一生懸命で、期待された結果は出しても、自分は楽しくないし、疲労困憊状態、なんて経験もあるかもしれません。

 

自分の中が空っぽで、何かを決めるときでも、「評判がいいから」とか、「〇〇さんという専門家が良いと言うから」でしか決められないことも、あるかもしれません。

 

「特に不満があるわけではないけれど、なんだかつまらない」とか、人によっては、病にカタチを変えて訴えてくることも、あるかもしれません。

 

そういうときは、まず自分の内側に意識を向けます。

 

太極拳や気功を例にしてみると、自分のからだの状態に意識を向けて、どこが緊張しているのかに気づいて、手放して、楽になっていくことで、自分を感じる力を育てていきます。

 

場合によって、目を閉じたりするのは、外を遮断して、外に行きがちな意識を内側に向けやすくするためでもあります。

 

この内に内へと向かうとき、外に向けてアピールする力は、ありません。

 

こんな状態のときの太極拳は、すごく地味に見えたりします。わたしにもありますし、兄弟子にも、そんな時期があったように思います。

 

それより、外へ外へと向けて演武する意識が強い人の方が、映えますし、カッコよく見えます。

 

以前、こういうふたりが一緒に演武したとき、一緒に見ていた友人が、「Aさん(内に向かっている人)は、Bさん(外に演武する意識が強い人)よりも、丁寧に自分のリズムでやっているのだけれども、見た目には動きが遅れて見えちゃうね。」

 

その通りだな、と思いました。

 

太極拳には、「入静」ということばがあります。

 

静かな状態に、深く入っていくという意味ですが、それは、からだも、心もです。

 

外ではなく、内へ内へと入っていきます。これがぐっと深く入っていけるようになると、内だけでなく、外にも広がり始めます。内と外はペアなので、本来どちらか一方ということはありません。

 

こうなったとき、見ている人も、気持ちいいのです。「自分も、見ている人も気持ちいいのが、よい太極拳」と、わたしの先生が言うとおりです。

 

 

人の見た目も、同じようなことがあります。

 

からだの緊張が強い人、心がパツッと張っている人は、実際には弱い自分を鎧で防衛している感じなのですが、外に向けてアピールする力があり、ぱっと見たときに、キレイです。

 

でも、常に戦闘状態にあることに疲弊して、やめようとしているとき、からだの緊張を手放そうとしているとき、「自分はどうしたいのだろうか」と内側と対話しているようなときは、外へのアピール力は弱くなります。そんな余力は、ないからかもしれません。見た目にも、力が抜けて、ほわんっ、となり、地味になる気がします。

 

内側が充実してくると、内側からの光が、外に広がっていく気がします。防衛状態だったときのキレイさとは違う、美しさが現れます。外にアピールする意識はなくても、光が漏れて、みんなを照らすって、いいですよね。

 

 

歌も、似ているところがあるような気がします。

 

まず内側に響かせることで、それが充実してきたら、外にも同じように広がっていく気がするのです。

 

そういう声は、自分を癒して、人の心も動かすかもしれませんよね。自分もここちよく、周りの人もここちよいって、いいですよね。

 

そして、歌いたい歌は、今の自分のテーマだったりします。

 

歌には歌詞があって、メロディがあって、力があると思っています。その力を借りるからなのか、自分の持っているものと融合していくのか、

 

どういうことなのかわかりませんが、自分が大切にしたいものを確認できたり、前に進むための背中を押してくれたり、そこから動きはじめることも、あります。

 

そういうのが、いいな、と思っています。

 

 

今、歌いたいのは、米津玄師さんの「海の幽霊 ~Spirits of the Sea~」です。

 

映画の「海獣の子供」の主題歌で、もともと原作のファンだった米津さんが作っただけあって、映画の世界観にも、ぴったりです。映画の最後にこの歌が流れたときには、号泣しました。

 

この世から消えてしまった命を想うような歌で、「大切なことは言葉にならない」という歌詞が、ぐっときます。

 

歌っていると、どうなっていくのかしらね。今の重苦しい空気をちょっと軽くして、ごきげんになれるだけでも、十分なのですけどね。

 

 

 

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アート

2020.03.12 Thursday

(武当丹剣 Photo by Xie Okajima)

 

平野啓一郎さんの小説が、好きです。

 

「ある男」は、事故で亡くなった夫が、まったくの別人だったことがわかり、その人は誰かを探っていく話で、

「空白を満たしなさい」は、自殺をテーマにしています。

 

どちらも、世の中には、おそらく結構ある状況だと思うのですが、繊細な話題だけに、おおっぴらに話すこともあまりなく、それだけに、悩みや苦しみを閉じ込めて生きている人たちも、たくさんいるのではないか、と思います。

 

その状況にいない人たちは、そのことを思いやるには、あまりに知らなさすぎで、もしもそんな人たちに会った場合、どうしたらよいのかわからず、はれものに触るようになってしまうかもしれません。そしてそれは、相手の傷をさらにえぐってしまうかもしれません。

 

小説のよさのひとつは、当事者に近い状況にいる人、その状況にいない人、どちらにとっても、この話題へのハードルを下げてくれることだと思います。

 

日々の生活の中で、さらっと本を取ってページをめくるだけで、繊細で触れることを恐れてしまいそうな話題に、するっと入っていけます。

 

専門家しか知らない話を、ストーリーの中に入れることで、全然知らなかった面が、見えてくることもあります。

 

状況的には関係ない話であっても、どこか自分とつながる部分を感じられることもあります。

 

生きている人が書いているものは、どれも「生きること」がテーマになっています。だから、それは当然のことなのかもしれません。

 

もうひとつ、平野さんの本を、いいな、と思うのは、愛を感じるからです。登場人物を見ている視線が、とても暖かくて、優しい感じがします。

 

登場人物、そしてその先にある、そんな状況にいる人たちの命を、尊重して、大切にしながら書いている感じがします。

 

何をするにも、やっぱり「愛」がなくちゃね。

 

 

わたしが文学部の大学生だったとき、恩師から言われたことばがあります。

 

「文学は、社会の役に立たない。その役に立たないものをやる意味を、考えなさい。」

 

役に立たない、という意味は、実学ではないという意味です。実学とは、実生活に役立たせることを趣旨とした学問のことで、工学・医学・薬学・農学・法学・経済学・教育学などを指すようです。

 

当時のわたしに意味はわからず、でも、それはきっとそうなのだと思い、そのことばを心の片隅に置いてきました。

 

わからないけれども、「そんな気がする」ことは、一緒に過ごしていくことで、少しずつわかってくることがあります。

 

大学での勉強が楽しかったので、もっと続けたくなり、イギリスの大学院に行きました。最初の頃は授業もありましたが、後半は、すべて自由時間で、ひたすら本を読み、考えて書き、提出してみてもらう、という作業が続きます。

 

書けないという生みの苦しみもありましたが、したいことだけすればいい時間は、すごくしあわせでした。

 

ひとつの単語の意味や、書かれていることばに、ぐぐっと心を揺さぶられて、ひとりでじーんと感動したり。”生きる”ことを、文学を通して、いろんな面から知り、経験して、啓発されました。

 

そのまま学問の道を進むよりも、実社会に出よう(という言い方が正しいのかどうか、わかりませんが)と思い、研究生活は終わらせましたが、

 

そのころテーマとして扱っていたことは、今でもとても大切にしていることで、結局、人は何をやっても、自分にとって大切なところに還ってくるのだなあ、と思います。

 

当時、滞在していた寮は、広い芝生に囲まれた建物で、部屋の窓からは、その季節の色が見えました。

 

芝生と空、それだけの景色ですが、

夏は緑が濃く、秋は枯れた色が混ざり、空気が澄む冬は色がぱっきりして、春になると若々しい黄緑色になり、

同じ場所が、驚くほど違う様子を見せてくれることを、このときに知りました。

 

自然とのつながりを思い出し始めたのは、この経験からかもしれません。

 

イギリスの大学院には、いろいろな人がやってきます。わたしのように、大学を卒業してすぐ来る人もいれば、10年くらい社会人として働いてからやってくる人もいますし、パートタイムといって、1年のうち数か月だけ学生になる人もいました。オープンユニバーシティーという制度を利用して卒業した人も、いました。

 

いろいろ、自由なんだなあ、と思いました。

 

修了するとき、その後を迷っていたわたしに、40歳になって大学に戻ってきた同級生が、「急ぐ必要はない。わたしは、この年になって、どうしても戻りたかったから来た。戻りたくなったら、いつでもできる。」と話してくれました。

 

自分がしたいことは、いくつになっても自由に選べる、と思えるようになったのも、このおかげかもしれません。

 

 

社会の役に立たない文学を学ぶ意味は、それが心を震わせてくれるからだと思います。

 

心というのか、魂というのか。

 

それは直接的に今日のごはんをもたらしてくれるわけではないかもしれませんが、

希望とか、生きる力を与えてくれます。

 

それがなかったら、わたしの心は閉じてしまい、死んでしまうかもしれません。

心が死んでしまったら、体も死んでしまうかもしれません。

 

文学だけではなく、アート(芸術)とは、みんなそういうものだと思っています。

 

 

アートとは、この世にある大切な、見えないもの、みんなが忘れてしまっているもの、隠されてしまっていることを、

 

曇りのない眼で見て、濁りのない耳で聞いて、透明な心で感じて、

 

それをそのまま、それぞれの方法で表現してくことかな、と思っています。

 

曇りのない眼を持つことも、濁りのない眼で聞くことも、透明な心で感じることも、それなりに鍛錬が必要で、

 

それを表現していくための技も、必要ではないか、と感じます。

 

それは、子供の純粋さを持ち続けることでもあると思いますが、

 

子供が、その純粋さを持ち続けるのは、なかなか難しかったりします。わかってもらえなかったり、周りから浮いてしまったり、多くの人が良しとすることに強い反発を覚えたり、狭い子供の世界では、自分の居場所がない苦しさを感じることもありましたし、

 

自分の大切な思いを隠して生きたことも、あったと思います。

 

それはそれで、社会の中で生きることを学ぶという以外にも、いろんな人がいて、いろんな考えがあることを知るためには、通るべき道でもあると思いますが、

 

大人になることは、その子供の純粋さを取り戻せるときだと思います。

 

生きる場所は、自分の選択で広げられますし、多くの人が良しとすることにも、反発するよりも「あなたはそれが大事なんだね」と理解を示せるようになります。「でもわたしは、これを大事にしたいんだよね」と自分の大切なものを大切にする強さも、持てるようになります。

 

子供もいいけれど、

大人になることも、いいですよね。

 

 

武道である太極拳も、アートだと思っています。それはわたしなりの表現方法で、大切なものを大切にする方法で、人に伝える方法でもあります。

 

小説や映画や音楽から、生きる希望や勇気をもらえるように、

太極拳からも、生きる力をもらっています。

 

 

生きることは、それだけで、すばらしいです。

 

そして、誰でもみんな、愛されていることを、忘れずにいられますように。

 

 

【3月の特別クラス】

3月15日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

3月28日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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次に進むために

2020.02.28 Friday

(Photo by Xie Okajima)

 

最近聞いた話の中で、「恋愛の最初の高揚感は、『これを経験したらここまでいけるよ』を、最初に見せてくれるからだ」というのがありました。

 

実際に経験していく道は、いつも楽しいわけでもなく、ときには苦しかったり、大変だったり、最初の高揚感なんてとんでもない!くらいのことも起きるわけですが、

 

それをちゃんと乗り越えたときには成長した自分がいる、という話でした。

 

言われてみたら確かに、好きになる人は、そのときの自分の課題に関係していたり、可能性を広げてくれるような気がします。

 

そして、これって恋愛だけではなく、出会う人やモノにも言えるような気がします。

 

理由もわからず、「これ、いい!」と思うこと、ありますよね。

 

わたしにとっての太極拳も、そうでした。

 

始めるその日まで興味を持ったことはなく、きっかけも知人が習っていたから、だけでした。でも行った先の先生を見て、「すごい!この人には、わたしにできないことができて、わたしにわからないことがわかる」と思い、始めようと決めたのです。

 

何がすごいのか、知識もないのにわかるわけもないのですが、何か、感じたのですよね。

 

武当太極拳に出会ったときも、そうでした。

 

太極拳を習い始めたものの、ぴんと来ることもなく、うまくなる感じもなく、やめようとは思いませんでしたが、「なんだかなあ」と思っていたところ、武当太極拳を習う機会がありました。

 

このときも、知識もないのに、「これは、シンプルでいい気がする。やりたい。」と思ったのです。

 

武当山という場所も、同じです。

 

初めて行ったときではなく、2回目にひとりで行ったときのことです。早朝、ひとりでランニングとストレッチをしていると、理由もなく涙がこぼれて止まらないことが、何度もありました。

 

悲しいわけでもなく、なぜ涙が出るのかわかりませんでしたが、そのときになんとなく、「もうだめだと思ったときでも、ここに来たら、またやり直そうと思える気がする」と、思ったのです。

 

どれも、何の根拠もありません。

 

でも人は、そうやって、自分に必要なものをかぎつける力があるのではないかしらね。

 

そのときには、”自分に必要なもの”が何か、具体的にわからなかいのですけれどもね。

 

さて、「これ、いい」から始めた太極拳も、武当太極拳だけで12年目に入りました。

 

5年前にホームページを立ち上げたときに、「太極拳とは、自分の人生を生きること」という言葉が出てきたとおり、誰か別の人になろうとするのではなく、素直に自分らしく生きる道を教えてくれていると感じています。

 

「これ、いい気がする」というカンは、続けていくうちに、具体的な成果としてやってきました。それは、始めたときには想像できなかったものばかりでした。

 

途中、どうしていいかわからずに悩んだこともありましたが、そんな経験も含めて、良かったと思います。

 

心身ともに得たものはいろいろありますが、その一つが、体です。

 

最近お世話になった整骨院の先生が、「あなたは自分で自分の体を治してきたね」と言ってくださいました。

 

まったく自分だけでというわけではなく、太極拳の先生たちや、ほかにもいろいろな助けがありましたが、基本は、自分で治したと思います。

 

問題を教えてもらっても、それを自覚するのは自分です。やり方を教えてもらっても、それを実行するのは、自分しかいませんし、その様子を観察できるのも、自分しかいません。自分に治そうという気持ちがあり、そのために行動できることが、大切だと思います。

 

わたしは子供のころに側弯症を発症して、そのまま大人になりました。「これは長いから、骨がまっすぐになることはない」と、専門家も含めて多くの人が言い、長いことわたしのコンプレックスでした。

 

でもあるとき、「あなたの心がまっすぐになったら、背骨はまっすぐになる」と言われたことをきっかけとして、「治る」という選択肢が、自分の中に生まれました。

 

それからあれこれ「これはよさそうだ」と思うことを試しているうちに、少しずつ成果が出てきて、気づいたら、今ではかなり改善し、もはや「これって、コンプレックスたっけ?」と思えるようになりました。

 

他人から見たら、「へえ」くらいに思えるかもしれませんが、この変化は、ほんとうに大きな出来事でした。奇跡みたいです。

 

何もあきらめることなんて、ないのですよ。

 

太極拳をやったら良くなった、という単純な話でもなく、途中、一生懸命に練習したら、かえってゆがみがひどくなってしまったという、悲しい出来事もありました。

 

でも、その経験から「正しいやり方でやる」ことへの意識が高まったと思えば、貴重な経験をしたと言えます。

 

体が整ってきた今、なんとなくここで、一区切りついたような気がしています。

 

太極拳は、その人の体の詰まっているところ、緊張しているところを気づかせてくれます。その詰まりを取れば、巡りはよくなります。体の詰まりは、体からくることもありますが、心からくることもあります。「こんなところが緊張している」とか、「こんな時に緊張する」とかに気づいては取り去ることを、繰り返していきます。

 

その過程で発達するのが、感覚です。

 

人って、意外と鈍いのです。何か問題を抱えていて、「これをやったらいいよ」とアドバイスされても、なかなか実施できないこと、ありますよね。そういう人がなぜ多いのかと言えば、その問題の重大性に気づいていないからだと思うのです。

 

口では「問題だ」と言っていても、ほんとうに腑に落ちているわけではなく、当然、真剣に取り組む気持ちにはなりませんよね。

 

これを表面的に見たら、「やらないのが悪い」なのですが、ほんとうの問題は、「それが大きな問題だと、認識できるだけの感覚が育っていないこと」だと思うのです。

 

それでは、自分の人生を生きることはできませんし、場合によっては、命とりになりかねません。

 

わたしが太極拳を人に伝えているのは、太極拳が、生き抜くために必要な体と心を育て、感覚を育ててくれると実感しているからです。

 

成果の現れ方は、人それぞれです。ほとんどの人が、具体的な目的をもって始めたわけではないのですが、続けていたら、ある日、人生で大切な選択ができるようになったり、治らないと言われた体が治ったり、いろいろなことが起きます。

 

正しい方法で習うことは大切ですが、行動するのは本人です。続けた人にしか、成果はやってきません。

 

ですから、そういうものを見せてもらうたびに、「よく頑張った!」と大きな拍手を送りたいですし、うれしくて泣きそうになります。

 

これを選んでやってきて、しあわせだな、と思えます。

 

そんな今は今で、じゅうぶんなのですが、まだ先があるような気がします。先というのは、今の延長というより、まだ想像できていない何かです。

 

それが何かは、今のところはわかりませんが。

 

今、熱心に站椿功をやっているのは、そこに行きたいからです。

 

去年の10月から、毎日の習慣にするようになり、体の面では、成果も出てきました。頭で考えるよりも体が先に動くようなことが、太極拳の套路だけではなく、日常生活でも起きるようになっています。

 

そんなことが起きるとは、想像していませんでした。

 

ハムストリングスが強くなっているので、大腰筋も強くなっていると思います。(ハムストリングスを使うときは、大腰筋も使われています。)大腰筋は、上半身と下半身をつなぐインナーマッスルで、意識して使うというよりは、発達すれば使えるようになる、という筋肉だと思っています。

 

自分の体で生きるためには、強い大腰筋は大切なのですよ。

 

「太極拳は中腰で」というのは、この大腰筋を育てたいからだと思うのですが、中腰の認識を間違えるとまったく育たないという悲劇に見舞われることもあり得ます。

 

これも、続けてみないと、わからないことでした。

 

でも、まだありそうな気がします。

 

武当山で修行する道士たちの中には、「続けていれば、いつかはわかる」という考えがあります。これ、好きなのです。

 

いつかはわかる、というのは、永遠に正解には行きつかない、とも言えますが、その時々で、「こうじゃないかしら」とわかることがあって、それがずっと続いていくことでもあります。

 

それって、楽しいじゃないですか。

 

正しい方法で、とにかく続けてみること。

そして、あとは神さまに「助けてください」とお願いすること。

 

そうすれば、何かはやってくるような気がします。

 

朝がくれば日が昇り、夜がくれば沈み、どんなに暑い夏でも終わりがきて冬がくるように、自然とは、変化し続けることです。

 

人も同じで、自然であるなら、変化し続けるし、成長し続けると思っています。それを信じて、あとは自分に合う正しい方法を選ぶ、ということろかしらね。

 

わたしは、もう10年くらい、迷ったときにはとにかく站椿功という感覚があり、集中的にやった時期も、何度もあります。中には、「あのやり方、今思えば違っていたな」というものもありますが、それでも必ず次に進む力になってくれました。

 

ブログでは、ことばで表現するしかありませんが、実際には、ことばで言い切れないものを、たくさん感じてきました。

 

こんなに書いた後に、ですが、ほんとうに大切なことは、ことばでは表現できないのです。それは、自分がわかればいいし、それを経験している人たちは、ことばを超えて分かり合えるものがある、と思っています。

 

 

【3月の特別クラス】

☀ 3月 1日(日)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

3月8日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(九品仏)詳細とお申込方法はこちら

 

3月15日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

3月28日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

3月29日(日)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから

 


魂のうた

2020.02.26 Wednesday

(photo by Xie Okajima)

 

うたが、好きです。

 

先日、1年ぶりに”たまうた”というワークショップに参加しました。

 

”たまうた”とは、魂と繋がる歌の唄い方 です。うまくとか、きれいにではなく、魂でうたいます。

 

ほんとうの自分の声を出すことって、あまりないのではないでしょうか。

うまく歌わないとと思ったり、恐れや照れがあったり。

 

ちょうど、素のままの自分として世界に姿を現すのが怖いように、

もしかしたら多くの人が、ほんとうの自分の声を知らないまま、生きているかもしれません。

 

今回も事前に練習しているとき、大きな声を出そうとしている自分に気づきました。それ、なんだかおかしいし、居心地よくないのです。

 

もっと素直に歌いたいと思って、当日を迎えました。

 

まずは体をほぐしたり、体に意識を向けたり、声を体の部位に響かせたり、準備していきます。

 

そして、いよいよ歌います。

 

たいていここで「え?もう歌うの?」と言う人がいるそうです。いや、もうやることやったでしょ、ここで歌わなくて何するの(笑)、なのですが、気持ちはわかります。人前で歌うって、それなりのことですものね。

 

緊張しても、隠そうとせず、緊張しているまま歌います。それが今の自分の、ほんとうの姿だからです。

 

歌うたびに、友人で 今回のファシリテーターの はるちゃんからアドバイスがあります。

 

「足踏みしながら」とか

「腰を回して、感じながら歌って」とか

「胸のあたりに意識を向けて、響かせるように」とか

「背中を壁につけて」とか、

 

最後は「背中を壁につけて、腕を上にあげたまま歌って」でした。はりつけにされたみたいな感じです。

 

ファシリテーターの操り人形のようですが、言われたとおりにやってみると、そのたびに声が変わっていきます。

 

最初の緊張は、いつの間にか消え、とにかくやってみることに、必死です。アドバイスごとに、どんな声が出てくるのか、歌ってみるまでは自分でもわかりません。

 

そう、自分からどんな声が出るのか、わからないのです。ドキドキします。

 

そして出てくる声に、びっくりしたり、安心したり、うっとりしたり。

 

そんなわたしの歌を聞いた参加者の方が、「素直な声がまっすぐに届いた。わたしも、もっと前から、こんな風に素直に歌いたかったと思った」と言ってくださいました。

 

それを聞いて、泣いてしまうほど、うれしかったです。

 

自分のことを真剣にやるだけで、誰かが動き出すことって、あるのですよね。

 

”たまうた”では、自由に歌うことはせず、世にある曲を歌います。理由は、なんとなくわかるような気がします。

 

太極拳にもちょっと似ている気がするからです。型があると窮屈なイメージもあるかもしれませんが、型があるからこそ、それまでの自分の狭い領域から出ることができます。

 

自由は一見良さそうですが、自分の領域から出ないまま、これまで知っているパターンで終わってしまうこともあります。

それがだめなわけではなく、楽しめればそれでいい、という面もあります。自分がどうしたいかによりますよね。

 

曲も同じで、世に出ている曲には、歌詞だったり、メロディーだったり、パワーがあります。

 

歌うことで、その力を借りて、自分の狭い領域から出ることもできるのではないかしら

 

「感情をこめて」と言うこともありますが、なんとなく、あまり意識しすぎないほうがいいような気がします。

 

以前、女優さんが、「難しいセリフをどう言うか」という問いへのアドバイスとして、「棒読みすればいい」と言っていたことがあります。

 

さすがだな、と思いました。ちょっと極端かもしれませんが、あれこれ考えるよりも、そのまま素直に読めばいい、ということではないでしょうか。ことばの力を信じる感じかしらね。

 

選ぶ曲は、そのときの自分のテーマに重なっていたりします。惹かれるものや、ひっかかるものがあるから、選ぶわけですものね。

 

素直に歌うことで、自分の中にある何かと、曲の持つ力が融合して、ぐっと何かが生まれ出てくるようなときが、あるような気がします。

 

今回は、中島美嘉さんの「ORION」と、「奇跡の法則」を歌いました。「奇跡の法則」は、作曲家でピアニストの中村天平さんの「火の鳥 Phoenix」というCDに収録されている曲です。

 

「奇跡の法則」を歌ったとき、聞いていた方が、「いつも、そう思って生きているんだろうな、というのが伝わってきた。」と言ってくれました。正確には覚えていませんが、自分の歌として歌っていた、みたいなことを言われた気がします。

 

この歌には、こんな歌詞があります。

 

希望なくして

泣いて泣いてたあなたが

奇跡を信じて

心がキラリと輝く

 

夢をすてないで

光はやってくるから

涙 希望にかえて進むんだ

ほらあなたは一人じゃない

奇跡の扉が今開くよ

 

周りの人や、専門家がみんな「無理だ」と言ったことでも、できることや叶うことはあります。

 

奇跡とは言っても、他の人からみたら「へえ」くらいのこともあるでしょうが、本人にとっては、人生がひっくり返るくらいの大ごとだったりします。

 

あきらめずに信じて、希望をもって進んだら、奇跡は起きると思っています。そのときに多少、コツはあるような気はしますが。

 

どこかで涙声で歌った気もしますが、それがそのときの自分ならば、声が震えてもよし、です。

 

ほかにも、いろいろ気づいたことがあります。

 

わたしには強い面もあって、勇気があるというのか、勇敢というのか、たとえるなら革命家とか戦士とか、そんな性質がある気がするし、

 

だからカンフーが性にあうような気もするのですが、

 

歌っていると、声が出ても、そんなに太い声ではなく、パワフルでもありません。聞いている人の感想も、「優しい」とか、「女神みたい」とか、窓辺に座って(座らされて、ですが)歌ったときに、はるちゃんが命名したのは「人類のアイドル」です。

 

もちろん、革命家とか戦士といっても、何かを倒す人ではなく、大切なものを守るために進む(もしくは踏みとどまる)人というイメージなのですが、

 

そのときに、こぶしを振り上げてという感じではないのだなあ、と思いました。

 

大切なものを守りたいとき、きっと、その人なりのやり方があるのでしょう。わたしはわたしのやり方で、と思うことができました。

 

そして「女神みたい」とか、「人類のアイドル」と言われると、照れますよね。照れてしまったり、人の話を「うん、うん」とうなづいて聞くわたしに、はるちゃんが、「あなたはアイドルだから、うなづいたり、反応しなくていい。ただ、そのまま受け取って」と言ってくれました。

 

そうしないと、ちゃんと受け取れないのだ、と。

伝えた人は、ちゃんと受け取ってもらうほうがうれしいのだ、と。

 

照れてしまうのは、逃げでもありますよね。習慣でうなづいているところも、あるのかもしれません。そう言われたということは、きっとそうなのだと思います。

 

ということで、しばらくは、ほめられたときに、照れず、うなづきもせず、そのまま受け取るチャレンジをしようと思っています。近いうちにわたしに会う方、いいところがあったら、ほめてみてくださいね。(あったら、です。うそはダメですから。)

 

”たまうた”のよいところは、グループですることで、お互いに聞き合いっこをして、お互いに褒め合いっこをして、声がすごく変わっていくのを間近で見ることができることです。人って、あっという間に変われることもあるのだと、思い知らされます。

 

人は誰でも、自分を表現して生きたいのだと思います。それが怖かったり、遠慮したりすると、それを見ている人も怖かったり、遠慮してしまうのかもしれません。堂々と素直なその人が現れていると、周りの人も安心して、素直に生きやすくなるのではないでしょうか。

 

「これで、いいんだ」というように。

 

そして、一緒に参加した方が、「わたしの奇跡の扉が開きました」と、後から伝えてくださいました。すごいでしょ。

 

現実に、そのすごい場面は目撃しているのですが、ご本人がそう言えるところが、すばらしいですよね。

 

ほらね、奇跡は起きるのです。

 

うたって、いいですね。

 

 

【3月の特別クラス】

 3月 1日(日)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

3月8日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(九品仏)詳細とお申込方法はこちら

 

3月15日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

3月28日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

3月29日(日)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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