案ずるより産むが易し

2018.10.23 Tuesday

(今日の「すきなもの」は、カフェのグリーン。まわりの空間があるから、これが活きる)

 

Instagram(@mayuminmin927)で、「すきなもの」を、ほぼ毎日投稿して、今日で200になりました。

 

はじめたきっかけは、今年の春分の日、3月21日のことです。季節外れな雪が降った日で、いまいちな体調に、「そうだ、自宅ファスティングをしよう」と思いつきました。体の中をお掃除すると外もしたくなるのか、お片付け、衣替え、お掃除に、いつも以上に張りきりました。

 

そんな中で「家にいる時間が好きだな」と感じたのです。それで、はじめたばかりのInstagramで、すきなものを一つずつ紹介してみようと思いつきました。

 

どのくらい続くのかとか、それが何になるのかとか、まったくわかりませんでした。でも大切に思うものを一つずつ、短い文章をつけていくことが楽しくて、投稿するたびに、うれしさが溢れました。

 

ときどき、まとめて見返して、にんまりしたり。

 

いろんな発見も、ありました。

 

すきなものを一つずつ、丁寧に思いをつづることは、お片付けのこんまりさん(近藤麻理恵さん)がおっしゃる「ときめく」と同じかもしれないなあ、なんて思ったことも、ありました。そもそもこれ、お片付けしているときに思いついたことですしね。(すきと感じないものは、断捨離ですかね。)

 

そういえば、200件目の今日の「好きなもの」は、カフェで目にとまったちいさなグリーンです。これ、空間があるから、活きるもの。お片付けしないとね、と思ったのでした。やっぱりテーマは、お片付けなのですね。

 

「楽しみに読んでいます」と言ってくれる方や、すきなものをつづるわたしを、「祈りを届ける人」と表現してくれた方もいます。そういう反応も、嬉しかったです。

 

そして7月21日、そこから思いついて、Facebookpageで「太極拳、あるある、ないない話」をはじめようと決めました。こちらも短い文章で、ポイントを一つずつ、みんなが知らない太極拳を、いろんな面から紹介していくものです。こちらは今日で、71になりました。

 

太極拳は、名前は知られていますが、漠然としたイメージだけで、本当はどういうものか、あまり知られていません。この奥深さをもっとたくさんの人に知ってほしいと、いつも思っています。ひとつの方法として、こんな風に短いことばで伝えることも、ずっとぼんやり思っていたのですが、形にしていませんでした。勢いでやろう!と思えたのは、「すきなもの」シリーズを続けていたからのような気がします。

 

「すきなもの」も、「太極拳、あるある、ないない話」も、はじめる前は、項目をいくつか、リストアップしてみました。

 

でもはじめてみると、リスト通りに紹介することは、ありませんでした。

 

「すきなもの」は、その日、目に留まったものを、その日に書きます。いろいろと、あるものです。はじめる前はおうちの雑貨と思っていたのですが、空とか、緑のかおりとか、そとのものも、たくさん入ってきています。おうちだけではなく、そとも、すきなのですね。

 

「太極拳、あるある、ないない話」は、ひとつ書くと、数珠つなぎに書きたいものが出てきます。リストアップしていないものや、リストでは1項目だったものが5つくらいになることもあります。

 

案ずるより産むが易し、ですね。

 

わたしは「書く」という表現が好きです。

 

ことばには、限界があると思っています。たとえば、「すき」という表現に込められた、たくさんの思いや感情を、ことばで表現しきることはできません。同じことばでも、人によって感じ方も変わりますしね。それでも、その限界を知りつつ、表現したいのですよね。

 

だから、このふたつは、ほぼ自己満足です。

 

続けてみて、すごく感じることがあります。すきなものをすきと表現することは、わたしがこの人生でしたいことだと思うのです。

 

やっぱり、自己満足ですね。

 

でもみんなが、すきなものをすき、とうれしそうに言う世の中は、なんだか平和でよさそうじゃないですか。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

☀「太極拳、あるある、ないない話」は、Facebookページで毎日更新中。こちらからどうぞ

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強い絆と深い絆

2018.08.17 Friday

 

4年前、2014年に参加した講演会の感想が、Facebookで上がってきました。

 

「あるがままの自分を生きていく インディアンの教え(大和書房 2013年)」の著者である、松木正さんの講演会です。

 

”心の残ったこと、その2。「関係性」”とありました。

 

ロープの端をふたりでつかんで、ぴんっと張っている状態は、「強い絆」。いつもロープの先に相手を感じています。片方がロープを動かすと、もう一人はついていきます。同じ意見、同じ行動に、安心を覚えます。どちらもひとりで立っているのではなく、相手に振り回されます。

 

ロープが垂れ下がった状態は、「深い絆」。お互いに自由に動きます。相手の動きはわかりませんが、つながっています。自立しているから、対立もします。対立するのは、切れないという信頼感、安心、愛情があるからこそです。子供の反抗期も、これにあたるそうです。

 

わたしにも、強い絆から、深い絆にしようと試みたときがありました。大人になってからの、親ではない相手への反抗期です。

 

相手にNOと言って、自分に正直に、自分の考えを伝えようとしました。信頼しているからこそでしたが、ただわたしが反抗しているだけと受け取られたようでした。

 

わたしがロープを緩めると、相手はロープを引っ張ります。どんどん強くなっていき、ついに苦しくなって、わたしはロープを離しました。

 

相手は、ロープをぴんと張っていないと不安だったのかもしれません。それをわかっていながら、わたしがロープを緩めたのは、誰に属するのでもない、「自分」を生きたかったからだと思います。

 

今、振り返ると、わたしは相手にNOと言う勇気はあったけれども、相手が言うNOを受け入れることはできていなかったと思います。

 

だからわたしはロープを緩めたけれども、相手がピンとロープを引っ張ろうとしたら、わたしもぴんっと張りかえしたのだと思います。緩めることは、できませんでした。

 

「嫌だったら嫌だと言っていいよ」を、大切にしたいのに、いざ自分が言われると、それを受け入れることができませんでした。中途半端だったと思います。

 

この講演会を聞いたときは、ロープを離してから半年くらいたっていたと思います。

 

そして今、その人との間には、強い絆も、深い絆も、ありません。

 

あの頃は、「どうしてロープを持ち続けられなかったのだろう」という後悔を、たくさん持っていました。

 

人には、自由意思があります。将来をみるとき、自由意思は希望になりますが、過去を振り返ったときには、後悔にもなります。あのときのわたしのように、「どうしてできなかったのだろう」と思うからです。

 

状況から離れて、起きたことが過去になると、そのときの状況や精神状態、いろいろなものが薄れます。自分ができなかった、ということだけがクローズアップされがちです。

 

でもあの状況では、できなかったのです。

 

他人から見て、それがわたしの未熟さゆえだったりしたとしても、当時の自分には、そうとしかできなかったのです。

 

そんな過去の出来事については、「あれは運命で、どうしようもなかったのだ」としてしまうほうが、楽なこともあります。

 

大切なのは、そんな経験をした自分が、今、どう生きるかだと思います。

 

そうは言っても、そんなに大げさなことではなく、今日の空はきれいだな、とか、風が気持ちいいな、とか、ごはんがおいしく食べられてうれしな、とか、息ができていることに感謝だな、とかで、十分だと思うのですけれどもね。

 

小さくて大きなものを感じながら、深い絆を育てていけたらいいな、と思います。

 

......しかし、その2ということは、その1があるのですよね。なんだったのでしょう。ま、いいですかね。自分のどこかには、残っているはずですから。

 

 

(参考:過去のとらえ方について、わたしが感銘を受けた本はこちら:「マチネの終わりに」平野啓一郎 著 毎日新聞出版

 

 

【特別クラスのお知らせ】

8月19日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(5)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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より良くしたいという願い

2018.08.01 Wednesday

 

「誰にでも、より良くしたいという願いがある」と、信じています。

 

これを実感したのは、10年くらい前のことです。そのとき、人事や組織のコンサルタントをしていて、プロジェクトの最初には、多くの人にインタビュー(面談)していました。

 

この話をすると、「みんな本当のことなんて、話さないでしょ」と疑う人が、けっこういます。

 

実際には、そんなことありませんでした。みなさん、話にくいであろうことも、話してくださいました(と、思っています)。

 

「どうやって聞き出すの?」と聞かれれば、手法として、「インタビューの目的や守秘義務などをお話してから、名前、部署、社歴、などなど、考える必要のない質問から始め、質問して答える、というリズムを作ります」みたいな説明をします。

 

でも、それは手順としては必要でも、本当に大切なことではないと、思っています。

 

きっと、人は誰でも、自分のいる場所を、よりよい状況にしたいと願っているからだと思うのです。

 

それを信じること、そして自分はその手助けのためにいるのだと理解していることの方が、大切だと思っています。

 

批判だらけでも、文句ばかりでも、その中には真実や課題もあります。

 

よく考えてみれば、当然です。自分がいる場所が、居心地の悪いままでいいと思っている人は、いないですよね。

 

組織であれば、自分がいる場所をよりよくしたい、人であれば、よりよく生きたい、ということになるでしょうか。

 

言葉にすると薄っぺらい表現しかできませんが、頭での理解ではなく、実感できたことは、とても大きなことでした。ありがたいです。その仕事を離れた今でも、人に関わるときの根底には、これがあります(ときどき忘れて、きーっっ、となりますが。)

 

体験に、勝るものなし、です。

 

そして「みんな言うわけないでしょ」という話も、当たっているとは言えませんよね。

 

案ずるより産むが易し、かしらね。

 

どんな仕事にも意味はあります。あの仕事から、今、太極拳を教えていると言うと、不思議に感じる方もいるようですが、あのときは、あの経験がしたかったのでしょう。そしてそれは、みんな生きています。

 

これからも、自分で感じることを大切にして、自分が大事にしたいことを大事にして、目の前のことをコツコツと、やっていきたいと思います。

 

 

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8月5日(日) /11日(土)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう」です。詳細とご応募方法はこちらから。

8月19日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(5)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

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OKバジさん

2018.07.28 Saturday

(本文と無関係ですが、武当山の朝)

 

先日、OKバジさんにお会いして、お話を伺う機会に恵まれました。

 

本名は、垣見一雅(かきみかずまさ)さん。今年で79歳、これまで20年以上ネパールのパルパ郡で支援活動を続けてこられています。

 

まなざしが美しく、一人ひとりの顔をしっかり見て話す方です。

 

組織も作らず、オフィスも持たず、ひとりで支援してこられました。OKバジ(OK Baji)というあだ名は、"OKおじいさん"、という意味で、なんでもOKと言っていたことから、つけられたとか。

 

「わたしは御用聞きです」と、毎日あちこち歩いて回るため、日々の寝床は毎日違います。高齢になってこられた垣見さんを心配して、村人たちが家を建てたそうですが、「ほとんどいない」とか。

 

ネパールと縁が出来たきっかけは、「エベレストを見たかったから。」でもそのとき、登山中に雪崩に遭い、垣見さんの荷物を持っていたポーターさんが亡くなりました。

 

「借りができた」というような表現をされていたと思いますが、その後にポーターさんの村を訪ね、貧しく厳しい現実を知ることになります。

 

冬なのに穴だらけの薄いシャツで、寒さに震える子供たち。ひどいやけどをしても、お金がないため放置して、ひじの内側がくっついてしまった人。子供たち、特に女の子は、小学校にさえ行かせてもらえなかったり。貧しいために働き手として数えられることもありますが、親世代の教育への理解がなかったことも、あるようです。

 

目の前にいる人たちを助けたい、という思いから始まりました。その思いが、今でも続いています。

 

「自分はパイプ役だ」とおっしゃるとおり、活動資金は寄付で集めます。ひとりの子供が学校に通うためには、1か月50円あればよいのだとか。それで必要なサンダル、ノート、ペンを用意できるのだそうです。1年で600円ですよね。

 

診療が必要な人への援助もします。最初は診察代を渡したそうですが、病院に行かずに家族のお米代にしてしまう人がいたため、病院に自分の口座を持ち、垣見さんが書いた手紙を持って行けば診察を受けられるようになっています。

 

これまでに建てた小学校は、200を超えるそうです。創立記念日には呼ばれてスピーチに呼ばれるため、それだけでも大忙しです。その貢献は、ネパール国王からも表彰されているほどです。

 

「組織も持たず、どうやって......」と驚きますが、垣見さんは「援助活動は、はがき一枚あれば、できます」と言うのです。

 

寄付をいただいた方への報告はがきです。でもこれが、ただの報告書ではありません。

 

Aさんから1000円の寄付をいただいたら、その1000円を使って何をしたか、たとえば「20人の子供が1か月学校に通うための費用にあてました」と書いて、その子達が笑っている写真などをつけて、送ります。

 

報告の数、なんと1年で1200通ほど。「Bさんにいただいた1万円は〇〇に使いました」など、すべて個別の内容です。

 

寄付は、現金だけではありません。「退職してお金はないけれど」と、きれいなしおりを作ってくださる方、闘病中にアクリルたわしを作ってくださる方なども、いらっしゃいます。しおりを手に喜ぶ女の子たちの写真つきの報告書が届いたら、なんと、うれしいじゃないですか。

 

ひとりの力を、ものすごく考えされられました。

 

「オフィスも持たないから、いただいた寄付は全額支援に回すことができる。」もちろん経費はかかりますが、それも「これは切手代に使ってください」とか、「これは垣見さんの洋服代にしてください」と、寄付してくださる方がいらっしゃるのだそうです。

 

「日本から技術者を連れてきて、大がかりな支援プロジェクトをすることもありますよね。でも彼らに聞くと、『ネパールにも技術者はいる。足りないのはお金だ。』と言うのです」と話されていました。垣見さんひとりだからこそ、現地の方の助けを借りて、協力して活動を続けてこられました。「申請が必要なものも、みんな現地の人にお願いする」と、飄々とおっしゃいます。

 

活動を通じて、喜びを得ているとおっしゃいます。「寄付をいただいて、支援することで感謝されたり、寄付してくださった方にも喜ばれたり、それはすごくうれしい。」と。何事もそうかもしれませんが、使命だけでは、長くは続きませんよね。

 

アクリルたわしやしおりを作ってくださる方は、「自分の生きがいです」と、おっしゃるそうです。垣見さんは、「必要とされることって、人にとっては大事ですよね」と話されていました。

 

最初の頃は、寂しい思いをしたこともあるそうです。診察を受けさせようと病院に送った後、治療が終わっても何も言ってこなかったり。「日本人としては、お礼は言いますよね。それが何もなくって」と。

 

でもそんなとき、「OKバジ、よかったね。今、徳を積んだよ」と言ってくださる方がいたのだとか。

 

そして、感謝の心がないわけではないのです。

 

ある日、いつものように歩いていたら、駆け寄ってきた人が、「あのときに助けていただいた子が、こんなに大きくなりました!」と言うのだそうです。何年もたっていたそうですが、忘れていないのですね。ほかにも、「卵、好きでしょ。家で取れたから」と持ってきてくれたこともあるそうです。

 

感謝のしかたの違いというのか、人間関係のとらえ方の違いというのか、何かが違うようです。

 

できる人が、できることを、できるときにするの、ということでしょうか。これをやってもらったから、それにお礼をいって、お返しをして、というものではないようです。

 

危ない状況にあったことも、あるようです。マオイストという武装闘争を行う組織と、政府との間で内戦が起きたとき、ボランティア団体は活動ができなくなり、国外に退去したそうです。現地に残っていた垣見さんは、マオイストから見ても不思議な存在だったようで、その長は、「お前の目的はなんだ。」「あなたは、目の前に倒れた人がいたら、助けようとするでしょう。わたしがやっていることは、それです」というように答えると、納得してもらえたのだとか。

 

「今、思いかえしても、あの言葉はとっても良かったと思うのですよね」とおっしゃいますが、その通りに行動してきたからこその言葉で、それは立場を超えて伝わったのかもしれないと、思います。

 

さらにそんな垣見さんを、危険だったり難しいことがあるたびに、村人たちがみんなで守ってくれたのだそうです。

 

かわいいエピソードもあります。柿の種をあげたときは、村人みんなでひとり1つずつ、ピーナッツは半分に割って分けあったのだとか。飴玉を子供にあげたときは、「ひとつしかないから、ここで食べていきなさい」と言ったにもかかわらず、外に持って出て、ひとつを割って、子供たちみんなでちょっとずつ食べたのだそうです。それも、「いちばん小さな子に、いちばん大きなかけらをあげて、本人はいちばん小さなものを選ぶんだよ。」と。

 

分け合う心が豊かだなぁ、と感じます。そして想像するだけで、なんだかとっても楽しそうです。

 

「日本に帰ると、毎日が五つ星ホテルに泊まっているようですよ。蛇口をひねれば水が出て、飲んでも安全だし、お湯だって出るから、シャワーも浴び放題、電気もある。」日本に暮らしていると当たり前のことが、いちいち感動の対象になります。

 

何もないところの方が、ある意味では豊かに暮らしているというのは、わたしも中国の武当山に行くたびに思います。お天気がいいな、とか、ごはんがおいしいな、とか、日常、生きていること自体が、うれしくて楽しいのです。(ただし武当山は、水も出るし、お湯も出ます。電気もあります。断水や停電が、ときどきある程度です。)

 

垣見さんは、「感謝日記をつけたらいいですよね。毎日3つ、感謝を書くの。」と言います。垣見さんは3つどころではなく、ものすごくたくさんになるそうですが、「息ができる、も、入ります」と。そういうことですよね。息ができることって、当然のように感じますが、こうして生きていること自体、ミラクルと言えば、ミラクルです。

 

垣見さんのような方にお会いすると、ひとりの力はすごいことを、あらためて感じます。そして垣見さん自身は、とっても軽やかで、楽しそうです。

 

勇気がでますよね。希望も、ぴかーんと明るく見えてくるようです。

 

喜びから行動しよう。そうすれば、きっとうまくいく。

 

 

☀OKバジの著書などは、こちらから。

 

 

(注:お話を録音してはいませんので、「」内の言葉は、記憶にあるものです。言葉の表現が多少違うこともあると思いますが、その点は、ご勘弁ください)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

7月29日(日)13:00-15:0は「立って、歩いて、太極拳」(千葉県香取市)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

8月5日(日) /11日(土)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう」です。詳細とご応募方法はこちらから。

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ないものねだり

2018.07.27 Friday

(2016年春、武当山で出会った子猫)

 

先日、友人が、「小顔=きれい、かわいいという認識が、いまひとつピンとこない」と言っていました。

 

わたしはこれまでの人生で、「顔が小さくていいね」と言われたことが結構あります。どうやら多くの人の認識では、「小顔=いい」らしいです。

 

でもフランス人の男性に聞いた話だと、また違うのです。日本に来てたくさんの人から「顔が小さいですね。」と言われて、そのたびに、ムッとしていたのだとか。頭が小さい=脳みそが少ない=ばか、という認識だそうなのです。

 

猫の例も、あります。イギリス在住の日本人が、アメリカンショートヘアーのブリーダーのところに子猫をもらいうけに行ったときのことです。みんな血統種つきで、親はコンテストのチャンピオンという子もいる中、ブリーダーさんから「この子がおすすめ!」と見せられた子が、どうにも......鼻ぺちゃで、受け入れられなかったのだとか。

 

その隣にいた、お鼻がしゅっとしている子を指して、「この子にしたい」と言ったら、ブリーダーさんは「ええーっ、その子で本当にいいの?」と、驚いたそうです。

 

「鼻が高い西洋人にとっては、鼻ぺちゃがいいのかしら。ないものねだりかしらね。」と、その方はおっしゃっていました。

 

ところ変われば美しさも違うようです。

 

生物として、種の保存のために重要なものを美しいと感じる、ということもあるかもしれず、そのあたりはどう関係してくるのかわかりませんが、それとは別に、生まれ育った環境の中で育まれた評価や基準の影響も強いでしょう。中には、無意識に「こういうものですよ」と植え付けられたものも、あるかもしれないと思うのです。

 

顔が小さいことは、あくまで相対的な話になりますが、事実ではあります。でもそれを、良いとするかどうかは、別の話です。かわいい、きれいと思うかどうかも、別のことです。

 

好みは、人それぞれですものね。

 

犬や猫の場合、この種はこの形が正統という基準が、あるようです。たとえば聞いた話たと、犬のボーダーコリーや、猫のスコティッシュフォールドの耳は垂れていなければならない、とか。それは、種の保存、血を守っていくためには、必要なのかもしれません。

 

でもそんなことは、その犬や猫のかわいさ、愛おしさには、関係ありません。飼い主さんたちは「うちの子がいちばん」と堂々と自慢しますよね。うちの子は、いつも絶対的ないちばんです。

 

人間も、そうありたいですよね。「わたしがいちばん」「オレがいちばん」。顔や体の形状は、個性のひとつ。一般的に美人と言われる顔でなくても、かっこいいと言われるスタイルではなくても、それでもいちばん。

 

みんながそう思えたら、楽しくて平和な社会になりそうじゃありませんか?

 

 

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(ちょっとしか面倒をみていませんが、やっぱり「この子がいちばん」)

 

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