弱さを出す人の、強さ

2019.03.30 Saturday

(「あんな風に生きたい」と憧れているパンダ。和歌山のアドベンチャーワールドで)

 

 

お稽古で大切にしていることのひとつは、「正直であること」です。

 

わからないのに、わかったふりをしたり、

嫌なのに、我慢してしまったり、

気が進まないのに、他の人に合わせてしまったり、

 

そういうことはしなくていいと、繰り返し伝えています。

 

ひとりが「わからない」と声を上げることで、「あ、わたしも!」と、他の人がホッとすることも、ありますしね。

 

そもそも、わたしが目指すのは、「みんなが満足するクラス」ではありません。

 

もちろん結果としてそうなれば、とても嬉しいです。でも、多種多様な人がいる中で、みんなにぴったりくるものを狙おうとすると、ともするおt、内容が薄まってしまう気がするのです。

 

教え始めた頃は、「みんなが満足するクラス」を目指していました。終了後に5段階(大変よい、よい、どちらでもない、悪い、とても悪い)で評価がつくアンケートをとるクラスを担当していたとき、「全員を『大変よい』にする!」を目標にしたことがありました。

 

鼻息荒すぎ、欲深すぎです。

 

でもあるとき、「なんだか違う」と気づきました。

 

友人と共同でワークショップを開催したときのことです。あるプログラムの課題として開催したため、ワークショップの様子をビデオにとって、後から見て振り返る、という宿題が出ていました。

 

ワークショップ自体は、アンケート結果もよく、「良かったね」と言っていたのですが、

 

ビデオを見てみたら、「...なんだか、全然だめじゃない?」さらに、参加していない人たちにも見てもらったところ、「これ、わたしが知っているみんみん(わたしのこと)じゃない!」とバッサリ。

 

ふりかえってみると、すべて想定内だった気がします。もちろん、参加者の反応は様々ですから、いろいろなことは起きましたが「想定外のことが起きる」ことを想定していた、という感じです。

 

優等生的というのか、まじめすぎるというのか、とにかく遊び心や、余裕がありません。

 

「なんだか、つまらない。」

 

こんなこと、したいわけじゃないのです。みんなが満足するものを狙うのはもうやめよう、「こんなの嫌!」という人が出るくらいのものにして、それを受け取っていこう、と思いました。

 

もちろん、炎上や反発を狙ったわけではありません。ただ、嫌だと思った人が、それをその場で言葉にできる雰囲気を、何よりも大切にしたいと思ったのです。

 

 

以前のわたしは、嫌と言えませんでした。言ってはいけない、と思い込んでいました。

 

その昔、こんなことがありました。

 

あるグループに所属していて、ときどき生徒であるわたしたちに、先生が頼みごとをします。クラスの中での役割だったり、それ以外だったり。

 

いつでも「はい」と答えてやるものだ、と思っていました。それだけの準備をしておかないと、とも思いました。

 

でも同じグループには、先生に頼まれても、おどおど不安そうな顔を見せたり、「できません」という人もいました。

 

そういう人を見て、ダメだなあと思ったのです(厳しいですよね、すみません。)

 

そういう人に、先生は頼みごとをしなくなるかというと、そうではありませんでした。ことあるごとにチャンスを与えます。それは、うらやましいものでした。

 

「わたしは絶対に断らないし、ちゃんとやるのに。なんで?」と、ストレスにも、なりました。

 

つい最近、ふとそのことを思いだして、「あれは違ったな」と気づきました。

 

「できません」と言えたその人は、素直で、実はとっても強かったのかもしれない、と。

 

できないと言ってはいけない、と思っていたわたしは、「できないと言ったら、チャンスがなくなる」と、怯えていたのです。勝手な妄想で自分を縛っていますよね。わたしのほうが、ずっと弱いです。

 

あの頃は、そういうことに、気づけませんでした。

 

その後、少しずつ「できない」と言う練習をしてきました。最初は、我慢し続けた後だから、爆発するみたいに「でっ...できませんっ!!!」みたいな言い方しかできなかったことも、あります。

 

幸い「わかった」と言ってくれる人たちに恵まれ、だんだん素直に、ふつうの口調で言えるようになってきました。

 

嫌だとか、できない、とか、後ろ向きのことばの背景には、自分が大切にしたい何かがあったりします。自分が大切にしたいことが、ないがしろにされていることが、嫌なこともあります。それを感じることは、自分を知るためのチャンスになります。

 

ちなみに、過去に所属していたそのグループでも、勇気を振り絞って「それはできません」と言ったことがあります。そのときは、先生から激怒されました。

 

否定的に聞こえることばを言うと、ときには傷つくこともあるかもしれません。それで相手が傷ついてしまうことも、あるかもしれません。

 

当時は悲しい思いをしましたが、今から振り返っても、あの経験はよかったと、思っています。

 

なぜなら、それでも大切にしたいものを、守れたわけですから。たぶん、はじめてね。

 

巻き込んでしまった方々には、本当にすみません、としか言いようがないわけですが、そんな縁もふくめて、縁とはありがたいものです。

 

 

 

【これからの特別クラス】

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4月29日(月・祝)14:00-16:30は「−20歳のカラダほんとにはじめての武当太極拳」です。全くの初心者、もしくは太極拳のお稽古に悩んでいる方に。太極拳とは?というお話から、基本的な体の使い方を体験できます。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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映画「グリーンブック」を観て感じたこと

2019.03.14 Thursday

 

アカデミー賞 作品賞、助演男優賞、脚本賞を受賞した映画「グリーンブック」。

 

1960年代、制度として黒人差別があった時代の実話をもとにした、白人と黒人、ふたりのおじさんの物語です。

 

黒人のドクター・シャーリー(ドク)は、幼いころから音楽の才能を発揮し、9歳でレニングラード音楽院の生徒となり、18歳でデビュー。カーネギーホールの上のマンションで暮らす、著名なピアニストです。

 

白人のトニー・バレロンガは、イタリア系アメリカ人。ナイトクラブで働いていましたが、改装のために職を失ったとき、縁あって、ドクの2か月にわたる演奏旅行の運転手として雇われます。

 

演奏の行先は、南部。黒人差別が、色濃く残る地域です。

 

各地を転々とする中で起こる出来事、ふたりを中心とする人々の関係などが描かれていますが、詳しくは映画を観ていただくとして、この映画を観て感じたことを、書いてみようと思います。

 

自分のアイデンティティです。

 

海外で生活して、海外の人との交流が日常になってくると、好む好まないにかかわらず、「自分は日本人である」ことを感じる機会が多くなるのは、わたしだけではないと思います。

 

日本のことを知りたくなったり、文化の素晴らしさを再確認するというのも、よく聞く話です。

 

でもそれだけではなく、差別や批判の対象になることもあります。

 

たとえば12月8日(アメリカは7日)、「今日は真珠湾攻撃の日だね。まゆみが戦闘機に乗ってやってくるよー。」とニコニコと言われたり、(どう反応していいかわからずにおどおどしていると、「冗談だよー。ごめんね」と。)、

 

アメリカ人同志で「ジャップが......」と話しているところに、わたしが姿を現したときは、「あ、ごめんね。いつも言っていたから、つい」と言われたり(話題は、わたしとは関係ないことです)、

 

日常にふつうにあらわれる、小さくて大きな出来事に、チクチクと心が痛みました。

 

個人的に意地悪されたわけではありません。困ったことがあれば、いつでも助けてくれました。

 

わたしという個人への感情と、日本という国への感情とのギャップを感じるたびに、戸惑うこともありました。

 

差別もあれば、逆のやっかみもあります。そしてこういうことは、海外だけでなく、国内でも起こります。

 

わたしが所属している〇〇は気に入らないけれども、わたし個人にそういう感情はないらしい、と感じたこともありました。

 

太極拳を始めて、中国に行くようになっても、同じです。

 

仲のよい友人たちが、SNSで「今日は対日勝戦記念〇周年!めでたい!」と投稿しているのを見るたびに、複雑な思いになることもありました。(その後、これには理由があるとわかりました。気になる人は、会ったときに聞いてください。)

 

あるとき兄弟子のひとりが、秦の王のことばを載せていました。ざっくり覚えている限りで書くと、日本人は日和見主義で、主張がなく、わけのわからない人々だ、というような、少なくともほめ言葉ではなかったと思います。

 

それを読んで、また複雑な気持ちになり、「?」という絵文字をコメント欄に入れてみたところ、すぐに返事がきました。「きみのことじゃないよ!」

 

このとき、気づいたことがあります。個人としてのわたしと、日本人としてのアイデンティティを、ごちゃまぜにしていたのは、わたしです。

 

日本人は、と非難じみたことを言われると、自分が言われたような気になって、過剰に反応していただけです。妄想ですよね。「そんなことは、もうやめよう、わたしはわたしでしかないのだから」と思うようになりました。

 

 

映画の話に戻ると、個人として成功しているピアニストへの振る舞いと、制度として差別がある南部の習慣としての黒人への振る舞いとのギャップなども、たくさん描かれています。

 

差別が公然と認められている中での出来事は、理不尽に思えることもあり、胸がぎゅっとなります。それでも、そんな場面での人としての暖かさや、ユーモア―、冷静さ、情熱、そして前を向こうとする姿に、救われる思いがしました。

 

あの時代、あの環境の中で、こんな風に生きたひとたちがいたという、ひとつの実話を伝えてくれています。そして個人のつながりは、制度の壁を飛び越える力がある、と感じさせてくれます。

 

 

この映画は、父(トニー)から伝えられた話を、息子さん(ニック・バレロンガ)が50年間あたためてきたものが元になっています。今回、その息子さんは共同脚本という役割で、アカデミー賞も受賞されています。そんな背景もすてきだな、と感じさせてくれます。

 

涙もありますが、全体としては「クスッ」と笑えるコメディですので、楽しく観られます。おすすめです。

 

 

アートは、壁を超えます。映画も、音楽も、太極拳も、ね。

 

 

映画「グリーンブック」公式サイトは、こちらから

 

〜グリーンブックとは〜

1936年から1966年まで、ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人、ヴィクター・H・グリーンにより毎年作成・出版されていた、黒人旅行者を対象としたガイドブック。黒人が利用できる宿や店、黒人の日没後の外出を禁止する、いわゆる「サンダウン・タウン」などの情報がまとめてあり、彼らが差別、暴力や逮捕を避け、車で移動するための欠かせないツールとなっていた。ジム・クロウ法(主に黒人の、一般公共施設の利用を制限した法律の総称)の適用が郡や州によって異なるアメリカ南部で特に重宝された。

(映画パンフレットの説明より)

 

 

≪特別クラスのご案内≫

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子どもの頃、なりたいものなんて、わからなかった

2019.03.08 Friday

(8歳くらいの頃)

 

小学生の頃とか、よく聞かれませんでしたか?「将来、何になりたい?」

 

まわりを見渡せば、「保母さん!」とか、みんなどんどん答えたり、書いたりしていました。わたしはこういうとき、いつも困っていたのです。なりたいものなんて、さっぱりわかりませんでした。

 

お絵かき好き、ピアノも好き、お外で遊ぶのも好き、水泳も、バレエも好き、本を読むのも好き、と、いろいろ好きなことはありましたし、毎日楽しく暮らしていたと思うのですが、

 

将来なりたいものになると、思い浮かびません。

 

10歳くらいの子どものわたしは、なりたいものには出会っていなかったのだと思います。

 

あの頃のわたしに、今の自分を見せたら、きっと驚きますね。太極拳なんて知らないし、こんな生き方もあるということも、知りませんでした。

 

 

でもそれよりも、わたしにとって、自由であることが、とても大事なのです。

 

長時間、おとなしく座っていることも苦手で、2時間の映画は、限界ギリギリラインです。

 

とあるワークショップに参加したとき、輪になって椅子に座るのですが、椅子の上であぐらをかいたり、片足を椅子にあげたり、ちょっと横向きになってみたり、と、あれこれするわたしに、

 

「なに、これ?これって、ありなんだ......」と、衝撃を受けた人がいたと、後から聞きました(もちゃもちゃ動く人は、わたしだけではないはずですが。)

 

 

日本の教育も、生意気を承知でいうならば、窮屈だと感じていました。進学するときにイギリスを選んだのは、「この窮屈さから、抜け出したい」と思ったことも、大きかったと思います。

 

違う文化に住むことは戸惑いもありますが、知らない間に当たり前になっていた枠を、たくさん取り払ってくれました。

 

たとえば授業中、無言でトイレに行ってしまう生徒がいる、とか、(学生のころ、授業中は、我慢するものだと思っていました)、

 

終業のチャイムがなって、まだ先生が熱弁をふるっていても、さっさと席を立って退出してしまう生徒がいる、とか、

 

最初は、「な、な、な、なんで出てっちゃうの?」と目を丸くしていました。

 

大学で学ぶことも、大きく違います。日本にも社会人大学生という制度はありますが、わたしの学生時代は、今ほどではなかったように思います。大学院に行く場合、ほとんどが大学を卒業してすぐに進学していたと思います。

 

でもイギリスでは、30代、40代の同級生も、たくさんいました。学部によっては、仕事の関係で派遣されてくる人もいますが、わたしがいた文学や歴史の学部だと、そいういう人は、ほとんどいませんでした。

 

40歳くらいの同級生が「働いたり、いろいろやって、今、学びたいと思ったから学校に来たの」と嬉しそうに話していたり、「子供が大きくなってきたから、勉強したくて」と言う人がいたりと、いろいろで、「學校は、いつでもやりたいときに戻ればいいんだ」と気づかせてくれました。

 

パートタイム学生とかも、あるのですよ。この時期は学校、この時期は仕事、と、できるわけです。制度自体が、とっても柔軟ですよね。

 

こんなことも、ありました。タイから来ていた学生は、自国で奨学金をもらっていたのですが、半年くらいで生活費が足りなくなりました。「イギリスの大学から生活費としてこのくらいかかる、と言われた金額を申請してもらって来たのだけど、実際には全然足りなかった。だから、今度はこの大学に、あなたの言った金額では足りなかったから、こちらで奨学金をくださいって、申請するんだ。」と、ニコニコと話すのです。

 

状況は気の毒だと思いつつ、「いやぁ、それは無理じゃないか」と思ってしまいました。でも、数週間後、この友人は「取れたよー」と満面の笑みで報告してくれたのです。びっくりです。諦めることはないのだ、と学びました。

 

今思うと、そのプロセスを最初から最後まで、ニコニコとやってのけた友人にも、びっくりします。ストレスもあったかもしれませんが、見た目には悲壮感ゼロ、怒りゼロ、です。「笑う門には、福来たる」とは、このことでしょうか。

 

そのほか、車が壊れたら「時間があるときに、自分で直す」という人々にびっくりしたり、

なみなみと注がれた紅茶がソーサーにこぼれたら、カップにじゃーっと戻し入れて飲むとか、

ハンカチは、鼻を噛んで、袖の中にしまうとか、小さな悲鳴を上げたいような衝撃もありましたが、

 

裸足で芝生の上にシートを敷いて、お茶やお菓子も用意して、ピクニックするように勉強したりと、自由の幅は、広がりました。

 

帰国した後、当然のことながら、同期という存在もなく、ちょっぴりさみしさもありましたが、それよりも、ほっとしたほうが大きかったかもしれません。

 

「もう、誰とも比べられなくて済むのだ」と、思ったからです。

 

実際には、その後も、人からの評価を気にしたり、人との比較を気にしたりと、まだまだ囚われることも多くありましたが、そういう経験をするたびに、「本当は自由でいたいのだ」と、自分の大切にしたいことを、あらためて感じてきたように思います。

 

競争は、気づかない間に、そんなつもりもなく、してしまうものです。そして、自分を追い詰めていきます。それがわかったのも、この経験があってこそです。

 

無駄な経験って、ありませんね。

 

今は、太極拳を教えることをしていますが、職業として「太極拳講師」と書くのも、ぴんと来ません。

 

ちょっと勇気を出してSNSで意見を聞いてみたら、ありがたいことに、いろいろ意見もらえました。聞いてみるものですね。「〇〇家、というのは、好きでやっている感じがしていい」とか、その中に太極道、ということばも出ていたように思います。それで、太極道家という肩書きを、作ってつけました(勝手に、です)。

 

太極拳を教えることは、ちゃんとその中に入っていますが、そこに限定されないわけです。その余白があるところが、いいのですよ。

 

ついつい、今でも生真面目になってしまうときもありますが、わたしの本分は、とにかく自由であることです。今はこれをしよう!と思うことしかわからず、来年はどうなっているのか、わかりません。

 

もちろん太極拳が大切なものであることは確かで、それは人生を生きることでもありますが、現実にどうやっていくかは、また別のことです。

 

今日は今日、明日は明日の風が吹く、ですよ。

 

そして、太極拳のように型(套路)があるものは、自由とは真逆のように見えるかもしれませんが、この型は、より自由になるための型なのだと、今は思っています。のびのび、自由に生きていいと教えてくれたのも、太極拳です。

 

最初の話に戻ると、10歳のわたしが「太極拳を教える人」という選択肢を持っていたとしても、結局、「将来なりたいものなんて、わからない」と言うと思います。

 

そして、聞かれるたびに、ちょっとした苦痛を感じることも、同じだろうと思います。でもその苦痛は違和感でもあり、「何かが違う」と気づくための1歩だったのかもしれないと思うと、これもやっぱり、無駄な経験ではないですよね。

 

自分なりに自由に生きて、人に「そんなの、あり?」と呆れられたり、驚かれたりしながら、「それでも生きていけるんだ、ありなんだ」と、ちょっと思ってくれる人がいたら、本望だと思っています。

 

 

≪特別クラスのご案内≫

3月10日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第2回 人体の中にある魚 です。詳細とご応募方法はこちら

 

3月17日(日)14:00-16:00は「ー5歳のハッピーウォーク」です。詳細とご応募方法はこちら

 

3月24日(日)13:00-15:00は、千葉県香取市(小見川)の「立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募はこちら

 

3月 31日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第19回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月7日(日)14:00-16:30は「やさしい站椿功:しあわせを呼ぶ7つのステップ第6回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

 

 

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「書く」こと

2019.02.01 Friday

(南紀白浜 アドベンチャーワールド。寝ているのは双子のパンダ、桜浜、桃浜のどちらか)

 

ときどき「文章が上手」とお褒めいただくことがあります。ありがたいことです。

 

「書く」ことは、好きな表現方法のひとつです。読んでくださる方がいて、何か伝わるものがあるのなら、うれしいです。

 

好きなことは、みんな違います。みんなが「書く」ことが好きだったり、得意だったりする必要はないと思っています。

 

でももしかしたら、書きたいけれども「なかなか書けない」方にとって、参考になるかもしれないと思い、影響を受けたことや大切にしてることを、書いてみることにしました。

 

コツというほどではありませんが、心にとめている5つです。

 

 

☀影響を受けたこと

 

最初になりたかった職業は、新聞記者でした。かないませんでしたが、時代の流れのおかげもあり、今、こうして書くことができているのですから、わからないものですね。(詳しくは、過去のブログ「夢はかなう」。)

 

きっかけは、友人の新聞記者がいたことです。

 

世の中で起きている出来事について話していたとき、友人のアツい思いも、いろいろと聞いていました。あるとき、そのひとつが記事になったとき、すごく不思議な感じがしたのです。「あれ?いつも言っていたように、書いていない」と。透明というか、さらっとしていて、いつものアツさは微塵も表現されていませんでした。

 

「なぜ、この前話していたみたいに書かないの?」とたずねてみると、

 

「記事は、事実を客観的に書くだけ。それをどう感じるかは、読者の自由だから。」

 

そうか、そうなのか、と思いました。確かに、「こんなことが起きた」と書いてあれば、「おかしい」と思ったり、「そういうものじゃないかしら」と思ったり、それぞれ自由に感じることができますよね。でも「こんなことが起きて、それはおかしい」と書かれてしまうと、視点がひとつに強制されてしまうようで、なんとも窮屈です。

 

感情は沸き起こるもので、強制されるものではありませんものね。

 

今、わたしは自分の思いや考えも、書いています。記事とは種類が違いますが、感情的になったり、押し付けにならないようにという点は、このときにもらった視点が役に立っています。

 

 

☀知らないことは、書けない

 

同じ頃、入社試験対策で。「○○について1000字で述べよ」という小論文を書く練習をしていました。でも話題によっては、まったく筆が進まないのです。それなりの知識がないと、何も書けないのだと知りました。

 

ニュースで聞いて知っているつもりでも、実は何もわかっていないこと、あるのですね。

 

「わかったふりなど、できるわけがない」という体験ができて、よかったです。

 

 

☀断言しない

 

「知っていることを書く」と書きましたが、実際には知らないことの方が多いですよね。違う意見もあるでしょうし、将来、自分の考えも変わるかもしれません。どこか余白を持っておいたり、疑いを持っておくことも、忘れないようにしています。

 

そして、どなたが読むかわからないため、その方の状況や状態によっては、受け取れない話もあると思っています。口頭だと相手を選べば話せることでも、文章では避ける話題もあります。悪気はなくても、無邪気に誰かを傷つけることは、出来る限り避けたいからです。

 

それでも、もしそういうことがあれば、ごめんなさい。

 

 

☀正直に書く

 

話すとき、教えるときと同様、「盛らず、卑下せず」正直に書くことを、何よりも大切にしています。

 

正直ではないときは、体の感覚に出ます。居心地が悪かったり、半分くらい幽体離脱しているような感覚、言い換えると地に足がついていない感覚になることも、あります。そうではなく、等身大のまま、出てくることばを書きたいと思っています。

 

これ、いい訓練にもなるのですよ。嘘をつかないことは、自分が何が好きで、何が嫌で、何をもとめているのか、わかりやすくなります。

 

そもそも「これがカッコいいよね」と書いたとしても、そう思うのは自分だけかもしれませんしね。それでは、まるで裸の王様です。

 

自分が正直に思っていることであれば、自分しかそう思っていなかったとしても、それでいいじゃないですか(と思っています)。

 

そして、今はこんなことを言っていますが、10代の頃は「思っていることをそのまま教えたりなんて、絶対にしないもんね」と思っていました。正直は正義ではありませんし、正直になれるタイミングも、人によってあるかもしれません。

 

 

☀きちんとした日本語を使う

 

特に強烈なキャラではないこともあり、できるだけ丁寧な日本語を心がけています。英語をカタカナで使うこともできる限り避けて、日本語で表現できるものは日本語で書きます。

 

英語のときは英語、日本語のときは日本語で、は、自分の中では守りたいルールです。

 

(...こんな項目なのに、「キャラ」と書いてしまい、さっそくすみません。)

 

 

☀それでも、ことばには限界がある

 

実際に誰かと一緒に何かを食べて、「これ、おいしいね」と言うとき、そこにある空気感とか雰囲気とか、含まれているあれこれは、文章では表現しきれないと思っています。

 

もし全部ことばにしようとすると、どんどん「それ」から外れていく気がするのです。冒頭の写真のパンダも、この存在をことばで表現しきることなど、とうていできません。

 

そんなことばでも、何かが誰かに伝わったときは、本当にうれしいです。行間まで感じてくださることも、あるのかもしれませんね。

 

 

読んでくださって、ありがとうございます。これからも、いつもそのときのタイミングで、書きたいことを正直に書いていきたいと思っています。

 

 

【特別クラスのご案内】

2月  3日(日)14:00-16:00は「やさしい站椿功第4回)」です。詳細とご応募方法はこちら

2月10日(日)14:00-16:30は「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」第1回 進化は背骨に現れる です。詳細とご応募方法はこちら

2月16日(土)14:00-16:00 は「しあわせひきよせ ハッピーウォーク」です。詳細とご応募はこちら

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

 

☀「陽だまり」とは

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違和感をなくしていくこと

2019.01.24 Thursday

 

「ありのままで」とか、「自分とつながる」とか、聞きますよね。

 

裏を返せば、本来の自分がわからなくて、探し求めるというのは、広く共通の願いなのだと感じます。

 

わたしも、これは幼少の頃から、違和感という感覚でやってきたように思います。

 

 

覚えている中での最初は、幼稚園に入る前です。

 

いつもトイレに入っているときだったのですが、「これが自分なのかなあ」と、ぼんやり宙を見ながら、違和感を感じていました。

 

これ、という肉体が、自分であることが、不思議なのです。

 

大人になってからその話をすると、「魂だった頃の記憶がまだ残っている頃だからじゃない?魂は、いつでも自由にどこでも行けるでしょう。でも肉体に入ると、そうはいかなくて、制限がある。それに慣れていないのじゃないかしら。」と言ってくれた人がいました。

 

この世に生まれてきたことに、まだ馴染んでいなかった頃なのかもしれません。

 

 

もうちょっと大きくなって成人したとき、今度は外国語に違和感を覚えました。英語で話すとき、自分から発せられている感覚がないのです。

 

大学生になって、授業の半分が英語になって、そこそこ英語を使う環境になったおかげで、それなりにコミュニケーションがとれるくらいにはなったのですが(こういうとき、日本の高等教育の底力を感じます)、

 

それでも「でぃす いず あんな あぽー (This is an apple.)」という言葉を発しても、まるで実感がないわけです。

 

当時は英文学を専攻していて、「これは文化だ。実感がないまま勉強してもダメだ」と思い、海外に進学することにしました。英語で日常生活を送って、文化や習慣にどっぷりつかれば、自分が発する言葉に実感が出るかもしれない、と思ったのです。

 

果たしてそれは、その通りになりました。

 

面白かったのは、感情表現は、日本語でも英語でも、似たような感じになることです。たとえば、心が痛いは、aching heartですよね。「感じたとおりに、そのまま言えばいいのだ」と思ったことを覚えています。

 

外国語を話すときに自分ではないみたい、という感覚は、その後、中国語を習うようになったときには、レベルはさておきですが、もう感じません。言語の種類はどうであれ、自分と言葉を結ぶ回路が、開通したのかもしれません。

 

 

もっと最近になって感じた違和感は、話すとき、書くとき、歌うときです。

 

話す、書く、については、以前もブログに書いたことがあるとおり、ここ3年くらい「盛らず、卑下せず、等身大で」を心がけています。話すペースは、自分のありのままの呼吸に合っていれば、心地よく話すことができます。

 

昔は、緊張すると早口になって、酸欠状態になっていました。しかもそれを「一生懸命やっているからだ」と、勘違いしていたのです。あるときそう話したら「でもさ、それ絶対、体に悪いよね」と言われて、ちーんと撃沈したわけです。あほですね。

 

歌については、ごく最近です。

 

昨年末、すごく久しぶりに人前で歌う機会がありました。アカペラ、マイクなしです。「歌えるのだろうか」とドキドキしながらやってみたら、けっこう気持ち良かったのです。

 

もっと歌いたくなって、先日「たまうた」の会に参加しました。魂と繋がる歌の唄い方、を略して、たまうた、です。

 

発声や歌唱指導ではないですし、上手い下手、自信のある、なしは、関係ありません。

 

深くその趣旨を理解して参加を決めたわけではありませんが、「自分として違和感なく歌いたいから」と選んだものとしては、良かったと思います。

 

2週間くらい前に参加を決め、歌いたい歌も決めました。歌いたいと思った二曲、「ジュピター」と「瞳をとじて」です。

 

どちらも、いわゆる持ち歌ではなく、歌ったこともありません。歌詞も覚えていないのに、準備を始めたのは4日前です。

 

最初は、音源に音程を合わせ、歌詞を覚えるところからです。進んでくると、その歌手(平原綾香さんと平井堅さん)を真似をしようとしている自分に気づきます。

 

「いやいや、そうではないのだ。わたしはわたしの歌を歌いたいのだ」と振り切り、できるだけ素直に歌うことを心がけました。

 

歌うとき、特に高音部のところには、ずっと違和感がありました。そこにくると、自分から外れる気がするのです。響く位置が、頭の上の方になってくるかもしれません。

 

「そうではなく、全身で歌いたいのだ。自分から外れずに歌いたいのだ。」

 

つまり、違和感なく、自分が歌っていると、感じたいのです。

 

さらにいえば、ときどき見る夢、「全然覚えていないのに、本番がきちゃったー」といのがあるのですが、今回は、「それでも堂々と歌うのだ。できることしか、できないのだから」と開き直りました。お客さんにお金を払っていただくものではありませんしね。

 

さて当日になり、体をほぐしたり、心を落ち着けた後に、いよいよ一人ずつ歌う時間がやってきます。

 

歌うたびに、ガイドしてくださる方が、いろいろアドバイスしてくださいます。

 

最初の印象は「体に合わない服を着ているような感じ」だったようで、

 

「もっと大きいから、お相撲さんみたいに、しこを踏みながら歌って」というのです。実際に手を横に広げて、しこふみです(笑)。やってみると、声が変わりました。

 

ひとつやると「もうちょっとやるね」と、次々にアドバイスがきます。

 

「次はもっと、意識を遠くまで広げてみて」

「体の内側を感じてみて」

「体の表面も感じてみて」

 

などなど。そのたびに、声が変わります。「へえ、こんな声が出るんだ」と、自分でも驚いたり、高い声も、きゅっとなることなく、自分から意識が飛び出ることなく、そのまま全身で出せた気がします。

 

 

自分のことは、自分ではわからないものです。太極拳は、自分を感じるものなので、普段から鍛錬を積んでいるとは思っていますが、それでもわからないものです。だから、他人の助けは、ありがたいです。

 

わたしの場合、「素直なのかな、どんどん変わる」と言われたのですが、もしかしたら普段から自分を感じようとしていると、アドバイスをもらったときに、するっと受け入れやすいのかもしれません。

 

自分がないままアドバイスされると、それにぶんぶんと振り回されたり、怖さで抵抗したりするかもしれないと思うのです。そうだとしたら、それはそれで必要なプロセスですけれどもね。

 

 

自分の存在にしても、言葉にしても、歌にしても、ありのままの自分とぴたっと合ったときは、世界を構成するパーツのひとつであるわたしが、世界にぴたっと合うときのような感じがします。それは、太極拳をしているときにも、やってくる感覚です。

 

こうなると、自分とつながるだけではなく、世界ともつながることになります。

 

宇宙とともに動き始めます。

 

意識が広がれば、日常のこまごまとした不安も気にならなくなります。至福感も、広がります。

 

そういえば、「瞳をとじて」を歌ったとき、「幸せそう」という感想もいただきました。あの歌は、悲しいことがあった歌だと思うのですが、生きる希望とか強さとかも感じさせてくれるから、それは、しあわせなのかもしれません。

 

内にも外にも、可能性は無限大。

違和感がなくなって、もっともっと自分に期待できるのはいいな、と思います。年を重ねていってもね。

 

 

※たまうたをガイドしてくれたのは、お友達のまえだはるこさんです。

 

 

 

【特別クラスのご案内】

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月  3日(日)14:00-16:00は「やさしい站椿功第4回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月10日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第1回 進化は背骨に現れる です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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