映画「メッセージ」を観て

2017.06.19 Monday

(「メッセージ」パンフレットから)

 

とっても観たかった映画「メッセージ」を観ました。

 

ある日突然、正体不明の巨大な飛行物体が地球にやってきて、彼らが人類に伝えようとしているメッセージを解読していく、というようなストーリーです。

 

これ以上どう説明したらよいか、わかりませんが、最初と最後に号泣していました。

 

わからないながらも響いたのは、時間は、過去→現在→未来という線ではない、という点です。

 

時空を超えるというテーマは、「インターステラ―」でも扱われていました。あの映画もよくわからなくて、公開中に3回、観に行きました。

 

そして、この時間は線ではないというテーマは、わたしが大学生だったときの研究テーマにもつながるのです(専攻は、英文学です)。

 

よくわからないというのは、少なくとも言語という方法では、わたしには表現できないのだと思います。でも、これだけ泣いたり、魅かれるのは、ここに何か大切なことを感じているのかもしれません。

 

「理由もなく涙がでるときは、○○のときだ」と分析することがあります。わたしにも、過去にそういうときが何度かありました。泣いているときにはわからなくても、後からその理由がなんとなくわかるようになることもあります。

 

今は便利な時代で、インターネットでサクサクひけば、いろいろな情報が出てきます。理由もなく涙が出るとき、なんていうものも、出てくるでしょう。でもそんなこと、すぐにわからなくても良いのではないかと思うのです。わからないものは、そのモヤモヤを大切に持ち続けて、じっくり探していけばよいような気がするのです。

 

すぐに答えを探すことが、悪いわけではありません。わたしも、そうするときもあります。でも、誰かの答えを読んでしまうことで、いろいろ広がるかもしれない可能性を狭めてしまうこともあります。それは、もったいない気がします。

 

そんなに急がなくてもよいし、いつも答えを明確にしなくてもよい、と思うのです。「何かを感じる」経験は、それだけでも十分だと思うのです。

 

それにしても、すごいなぁと思うのは、「インターステラ―」にしても、「メッセージ」にしても、わたしが言語では表現できない「何か」を、映画という方法で表現できる人がいる、ということです。世の中には、いろいろな才能の方がいらっしゃるわけですね。

 

そしてわたしは、今の自分には「わからない」としか表現できないけれども、確実に感じている「何か」を、別の方法で表現していくのだと思うのです。

 

ちっとも映画紹介になっていませんが、「メッセージ」、おすすめです。もう一度、観ようと思っています。

 

「メッセージ」オフィシャルサイトは、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


ONとOFFは、切り替えるのか?

2017.06.12 Monday

 

「ONとOFFを切り替える」という表現があります。果たしてそうなのでしょうか?

 

数年前、「ONとOFF、仕事しているときの自分と、プライベートの自分と切り替えるという人がいるけれども、見方を変えれば、それは分裂だよ」と話していくれた人がいます。

 

そもそも同じ人なのに、場面によって違う人格(おおげさな表現ですが)になるのは、丸ごとの自分で存在していないことになります。それが長い時間、続くことによって、自分に負担をかけていくような気がします。

 

ここ数年で大切にしていることは、”いつも同じ自分でいること”です。カッコつけたり、卑下したりせず、等身大でいることです。

 

教えるときも、ブログを書くときも、人に会うとき、仕事関係の人でも、プライベートでも、です。

 

でも、昔はそうではありませんでした。いつから等身大の自分ではなくなったかというと、子供の頃までさかのぼります。

 

小学生の頃、作文を書くときには、「こう書けば、印象的な感じになる」という「”スキル"を多用していた記憶があります。

 

両親が喜ぶだろう」と思うこと言った記憶もあります。子供なら誰でもあるかもしれません。子供は、親を喜ばせたくて生まれてきたのですから。

 

大人になって、仕事でワークショップをするときは、うまくまとめるために役割を演じていたような気がします。それで良いのだと思っていました。

 

どれも悪気はありません。どれも誰かに迷惑をかけたわけでもありません。でも、まるごとの自分ではなかったと思います。それは、一番大切な自分に、ウソをつかせていた気がします。

 

気づいたのは、あるワークショップを開催したときのことです。研修の一環としてビデオに記録していたので、後から振りかえることができました。

 

進行や仕切りという点では、上手かったと言えますし、参加者のみなさんも、とても満足してくださいました。でも、違和感を感じるのです。

 

ビデオを見てくれた友人は、「なんかこれ、わたしが知っているあなたではない」とバッサリ。それで気づきました。そうだ、これはわたしではなく、わたしが演じている人なのだ、と。

 

その頃、太極拳も教え始めていたのですが、”先生役”を演じているようなところがありました。結果が悪かったわけではなくく、むしろアンケートを取れば”大満足”と”満足”ばかりでした。でも、教えることは、生徒さんを満足させることとは違います。体験を通して、それぞれが必要なことに気づいて、育っていくための、育てていくためのものだと思うのです。

 

でも、それまでのわたしがやっていたことは、予定調和というか、安全な域を出ないように囲うようなやり方でした。突発的なことに対応すること(誰かの驚くような発言とか行動)でさえも、自分の中では想定内でした。

 

でも、わたしが大切にしたいのは、誰もが正直にいられることです。複数の人に何かをやった場合、「それはぴんと来ない」とか、「違和感を感じる」ということがあっても当たり前ですし、それを言える場所を作ることです。

 

それから、教え方を変えました。常に丸ごとの自分でいるようにして、想定を設けないようになりました。いつも100%できているわけではありませんが、何よりも自分の幸せ度は高くなりました。

 

これは、あくまでもわたしの経験ですので、みなさんにぴったりくるわけではないかもしれません。でも、ONとOFFを切り替えることをする前に、それは自分にとってどういうことなのか、ちょっと考えてみても良いと思います。自分が大切にしたいものは、切り替えることにはない場合も、あるかもしれません。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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手放す

2017.05.29 Monday

(オーラソーマ B109 大天使ザカリエル [マゼンタ/ミッドトーンオリーブ])

 

昨日、オーラソーマの「手放しのコンサルテーション」というセッションを受けました。このところ”手放すこと”が意識に上がってきているからです。

 

きかっけは、ぼんやりと感じた行き詰まり感でした。何か不満があるわけではないけれど、違和感があるのです。相談した人から「望んでいたことが叶ってしまって、それは居心地が良いけれど、逆に守りに入って出られない状態にあるのでは」と言われました。

 

「守りに入っているときは、自分の価値観を壊す方が良い。ありえない、と思う人の話を聞いてみるとか、ショックを受けるくらいの経験をする方が良い」と言われ......

 

今までとは違うことを、いろいろとしてみました。これまでは、”自分の思いを大切にする”ことを最優先にしてきたので、”これ!”と思うことしかしないのですが、「価値観を壊す」がテーマのため、「えーっ......」と思うようなものに手を出すわけです(注:決して手を出した先に何か問題がある、と言いたいわけではありません。)半泣き状態です。

 

いろいろやってみたことは良かったのですが、気が進まないことにも手を出すためか(注:繰り返しますが、手を出した先に問題があるわけではありません)、混乱もしますし、いろんなものに触れすぎたためか、例えるなら”溺れそう”な状態になりました。

 

そんな状況を相談してみたら、「しばらくは、手放すもの、これから育てるものをゆっくり選んでいく時期。これまで大事にしてきたものの中にも、もういらないものがあるかも」というアドバイスをいただきました。

 

さて、そんな状況で受けたオーラソーマ。15年くらい前に少し勉強したことがあって、セッションをお願いしたのは、そのときの先生、アマーリエの上野香緒里さん。おそらくお会いするのは、10年振りくらいです。

 

オーラソーマは、上下2色の115本のボトルの中から、直感で4本を選びます。順番には、次のような意味があります。

1本目:魂

2本目:今のチャレンジ、もしくは課題を乗り越えた後にやってくるギフトやタレント

3本目:今の状態

4本目:これからの可能性を示す未来

 

「この中でどれが一番気になりますか?」と聞かれて答えたのが、1本目に選んだB109(マゼンタ/ミッドトーンオリーブ)です。大天使ザカリエルという名前で、”愛の中の誠実さ”、”自分が既に許されていることを思いだす”ボトルだそうです。

 

「どんな感じがする?」と聞かれて、ボトルをじっと見て、「喜び。草原に野原が咲いているイメージ」と答えました。

 

オーラソーマのボトルは、一斉に誕生したのではなく、順番に誕生しています。このB109は、震災の少し後に誕生したボトルで、最近、セッションで選ぶ人が多いとか。ある時期に特定のボトルがよく選ばれることは、よくあるのだそうです。

 

既に許されている、という意味は、「何か悪いことをして、罪を償って、許してもらうというプロセスではなく、最初から○○は怒っていなかったのだ(起こっていなかたのだ)と気づくこと」なのだそうです。

 

最近、よく思うことは、”苦労などせずとも、人は幸せに生きていけるはず"ということです。

 

”若い頃の苦労は買ってでもしろ”ということわざがあります。"闇が深い分だけ光も大きい"、という表現は、苦しみの渦中にいる人にとっては救いの言葉になるかもしれません。

 

でも、苦労とか苦しみは、本当に必要なのでしょうか?

 

わたしの過去を振り返ると、大変なとき、つらいときもありました。「なんでこんな思いをするんだろう」という悲しみ、後悔、憎しみのような思いから、抜けられなかったときもあります。でも今から思うと、それは自分がそうしていただけなのです。

 

まさにこのボトルが示すように、”最初からそれは、怒っていなかった(起こっていなかった)”のです。起きていないものを、起こしたのは自分で、大きく育てたのも自分です。

 

客観的に見れば、Мの極みですよね。苦しいことで、自分の存在を感じようとしていたのかもしれません。自分を傷つけることでしか存在を感じられないことは、実はよくあることです。

 

経験したことは後悔していませんし、あのときがあるから今の自分があるのも事実です。でも、それを辛いものにしていたのは自分であることも事実です。

 

そう思うと、自分が幸せに生きると決めさえすれば、苦しみなんてないのではないか、と思うのです。根拠のない確信です。

 

もちろん、困難や嫌なこともやってきます。もしそれを自分で育てれば、そしてそこに居続けると決めたら、苦しみが続きますが、違う選択をすることもできるはずです。受け止め方次第のような気がするのです。

 

生まれた時は、うれしいこと、悲しいこと、ひとつ一つを経験しながら感じていったのだと思います。”これ好き!楽しい”と、”これ嫌い”は、ベクトルは違っても、ひとつの経験であることは同じです。「へええ、これが嫌だということか〜」みたいに、新鮮な驚きを持って感じたような気がするのです。

 

神様というものがいるのであれば(人によっては宇宙と呼んだり、大いなる源と呼んだり、愛と呼んだり、どうにもこうにも呼び名がないので、それぞれ自分なりにしっくりくる名前で呼んでいるのでしょう)、不幸を願って人を創造したわけではないと思います。地球には人が必要です。人は、環境を破壊しているという面もありますが、そもそもそういう意図で生まれたのではないはずです。どう考えても、幸せに生きるようになっているような気がするのです。

 

マゼンタは、天からの神聖な愛を表し、その愛を地上に降ろすサポートをする色でもあります。

 

オリーブグリーンには、「苦味を甘味に変える」という意味もあります。苦いことを味わったから甘さがわかる、ではありません。そこには希望があります。競争ではなく、共同創造をすることを選び、その橋渡しをするという意味もあります。

 

幸せに生きると決めて、その通りに生きること。

 

「いやいや、そうは言っても」という自分のエゴの声も聞こえてきますが、根拠のない確信の声もあるのです。「大丈夫、幸せに生きていけるよ。」と。それをどれだけ信じきれるかが、一番の修行ですね、きっと。

 

このボトルを1本目に選んだことが、単純にうれしいです。一番に出てきた感想が、「喜び」ですしね。

 

そして”手放し”は、継続中です。モノや思いやなど、いろいろやってきましたし、まだまだありそうです。それについてはまた別の機会に書きますね。

 

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☀上野香緒里さんがブログで「愛はカミサマの知性〜大天使ザカリエル」を書いてくださっています。1本目に選んだわたしの話もちょっと登場しています。こちらからどうぞ。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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赤信号は、止まれのサイン

2017.05.26 Friday

青信号は渡る、赤信号なら止まる、という交通ルールは誰でも知っており、守らないと危険ですよね。

 

同じように人生という道にも、「赤信号のとき」は、あるのですよ。でも、決まったサインで示されるわけではないため、気づかずに見逃したり、見なかったことにしたり、ワザと無視してみたり(悪気はなく、です)、ということがたくさん起きます。

 

わたしが痒疹(ようしん)という皮膚疾患を患わったとき、セカンドオピニオンを聞くために訪れたお医者さんから言われた言葉があります。

 

「これは、治りますよ。でもその前に、どうしてこれが起きているのかをお話しないとね。信号、ありますよね。青は渡ってよいけれど、赤は止まれ、です。あなたの場合は、赤でも無理やり渡ろうとしています。それは無理でしょう。」

 

当時のわたしの状態を、わかりやすく例えてくださいました。

 

赤信号のサインは、それまでもいくつか出ていました。

 

肩こりがひどかったり(万年なので、カタイのが普通だと開き直っていました)、

じんましんが出たり(忙しいと出る体質なのだ、と開き直っていました)、

仕事でプレゼンをしているとき、息が足りなくなったり(一生懸命に話している証拠だと、勘違いしていました)、

 

それでも気づかないので、もうちょっとわかりやすく、首から下の全身に湿疹を出してきたのかもしれません。

 

湿疹は、美しくありません。最初は「醜いから嫌だ」と、避けました。

 

それでも体はしつこくサインを送ってきます(今から思うと、必死に、真摯に、ですが)。一度改善したものが、再度ひどくなったとき(再度ひどくなるというのは、一度目より重症です)、困ってお話を聞きに行ったのが、冒頭の先生のところでした。

 

先生のお話を聞いて、自分に向かって、心から「ごめんなさい」と謝りました。自分の体を守れるのは、自分だけなのに。そのわたしが「醜いから嫌」と、なんてひどいことを言ってしまったのだろう、と。「これからは絶対に、わたしがあなた(=わたし)を守るから。」と、誓いました。

 

ひとつの大きな転機でした。

 

先日、友人たちと話をしていたときに、「どうして何もしていないと、そのままでいられないんだろうね」という話になりました。何かをしなければならない、というような焦燥感にかられたり、何もしていない、という罪悪感で自分を責めたり。それは違うと頭では知っていても、ついやってしまうときがあります。

 

本当は、生きているだけでも十分なのに。

 

「何もしていない」「止まっている」と言いますが、人は、絶対に止まることはありません。息はしているし、心臓も動くし、血液は全身をめぐります。細胞も、どんどんと入れ替わっています。人と鉄筋コンクリートの建物の耐用性を比べるときに、建物はいちど造ればそのままですが、人の体はどんどん新しく再生して長く耐用できます。

 

熱がでるのは、休ませるため、という話もあります。ダメージが大きいときには、休んで修復や再生にたっぷり時間とエネルギーを使えるようにしてあげることも大切です。休むことは、何もしていないわけではないのです。

 

前を向いて生きる、と言いますよね。それには賛成です。タイムマシンに乗って後ろには行けないですし。でも、前に進もうと無理やりしなくても、前を向いて足を前に出しさえすれば、進めます。

 

よくある普通の歩き方は、前のめりで、転びながら歩くと言います。転ぶ手前で前足を出して踏ん張るのです。これに対して太極拳の歩き方は、前に足を出したらその上にまっすぐ乗るだけです。前に足を出したときに障害物があれば、踏むところを変えます。安全が確認できるまで、体重は後ろ足に置いたままです。

 

この歩き方、山歩きにも共通していると教えてもらったことがあります。先のながーい道を見るよりも、足もとの一歩だけを考えて、その上に乗ることを繰り返していく、というものでした。同じですよね。

 

結果としては、前に進みます。気が付いたら、「思えば遠くに来たもんだ」ということも。

 

足もとが危ないときは、どこに前足を置けばいいか、時間をかけて探ることも必要です。長い人生では、そのくらいの時間、たいしたことはありません。そして意外と自分だけが気にしていて、他人は気づかなかったりします。「あれっ?休んでいたっけ?」みたいな感じです。

 

一生懸命に頑張る人ほど、休むことを学ぶ必要があるのかもしれませんね。自戒を込めて、ですが。

 

そして、体からの赤信号サインに気づいてあげられる自分でいることが、自分を危険から救う唯一の道だと思っています。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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花粉症、やめました

2017.04.25 Tuesday

 

花粉症を発症してから10年ほど、このところは症状も軽く、薬は飲まずに過ごせていますが、予防のマスクは手放せませんでした。

 

でも花粉症、やめました。3月末に。

 

まだまだスギ花粉はまっさかり、その後はヒノキ花粉の季節ですが、今のところ調子は上々です。

 

花粉症も、拒否反応のひとつとも言えます。何かを異物と認定し、予防すべき対象として、戦っている証拠です。でもほんとうに戦う必要はあるのでしょうか?

 

確かに、都会の花粉の量は一昔前よりも異常に多く、バランスを崩していると言えます。でも自分の目に映しだされている世界が自分の内面の鏡であると考えるなら、異常に多い花粉量も、自分の内側のアンバランスを表しているだけかもしれません。

 

そして、今の”自然”が「これ」であることも事実です。地球も人も生きているなら進化するのは当たり前のことで、前の状態とちがっていることだけで”異常”と見るのは、おかしなことかもしれません。

 

ありのままの今の自然が「これ」なのであれば、それは予防する対象ではないのだと思って、マスクを外しました。日によっては、「この後、くしゃみが止まらなくなると困るな」という予定がある日もあったのですが、それでも「いやいや、大丈夫なのだ」と腹をくくりました。だって、もう花粉症はやめたのですもの。

 

「大量花粉!」という予報が出る日も多くあり、くしゃみが出ることもありますが、かめばよいだけです。そんなときは、自分の体に向けて、「戦わなくても良いんだよ」と声をかけます。

 

人によっては、やりたくないことをやらないための言い訳として花粉症になっていることも、あるそうです。たとえば、人付き合いが苦手でバーベキューパーティに誘われても行きたくないため、うまく断るために、花粉症を発症していることもあるとか。

 

違う角度から見れば、人付き合いをしなければならないと思っていることがストレスになって、アレルギーを発症させている、ともいえるかもしれません。いずれにしても、自己防衛のひとつの手段ですよね。

 

花粉症のおかげでやりたくないことを無理してやっていたり、やらねばならないと思っていること気づいたなら、体に「ありがとう」と声をかけて、自らの意志で無理をかけているところを解決してみたら、花粉症のお世話ならなくても済むかもしれません。

 

そもそも、花粉症だと認めたところで、症状が出ることを許可してしまっています。許可したら、さらに悪化することもあり得ます。

 

「病は気から」と言いますしね。

 

花粉症をやめたという話をしたら、同じように、意識を変えることで症状がでなくなった方が、何人もいらっしゃいました。すべての人に当てはまるかどうかはわかりませんが、やってみる価値はあると思います。

 

花粉症でいるのも、やめるのも、自由です。どちらも自由なら、どちらを選びたいかを考えてみたら......わたしはそれで、花粉症をやめました。

 

またくしゃみが出ることもあるかもしれませんが、気にせず、戦わずに過ごそうと思います。

 

☀「陽だまり」とは

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