7年後に訪れた終わり

2020.09.26 Saturday

(Photo by Xie Okajima)

 

先日、約7年ぶりに、かつての知り合いと街ですれ違いました。

 

顔は合わせていません。正面ではなく、距離があり、通りすぎた後に声で気づいたからです。

 

大きな恩もあれば、激しい確執もあった人で、もう会うことはないと思っていたため、ちょっと動揺しました。振り返りは、しませんでした。おそらく、相手は気づいていないと思います。

 

正面で出会わなかったことが、神様の采配のように思えました。

 

しばらく自分の中で留めた後、当時のことを知る人に、話を聞いてもらいました。

 

聞いてくれた人は「離れた人と、そんな風に会うときは、そのことが終わった、ということじゃないかな」と話してくれました。ご自分にも、そんな体験が何度かあるのだそうです。

 

続けて「もう大丈夫でしょう。よく頑張ったと思う。めいっぱい自分を褒めてあげていいところだと思うよ。」と言ってくださいました。

 

約7年前、離れたときには、離れた後悔や、「どうして上手くできなかったのだろう」と自分を責めたり、相手を非難したり、いろいろな気持ちがありました。

 

もう、そんな気持ちは残っていません。

 

このことは、誰が悪いわけではなく、単純に合わない組み合わせだっただけだと思うのですが、合わないものをなんとかしようとして、うまくできなかったことに、疲弊しきって、傷も大きかったと思います。

 

あまり自覚症状のなかったわたしに、「今は羽が折れているから、飛べるわけがない。必ず飛べるようになるから。でもそれは、今じゃない」と言ってくれた人もいました。

 

冷静に考えたら、どうしようもないものを、どうにかしようと奮闘していたわけですから、それは消耗しますよね。

 

ただ当時は、本気でそれを、どうにかしようと思って、どうにかできると信じていました。わたしという人は、自分でやれるだけやりきってからではないと、「これは無理だ」と納得できないようです。

 

今回、話を聞いてもらった人は、カンも強い人なので、そこから離れない限り、わたしの可能性は広がらないとわかっていたそうです。

 

「でもそんなこと、当時、あなたに言わなかったでしょ」と。

 

「先が見えていても、それは99%の確率でしかないし、もしかしたらひっくりかえせるかもしれない。何よりも、あなたが自分で決めて離れることが大事だと思っていた。でも、それは辛いから、壊れてしまわないように、その間はそばにいようと思った。」

 

ものすごく、ありがたかったです。

 

当時は、その人だけではなく、まわりにいた友人たちにも、何度も話を聞いてもらっていました。泣きながら、何度も同じ話をするわたしを、何度でも聞いてくれて、「どうしてそれでもそこにいるの?」と言われたことはありましたが、「やめるべきだ」と言った人は、いませんでした。

 

羽が折れながらも、なんとか乗り切れたのは、そうやって、ただ話を聞いてくれた人たちがいたからだと思います。感謝しかありません。

 

そして、あの経験があるからこそ、自分が大切にしたいことがわかったし、今があると思っています。

 

 

その人は、わたしの背中をたくさん押してくれた人でした。

 

ただ途中から、制御されるようになりました。自分を押さえろとか、「目立つから、一番後ろに下がれ」と言われて、必要だから言っているのだろうと頑張ってみました。でも、そもそもわたしに目立ちたい気持ちはなく、自然にふるまっているとそうなるだけです。それを我慢するのは、不自然です。

 

自分を押さえろ、というのは、当時のわたしには必要なことだったのかもしれません。

 

ただ、最後の結果だけ変えようとするのは、どうしても無理があります。そうではなく、そこに至る道のりの中で、すべきことがあって、それをしていけば結果として変わるという方法でないと、うまくいかないと思っています。

 

それは、今、わたしが教える仕事をしているときに、一番大切にしていることでもあります。

 

見た目にわかるのは、結果です。太極拳だと、それは套路という型になります。

 

でも、套路という型だけを教えると、中身がスカスカで、表だけ取り繕っているハリボテみたいなものが出来上がります。表面的にかっこよく美しく動けたとしても、その人の中から花が開いていくような発展性は、ありません。

 

太極拳の套路は、これをして、これをするという結果として、カタチになるものです。最後のカタチより、そこに至るまでの行程が大切です。

 

そもそも、「〇〇をするな」と言うと、人は絶対にそれをしてしまうものです。

 

よく例えとして「ピンクのぶたの貯金箱を思い浮かべない、とすると、絶対にピンクがちらつく」という話をします。そうじゃありませんか?

 

わたしも指摘するときには、わかってもらうために「〇〇をしない」と言いますが、直すときには、「〇をして、〇をする」とアドバイスします。そうでないと、できないからです。

 

そしてもうひとつ、どんなにそれが必要なことでも、押し付けはうまくいきません。

 

型にはめることは、底上げにはなりますし、ある程度の結果も出るでしょう。でもそれは、それまでの誰かの規範に無理やり合わせるだけで、一方でその人の個性や特性は失われていきます。

 

わたしは、型にはまることが極端に苦手で、とにかく自由でのびのびとしていたい人です。

 

すでにあるものを広めることには興味がなく、自分の中から出てくるものを大事にしたいと思っています。今、細々と自分でやっているのは、大切にしたいことを、大切にしたいからです。

 

すでにあるものにも、もちろん価値はありますが、そういうものは大抵、他にきちっとやってくれる人がいます。そういう人、それをやりたい人に任せた方がうまく行くでしょう。

 

でも、あの頃のわたしは、「これをしてはいけない」「これは我慢だ」と、どんどん委縮していって、最後は動けなくなり、不整脈が出たときには、さすがに「これでは危ない」と思い、距離を取るようになりました。

 

そんなわたしの態度は、さらに怒らせることになり、結局、離れることなりました。

 

 

7年たって、自分の未熟さが引き起こしたことだと自覚しつつ、結果としては離れてよかったと思っています。

 

教えるとき、わたしも時々、すごく厳しいことがあります。どんな人でも価値ある存在だと思っていますが、だからと言って、何をやってもいいわけではありません。

 

套路という型を覚えないことや、何かができないことで怒ったことはありません。そうではなく、何かをごまかしたり、逃げが見えたときです。

 

そこでごまかしたり、逃げたらもったいないですし、それは学ぶ姿勢ではないと思っているからです。

 

受け取る、受け取らないは、相手の自由です。受け取らなかったとしても、執着しません。タイミングもあることですから。そして、わたしが100%正しいわけも、ありません。受け取った人が好きで、受け取らない人は嫌い、ということも、ありません。

 

こんなとき、大切なのは、相手の可能性を信頼することだと思っています。そこに愛はあるか、みたいな感じです。

 

愛と忍耐、かしらね。

 

 

人それぞれ、特性が違います。わたしと、わたしが離れた人は、大切にしたいことが違っていただけです。どちらがいいという話ではなく、それぞれでいいし、それぞれに合った人と一緒にいれば、それでいいと思っています。

 

それがわかったのは、その人のおかげでもあります。

 

今度こそ、もう会うことはないと思いますし、関わることもないと思いますが、しあわせに生きていってくれたらいいな、と心から思います。

 

 

7年間、思いだすことが辛くて、保留箱に入れていた期間も長かったのですが、「なかったことにしてはいけない。保留箱に蓋をしてはいけない」と言ってくれた人のおかげで、いいタイミングで、自然に解放することができた気がします。

 

7年と言うと、長いようですが、意外と短かった気がします。どうやらわたしは、ゆっくり生きるタイプのようで、犬が散歩するときに、あちこち立ち止まってクンクンするように、まっすぐ効率的には歩けません。

 

 

もうひとつ、今回のことで感じるのは、ただ側にいて、話を聞く大切さです。人は間違ったこともしますし、やめた方がいいと思われるようなこともしますが、本人がやりたい限り、その思いをできるだけ尊重する人でいたいと思っています。

 

それは、人は自分で学ぶ力があると、その人を信じることでもありますよね。

 

 

ひとつ乗り越えて終わったら、次がはじまります。ちょうど、明日は誕生日ですし、生まれてきたこと、生きていることに感謝して、大切なことを大切にして、楽しく生きていこうと思います。

 

生きることは、大変なこともありますが、やっぱりいいですよね。

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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    「癒し」とは?

    2020.09.25 Friday

    (Photo by Xie Okajima)

     

    「癒し」と言いますよね。

     

    あまりにふつうで、深く考えたことはなかったのですが、ふと、「癒しって、なんだろう?」と、思うことありました。

     

    ほっとしたり、リラックスできたり、緊張が緩んだり、そんなイメージですよね。それって、何が起きているのでしょう。

     

    なんとなくですが、自分の真ん中に戻ることだと思うのです。

     

    気が舞い上がっているときは、真ん中から外れて、ふわっと上に幽体離脱して、幽霊みたいな感じです。大地に足が着いていなければ、この世を現実的に進むことも、難しいでしょう。

     

    気が落ち込んでいるときは、本来の大きさよりも、極端に小さく、硬くなっている感じです。


    弱い自分を守るために、縮こまることもある気がするので、必要なときもあるかもしれません。防衛本能のひとつとして、です。

     

    でも、これがずっと続くと、締め切ったドアのように、開け方を忘れてしまったり、開けて外に出ることが怖くなりそうですよね。見ている方も、辛いでしょう。

     

    自分の真ん中に戻るとは、本来の自分として生きることです。

     

    わたしはどんなことが好きで

    どんな特性があって

    この世でどんなことがしたいのか

     

    わかっていて、行動できる状態です。

     

    人それぞれですから、花にたとえるなら、赤や黄色、白、いろんな色や形があります。赤い花は、白に憧れても、白にはなれません。

     

    最初は、自分がどんな花なのか、わかりません。あれこれ経験して、「これは好き」「これは嫌い」と知っていくうちに、「そうか、わたしは赤い花なのだ」と気づいていくのだと思います。それに必要な時間も、人それぞれですよね。

     

    赤い花が、堂々と赤い花を咲かせたら、白や黄色の花も喜びますよね。世界は色とりどりになり、その美しさに、そこにいる存在みんなが喜びます。

     

    こんな風に、宇宙には、それぞれ自分だけのスペースがあるような気がします。

     

    自分が真ん中に戻ると、宇宙パズルの”自分ピース”にぴたっと合って、

     

    宇宙と繋がって、動き始めるような気がします。

     

    すると、大きなものに繋がっている、絶対的な安心感も、感じられるかもしれません。

    そして個としてちまちま動くより、宇宙の動きと同期してしまうほうが、ずっとダイナミックに、楽に動けますよね。

     

    こう書くと、「何もしない」みたいに聞こえるかもしれませんが、それは違います。

     

    宇宙のダイナミックな動きに助けられながら、のびのび自分が動けて、個を生きる、みたいな感じです。

     

    自然とは、日が昇って沈んだり、季節が移り変わるように、変化し続けることです。人間は、自分の足で立って、歩いて、動く生きものですから、自分の意思で行動することは、自然なことだと思います。

     

    そのとき、自分の真ん中にいれば、潜在意識というのか、深いところにある本当の願いと繋がりやすくなり、選択する行動も、それに沿ったものになりやすい気がします。

     

    それがすべて、今の社会の体制の中で、”うまく行く”わけではないと思いますが、自分の本当の願いに沿って起こした行動の結果は、どうなっても、自分で責任を持てる気がします。後悔しない、とかね。

     

    流れに乗るというのも、これじゃないのかな、と思っています。宇宙と共に、ダイナミックに動きますが、その中で人間は、人それぞれの願いに沿って、自由な意思で選択して、行動していく感じです。

     

    良さげじゃないですか?楽しそうじゃありませんか?


    あれ?癒されたら動くの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんよね。癒す→休息、眠る、イメージ、ありますものね。


    本当の願いの中には、「今は、休みたい」もありますよね。


    頑張り屋さんだと、自分が疲労していることに気づかない場合もありますし、


    頑張らなきゃ!と思っているときは、気づきたくなかったりします。


    真ん中に戻ると、覆い隠された疲労に気づいて、寝てしまうのだと思っています。こういうときは、ぐっすり眠れます。

     

    じゃあ、どうやって真ん中に戻るのでしょうか?方法は、いろいろありますよね。

     

    広くて豊かな自然に出かけて、身をゆだねてぼーっとすると、戻ってこられる感じ、ありますよね。常に中心から外れることのない自然の姿が、お手本になったり、その大きな力を借りやすいのかもしれません。

     

    他にも、居心地のいい音楽や、絵や、映画や、本や、あれこれ芸術に触れることでも、戻ってこられたりします。それを生み出した人が、自分の真ん中にいる状態で、純粋に生み出したものは、他の人を真ん中に戻すことも、助けてくれる気がします。

     

    助けてもらえるものがあるなら、どんどん助けてもらったらいい、と思います。

     

    もう具体的に人の助けを借りる方法もあります。体や心が硬くなったときに、マッサージやトリートメント、セラピーなどを受けることです。たとえば、ストレスがたまるとお腹や頭が硬くなります。そこをほぐすことで、中心に戻るきっけにもなると思います。

     

    人の助けを借りるときでも大切なのは、自分に対する責任を持っていることだと感じます。違う言葉で言うなら、自分の状態を、それなりに把握できる力をつけておくことは、大切だと思っています。それは、自分でするところです。

     

    責任を持つというと、なんだか厳しい感じですが、それは義務ではなく、自分への愛だと思います。

     

    では、どうするか。

     

    まずは、外れた状態がわかるところから始まると思います。

     

    体感的には、体の無駄な緊張があることや、心がきゅっと縮こまって辛いとき、苦しいときは、外れています。

     

    そういうものも、「自分の願いから外れている」と気づくための体験なので、無駄ではないのだと思いますが、ずっと続くと疲弊しますよね。他の多くの人が大丈夫でも、自分はダメなこともあります。今のタイミングではダメ、ということも含めてです。

     

    外れていることに気づいたら、自分で戻方す法もあります。

     

    わたしは、太極拳や站椿功で戻ろうとしますが、人ぞれぞれ、いろいろな方法があると思います。ひとつは、もしくはいくつか、その手段は持っている方がいいです。いろんな場面で、必ず自分を助けてくれるからです。

     

    その上で「これは専門家の手を借りよう」と思うなら、そうすればいいですよね。自分への責任を持ったまま、人の手を借りたら、体の治りも早いような気がするのです。外からの刺激で、詰まりをちょんっとつつかれたとき、「あ!これだ!」と、自分でも長そうとする自己治癒力が働く気がします(というのが、わたしが整体を受けているときの感覚です。)

     

    自分で戻そうとするとき、自然の力やアートの力を借りてもいいわけですよね。自然の中で太極拳や站椿功をするのも、音楽を聴きながらするのも、そのひとつです。楽しいですしね。

     

     

    自分の真ん中に戻るとは、0地点に戻る感じでもありますが、そこはすでに、とっても豊かです。

     

    経験を積んだことによる豊かさもあると思いますが、

     

    生まれたばかりの赤ちゃんが嬉しそうに笑うように、これまでに何かをしたからではなく、何もしていなくても、豊かさは、あるような気がします。

     

    そして、自分の真ん中に戻ることは、癒しだけではなく、成長や発展にもつながりますよね。0地点に戻ったときには、すでに行動する趨勢が生まれているからです。

     

    もちろん、十分に休んでから、ですけどね。

     

     

    もうひとつ、とってもいいことがあります。

     

    自分の中心に戻っている人は、他の人を中心に戻す力があると思っています。上に書いた、音楽とか絵とかの芸術の力も、そうですよね。

     

    人は変えられない、と言いますが、「その人が、本来のその人に戻る」場合は、人は変えられると思います。

     

    変えるのではなく、戻るだけですから。

     

    太極拳は、武術ですので、攻防の連続技ですが、闘争のためではなく、起きてしまった争いを止めるためのものです。太極拳の技は、中心から外れてしまった人を、戻すためのものだと感じています。

     

    それを体と心で、実際に体験してみられるところが、太極拳のいいところです。人生の、疑似体験ですね。

     

    どこかで体験して、経験しておけたら、現実の日常でも、それを活かせるときがありますからね。

     

     

    10年くらい前、あれこれ悩んでいたわたしに、「あなたは、自分がご機嫌でいたら、それだけでいい」と言ってくれた人がいます。

     

    当時は、「ご機嫌でいるだけじゃダメでしょ」と思いましたが、ご機嫌とは、自分の中心にいることだと思うのです。

    それだけで、周りも戻って、豊かさやしあわせが広がる可能性がありますよね。

     

    自分が本来の自分でいることは、自分だけのためではないのだと思います。

     

     

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      いくつになっても

      2020.09.10 Thursday

      (Photo by Xie Okajima)

       

      先日開催した特別クラスで、生徒さんに「何か質問があれば、どうぞ。今、話したこと以外でもいいですよ」と言ったら、

       

      「先生は、何歳なのですか?」と聞かれました(笑)。

       

      昔も今も、日本でも海外でも、年齢不詳に見えるのは、変わらずです。

       

      とりあえず、半世紀は生きています。今月は、お誕生月なので、もうひとつ年を重ねることになります。

       

      このくらいの年齢になってくると、「もう年だから」という人もいますが、

       

      それを聞くたびに、「うーん、10年前より元気だけれど」と思うのです。

       

      体の調子や動きとして、できるようになったことはたくさんありますが、今のところ、できなくなったことは思い当たりません。

       

      くたびれたら寝る、無理しないというのも、大きいとは思いますが。

       

      わたしが太極拳を始めたのは、30代後半のことで、「今からでは、もう遅いかも。」と思ったこともありました。

       

      そもそも、とってもヘタレだったのです。

       

      2008年の12月に、初めて中国の武当山に行って、カンフー学校に入って毎日お稽古したとき、初日に片道4時間かけて山頂まで登って、下りてきただけで、足首は腫れてしまいました。

       

      ひねった覚えはありません。

       

      太極拳には、仆歩(プーブー)という低い姿勢があるのですが、このカタチが入っている套路を2009年に習ったときには、下がっていくと、そのまま、ぺしゃんとお尻が地面についてしまいました。

       

      先生たちが、寄ってたかって、「しゃがまないんだよ」と言うのですが、下がっていくと、耐えきれずに、ぺしゃん。

       

      ついに、「...そんなに低くしなくていい。高いままで」ということになりました。

       

      どうですか、このヘタレぶり。それなのに、よく続けてきたと思いますよね。

       

      (仆歩(プーブー)。続けていれば、できるようになるものです)

       

      人によるかもしれませんが、こういうものって、できるからやりたいのとは違うのですよね。周りと比べても、本当にできないのだけれども、それでも、なんとなく「これ、いいな、もっとやりたいな」と思って、今日まで続けてきただけです。

       

      純粋に、ただ、やりたかっただけです。そういうものは、欲も生まれにくいです。

       

      人には欲があるもので、わたしにももちろん、ありますが、太極拳に関しては、なぜかそれがほとんど発動されずに来た気がします。ヘタレだったからかもしれませんが。

       

      後付けですが、動物のカンというか、深い本能のところで、「これ、いいかも」と感じたのかもしれません。

       

      「世界に一つだけの花」という歌がありますよね。それぞれの花を咲かせる、という意味では、自分がどんな花で、何色なのかを知ることは、大事なのだと思うのです。それがわかると、違う人の花もきれいだね、いいね、と思える気がします。

       

      自分がどんな花なのか、わかるための手段は、いろいろあると思いますが、わたしにとって太極拳は、その大きな役割を果たしてくれています。

       

      太極拳をすることで、自分を知り、自分の生かし方がわかり、この世での自分の活かされ方が、わかってきたような気がします。

       

      太極拳自体が、効率的に体を使い、老化を遅らせるものであることも、大きいと思います。

       

      アドレナリン全開で動ける年齢もありますが、ある程度になると、それでは体がついていかなくなります。わたしも過去には、気力だけで長時間労働を続け、週末になると電池が切れたように寝ていたことも、ありました。

       

      若い頃は、体を無視してガンガン生きても、なんとかなります。ただし、表面的にガンガン行けているだけで、裏で疲労は確実にたまっていきます。わたしは、それが不調として外に現れても、まださほど気にすることなく、さらにひどく外に現れるようになって無視できなくなった頃に、太極拳に出会って、自分の体を顧みるようになりました。タイミングとしては、神の采配かと思うくらい、うまくできています。

       

      太極拳は、やりすぎていることに気づいて、それを手放していきます。無理をかけない、無理をしない、とも言えます。

       

      無理しないというと、なんだか隠居のように聞こえるかもしれませんが、そうでもありません。それよりは、自分を最大限に生かすというイメージです。

       

      パワーの大きさ、持久力などには、個人差がある気がします。年齢で一括りにできるものでもなく、隣の人と比べるものでもありません。

       

      自分だったらこのくらい、というのがあります。

       

      無理をしないというのは、自分の器の大きさを知って、自分の最大のパフォーマンスを出す、みたいな感じじゃないかと思うのです。

       

      ちょっと話は変わりますが、交通機関の発達のおかげで、短い時間で遠くに行けるようになりましたよね。国内でも、海外でも。

       

      でもたとえば、飛行機に乗って海外に行くとき、その疲労は、移動時間より移動距離に比例するような気がします。短時間で歳をとるみたいな感じです。

       

      飛行機に乗れば、気圧の変化で体に負担もかかりますし、新幹線にのっても、特にのぞみのように速いものは、Gがキツイです。

       

      短時間で長距離を移動するのは、見た目、効率的に見えますが、実際の消耗は、それなりにあるのではないでしょうか。

       

      なんとなく、の、体感ですけれども。

       

      もちろん、太く短く生きるという生き方も、あります。好き好きだと思います。

       

      ボッと大きく燃やして、消えて、また火をつけるのに労力をかけて、とやっていくのか、

       

      自分なりの大きさを、ずーっと絶やさず燃やし続けるか、です。

       

      自分なりの大きさというのが、上に書いたボッと燃やす人よりも、大きい場合もありますよね。器が大きい人ならば。

       

      器の大きさは、個性だと思います。大小で価値が決まることもなく、自分の器どおりに生きることが、その人のしあわせじゃないのかしらね。

       

      自分の器を知ることで、他にもいいことはあります。たとえば自分が赤い花だとわかれば、それを美しく咲かせることは、世の中の喜びになりますよね。黄色と白しかない中に、「赤い花がある」というのは、うれしいじゃないですか。そんな風に、自分を生きることが、社会の中での自分の役割を果たすことにもなり、他の人の喜びにもつながるような気がします。

       

      ひとりで馬車馬のようにブンブン動いているときよりも、ずっと大きく動いているのではないかしらね。

       

      昔のわたしは、何かターゲットがあったら、それに向けて、まずこれをやって、次にこれをやってと、計画を立てて進めるタイプでした。動かないと、何も手にできない、と思っていたからです。

       

      そんなわたしに、「あなたは待つことを知らない。待っていたら、やってくるよ」と言ってくれた人たちがいました。

       

      そんなことあるものか、と懐疑的ながらも、「そうなの?」と思うこともあり、その後、数年をかけて、その言葉どおりなのだと知っていくことになります。

       

      この大きな宇宙の中、小さな自分だけでガンガン動いても、たかが知れています。瞬間的な成果としては出るかもしれませんけど、それより宇宙は自分の味方なのだと知って、それと一緒に動く方が、ずっと楽に、ダイナミックに動けます。

       

      それが流れに乗る、だと思っています。

       

      そうやって自分を生きるようになると、「もう〇歳だから」という年齢からくる思い込みも、意味をなさなくなります。

       

      いくつになっても、やりたいことがあれば、そのときがタイミングなのではないかしらね。たとえば、多くの人にとって20歳で訪れるそのタイミングは、違う人にとっては40歳で訪れるかもしれませんしね。

       

      タイミングが来たものは、できないわけがありません。だって、自分のタイミングですから。

       

      それは、一般的な「〇歳になったらこれをして、〇歳でこれをして」という流れとは、だいぶ違うかもしれませんけれど、自分を生きるようになって、自分のタイミングで動くようになると、そういうものからも解放されていきます。

       

      わたしの場合も、ずいぶんのんびり生きている感じがしますが、そのせいで若く見えるのかもしれない、とも思っています。

       

      わたしは、太極拳を通して、体の使い方、心の在り方、自分の生かし方に気づいてもらうようなことをしていますが、生徒さんの中には、「もっと早くこれを知っていれば」という方もいらっしゃいます。

       

      でも、そんなことありません。世の中でHow toが流行っても、自分というオリジナルに役立つものは、ありません。

       

      だから、「こうかな?」と思うとおりにやって、うまく行かないこともあって、それで自分を知っていくのだと思うと、無駄なことは何もないと思います。

       

      そして、「もっと早く...」と言う方を見ていても、今からでも十分、大きな花をきれいに咲かせるじゃないか、と、思います。実際、そうですし。

       

      自分の花は、何度も咲くのだと思います。いくつになっても。真実ではない思い込みで、自分を縛りさえしなければ、です。

       

      太極拳をする人は、20年たっても同じ体、と言われます。実際、年齢よりも若々しい人たちを、たくさん見てきました。

       

      わたしは、大きな目標を立てることが苦手で、今、したいことを積み重ねていくだけしかできません。積み重ねていった結果は、それをする前の想像をはるかに超えるからでもありますし、たとえば10年後、20年後は、今の価値観で見ても意味がない(変わっていくはずだから)、というのもあります。

       

      それでも、ひとつだけあるのは、世界一かわいいおばあちゃんになって、70歳とか80歳になっても、シュンシュンと、軽く速く動けたらいいなあ、と思っています。

       

      そういう人がいたら、世の光になるのではないかしらね。ね。

       

       

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      いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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        太極拳は、自分を生かすため、自分が活かされるため

        2020.08.31 Monday

         

         

        太極拳を教えることは、好きです。その機会は、とても大切にしています。

         

        でも、教えるために太極拳を続けてきたわけではありません。

         

        人のためにやってきたわけではなく、自分がやりたくて続けてきただけで、ある意味ただの”オタク”なのですが、だからこそ人の役に立つこともあります。

         

        では、自分のためにやってきたのかというと、それもちょっと違うような気がします。

         

        站椿功(立禅)をするとき、昔から、ときどき涙がこぼれます。

         

        站椿功は、体と心が静かになっていくと、深い潜在意識の領域に入っていきます。普段は自覚していない、本当の願いに触れに行く感覚があります。

         

        本当の自分がどんな人で、この世で、何をしようと思って生まれてきたか、です。

         

        生まれる前に神さまと約束したことでもありますが、生まれたとき、もしくはちょっとすると、すっかり忘れてしまいます。

         

        そして、この世で生きるために、この世のルールを習っていきます。それは必要なことですが、同時に、「これがいい」という社会で一般的に信じられている価値観に、取り込まれていくこともあります。

         

        それが、本来の自分の願いと合っていればいいのですが、そうでない場合は、いろいろ起きます。

         

        本来の自分を封印してして、中身が空洞のような自分で生きたり、

        封印しても消すことはできない本来の自分と、社会で「よい」とされている価値観との間で、ゴツゴツぶつかって痛い思いをしたり。

         

        程度かは、人によると思いますが、どちらにしても自分で経験しないと、何が本当の願いなのかは、わかりません。

         

        本来の自分を封印して生きたときも、ゴツゴツぶつかって葛藤した時期も、忘れてしまった本来の自分の願いを思い出すためには、必要な時期なのでしょう。

         

        そして、忘れていたことを思い出していくことが、生きることでもある、と思います。

         

        理由もわからずに涙が出るときは、忘れていたことを思い出しているときだと言います。わたしも、2009年に初めてひとりで中国の武当山にお稽古に行ったとき、ぽろぽろと涙が出てから、

         

        お稽古をしているとき、特に站椿功(立禅)をしているとき、ぽろぽろと泣くことがありました。

         

        そうやって、少しずつ思い出していったのだと思います。

         

        先日の「誰かの代わりに泣く(2020年8月19日)」にも書いたのですが、最近は、また違う泣き方をするようになりました。

         

        ほろほろと涙がこぼれて、なんとなくですが、「これは自分の涙ではない」気がするのです。

         

        誰の涙なのか、後からわかることもありますが、わからないこともあります。

         

        それが誰なのか、具体的にわからなくても、泣きたくても泣けない誰かの代わりに泣くことができるなら、それもいいかな、と思っています。そんな自分の活かされ方も、あるような気がするからです。

         

         

        太極拳をすることは、まずは自分を知ることでした。

         

        具体的には、自分の体の緊張に気づいて、それを取り去っていきます。その緊張は、本来、背負わなくてもいい荷物や、自分が弱いために守ろうとして着た鎧だったりします。

         

        自分を信じられず、自信がないから、外に硬いものを纏って、自分を守ろうとします。

         

        「わたしは愛されていない」とか、「愛されるに値しない」という思いも、自分を信じられないことに入ります。事実がそうだったわけではありません。なぜなら、人間の赤ちゃんは、ひとりでは絶対に育つことはできないので、誰かがその時期、愛情をかけて育ててくれたことは間違いないからです。

         

        でも、たとえばお腹が空いたときに、お母さんがトイレに行っていて、すぐにごはんがもらえなかった、みたいな体験でも、「わかってもらえない」「愛されていない」というトラウマになるそうです。

         

        これ、誰にも悪気はないですよね。愛されていなかったわけでも、ありません。

         

        そんなどうしようもないことを、解消していくのが、大人の時代だと思っています。

         

        子どもは、親の庇護が必要なので、実際には不自由です。社会に適合するために、素直な心を閉ざしていったり、持ち続けようとするとケンカばかりになることもあります。「わかってもらえない」気持ちは、さらに進むこともあります。

         

        でも大人は、自分で選択していくことができます。子どもの心、それは生まれたときに約束してきた本当の願いにつながっていると思っているのですが、それを取り戻して、その通りに生きることができるのは、大人だからこそだと思っています。

         

        子どもの心を取り戻し、本当の願いを思い出していく方法は、いくつもあると思いますが、わたしにとっては、それが太極拳でした。

         

        体の緊張に気づいて取り去っていくことは、身に着けてしまったことも忘れた鎧に気づいて、ひとつずつ脱いでいくことでした。

         

        同時に、中身が空洞でスカスカだと、「鎧を脱いだら立っていられない、存在できない」となってしまうので、自分の軸をしっかり立て、天地を結んで生きることを覚えていきました。站椿功は、これをするための大きな助けになりましたし、今でもなっています。

         

        軸がしっかりしてくれば、残りの部分は力を抜いても大丈夫です。

         

        それでも残る硬さは、心の硬さが体に現れたものだったりします。体の緊張から、自分の心の様子を知ることを覚えて、それを取り去っていくことも、覚えました。

         

        取り去っていくと、本来の自分が現れます。自分の本当の願いも、深い沼のような潜在意識の底から浮上してきます。「わたしは、こうしたいのだ」ということを、世間で「よい」とされることに振り回されることなく、だんだんと、選択できるようになってきます。

         

        それが、自分を生かすことのような気がします。子どもの心を取り戻して、その通りに生きることでもあります。

         

        自分の緊張に気づいて取り去っていくことは、今も続いています。人は、簡単に緊張するからです。一度脱いだ鎧も、いつまた着てしまうか、わかりません。

         

        お稽古を続ける大きな理由のひとつは、余計に背負ってしまっている荷物や、身に着けてしまう鎧に気づいて、それを取り去る時間が必要だからなのでしょう。

         

        無駄な緊張を取り去って、できるだけ透明な自分になっているとき、エゴ(自我)も、無くなって(もしくは少なくなって)いる気がします。

         

        本来、自分なんていう人は、いないのだ、と思うことがあります。

         

        わたしは、出会った人、過ごした場所、その関わりの中での経験で出来ている気がして、それ以外の「自分」なんて、いないような気がします。それは、エゴのない(もしくは少ない)状態なのかもしれません。

         

        そうなったときのイメージが、上の図です。

         

        人は、みんな違います。エゴがない状態だとしても、その人それぞれの特徴や特性はあります。アンドロイドじゃないですものね。

         

        世界や宇宙はパズルのようなもので、そこには自分のカタチが空いているような気がします。鎧で身をかためているときは、そのカタチにはまりませんが、緊張が取れて透明がになっていくと、自分がぴたっとはまります。

         

        すると、世界や宇宙と一緒に動き始めます。もう、ひとりで動いているわけではありません。

         

        それが、世界や宇宙で自分が活かされることじゃないのかな、と思っています。

         

        それは、「人のために」とか、「社会のために」と意図して何かをすることではなく、自分を生かして生きているだけで、世の中の役に立つ、みたいなイメージです。

         

        そうなると、時代の流れと、自分の動きが合ってくる、という感覚もあります。

         

         

        話は変わりますが、今、2000年続いた魚座の時代が終わり、みずがめ座の時代に入るという、パラダイムシフトが起きていると言われています。

         

        聞いた話なので、詳しいわけではないのですが、2000年の間「こうだ」とされてきたものが、すっかり変わっていく節目を迎えています。

         

        一人のリーダーや権威者がいた時代から、誰もがリーダーになる時代になったり(AをするときはAさんがリーダーでBさんは参加者、BをするときはBさんがリーダーでAさんが参加者、みたいなイメージです)

         

        自分で自立しないといけない(経済的な自立を含めて)から、社会や地球で共同創造をしていく時代に入っていくようです。

         

        「わたし」から、「わたしたち」に変わるときでもあります。

         

        そして、自分がやりたいことをやって、自分を満たすだけで、周りにいる人にとっても、社会にとっても、いいことにつながり、誰もが幸せになる時代が来る、と言われています。

         

        この話を聞いたときに、わたしの「自分を生かす」ことから、「自分が活かされる」感覚になってきたことと、重なるような気がしました。

         

        「誰かの代わりに泣く」で書いた、そろそろ自分のために泣かなくてもよくて、誰かの代わりに泣くことも増えるのかもしれない、というのも、そのひとつです。(そうは言っても、また自分のために思いっきり泣くこともあるかもしれませんが。)

         

        時代の流れと、自分の流れが合っているという感覚は、なんの根拠もなく、感覚でしかないのですが、

         

        この時代に生きることを選んで生まれてきたと思うと、それが合っていることは不思議ではないですよね。どちらかというと、そりゃ、合うでしょう。

         

        わたしは、なかなか自分のことがわからず、大人になってからも、自分を知るために、ずいぶん時間がかかった気がしますが、それは人と比べられるものではないと思っています。

         

        ずいぶんのんびり、そしてゴツゴツぶつかって泣いてきた気もしますが、同時に、どこかお気楽で前向きな性格のおかげで、希望だけは持ち続けた気がします。そして、人との縁に恵まれて、助けられたことも多かったと思います。わたしには、いろいろ含めて、これが自分のペースだったのだと思います。

         

        自分のペースは、上の図のように、宇宙のペースとも同期します。それが、流れに乗ることだと思っています。

         

         

        さて、どんな時代になっていくのでしょうね。

         

        どうなるとしても、自分を生かして、宇宙で活かされていきたいですよね。そのために、これからも太極拳を続けるのだと思っています。

         

        そしてもうひとつ、自分なんてものは、本当はいなくて、出会った人や過ごした場所、その関わりとの経験で出来ている、と書きましたが、唯一「これは自分だ」と思えるものがあります。

         

        自分の体です。

         

        体は、いろいろな経験をするための器という面もありますが、

         

        この体があるから、本当の願いを思い出したとき、自分を生かして、行動して、それを実現していくこともできますし、宇宙で自分が活かされるという役割も、果たすことができます。

         

        これがなかったら、思いだけあっても、何もできません。

         

        「わたしなんていない」と感じたとき、「この体、必要?孤独を強めたり、エゴや競争を助長するなら邪魔じゃない?」と思っていたこともあります。

         

        今はその分、いっそう自分の体が愛しく思えます。

         

        体から入って、体から離れて意識が拡大していって、その後に、広がった意識を持ちながら、また体に戻ってきた、みたいな感じです。(これ、何言っているか、わかりにくいかもしれません。)

         

        この世での命がある限りは、この体を大事にして、満喫して生きようと思っています。

         

         

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          自分を世界に向けて表現する

          2020.08.27 Thursday

           

           

          5年半前にホームページを立ち上げました。

           

          「作ろう!」と思い立ち、デザイナーさんも決め、

           

          それなのに、なかなか中身の写真や文章が準備できないという「うだうだ」期が、何回かやってきました。

           

          まず、写真を選ぶまでの「うだうだ」、次は文章を作るまでの「うだうだ」です。

           

          作業に入ってしまえば、時間はかからずに進むのですが、そのモードに入るまでが長ーいのです。

           

          特に最後の文章を作ってアップするまでの「うだうだ」は、かなりのものでした。やりたいと言っておきながら、最後の最後に「行きたくない」と、ダダをこねる子どもみたいでした。

           

          そこにあったのは、「こんなわたしが、こんなものを世間に公表してしまって、いいのだろうか」という躊躇です。

           

          「この躊躇で、動けない」と、ある人に相談したとき、その人は、ぷっと笑って、「それって、『たいしたわたしだから、たいしたものを作らなければいけない』と思っていない?実は、傲慢なんだよ」とおっしゃるのです。

           

          「へっ?ご、ごうまん?」

           

          続けて「『たいしたことのないわたしが、これが好きで、いいと思って、やっています』と思えたら、すぐに書けるよ」と話してくださいました。

           

          目から鱗とは、このことです。

           

          ものすごく納得して、実際、それからすぐに文章を書き、ほどなく、するっとアップすることができました。

           

           

          この「うだうだ」期も、大切な時間だったのですけどね。

           

          傲慢だった(とは本人、自覚していませんでしたが)わたしは、文章も、「それなりに書かねば」と思っていたようで、あちこちのサイトを見て、どんなことを書こうか考えたりしていました。

           

          でも、それは自分の言葉ではありません。幸い、ぴんと来なかったこともあって、無理やりアップすることはありませんでした。


          そんなの、わたしじゃないと、わかっていたのかしらね。正直さは、持ち続けていたようです。

           

          前述の「たいしたことのないわたしだけれども......」という立場に立ったら、自分の中から、どんどん、言葉が出てきました。

           

          それは世間的に見た正解とは違うかもしれませんが(正解なんて、ないような気もしますが)、

           

          経験から分かっていることを文章に出来たことは、ものすごくうれしかったです。「今は、これでいい」と思えました。

           

           

          何かに取り組むとき、もじもじして、声を出したり、積極的に参加できないこと、ありますよね。

           

          積極的がいいと思っているわけではなく、静かに、全体を俯瞰するような立場で参加するのも、いいと思っています。

           

          キャラクターの違いとかも、ありますしね。

           

          静かにそこにいたい人の立場は尊重したいと思う上で、それでも「自分を世界に向けて表現していくことは、大事だ」と思っています。

           

          この言い方は、大げさに見えるかもしれませんね。「自分は表現者ではないし、関係ない」と思う方も、いらっしゃるかもしれません。

           

          でも、これは誰にでも当てはまることです。

           

           

          7月から21日間やっていた「夏までに頑張る!21日間チャレンジ・ザ・もも上げ」という企画では、わたしが毎日「今日のポイント」を投稿していました。

           

          一気にたくさん伝えても流れてしまうことが多いので、1日にひとつだけに絞って、伝えてみました。

           

          参加者のみなさんの関わり方は、いろいろでした。積極的に質問や感想を書いてくださる方もいらっしゃれば、静かに参加されている方(オンラインでコメントしない方)もいらっしゃいました。

           

          静かに取り組みたい人も尊重したくて、そういう人たちが、声が大きい人たちに圧倒されないように、グループでは「人それぞれの取り組み方でいい」と伝えていました。

           

          あまりにおとなしい人は、様子がわからないため、個別にメッセージを送ることもありましたが、投稿は見てそうな人は、そのままにしました。

           

          そして21日間終わって、アンケートを読んでいて気づいたことは、満足度の高そうな方は、感想や質問など、コメントを積極的に書いてくださっている方が多かったようです。

           

          満足度を5段階で評価してもらったのですが、上に書いた「満足」は、この評価を当てはめたものではありません。

           

          満足度の評価基準は個人差があるようで、その結果だけ見ても、あまり役に立ちません。それより、それぞれの質問にどう答えてくださっているか、期間中の様子も含めて全体を見ることで、その方の様子が、なんとなく見えてくる気がしました。

           

          コメントを書いてくださると、わたしからも、アドバイスできます。「他の人のコメントを読めたのが良かった」という感想があるように、他の人の役にも立ちます。

           

          書いてくださった疑問点をもとに、みなさんに出す「今日のポイント」を書いたこともあるなど、展開も広がります。

           

          わたしが一方的に「〇は△です」と21日間書き続けるより、「参加者の〇さんから△という質問がありました。」と答える形で書いていく方が、臨場感も、親近感も、ありますよね。より豊かな場になって、とてもありがたかったです。

           

          書くことは、なんでもいいのです。「今日もできました!」だけでも、それが他の方を後押ししてくれることもありますよね。

           

          「こういうことが、わからない」とか、「なんだかぴんと来ない」という、ネガティブにとらえられそうな感想も、わたしは歓迎しています。

           

          他にも同じように思っている人の、助けになることもありますしね。

           

          普段のお稽古でも、わからないときは、どんどんそれを言葉にしてもらうよう伝えています。すると、「この動きは、人間にできるとは思えない」という感想も出てきたり、面白いです。

           

          みんなで爆笑しながら、「それなら」と、わたしも工夫していきます。わたしは人間だと証明したいですし(笑)、というのは冗談ですが、こんなきっかけが、みんなの役に立っています。

           

          「わからない」でもいい、と言ったのは、まずは、わからないことがわかることに、意味があるからです。わかったつもりより、よっぽどいいです。

           

          ただ、「わからない」と言って、逃げてしまう場合もあるので(本人、逃げている自覚はありません)、これが続くときは、「それを言う前に、もう少し興味を持って観察してみて」と伝えます。

           

          時間がかかることもありますが、だんだん「わからない」と言わなくなり、感覚が鋭くなってくる方もいらっしゃいます。

           

          積極的に参加できないのは、おとなしい性格だったり、気後れしがちだったり、圧倒されていたり、「こんなつまらないこと言えない」だったり、いろいろあると思います。

           

          でも、自分の中にあるものを、世界に出したら、何かの動きが始まります。それに他の人が触発されて、気づくこともあったり、

           

          なんというのか、世の中を動かす風を起こす、みたいな感じだと思うのです。

           

          でもそれを、内にとどめて口を開かなかったら、何も起きません。

           

          もちろん、自分の中で熟成させていくことも大切で、なんでも外に出さねばならないわけではありませんが、

           

          グループやコミュニティがあって、そこに入ったなら、声を出して関わっていく方が、ずっと得られるものは多くなると感じます。

           

          躊躇や、遠慮という名の傲慢さを捨てて、正直に、思っていることや感じていることを言葉にしてみることです。

           

          すると、世界は、自分が思っているよりも、ずっと優しいことにも気づけます。これは、わたしの実感です。

           

          これまで、そうやって発言して、悲しい思いや恥ずかしい思いをしたこともあるかもしれませんが、それならなおさら、リベンジする機会を持ったらいいと思います。

           

          悲しいままで終わったら、嫌じゃありませんか?

           

          過去は、今、どう生きるかによって、変えられます。

           

          そんなことを言いながら、わたしも圧倒されて、おとなしくなるときもあります。新しい試みを世の中に投げてみるときは、ドキドキしますし、躊躇も出ます。でもだからこそ、「とにかく世に出してみよう」と、思うのです。

           

          「えいっ」とね。

           

          9月1日から、21日間チャレンジの第2弾として、「やさしく立てたら、やさしくなれる♪体を緩めて、立ってみよう(立禅)」を始めます。

           

          今回は、参加するみなさんにどんどんコメントを書いてもらうように、日々、あたたかく、お尻を叩いていこうと思います。

           

          現在21人が参加予定ですので、「えいっ」と思うには、よい感じのサイズになるような気がします。まだ募集中ですので、気になる方は、こちらをご覧いただき、お申込みください。

           

           

          【9月の特別クラス】

           9月  5日(土)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこ  ちら

           

           9月  6日(日)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

           

           9月20日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(  池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

           

           9月21日(月・祝)14:00-16:30 「  ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)  詳細とお申込方法はこちら

           

           9月22日(火・祝)14:30-16:30はじめての形意  拳」(池ノ上)詳細とお申込方法はこちら

           

           

          【おうちで過ごそう!応援企画】

          すきま時間にできる、カンタン体操を動画でご紹介しています。リフレッシュにも。こちらから。

           

          オンラインでの動画レッスン始めました。
           
          ≪入門編≫
                立ち方、歩き方の≪基本編 ≫と、太極拳の動作の練習としてもおすすめの≪武当五行六合功編≫のセットです。詳しくは
          こちら
           
          ≪武当太極拳編≫
                武当三十六式太極拳をいくつかに分けてご紹介します。「その1」は、
                第1式〜第10式です。詳しくは
          こちら
           
          ≪立ち方編≫
                地に足をつけて、自分らしく生きるための基盤を作ります。≪入門編≫の「基本編」第1講の単発講座。太極拳をしない方にも。詳しくは
          こちら

           

          「陽だまり」とは

          「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

           

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          いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

          太極道家

          講座のご案内は、こちらから

           

           


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