月のパワー

2019.06.19 Wednesday

(5月19日、武当山で見た満月)

 

7月17日(月)は満月でしたね。

 

ストロベリームーンと言うロマンチックな名前は、アメリカの先住民たちが、イチゴの収穫時期であることから、つけたようです。実際には、現実的なのですね。

 

インターネットでもたくさんの方が、満月を楽しんだり、きれいな写真を投稿されていました。

 

わたしはというと、ものすごく眠くて、ぐったりぐっすり寝ていました。

 

もともと月の満ち欠けには影響を受けやすいようで、新月はひたすら眠く、満月は、オカミが吠えるように”沸き立つ”感じになります。

 

月の満ち欠けは、海の潮の満ち引きに関係していると思うと、満月のときは、海が引っ張られるように、体の中の血もひっぱられているのかもしれないな、と感じますが、

 

本当のところは理由などはどうでもよく、自分の感覚の方が大切だと思っています。

 

今回は満月にもかかわらず、ものすごく眠く、月を愛でる気分にもならず、ぐうぐう寝ていました。

 

眠いとき、ぐったりしているときは、眠るに限りますす。

 

ぐったりしてしまうと、体調管理ができていないとか、自分を”ぐうたら”だと思ったり、責めてしまったりしませんか?

 

見渡せば、はつらつと活動している人がいるのに、どうして自分は動けないのだろうと、サボっているように感じるかもしれません。

 

でも、しっかり休むことは、動くためには必要です。陰陽から見ても、「動く(陽)ためには、しっかり休む(陰)」ですしね。

 

植物だって、種の間じっとしているからこそ、時期がくれば、ぐんぐんと成長し始めます。

 

クマだって、冬眠します。エサが少なくて体温が下がる冬を乗り越えるために、代謝を下げて省エネモードにするのです。

 

それぞれの生物には、それぞれのリズムがあります。

 

人間の場合、もともとが自然のリズムから離れやすいためか、四季のリズムや昼夜のリズムからの影響だけではなく、個体差が出やすいかもしれません。

 

ですから自分のことは、自分にしかわかりません。

 

昔、わたしが会社を休職したとき、上司が「職務上の立場はとりあえず置いておいて、自分が休まなければ、と思ったときは、そうすべきだ。なぜなら、何かあったとき、会社は何もできないからだ。」と言ってくださいました。

 

制度としての補償はあっても、それで病を負った人が治るとは限りません。大変なのは、本人です。おそらく、そんな例をたくさん見てきたであろう上司の言葉は、今でもしっかり覚えています。

 

子供の場合、電池が切れたようにパタッと寝るなど、自然な反応をしますが、大人は理性とか責任感とか世間体とか、いろいろなものがあって、休むためには勇気が必要なこともあります。

 

そんな勇気、本当は、おかしいですけれどもね。

 

太極拳をはじめてから得た大きなことのひとつは、「休むこと、無理をしないこと」です。

 

自分はそんなに強くないし、強くなくてもいい。なんでも完璧にできるわけでもないし、できなくてもいい。

 

疲労に気づくことも大切です。周りが元気でも、自分がくたびれていることは、あるでしょう。自分の体調を、周りと比較しても意味がありません。

 

自分を見ても、他の方を見ていても、意外と”頑張る”ことは得意なのです。

 

お稽古でもやりすぎていることもあり(こういう場合、充実感があります(笑))、そんなときはよく、「もっと楽に、力を抜いて」と言われます。

 

すると、「こんなのでいいの?」くらい軽く、サボっているような感覚にさえなるのですが、「そうそう!それ」と声がかかります。

 

がんばっている感じ、充実感が満載のときは、やりすぎている可能性も高いのです。

 

そんなことの繰り返しで、わたしはだんだん、”やりすぎないこと”を覚えてきた気がします。

 

やりすぎなくても、何もやっていない感じでも、実は充分できているのです。

 

そして何もやっていない感じのほうがよく動けますし、ちゃんと休んだ後のほうがよく動けます。

 

中国の武当山でも、わたしの先生は、いつでも元気ハツラツなわけではありません。「今日は具合が悪いから、明日教えるね」と言われることも、あります。

 

ダメなときはダメだと言える正直さも、いいなあと思うのです。

 

今でも覚えているのは、2011年の春、先生が結婚されたときのことです。結婚式が終わってしばらくしてから、学校に戻ってきた先生(その頃はまだ、その上の先生の学校のコーチでした)は、1週間くらい、ぼーっと、していたのです。

 

ぼんやり庭を歩いて、草木をぼーっと眺めていたり、という日々が続いて、みんなで「どうしちゃったのか、魂が抜けてしまったようだ」と話していました。

 

そんなある日の夕方、突然、「今日はキック練習をしたい気分だ」と言い出し、弟弟子にミット(防具です)をつけてもらい、次々とキック、パンチをし始めました。それはそれはものすごい勢いで、翌日から、通常通り教える仕事にも戻っていました。

 

結婚式、家族も巻き込む一大イベントですからね。あのぼーっとする時間は、必要な時間だったのかもしれません。

 

大事なのは、自分に正直であること、嘘をつかないこと、かしらね。

 

翌日、火曜日には大きな地震がありましたね。不安な状態、気持ちで過ごされた方も、多いことでしょう。自然災害の前には、なすすべはありませんが、昨日は直後からいっせいに津波への注意が呼び掛けられ続けていて、今の時代だからこそできることは、あるのだとも感じました。

 

被災された方、心配された方、お仕事で働いてくださった方、どなたも、必要なだけ、少しでもゆっくり休めますように。

 

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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武当山に行ってきます

2019.05.14 Tuesday

 

毎年お稽古に行く武当山に、今年も行ってきます。

 

ここしばらく9月に行っていたのですが、今回は春です。どちらも、いちばん過ごしやすい季節です。

 

何度も行っていると言っても、やはり外国、ことばも完璧に話せるわけでもなく、毎回緊張します。

 

「予定日よりも早く生まれた子は、石橋を叩かずに渡る」と聞いたことがありますが、わたしはそれに当たらず、かなり「びびり」なので、危ないことはできるだけ避ける慎重派です。

 

違う文化と習慣の国ですから、日本にいる感覚で「大丈夫」と思ってしまうと、危ないこともありますしね。

 

たとえば、かつては空港から武当山まで長距離バスを使っていました。でも薬膳料理の先生(中国人)に、「女性ひとりで、しかも言葉も話せないのに、危ないから絶対ダメ」と注意されて以来、必ず学校にお迎えを頼んでいます。忠告に、感謝です。

 

武当山に行くというと、「修行ですね」と言われることも多いのですが、わたしにとっては「南の島にバカンスに行く」感覚と、たぶん同じです。したいことをする、という意味ですね。

 

大自然に囲まれていると、それだけでも日ごろの不自然な行動や思考に気づきやすくなります。

その中でするお稽古は、自分の体と心とじっくり向き合えます。

 

シンプルな生活だと、自分の課題が浮き彫りになりやすい気がします。今、気づくべきこと、手放すべきことが、浮上してきます。

 

そして、シンプルに生きる人たちに囲まれて過ごす日々は、大切なことを思いだす時間でもあります。人は鏡、人は自然からも習いますが、人からも習います。

 

「修行」というとき、限界を超える挑戦をしたり、苦しいことを乗り越えることを望む場合も、あるでしょう。

 

それもひとつかもしれません。達成感もあるでしょうし、苦しさという摩擦は、自分を感じさせてくれる機会になるかもしれません。

 

ゴツゴツぶつかって、自分を感じたい時期も、あるような気がします。

 

でもわたしが選びたいのは、自然に還ることです。自然とは、あるがまま、抵抗しないことです。抵抗していることに気づいて、それをやめていくことです。

 

太極拳には、套路という型があります。習うときには、プラスされる印象があるかもしれません。でも最近思うのは、これは新しく何かができるようになるのではなく、「本来こうある姿」に戻っていくだけなのです。

 

いろんな理由で自然ではなくなっているところに、套路にはめていくことで、不自然さに気づき、もともとの自然な姿が現れてきます。無意識にまとっている薄皮(ときどき鬼皮)が、1枚ずつはがれていくように、です。

 

そうなっていくとき、いろいろなことが、自然に流れ始めます。

 

骨や筋肉は、「こうして、ああして」と動かすのではなく、意念に従って、必要なところが必要なだけ動きます。

 

「面倒だなあ」と思っていたことも、突然、まったく気にならなくなることもあります。丁寧な生活とは、丁寧にするのではなく、自然と丁寧になるのだと、思っています。準備ができて、そのときが来たら、です。

 

得るのは達成感ではなく、ふんわり、ぼんやり感です。抵抗しないため、心身ともに、摩擦は起こりにくくなります。背負っていた重荷を下ろすと、身軽になれます。

 

皮膚もふんわりしてくると、内側と外側の境界があいまいになってきます。「個」がうすくなり、「つながり」を感じはじめます。これ、気持ち良いのですよ。穏やかで、安心します。

 

わたしもみんなも、もっと楽になれると、思っています。

 

さて、今回の旅で、どんな薄皮や鬼皮が、剥がれ落ちていくのでしょうか。

 

剥がれ落ちるときが今ではないなら、何も落ちないかもしれませんが、それはそれで、よいですよね。「かさぶたは、自分で剥いてはいけません」と言いますしね。

 

 

 

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弱さを出す人の、強さ

2019.03.30 Saturday

(「あんな風に生きたい」と憧れているパンダ。和歌山のアドベンチャーワールドで)

 

 

お稽古で大切にしていることのひとつは、「正直であること」です。

 

わからないのに、わかったふりをしたり、

嫌なのに、我慢してしまったり、

気が進まないのに、他の人に合わせてしまったり、

 

そういうことはしなくていいと、繰り返し伝えています。

 

ひとりが「わからない」と声を上げることで、「あ、わたしも!」と、他の人がホッとすることも、ありますしね。

 

そもそも、わたしが目指すのは、「みんなが満足するクラス」ではありません。

 

もちろん結果としてそうなれば、とても嬉しいです。でも、多種多様な人がいる中で、みんなにぴったりくるものを狙おうとすると、ともするおt、内容が薄まってしまう気がするのです。

 

教え始めた頃は、「みんなが満足するクラス」を目指していました。終了後に5段階(大変よい、よい、どちらでもない、悪い、とても悪い)で評価がつくアンケートをとるクラスを担当していたとき、「全員を『大変よい』にする!」を目標にしたことがありました。

 

鼻息荒すぎ、欲深すぎです。

 

でもあるとき、「なんだか違う」と気づきました。

 

友人と共同でワークショップを開催したときのことです。あるプログラムの課題として開催したため、ワークショップの様子をビデオにとって、後から見て振り返る、という宿題が出ていました。

 

ワークショップ自体は、アンケート結果もよく、「良かったね」と言っていたのですが、

 

ビデオを見てみたら、「...なんだか、全然だめじゃない?」さらに、参加していない人たちにも見てもらったところ、「これ、わたしが知っているみんみん(わたしのこと)じゃない!」とバッサリ。

 

ふりかえってみると、すべて想定内だった気がします。もちろん、参加者の反応は様々ですから、いろいろなことは起きましたが「想定外のことが起きる」ことを想定していた、という感じです。

 

優等生的というのか、まじめすぎるというのか、とにかく遊び心や、余裕がありません。

 

「なんだか、つまらない。」

 

こんなこと、したいわけじゃないのです。みんなが満足するものを狙うのはもうやめよう、「こんなの嫌!」という人が出るくらいのものにして、それを受け取っていこう、と思いました。

 

もちろん、炎上や反発を狙ったわけではありません。ただ、嫌だと思った人が、それをその場で言葉にできる雰囲気を、何よりも大切にしたいと思ったのです。

 

 

以前のわたしは、嫌と言えませんでした。言ってはいけない、と思い込んでいました。

 

その昔、こんなことがありました。

 

あるグループに所属していて、ときどき生徒であるわたしたちに、先生が頼みごとをします。クラスの中での役割だったり、それ以外だったり。

 

いつでも「はい」と答えてやるものだ、と思っていました。それだけの準備をしておかないと、とも思いました。

 

でも同じグループには、先生に頼まれても、おどおど不安そうな顔を見せたり、「できません」という人もいました。

 

そういう人を見て、ダメだなあと思ったのです(厳しいですよね、すみません。)

 

そういう人に、先生は頼みごとをしなくなるかというと、そうではありませんでした。ことあるごとにチャンスを与えます。それは、うらやましいものでした。

 

「わたしは絶対に断らないし、ちゃんとやるのに。なんで?」と、ストレスにも、なりました。

 

つい最近、ふとそのことを思いだして、「あれは違ったな」と気づきました。

 

「できません」と言えたその人は、素直で、実はとっても強かったのかもしれない、と。

 

できないと言ってはいけない、と思っていたわたしは、「できないと言ったら、チャンスがなくなる」と、怯えていたのです。勝手な妄想で自分を縛っていますよね。わたしのほうが、ずっと弱いです。

 

あの頃は、そういうことに、気づけませんでした。

 

その後、少しずつ「できない」と言う練習をしてきました。最初は、我慢し続けた後だから、爆発するみたいに「でっ...できませんっ!!!」みたいな言い方しかできなかったことも、あります。

 

幸い「わかった」と言ってくれる人たちに恵まれ、だんだん素直に、ふつうの口調で言えるようになってきました。

 

嫌だとか、できない、とか、後ろ向きのことばの背景には、自分が大切にしたい何かがあったりします。自分が大切にしたいことが、ないがしろにされていることが、嫌なこともあります。それを感じることは、自分を知るためのチャンスになります。

 

ちなみに、過去に所属していたそのグループでも、勇気を振り絞って「それはできません」と言ったことがあります。そのときは、先生から激怒されました。

 

否定的に聞こえることばを言うと、ときには傷つくこともあるかもしれません。それで相手が傷ついてしまうことも、あるかもしれません。

 

当時は悲しい思いをしましたが、今から振り返っても、あの経験はよかったと、思っています。

 

なぜなら、それでも大切にしたいものを、守れたわけですから。たぶん、はじめてね。

 

巻き込んでしまった方々には、本当にすみません、としか言いようがないわけですが、そんな縁もふくめて、縁とはありがたいものです。

 

 

 

【これからの特別クラス】

3月31日(日)/4月21日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇」です。詳細とご応募方法はこちら


4月7日(日)14:00-16:30は「やさしい站椿功」です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月14日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」第3回 ワニの上陸 です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月28日(日)13:00-15:00は、千葉県香取市(小見川)の「立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募はこちら

 

4月29日(月・祝)14:00-16:30は「−20歳のカラダほんとにはじめての武当太極拳」です。全くの初心者、もしくは太極拳のお稽古に悩んでいる方に。太極拳とは?というお話から、基本的な体の使い方を体験できます。

 

 

☀「陽だまり」とは

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映画「グリーンブック」を観て感じたこと

2019.03.14 Thursday

 

アカデミー賞 作品賞、助演男優賞、脚本賞を受賞した映画「グリーンブック」。

 

1960年代、制度として黒人差別があった時代の実話をもとにした、白人と黒人、ふたりのおじさんの物語です。

 

黒人のドクター・シャーリー(ドク)は、幼いころから音楽の才能を発揮し、9歳でレニングラード音楽院の生徒となり、18歳でデビュー。カーネギーホールの上のマンションで暮らす、著名なピアニストです。

 

白人のトニー・バレロンガは、イタリア系アメリカ人。ナイトクラブで働いていましたが、改装のために職を失ったとき、縁あって、ドクの2か月にわたる演奏旅行の運転手として雇われます。

 

演奏の行先は、南部。黒人差別が、色濃く残る地域です。

 

各地を転々とする中で起こる出来事、ふたりを中心とする人々の関係などが描かれていますが、詳しくは映画を観ていただくとして、この映画を観て感じたことを、書いてみようと思います。

 

自分のアイデンティティです。

 

海外で生活して、海外の人との交流が日常になってくると、好む好まないにかかわらず、「自分は日本人である」ことを感じる機会が多くなるのは、わたしだけではないと思います。

 

日本のことを知りたくなったり、文化の素晴らしさを再確認するというのも、よく聞く話です。

 

でもそれだけではなく、差別や批判の対象になることもあります。

 

たとえば12月8日(アメリカは7日)、「今日は真珠湾攻撃の日だね。まゆみが戦闘機に乗ってやってくるよー。」とニコニコと言われたり、(どう反応していいかわからずにおどおどしていると、「冗談だよー。ごめんね」と。)、

 

アメリカ人同志で「ジャップが......」と話しているところに、わたしが姿を現したときは、「あ、ごめんね。いつも言っていたから、つい」と言われたり(話題は、わたしとは関係ないことです)、

 

日常にふつうにあらわれる、小さくて大きな出来事に、チクチクと心が痛みました。

 

個人的に意地悪されたわけではありません。困ったことがあれば、いつでも助けてくれました。

 

わたしという個人への感情と、日本という国への感情とのギャップを感じるたびに、戸惑うこともありました。

 

差別もあれば、逆のやっかみもあります。そしてこういうことは、海外だけでなく、国内でも起こります。

 

わたしが所属している〇〇は気に入らないけれども、わたし個人にそういう感情はないらしい、と感じたこともありました。

 

太極拳を始めて、中国に行くようになっても、同じです。

 

仲のよい友人たちが、SNSで「今日は対日勝戦記念〇周年!めでたい!」と投稿しているのを見るたびに、複雑な思いになることもありました。(その後、これには理由があるとわかりました。気になる人は、会ったときに聞いてください。)

 

あるとき兄弟子のひとりが、秦の王のことばを載せていました。ざっくり覚えている限りで書くと、日本人は日和見主義で、主張がなく、わけのわからない人々だ、というような、少なくともほめ言葉ではなかったと思います。

 

それを読んで、また複雑な気持ちになり、「?」という絵文字をコメント欄に入れてみたところ、すぐに返事がきました。「きみのことじゃないよ!」

 

このとき、気づいたことがあります。個人としてのわたしと、日本人としてのアイデンティティを、ごちゃまぜにしていたのは、わたしです。

 

日本人は、と非難じみたことを言われると、自分が言われたような気になって、過剰に反応していただけです。妄想ですよね。「そんなことは、もうやめよう、わたしはわたしでしかないのだから」と思うようになりました。

 

 

映画の話に戻ると、個人として成功しているピアニストへの振る舞いと、制度として差別がある南部の習慣としての黒人への振る舞いとのギャップなども、たくさん描かれています。

 

差別が公然と認められている中での出来事は、理不尽に思えることもあり、胸がぎゅっとなります。それでも、そんな場面での人としての暖かさや、ユーモア―、冷静さ、情熱、そして前を向こうとする姿に、救われる思いがしました。

 

あの時代、あの環境の中で、こんな風に生きたひとたちがいたという、ひとつの実話を伝えてくれています。そして個人のつながりは、制度の壁を飛び越える力がある、と感じさせてくれます。

 

 

この映画は、父(トニー)から伝えられた話を、息子さん(ニック・バレロンガ)が50年間あたためてきたものが元になっています。今回、その息子さんは共同脚本という役割で、アカデミー賞も受賞されています。そんな背景もすてきだな、と感じさせてくれます。

 

涙もありますが、全体としては「クスッ」と笑えるコメディですので、楽しく観られます。おすすめです。

 

 

アートは、壁を超えます。映画も、音楽も、太極拳も、ね。

 

 

映画「グリーンブック」公式サイトは、こちらから

 

〜グリーンブックとは〜

1936年から1966年まで、ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人、ヴィクター・H・グリーンにより毎年作成・出版されていた、黒人旅行者を対象としたガイドブック。黒人が利用できる宿や店、黒人の日没後の外出を禁止する、いわゆる「サンダウン・タウン」などの情報がまとめてあり、彼らが差別、暴力や逮捕を避け、車で移動するための欠かせないツールとなっていた。ジム・クロウ法(主に黒人の、一般公共施設の利用を制限した法律の総称)の適用が郡や州によって異なるアメリカ南部で特に重宝された。

(映画パンフレットの説明より)

 

 

≪特別クラスのご案内≫

3月17日(日)14:00-16:00は「ー5歳のハッピーウォーク」です。詳細とご応募方法はこちら

 

3月24日(日)13:00-15:00は、千葉県香取市(小見川)の「立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募はこちら

 

3月 31日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第19回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月7日(日)14:00-16:30は「やさしい站椿功:しあわせを呼ぶ7つのステップ第6回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月14日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第3回 ワニの上陸 です。詳細とご応募方法はこちら

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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子どもの頃、なりたいものなんて、わからなかった

2019.03.08 Friday

(8歳くらいの頃)

 

小学生の頃とか、よく聞かれませんでしたか?「将来、何になりたい?」

 

まわりを見渡せば、「保母さん!」とか、みんなどんどん答えたり、書いたりしていました。わたしはこういうとき、いつも困っていたのです。なりたいものなんて、さっぱりわかりませんでした。

 

お絵かき好き、ピアノも好き、お外で遊ぶのも好き、水泳も、バレエも好き、本を読むのも好き、と、いろいろ好きなことはありましたし、毎日楽しく暮らしていたと思うのですが、

 

将来なりたいものになると、思い浮かびません。

 

10歳くらいの子どものわたしは、なりたいものには出会っていなかったのだと思います。

 

あの頃のわたしに、今の自分を見せたら、きっと驚きますね。太極拳なんて知らないし、こんな生き方もあるということも、知りませんでした。

 

 

でもそれよりも、わたしにとって、自由であることが、とても大事なのです。

 

長時間、おとなしく座っていることも苦手で、2時間の映画は、限界ギリギリラインです。

 

とあるワークショップに参加したとき、輪になって椅子に座るのですが、椅子の上であぐらをかいたり、片足を椅子にあげたり、ちょっと横向きになってみたり、と、あれこれするわたしに、

 

「なに、これ?これって、ありなんだ......」と、衝撃を受けた人がいたと、後から聞きました(もちゃもちゃ動く人は、わたしだけではないはずですが。)

 

 

日本の教育も、生意気を承知でいうならば、窮屈だと感じていました。進学するときにイギリスを選んだのは、「この窮屈さから、抜け出したい」と思ったことも、大きかったと思います。

 

違う文化に住むことは戸惑いもありますが、知らない間に当たり前になっていた枠を、たくさん取り払ってくれました。

 

たとえば授業中、無言でトイレに行ってしまう生徒がいる、とか、(学生のころ、授業中は、我慢するものだと思っていました)、

 

終業のチャイムがなって、まだ先生が熱弁をふるっていても、さっさと席を立って退出してしまう生徒がいる、とか、

 

最初は、「な、な、な、なんで出てっちゃうの?」と目を丸くしていました。

 

大学で学ぶことも、大きく違います。日本にも社会人大学生という制度はありますが、わたしの学生時代は、今ほどではなかったように思います。大学院に行く場合、ほとんどが大学を卒業してすぐに進学していたと思います。

 

でもイギリスでは、30代、40代の同級生も、たくさんいました。学部によっては、仕事の関係で派遣されてくる人もいますが、わたしがいた文学や歴史の学部だと、そいういう人は、ほとんどいませんでした。

 

40歳くらいの同級生が「働いたり、いろいろやって、今、学びたいと思ったから学校に来たの」と嬉しそうに話していたり、「子供が大きくなってきたから、勉強したくて」と言う人がいたりと、いろいろで、「學校は、いつでもやりたいときに戻ればいいんだ」と気づかせてくれました。

 

パートタイム学生とかも、あるのですよ。この時期は学校、この時期は仕事、と、できるわけです。制度自体が、とっても柔軟ですよね。

 

こんなことも、ありました。タイから来ていた学生は、自国で奨学金をもらっていたのですが、半年くらいで生活費が足りなくなりました。「イギリスの大学から生活費としてこのくらいかかる、と言われた金額を申請してもらって来たのだけど、実際には全然足りなかった。だから、今度はこの大学に、あなたの言った金額では足りなかったから、こちらで奨学金をくださいって、申請するんだ。」と、ニコニコと話すのです。

 

状況は気の毒だと思いつつ、「いやぁ、それは無理じゃないか」と思ってしまいました。でも、数週間後、この友人は「取れたよー」と満面の笑みで報告してくれたのです。びっくりです。諦めることはないのだ、と学びました。

 

今思うと、そのプロセスを最初から最後まで、ニコニコとやってのけた友人にも、びっくりします。ストレスもあったかもしれませんが、見た目には悲壮感ゼロ、怒りゼロ、です。「笑う門には、福来たる」とは、このことでしょうか。

 

そのほか、車が壊れたら「時間があるときに、自分で直す」という人々にびっくりしたり、

なみなみと注がれた紅茶がソーサーにこぼれたら、カップにじゃーっと戻し入れて飲むとか、

ハンカチは、鼻を噛んで、袖の中にしまうとか、小さな悲鳴を上げたいような衝撃もありましたが、

 

裸足で芝生の上にシートを敷いて、お茶やお菓子も用意して、ピクニックするように勉強したりと、自由の幅は、広がりました。

 

帰国した後、当然のことながら、同期という存在もなく、ちょっぴりさみしさもありましたが、それよりも、ほっとしたほうが大きかったかもしれません。

 

「もう、誰とも比べられなくて済むのだ」と、思ったからです。

 

実際には、その後も、人からの評価を気にしたり、人との比較を気にしたりと、まだまだ囚われることも多くありましたが、そういう経験をするたびに、「本当は自由でいたいのだ」と、自分の大切にしたいことを、あらためて感じてきたように思います。

 

競争は、気づかない間に、そんなつもりもなく、してしまうものです。そして、自分を追い詰めていきます。それがわかったのも、この経験があってこそです。

 

無駄な経験って、ありませんね。

 

今は、太極拳を教えることをしていますが、職業として「太極拳講師」と書くのも、ぴんと来ません。

 

ちょっと勇気を出してSNSで意見を聞いてみたら、ありがたいことに、いろいろ意見もらえました。聞いてみるものですね。「〇〇家、というのは、好きでやっている感じがしていい」とか、その中に太極道、ということばも出ていたように思います。それで、太極道家という肩書きを、作ってつけました(勝手に、です)。

 

太極拳を教えることは、ちゃんとその中に入っていますが、そこに限定されないわけです。その余白があるところが、いいのですよ。

 

ついつい、今でも生真面目になってしまうときもありますが、わたしの本分は、とにかく自由であることです。今はこれをしよう!と思うことしかわからず、来年はどうなっているのか、わかりません。

 

もちろん太極拳が大切なものであることは確かで、それは人生を生きることでもありますが、現実にどうやっていくかは、また別のことです。

 

今日は今日、明日は明日の風が吹く、ですよ。

 

そして、太極拳のように型(套路)があるものは、自由とは真逆のように見えるかもしれませんが、この型は、より自由になるための型なのだと、今は思っています。のびのび、自由に生きていいと教えてくれたのも、太極拳です。

 

最初の話に戻ると、10歳のわたしが「太極拳を教える人」という選択肢を持っていたとしても、結局、「将来なりたいものなんて、わからない」と言うと思います。

 

そして、聞かれるたびに、ちょっとした苦痛を感じることも、同じだろうと思います。でもその苦痛は違和感でもあり、「何かが違う」と気づくための1歩だったのかもしれないと思うと、これもやっぱり、無駄な経験ではないですよね。

 

自分なりに自由に生きて、人に「そんなの、あり?」と呆れられたり、驚かれたりしながら、「それでも生きていけるんだ、ありなんだ」と、ちょっと思ってくれる人がいたら、本望だと思っています。

 

 

≪特別クラスのご案内≫

3月10日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第2回 人体の中にある魚 です。詳細とご応募方法はこちら

 

3月17日(日)14:00-16:00は「ー5歳のハッピーウォーク」です。詳細とご応募方法はこちら

 

3月24日(日)13:00-15:00は、千葉県香取市(小見川)の「立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募はこちら

 

3月 31日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第19回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

4月7日(日)14:00-16:30は「やさしい站椿功:しあわせを呼ぶ7つのステップ第6回)」です。詳細とご応募方法はこちら

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

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