下手で、いい

2018.06.15 Friday

 

映画「モリのいる場所」を観ました。

 

画家の熊谷守一(くまがいもりかず)さん(=モリ)の、晩年の1日を描いたものです。モリは30年間、自宅の庭から出なかったそうです。

 

「庭は広すぎる」から。

 

ゆたかな生態系の庭には、さまざまな植物、虫、鳥たちが集います。それらをひたすら”みる”、モリ。映像では、小さな虫たちの日常の活動が映し出されていて、それらがなんともユニークで可愛らしく、思わず笑ってしまいます。モリは、こんな目で見ていたのかもしれません。

 

そんなモリに、「こどもの絵を見てください。才能があるんじゃないか、と思って。それなら教育を考え直そうかと。」と頼む人が出てきます。モリはじっと見てから、「下手だ。」

 

そして、下手でいい、上手には限界があるから、というような話をしていました。

 

いいことばだな、と思います。

 

自分をふりかえってみると、とかく、体を使うことに関しては、始めたときは「下手だなあ」と、よく思いました。例えばバレエも、水泳も、テニスも、太極拳も、です。でも下手だけど好きで、上手くなりたくて、練習します。練習することが楽しいから、苦にならずに続きます。人から見て大変そうに見えたとしても、自分にとっては、どうってことなかったりします。

 

下手+好き=続ける力、なのかもしれません。

 

では、やったらうまくなるのでしょうか?始めたころの自分と比べたら、そうかもしれませんが、たとえば太極拳にしても、今でも「上手い」という表現はピンときません。

 

ただ、続けてきた積み重ねがあるだけです。

 

続けてくるとわかることが、いくつかあります。

 

ひとつは、いつでも今のベストでやることです。教えるときは、今わかっている全てで、教えます。

もうひとつは、今のベストは将来のベストではないことです。3か月前、半年前とは、今のベストは違います。

 

今のベストを尽くすため、今に不満はありません。でも一方で、まだまだ知らないことだらけなことも、わかっています。だから楽しみがあります。

 

「下手の横好き」ということばがありますよね。音の響きに、ふっと頬がゆるんでしまいませんか?そんな自分でいられたらいいな、と思います。

 

これまで、「上手くなきゃ!」「これだけやってきたから、これも出来て当然」と思ったことが、ないわけではありません。でも、そう思ったときは、必ず失敗するのです。人生、上手くできています(笑)。

 

やったことは、なくなりません。頭では忘れても、体の経験としては残っています。それを「これだけやったから、上手くなきゃ!」と頭で考えてしまうと、逆に自分にプレッシャーをかけることになり、体を緊張させます。緩んでいなければ、上手くいくわけがありません。

 

頭で考えた自信は、重荷になるだけです。

 

「できるかどうかはわからないけど、やってみよう、やってみたい」というくらいが、わたしには、ちょうどよいみたいです。

 

映画のモリは、晩年で、すでにとっても有名な画家であり、書家でした。でも名誉には興味がなく、「大先生」という気張りもなく、どこかユーモラスです。そんなモリに、周りの人が魅かれて巻き込まれていく様子は、とっても見ごたえがあります。

 

モリ役は山崎勉さん、奥様には樹木希林さん。ポスターに書かれたコピーは、「文句はあるけど、いつまでもふたりで」。そのことばどおりの、結婚52年目のふたりの間の、ほんわかとした関係にも、ぐっときます。

 

熊谷守一さんは名のある芸術家ですが、そうでなくても、人はみんな、自分を表現して生きたい、と思っているような気がします。表現方法は、作品である必要はなく、いろいろです。

 

それぞれが、こんな風に「好き」な姿を表現していったら、映画のように、優しく暖かく、平和な世界が広がるような気がします。それぞれの「好き」に、みんなの頬が緩むような世界です。

 

「モリのいる場所」は、映像も音も美しく、温かくて優しい映画です。お勧めです。特に、樹木希林さんの美しさは、格別です。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

6月20日(水)19:00-20:30は「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

7月15日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(4)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


シェイクスピアの音楽会

2018.05.31 Thursday

 

”シェイクスピアの音楽会”に、行ってきました。

 

「シェイクスピアは、どんな音楽を聞いていたのか?」として、プロの演奏と歌唱はもちろん、この日のために集まった40人の素人さんたちによるリコーダー演奏、そして!観客みんなで歌うところもあるという、なにやら楽しい企画です。楽器が、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダーというところも、楽しみでした。

 

シェイクスピアは、かつて英文学を専攻していたわたし(もうふるーい記憶ですが)にとって、特別な存在です。

 

何が特別かというと、まずその言葉の美しさです。シェイクスピアが生きたルネサンス期、すでに散文は存在していたのですが、シェイクスピアの作品には、劇であっても、詩の形式が多くみられます。(注:それよりの中世では、文学は口承だったため、詩の形式しかありませんでした。)

 

韻を踏む、リズムのよい音の響き。これ自体が音楽です。

 

会場では、シェイクスピア研究者の河合祥一郎先生が、いろいろと解説をしてくださいました。

 

パンフレットから抜粋すると、

 

「天体の音楽(music of the sphere)という言葉があるのですが、シェイクスピアもいろんな作品でこれを語っています。当時の宇宙観は、地球が中心にあって、太陽や月がそのまわりを動く天動説です。この動く天体が音楽を奏でているけれど、ふつうは人の耳には聞こえないと信じられていた。(中略)この音を聞くことができるのは、心の清らかな人だけなのです。(中略)天体とは神々のことで、天体の音楽とは神々が奏でる音楽です。日常の生活を超えて天体とつながる感動。大宇宙と結びつく喜び。これがシェイクスピアの世界観であり、音楽観であると、ぼくは思うんです。」

 

地球を取り囲む惑星が、ぐるぐる回ってハーモニー(和音、調和)を奏でていること、これが天体の音楽です。でもそれは、人には聞こえません。それを楽器を使って聞こえるようにした、というお話もありました。

 

だから音楽を奏でるとき、歌うときは、私(我)を出すのではなく、天体をそのまま降ろすのだとか。

 

太極拳みたい、と思いました。

 

わたしにとっての太極拳は、我を出すのではなく、透明なパイプのような存在として、天と地をつないで循環させるものです。いきなり「我をなくせ」と言われると、ますます煩悩だらけになるばかりですから(人は、やってはいけない、と思えば思うほど、それをやってしまうものです)、それなりの段階を踏んでいきます。一気には行けませんし、ずっとそうでなくてもいいと思っています。なんといってもそこは、神様の領域ですからね。

 

狂言の野村萬斎さんも、舞台に立つときは、天とつながるような感じなのだとか。

 

太極拳なり、音楽なり、その他の表現方法を通して、宇宙のハーモニー、調和に触れること、それと自分を同期させることは、河合先生の言葉を借りるなら「天体と結びつく感動。大宇宙と結びつく喜び。」です。

 

わたしはこの言葉以上に、上手い表現が思いつきません。とにかく、震えるような感動なのです。

 

「それがあったら何になるの?」と思う人もいるかもしれませんよね。

 

大学生の頃、指導教官に「英文学は実学じゃない。社会に役に立たない学問だ。それを学ぶ意味を考えなさい」と言われたことがあります。

 

実生活に役立つかと言われれば、直接的には役立ちません。合理的な目で見れば、無駄とも言えます。でもそれが、ゆとりをもたらし、人生を奥深く、豊かにし、人の心の幅を広げてくれると感じています。

 

さてさて、でも実際には、地球に生きる人間は、神様ではありません。いろいろと失敗もします。河合先生は、天体をそのまま降ろすんだよ、と、美しいことを言いつつも、「人間は、ばかだ。それを知っているほうが、しあわせでいられる」ともおっしゃいます。だからなのか、シェイクスピアの作品には、道化(英語でfool=ばか)が登場しますし、foolという言葉で人間のおろかしさを伝える場面も、あります。

 

そこでみんなで歌ったのが、「この野郎(Thou Knave)」です。

 

「だーまれー♪、この野郎だまれー♪、ば、か。」ですよ。続いて「だまれ、ば、か。」さらに「ば、か。」

 

なんとも失礼な歌詞に、美しいハーモニー。この可笑しさは、残念ながら実際に歌わないと、伝わりにくそうです。憎々しげに歌ったら、だめなのですよ。天体とつながるのですから、神々しさを持ちつつ、「ば、か」です。

 

みんなで歌うのもハーモニー、40人のリコーダー演奏もハーモニー。もちろんプロの方々の音楽も、ハーモニーです。劇場内でも何度も笑い声が起き、演奏者も、観客も、みんな楽しそう。しあわせな雰囲気に包まれていました。これも、調和ですね。

 

ちなみに、地動説を唱えたガリレオは、シェイクスピアと同い年なのだそうです。散文と詩という形式の融合といい、天動説から地動説へといい、なんとも激動の時代を生きたわけですね。

 

ああ、楽しかった(^^)。

 

 

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6月6日(水)、20日(水)は、「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

6月10日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(3)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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先生と生徒と、共生

2018.05.19 Saturday

 

どの世界でも似たようなことはあるのかもしれませんが、太極拳の世界でも、先生と生徒の確執や、組織についていけない人というのは、出てくるようです。

 

好きで始めて、今でも好きだけれども、これからどうしたらいいかわからず、迷子になっているような状態です(”迷子”というのはわたしの表現で、当人はそう感じていないかもしれません)。そこに、苦しみや痛みを伴っていると感じられる場合も、多々あります。

 

かつて、わたしも迷い、苦しい気持ちを持って訪ね、泣きながら話を聞いていただいた経験があります。同じ道にいる人に、話をきいてもらえるだけでも、ずいぶんと気持ちが楽になりました。そこからまた、続ける意欲を新たにして、続けられる道を見出す機会にもなりました。

 

わたしのところにも、そういう悩みを抱える方々が、時々訪れます。自分の過去の経験もあり、こんなときに”話を聞く”ことも、自分に回ってきたひとつの役割なのかもしれないと、思っています。

 

対象の方を直接知っているわけではなく、仮にちょっと知っていたとしても、当事者ではないため、何かできるわけでもなく、何かしたいわけでもありません。たいしたことは、できないかもしれません。

 

ただ、練習方法や、体の使い方についての迷い、太極拳とはどういうものかという概念や哲学や理論は、答えられること、お話できることは、あります。昔の自分がそうだったように、それが迷子になっている人にとって、光を見つけるきっかけになるといいな、と願っています。

 

悩みの中には、先生の意図がうまく伝わっていないだけかな、と感じることもあります。ものごとの一部分しか伝わっていない気がする場合、「こんな側面もある」と、違う角度からの見方をお話することもあります。

 

どんな指導をする場合であれ、先生には、それぞれの考えがあると思っています。「とにかく動きを真似するだけで、説明がない」という話もよく聞きますが、それもひとつの教え方です。

 

わたしは、たくさん話してくださる先生に習ってきた時間を、多く持っています。それは、教え方という意味でも、よりどころという意味でも、自分の基盤になっています。

 

でも中には、何の説明も受けず、ひたすら真似するだけのお稽古もありましたし、とにかくやり続けたものも、あります。時間数でみても、こちらもかなりあるのです。その経験も、やはりよかったのです。

 

カンフー(功夫)とは、もともと、時間をかけて熟達していく人、という意味です。匠、みたいなイメージです。絶対的に必要なのは、”時間をかけること”です。わからないなりに、雰囲気を感じとり、真似して、ひたすらやり続けることで、ある日、「あっ、これ?」という気づきがあったりするのです。与えられるのではなく、自分で開拓して気づいていくプロセスは、何ものにも代えがたい、貴重な経験です。

 

そこには、「おかしいなあ」「変だなあ」と思うこともあります。迷いもあります。でも、その問いを持ち続けていると、いつかどこかで、答えはやってきます。

 

もちろん、「こんな感じじゃないかしら?」という、明るい兆しのような発見もあります。それはのちのち、先生からのアドバイスにはまってくることもあり、「ああ、あのときこれを、自分なりに感じ始めていたんだ」と思えることもあります。人の体とは、そういうものです。自分で発見していけること、開発していける可能性が、たくさんあるのです。

 

焦らず、のんびりいこうと思えないと、説明もなく続けるのは難しいかもしれませんが、そもそもカンフーとは、そういうものですしね。

 

つまり、教え方としては、なんでもありだと思っています。そして、どんな経験も、苦しいことも含めて、無駄になることはないのだと思います。

 

そうは言っても、今、自分が行き詰っていたら、その場所からは離れたらいいと思います。先生には、好きなやり方をする自由がありますし、生徒には、自分が希望する先生につく自由があります。

 

タイミングが合わなかったり、ウマが合わないことも、ありますよね。

 

共生とは、共に生きることで、仲良く手をつないで生きることではないと思っています。希望するものが違うなら、別の場所で生きる方がお互いのためです。

 

クジラは、金魚鉢の中では生きられないのですから。金魚は、海では生きられません。クジラと金魚、どちらが偉いとかは、ありません。

 

苦しさや傷がある場合、それを癒す時間は必要です。病気がひどければ入院するように、それまでの場所から離れて、治療にふさわしい環境に身を置くべきときもあります。骨折したような場合、回復まで長い時間がかかることもあります。リハビリも必要ですよね。

 

そうやって安心できる場所で自分を癒しながら、時には「忘れて」過ごすうちに、過去の出来事への見方が変わってくることも、あります。

 

起きたことの事実は、変りません。でも、過去の感情は、今に持ってくることはできないのです。つまり、いつも”今”の時点から、過去の出来事を見たときの感情があるだけです。

 

これはわたしの場合ですが、確執も、それを経験する意味があったのだ、自分がそれを経験したかったのだと、素直に思えたとき、苦しい感情は、薄くなったり、消えていることも、あります。

 

起きることすべてに意味がある、今を生きることで過去は変えられる、というのは、そういうことだと思います。

 

みんなそれぞれ、自分にふさわしい場所で、共生していけたらいいですよね。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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守護天使からのことば

2018.05.15 Tuesday

(2013年、流れに抵抗してくたびれ果てた頃。自分を取り戻そうと行った、バリ島で)

 

先日、GGG(Great Gurdian Guidance =グレート ガーディアン ガイダンス)というセッションを受けました。

 

守護天使という存在、気にしたことありますか?本質的な自分を100%理解し、愛し、サポートしてくれる存在、と言えばいいでしょうか。ハイヤーセルフと言ったり、自分の内なる声と言ったり、自分自身、とも言えます。

 

人にはそれぞれ、守護天使がいるといいます。そんな天使のことばを伝えてくれるセッションがある、と知ったその日、サッと申し込みました。

 

楽しみにしていたのですが、近くなってくると、「はて?何をするセッションなのかしら?」。あらためてご案内の文章を読んで、「ヒーリング?今、いらないかも」と思ったり。しかも当日のお天気は、大雨の予報。これは......と、キャンセルが頭をよぎりましたが、キャンセル条件がわからなかったために、そのままになりました。なんだか、後ろ向きですね。

 

翌朝は、すっきりとした朝でした。快晴ではありませんが、雨は降っていません。「あれ?行けちゃう?」と。

 

そして結局、行けて良かったのです。会う人には、タイミング良く会えるようにできています(と、勝手に都合よく解釈。)

 

セッションをしてくださるのは、Yasuko Taguchiさん。普段はシドニーに住んでいらっしゃいます。

 

まず、今日の流れの説明から始まります。「天使は、聞いたことしか答えない」とか、「天使は自分自身なので、きっと、『ああ、それは知っている』と思うことばかりです」というお話もありました。こういう説明、大事ですよね。こんなやりとりをする時間も、大事です。

 

最初は、天使の”見た目”からです。「ちょと意外ですが、洋風、たぶんヨーロッパ人、男性か女性か、わからない感じ。木の妖精のようで、たとえるならコロボックル。天地と交信しながら、かろやかに舞って、エネルギーを循環させて、喜びを表現している。自然界とのつながりが、とっても強い天使です。」

 

確かに、このあたり、「知っている」感じです。わたしは、ハイヤーセルフに会うような瞑想をする場合、出会う姿は、金髪のクルクル巻き毛、青い眼の小さな男の子か、金髪巻き毛の女の子か、飄々としたおじいさん、なのです。天使は、いつも決まった姿をしているとは限らないのですよ(たぶん。)

 

天地の間で循環する感覚は、太極拳をしているときの感覚です。天地の間に生きる人は、天地をつなぐ存在だと思っています。

 

「流れに乗るのが得意というよりは、流れそのもの。今、こうだからこうしようということが、早く現実化すること、あるでしょう?」とも。ある日突然、太極拳が人生に現れて、始めたことも、そのひとつかもしれません(出会いがしら、みたいな始まりでした。)

 

さらに、今に至るまでにいろんな仕事をしてきているのですが、それについては、「そのときはそれ、という流れを、素直に表現したからではないでしょうか」と言われました。

 

そのことばで、過去の認識が、変わったような気がしました。

 

仕事は、ずっと好きなことを選んできました。でもだんだん、何が好きなのかわからなくなり、やりたいことがないのに、やめる勇気もなく、そのまま居続けるという状態でした。そのせいか「ずいぶん長く会社員をしたけれども、それだけ時間をかけなければ、自分には合わないと気づかなかった。それだけ感覚が麻痺していたのかもしれない」と認識していました。

 

でも、そうではなかったのかもしれません。

 

そのときの流れで、縁があった仕事をしてきたのだと、再認識できた気がしました。

 

思い返せば、数々の転職も、ほぼ知り合いの紹介でした。途中、「なぜこの部署に?」という不思議な異動もあり(わたしだけではなく、周りの誰にとっても不思議な異動でした。そんなことが、現実には起きます。)、それがわたしの職歴をわかりづらいものにしたと思うのですが、それもまた、流れだったのかもしれません。

 

これも、ご縁なのでしょう。

 

そもそも、不可解なように見えますが、自分の中では、ちゃんとつながっている気がしていたのです。そういうことすべてが、腑に落ちた気がします。

 

カンフーをやっている人、例えばわたしの先生は、最初のキャリアからカンフーです。でも、わたしは始めた年齢も遅く、最初の頃は「遅いスタートで、どれだけのことができるのか」と、コンプレックスに感じたこともありました。

 

でも、ここ数年は、そんなことで悩むこともなく、わたしにできることをすればいいと、思うようになりました。

 

わたしには、会社員だったときの、あの一つひとつの経験が、とっても大事なのです。これでクビだと血の気がひいた出来事、ウマが合わなかった相手、板挟み、損を出したこともあれば、新しい流れを作りだすような経験、チャレンジ、大きな変化、信頼、助け、優しさ、喜び、本当にいろいろです。

 

いつも思っていたのは「同じことは二度とない」でした。前回はこうやったと言われても、「今回も、同じようにやればうまくいくとは限りません」と、生意気なことを言っていました。似ている案件でも、実際には環境や状況などが違うので、まったく同じことなど、ないのですよ。いつも、今を生きていたと思います。この事実には、驚きます。

 

今回のセッションがなければ、こんなふうに再認識する機会もなかったかもしれません。うれしかったです。

 

千変万化、世の中はどんどん変化します。上で書いたように、比較的、変化には柔軟だったのですが、その変化に抵抗したときは、当然のことながら大変でした。本当はやりたくないのに、無理やりしようとしたり、留まろうとしたり、自分の本質に素直に生きていたときではありませんでした。

 

だからこそ、わかった感覚があります。「わたしは、わたしであれば、それでいい」です。自分が自分であれば、自然とひとつになり、流れにのっていけるというのは、天使からのメッセージでもありました。

 

わたしにとっては、枠にはめず、はまらず、自由でいることが何よりも大事です。

 

カンフー、太極拳が、わたしにとって大切であることは、きっと変わりませんが、これからそれをどう伝えていくのか、どう表現していくかは、変化していくかもしれないな、と思っています。

 

セッションの中の、天使からのことばは、録音させてもらえたので、時々聞いています。17分くらいの短いものですが、いつも寝てしまうのです。最後に自分が「大丈夫です。ありがとうございます。」と言うところで目が覚めるのですが、それが、自分で自分に大丈夫、と言っているような気がして、不思議と元気づけられます。棚からぼたもち的なオマケですね。

 

これ、天使からのことばを伝えてくださった後に、「他に聞きたいことありますか?」と聞いてくださったことへの返事なのですけれどもね。

 

守護天使を信じるかどうかは、自由です。天使、という表現をしなくてもいいと思います。こういう話が、あまり好きではない方もいらっしゃると思います。でもこういうことは、他人がどう思うかよりは、自分が腑に落ちれば、それでよいのだと思っています。

 

そのことばに癒されたり、これからに向けての活力になるなら、じゅうぶんじゃないかしらね。

 

Yasukoさんのウェブサイトは、こちらから。ここで書いたことはセッションの一部ですので、実際にはもっと、盛りだくさんです。満足、お腹いっぱい、胸いっぱいで、セッションを終えられたことに、感謝です。

 

 

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(2015年4月。Photo by Xie Okajima)

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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「神の島」久高島:「久高オデッセイ」を観て

2018.05.14 Monday

 

先月、「久高オデッセイ」というドキュメンタリー映画を観ました。

 

大重潤一郎監督が、2002年から12年、沖縄久高島の自然や人の営み、祭りごとなどを、「結章」「生章」「風章」の三部作として完成させた抒情詩(=オデッセイ)です。

 

観に行く前は、名前を聞いたことがあるくらいで、大きな興味や期待はありませんでした。何度も観ている友人が行く!という機会に、なぜか「観てみたいな、行こうかな」と思い、「第三部 風章」に行きました。

 

久高島は、沖縄の人々の祖先となった男と女の神さまが、最初に降臨したという神話が伝わっているそうで、沖縄の人々から「神の島」と呼ばれているのだそうです。

 

神の国で、祈りをささげて祭祀を執り行うのは、神人(かみんちゅ)、女性たちです。男性は、海に漁に出て、海人(うみんちゅ)と呼ばれます。

 

映画では、久高島の風景、自然、日常に溢れている祈り、暮し、祭りの様子が、淡々と描かれていました。

 

激しい雨風が吹き荒れる風景も、この島では普通のことなのだとか。自然の恵みもあれば、こんな日もあります。

 

祭りのときには、みんなが集まり、祈りの後に踊るのです。スーツを着た男性も、子供を連れた女性も、軽やかに踊るのです。嬉しそうに、楽しそうに。音楽とともに。

 

祈りは特別なことではなく、日常にあるのだと感じました。

 

久高島の地下に流れる地下水のように、この営みは、ずっと子孫に引き継がれてきています。でも最近は、土地を耕さなくなったために地下水の流れも枯れてきているのだとか。

 

祭りごとも、同じです。12年に一度、牛年に行われてきたイザイホーという儀式も、今は途絶えてしまっているそうです。

 

それでも、イザイホーの儀式の日にあたる日、島で一番若い神人が祈りをささげている姿がありました。ずっとお祈りのことばを唱えながら、途中で泣きながら、続けているのです。その姿と、「儀式は途絶えても、その魂は引き継がれている」というようなナレーションは、とても心に残りました。

 

全体として、淡々と流れる映像なのですが、終わる頃には、なぜか号泣です。理由はわかりません。隣にいた友人も、やはり号泣。

 

さらに観終わって出てきたら、やはり目を赤くしている知人にばったり。聞いてみると、昨年、久高島に行ってきたのだとか。

 

感想は上手く言えませんが、「ここには大切なものがある」と、強く感じました。

 

わたしはこれまで、海外に出て、カルチャーショックを受け、自分の無知さに気づき、視野を少しずつ広げてきたと思います。それを求めていたと思います。

 

でもこの映像を観たときに、「ここにあるじゃないか、大事なものが」と思ったのです。国内のことだって、わたしはまだ何も知らないのです。

 

自然への畏怖と感謝の中で生きること、日常に祈りのある毎日。

 

これ以上に、何か言えることはないのですが、数日後に「第二部 生章」を見たときに、涙のわけが、少しわかったような気がしました。でもそれは、まだ言葉にできるところまでは言っていないのですけれども。

 

わけもわからず涙が出たのは、9年前に武当山に初めて行ったとき以来かもしれません。

 

これからわかってくるかもしれませんね。わかっても、わからなくても、どっちでもいいような気がしますが。

 

面白いことに、こういうことがあると、久高島が日常に現れはじめます。「去年、行った」という人、「先月、急に予定変更して行ってきた」という人が、次々と周りから出てくるわけです。

 

不思議ですよね。

 

観に行く前には、たいした興味はなかったのに、です。

 

きっかけを運んでくれたのは、友人です。こんなとき、友人ってありがたいなあ、と思います。

 

なんだかいろいろ、うまくできています。

 

久高島、行こうと思っています。いつになるのかな。

 

 

 

 

 

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