アニマル進化体操:卵からワニ、そしてマサイのジャンプまで

2017.10.02 Monday

(ワークショップ後、田中ちさこ先生と)

 

先日、”アニマル進化体操”を体験しました。

 

”進化は背骨に現れる”というもので、1.卵→ 2.さかな→ 3.へび→ 4.ワニ→ 5.チータ→ 6.ゴリラ→ 7.人間(マサイのジャンプ)までを、順を追って体験していきます。

 

教えてくださるのは、田中ちさこ先生。アレクサンダーテクニークの先生でもあり、視力回復のベイツ・メソッドの先生でもあります。きっかけは、1年くらい前、友人からアレクサンダーテクニークを受講したときです。「背骨の進化を追っていくワークがあって、それをやったら面白いと思うよ!」とお勧めされました。(アレクサンダーテクニーク体験については、こちらからどうぞ:「からだのつながりと、人のつながり」)

 

タイミング良く、すぐに受講できるチャンスがやってきました。そのときは卵から魚までの体験で、背骨にフォーカスしたワークは、体感としてもとっても新鮮で興味深かったです。魚から先の進化チャンスを狙っていたら......ようやく1年後に実現しました。

 

「全部やると1〜2日かかるので、どこかを中心にやっていきましょう。どこがいい?ワニの上陸作戦は、難しいけど面白いですよ」というので、すかさず「ワニやりたいです!」

 

希望がかなって、今回は卵からワニの上陸作戦までと、二足歩行の人間としてマサイのジャンプを体験しました。

 

まず、手足のない卵のころんとした状態から、魚になります。あおむけに寝た状態から、うつ伏せにひっくり返るワークがあり、これが最初の難関です。卵ですから、まだ腰はありません。でも、いつもの人間としての習慣から、腰を動かしてひっくり返ろうとするのです。「視線を動かして、背骨の上の方からそっていってひっくり返る」という先生のガイドに従って、ころん。それっぽくできると、背骨がグルンとまわって、気持ち良いです。先生はアスリートにも指導されているそうなのですが、「これ、みんななかなかできないのよ」とおっしゃっていました。ということは、誰にでもそれだけ進化の余地がある、ということでもありますね。

 

できないと焦りがちになりますが、先生は「進化はものすごい年月をかけているのだから、ゆっくりやりますよ。」

 

魚になると、直線の背骨ができます。この段階では腰や首のカーブは、ありません。うつぶせに寝て、目は頭の両サイドあたりにあります。頭のてっぺんからユラユラと揺れて動くことで、泳ぐ体験をします。ここで「ウェストはないから、腰でふらないように」と先生。魚の動きをするときに、今の人間の機能を使おうとするのです。それでは進化の過程はたどれません。こういう方法で、余分な動きをなくしていくのは、面白いですよね。

 

続いて魚から蛇に。蛇は、頭の真ん中よりも上のあたり、目のあたりというか、蝶形骨のあたりというのか、そのあたりを左右に移動させてゆらゆらします。左右、どちらかの脇が収縮します。このとき、「収縮する方の脇で支えてみて」という言葉どおりにすると、あら、結構遠くまで安定していけます。「ためしに、伸ばしている方の脇で支えてみて」と言われてやってみたとたん、倒れそうになりました。支える場所を意識するだけで、全然違ってくるのですよ。

 

(蛇)

 

そして念願のワニの上陸作戦。「獲物を見るためには視線が上にならないと」ということで、首が上を向き、背骨にカーブができます(首のカーブ)。この時点ではまだ骨盤はなく、お尻の筋肉もありません。腿の部分を内転、外転させることだけで、前に進む力を作ります。「お尻を使わなーい」「腕で前に進もうとしなーい(腕はサポートとして使います)」「膝から下で押さなーい」と、いろんなアドバイスがやってきます。うまく使えば、腿の内転と外転だけでぐっと前に進めるのですよ。

 

(ワニの上陸。この曲げた脚をぐっと回転させることが、前に進む力になります)

 

(ワニになっている生徒さんに「獲物(プーさん)はここよ」。首のカーブがないと、見えません。)

 

この後、四つ足の哺乳類(チーター)に進化するときに、下にくる内臓を背骨で保つために胸が湾曲して腰のカーブができ、ゴリラを経て、人間になっていきます。今回は時間の関係で、残念ながら四つ足体験はできませんでした。

 

でも、もうひとつの念願の、マサイのジャンプは体験できたのです。体軸をしっかりさせることで、ラクに楽しくジャンプできるようになります。自分が跳ぶのも楽しかったですが、他の方がぴょんぴょん跳ぶ姿や、その変化を見るのも、楽しかったです。ほかの人がやっているときに、ワクワクしながら待っていると、先生が「次、やるからね」と声をかけてくださったりして、ワクワクはさらに膨らみます。先生の笑顔や声掛けで、最初は知らない人同志のグループも、あっという間にニコニコでした。

 

進化の過程をなぞりながら背骨を使っていくことで、背骨を感じる感覚が、ぐっと上がります。柔かさも増した気がします。魚が動く起点(頭のてっぺん)は、立つときに上に向かう点に応用できます。それを体が理解することで、体軸もしっかりしてきます。

 

先生は、この進化過程に「ロマンを感じる」とおっしゃっていました。ぴったりな表現ですよね。はるか昔、人間が生まれる前からの進化過程を経た自分が、その恩恵を受けて今ここにいること、そしてその時々の能力を自分が持っていること、そんな風に感じると、一気に可能性が開いていくような気がしませんか?

 

このワーク、医師で人類学者のレーモンド・ダート博士(1893年〜1988年)の研究成果であるダート・プロシージャーをもとにしています。息子さんが脊椎側弯症で、その治療方法をもとめてアレクサンダーテクニークに出会い、そこからのご縁でこのワークにつながっていったようです。

 

実はわたしも13歳のときに、脊椎側弯症と診断されています。西洋医学のお医者さん曰く、「曲がっていること自体は問題ではない」レベルですが、「その影響で周りの筋肉が凝り固まることで問題が起きやすいので注意すること」と、言われてきました。

 

骨が曲がっている方の筋肉が凝りやすく、実際3年くらい前までのわたしのウェストは、左のくびれが少なかったのです。

 

西洋医学的にも、カイロプラクチックなどでも「治らない」とされた湾曲ですが、その後「あなたの心がまっすぐになれば、背骨はまっすぐになる」とおっしゃるボディ・ワークの先生(注:治療師やセラピストではありません)に出会い、「まっすぐになる」という可能性を自分の中に持って、いろいろやってみたところ、湾曲は改善し、ウェストの左のくびれも存在するようになってきました。

 

以前は、太極拳をやっていながら、背骨が曲がっていることは、コンプレックスでもありました。その反面、こういう場合の凝りの痛みも知っています(体が硬いのとは違うのです)し、それをあきらめずに少しずつほぐしていった体験、心とのつながりの気づき、コンプレックスとの付き合い方の変化などなど、ある意味ではとても豊かなプロセスをもたらしてくれました。このワークに出会えたことも、そのひとつなのかもしません。

 

ものすごく長い歴史の中で育まれてきた、背骨の進化の智慧を思い出すことで、わたしも、誰でも、発展していく可能性が開けると思うのです。

 

次は、まだ未体験のチータ―とゴリラを、ぜひ。チーターの優美な歩き方はとっても憧れているので、とても楽しみです。いつになるのかわかりませんが、のんびり、いこうと思います。 

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


心と体をむすぶ呼吸

2017.01.29 Sunday

先日のお稽古の前、生徒さんをお待ちしている間、短い瞑想をしました。

 

瞑想の方法はいろいろありますが、このときは、坐骨の上にまっすぐ体を乗せて座り、まず体のチェックからはじめました。余計な力が入っていたり、緊張しているところを見つけて、緩めていきます。それから呼吸に意識を向けます。吸って、吐いて、を繰り返し、”吸う”と”吐く”の移り変わりを大切に観察しながら、呼吸を続けます。

 

しばらくして生徒さんがいらして、「おはようございます」と、出した自分の声は、静かで深くて、自分はこんな声を出すのだと、ちょっと驚きました。短い時間、5分くらいだったと思うのですが、心身のバランスが整って、とても安心してお稽古を始めることができました。

 

太極図(陰陽図)は、ある現象、枠組みを表しています。それが”健康”という枠組みであれば、そこには”心”と”体”が入ります。このふたつの要素のバランスが取れていれば、その形が示すとおり、”円満”となります。この心と体をむすぶのが、呼吸です。

 

人前で話すとき、練習よりも本番の方が速くなるという話をよく聞きます。本番では緊張してストレスがかかるため、呼吸が浅くなり、話すスピードが速くなるからです。本番前に深呼吸をするのは、意識的にゆっくり呼吸をすることで、逆に体の緊張をほぐしていけるからです。

 

呼吸のリズムは自分の意思で変えることができます。心臓の鼓動は自分でコントロールできませんが、呼吸は、意識しさえすれば、たいていの場合は調整することができます。

 

これって、面白いなぁと思うのですよ。自然界を大宇宙とし、人間を小宇宙として対応させた場合、自然界のリズムは勝手に変わったりしません。夜と昼、四季には、”リズム”があります。突然、明日は昼1時間、夜23時間とか、夏から冬になったりとかしません。人のリズムはというと、心臓の鼓動は一定ですが、呼吸は勝手に暴走して速くなることもあります。

 

自然界をお手本として、流れに逆らわずに生きようとするなら、暴走しがちな呼吸のリズムを自分の意思で保つことが、鍵になるような気がします。難しく考えず、呼吸に意識を向けて、丁寧に観察していくだけでも十分だと思います。たとえ1分でも、意識してやると、全然違うと思うのです。

 

中国武術の研究家、松田隆智先生が「中国武術の本」(学習研究社)の中で、人の心と体は本人が思っているよりもはるかにバラバラだ、とおっしゃっていました。心は体の求めるところを知らず、体は心の求めるところを知らず、それぞれが勝手に、あるいは習慣に従って無意識に動いているからだそうです。知らず、というのは、意識化されていない、ということです。

 

バラバラな心と体をつなげていく、つまり無意識を意識化していくことが、カンフー(功夫)の鍛錬の道でもありますが、心と体を呼吸でつなぐというのは、そのベースにあたるような気がします。

 

瞑想するときに、体をチェックして無駄な緊張を取っていく過程で、まず体をゼロベースに戻します(わたしのイメージです)。そして、呼吸に意識を向けることで、余計なことを考えたり、心をとらわれたり、感情の起伏が激しく起きたり、という状態からも解放されていきます。(いかないときもあるかもしれません。そういうときも、あります。)心もゼロベースになります。その状態で

呼吸することで体と心をつないでいくというのは、お互いを意識化に置いて知り合う、良い入口のような気がします。

 

このベースがわかっていると、心が乱れたとき、体が固くなったときにも、わかりやすくなると思うのです。呼吸が乱れることも、体や心が平常ではないことを教えてくれます。ゼロラインを死守ということではなく、そこを基本として、大きくかい離したときに気づくことが大事だと思っています。(気づいても戻れないこともあります。戻りたくないときも、あります。)

 

ゼロラインに近い状態で自分から出る言葉は、最初に書いたように、とっても静かで深くて心地よく、安心します。こういう声、覚えがあるなあ、と思ったら......学生の頃に教えていただいたシスターの声が、そうでした。「ひとり、ひとりを、大切に」と、ゆっくりお話しされるリズムは独特で、不思議な響きでした。常にあの境地にいるのはとてもとても、と思ってしまいますが、せめて、どんなときもベースを持って、いつでもそこに戻ってこられることを目指そうと思います。変わらないものがあるということは、帰る場所があると知ることは、とっても安心できることだと思うのです。それがあれば、変ることを恐れずに済むのかもしれないな、と、思います。

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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5本指ソックスを履くか、履かないか?

2017.01.13 Friday

(Photo by Xie Okajima)

 

5本指ソックス、履いていますか?わたしは、2年くらい前から毎日履くようになり、半年前にやめて普通の靴下になりました。

 

最初に言うと、どちらが良いかと言う話をしたいわけではなく、「これだ」という思い込みにとらわれず、今の状態を見て柔軟に対応するほうが良い、と思っているのです。

 

さて、2年ほど前に履きはじめたきっかけは、立つこと、歩くことを教えていただいた先生から勧められたことです。その頃のわたしの足は、今よりサイズも1cm以上小さく、薄い形をしていました。靴の中に押し込められて、関節の隙間は狭く硬くなり、骨がバラバラに動きにくい状態でした。バラバラに動かす、という意識もなかったように思います。

 

そんなわたしに「骨は全部バラバラに動くんですよ」と、手足をブラブラ振る体操でほぐし、関節の隙間をあけていくことを教えてくださいました。指がそれぞれ動くという意識を育て、実際に使えるようにしていくには、5本指ソックスは役に立ったと思っています。今でもこのバラバラに動くというのは、ひとつの大事なポイントです。バラバラに動ける状態にしておくことで、体全体がそれぞれ、呼応して必要な動きを取ってくれると感じるからです。

 

そんなこともあり「靴下は絶対5本指!」と、ずっと信じてきました。

 

が、ある日のこと、お洗濯の関係で、数少ない普通の靴下の出番がまわってきました。履いてランニングをしはじめたとき、「あれ?」なんだか、この方が足裏が柔かく使えている感覚があるのです。「もしかしたら5本指ソックスの方が窮屈なのかも......」と、初めて感じたのです。

 

履き方にもよると思うのですが、5本指ソックスをぴんっと履くと、足指が反ってしまい、足が地面に接地するときに足指が使えず、足裏の筋肉(足底筋)が張ってしまうらしいのです。それで酷使すると、足底筋膜炎になってしまうこともあるそうです。ぴったり履くと、足指の1本1本が独立して、過緊張を起こすとか。(参考:「「筋肉」よりも「骨」を使え!」甲野善紀 松村卓 著 ディスカヴァー携書 2014年)。

 

なるほど、確かに普通の靴下を履いて走ったときの方が、足が柔かく、楽に使えました。(緩めに履いたら、良いのかもしれませんが。)

 

わたしの場合、最初はよかったのかもしれません。でもそこで覚えた「5本指ソックスは良い」という頭の声が、「きつくて緊張する」という身体の声を無視していた時期もあったようです。それは普通の靴下を履いてみるまで、気づきませんでした。

 

身体全体が動くことは、あまりに当たり前すぎて、知らない間に余計な思い込みを持ってしまうこともあります。例えば、「腕はどこからが腕か?」と聞かれた場合......

 

「肩から」と答えると、腕を動かすとき、肩から先しか動きません。

 

でも本当の腕の始点は、鎖骨です。鎖骨から腕だと理解してから腕を左右に開いて上げていくと、鎖骨も回転することがわかります。この方が、腕はずっと楽に上がります。(なお肩甲骨は、腕の始点ではなく、腕の可動域に影響を与えます。)

 

経験は大事ですが、それは過去の自分でもあります。それも参考にしつつ、今の自分の感覚を大切にして、今、居心地良いものを選んでいきたいです。

 

こんなこと、あるある。思いこみには注意しよう、という自戒を込めて。

 

(武当山)

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足のおはなし

2017.01.07 Saturday

 

人が立つとき、足裏が大地との接点になります。この足裏を含めた足、とっても大切なのですよ。

 

お稽古に初めていらした方に、よくする質問があります。「立つときの大地との接点は、親指、小指、かかとです。かかとは、内側(親指側)、外側(小指側)、真ん中、のうち、どこが一番地面に接していますか?」

 

もしできる方は、よかったらちょっと立って、確認してみてください。

 

.......

 

これまでの様子では、9割以上の方が、内側(親指側)もしくは真ん中と答えます。でも正解は、外側(小指側)なのです。

 

 

上図でみると、緑色の踵骨が一番下の骨で、ここから小指、薬指がつながっています。踵骨の上に乗っているのが水色の距骨で、ここから親指、人差し指、中指がつながっています。距骨から、脚の太い骨につながっていきます。

 

真ん中、内側と答えた方は、骨ではないところが地面に接していることになります。骨格という構造を使って立つことを考えると、一番下の土台に乗っていないことになり、全身が不安定になりがちになります。踵骨からつながっている小指も、微妙に大地から浮いていたり、もしくは触っているけれども踏めていなかったりします。

 

体は良くできていて、不安定な体でも、筋肉を固めるなどして立たせようとします。お利口なのですが、本来で立つために必要ない筋肉を使うため、疲労やコリなどの不調を引き起こすこともあります。

 

そして踵が内側や真ん中、と答える方の場合、腰を落とすと膝が内側に入りがちになります。正しい膝の位置はつま先の上で、内側に入ると膝を痛める原因になります。さらに言うと、踵の骨の位置を間違ったまま膝をつま先の上のラインに合わせても、膝を痛める原因は解決していません。踵の位置を再確認してから腰を落としてもらうと、膝の位置は自然につま先の上のラインにきます。

 

さらに、”太極拳の秘密”その1である大地を踏んで頭が天に向かって伸びることも、踵の骨の上に乗っていなければ、大地からの力を上手くもらうことはできません。上に向かう力がもらえると、空間が、浮力がある水中みたいになると、わたしは感じているのですが、それも実現しません。自分の体の使い方と意識で、ただの空間を浮力があるような空間にすることができ、そこで腰を落とすと、お尻を風船の上に乗せているようにふんわりと降りていくのです。膝に負担もかかりません。

 

3年ほど前、武当山にお稽古に行ったときに、あれ?と思ったことがあります。高いところからジャンプして降りるとき、先生たちの足音は小さく、わたしは「パタン」と大きな音がしたのです。「なんだ、この違いは?」

 

先生の弟弟子の学校に行ったとき、長くお稽古している10代の中国人生徒が走る姿を見たときにも、あれ?と思いました。ふんわり浮くように走るというか、滞空時間が長いのです。当然、足音もパタパタしません。

 

ひとつは足裏の柔かさだと思います。アスファルトの上で靴を履いて生活していると、足は狭い靴の中に閉じ込められて固まりがちです。足には、上図のように細かく関節があるのですが、固まった足には関節に隙間がなく、骨がバラバラに自由に動きにくくなっています。一枚の板を床の上に落とす時と、細かく継ぎ目があって形が変えられる板を落とした時とでは、衝撃が違ってくるでしょう。

 

もうひとつは浮力があるような空間にしているかどうかだと思っています。同じ重さのおもりを空気中で落とす時と、水中で落とす時の違いです。衝撃はずいぶん違います。浮力があることで、体への負担を減らすことができます。

 

普段歩いていても足音が大きい人、いますよね。わたしも昔はパタパタ歩くタイプだったので、人ごとではありません。歩くたびに、地面と衝突してケンカしているような気がします。地面も足も、お互いつらそうです。

 

人の面白いところは、意識するだけで変わることです。踵の骨の位置を再認識したり、足の骨の図を見て(本当は、何も見ないで自分で書いてみて、正解と比べてみる方が良いです)関節の位置を知るだけで、足はもっと使えるようになります。無意識ですが、勝手に脚を一枚板だと誤解して認識している場合もあるのですよ。

 

小さな面積で全身を支える足。もっと意識して大切にしていけば、いろんな可能性が広がっていくと思います。たまには、できれば毎日、ちょっとでも良いから足裏や指をモミモミ、いつもありがとうの気持ちを込めてマッサージしてあげるだけで、変ってくるかもしれません。

 

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からだのつながりと、人のつながり

2016.09.09 Friday

(武当山の頂上、金頂にて)

 

「体はつながって動くんだよ」というのは、太極拳のお稽古中によく言う話ですが、最近、”つながって動く”感覚が変わりました。

 

きっかけはアレクサンダー・テクニークを受けたことです。友人が講師デビューを目指すにあたり、モニター受講生を募集していたことから、手を上げて、1週間に約1時間を2回、合計で10回受けてみました。

 

アレクサンダー・テクニークとは、F.M.アレクサンダーさん(1869-1955)が開発したもので、心身の不必要な緊張に気づき、これをやめていくことを学習するものだそうです。約1か月という短期間にわたしがどれだけ理解できたかわからず、全貌を説明できるわけではありませんが、それでも従来の認識を変えたり、気づきを与えてくれたりしたことは大きいので、理解している範囲内で書いてみようと思います。

 

アレクサンダーさんの大発見は、頭がい骨と頸椎の間の関節が自由に動くようになっていれば、全身の関節が自由に動く、ということでした。この頭蓋骨と頸椎の間の関節、動かしてみると、前後にはちょっとしか動かず、横にはさらにちょっとしか動きません。胸をはって顎が上がると詰まってしまいますし、顎を無理やりひいても詰まってしまいます。最初はわざと詰まらせて窮屈な感覚を覚えてみてから、「ここが自由に動く」と強く思うことから始めました。

 

なぜここが自由に動くことが全身に影響を与えるのかは、神経などのしくみからも説明できるようなのですが、アレクサンダーさんは解剖学などを勉強して発見していったわけではなく、自分の体を使って実践していくことで、ひとつずつ発見していったそうです。心身の不必要な緊張に気づいてやめていくことや、理屈や理論ではなくて自分の体の感覚で発見していくあたり、太極拳の目指していることや発展の過程と似ています。

 

立った姿勢でこの頭がい骨と頸椎の間の関節が”自由に動く”という状態を作ることは、太極拳で言う”放松”に似ています。実際、「その関節が自由に動く」と強く思うことで体に起きる変化は、”放松”の状態にしていくときに起きることと同じです。太極拳では「あごは引き気味に」と習うことも多かったのですが、引くのではなく、結果として引いた状態になるのだということも、このワークを通じて体で理解できました。引いてしまうと詰まってしまい、文字通りプレッシャーをかけてしまうのですよ。自分に。

 

さて、人間は立ったら動きます。動いている状態でも「頭と首の間の関節が自由に動く」ことが大切ですが、その前に、何かをしないと動き出すことはできません。それを「どこから動くのかを意識して、動かす」と教えてもらいました。たとえば歩くとき、普段はどうやったら歩けるかを考えることは、ありません。でもここでは、無意識に習慣になってしまったクセを外すために、どこから動かすかを決めて、やってみます。

 

最初、わたしは頭と首の間の関節が自由に動くことからスタートする、という意味を、その部分から体の各部がつながって動いていく、と理解しました。すると、うまくいかないのです。頭と首の間の関節→体のほかの部位→またそのほかの部位、と動きが伝達していくと考えると、うまくつながらず、体は固まっていきます。悩むことで、さらに自分にプレッシャーをかけています。

 

「これじゃない」という思いを持ちながら、講師の友人といろんな話をしているうちに、「つながって動く、という理解が違っていたのかもしれない」と思ったのです。

 

例えば腕が上がるとき、息を吸って胸が膨らんで肋骨が開いて→肩→肘→手首という順番で上がっていきます。でも、たとえば肩が上がっていくとき、末端の指が何もしていないわけではないのです。大きな流れではないけれども、微妙に動いているかもしれないのです。

 

もう少し言うと、実際に動く、動かない、というのは結果で、別にどちらでも良いのです。そうではなく、「必要に応じて自由に動ける」状態であることが大切な気がします。腕が上がるという大きな動きの流れが肩に来ているとき、指先が動くことが必要なら動くし、必要ないなら動かない、というようなことです。

 

太極拳の套路では、それぞれの動きをリードしていく体の部位が決まっています。手だったり、足だったり。これは、アレクサンダー・テクニークで言う「どこから動きだすか意識する」と似ています。そのとき、リードする部位だけが動いている、というわけではないのです。

 

これ、おもしろいのはリードする部位は、動きによって違うところです。そしてその”リーダー部位”に、体全体がいつでも応えられる状態にあることです。全身で動く感覚が、新しくなりました。

 

そして、動きをリードする部位に正解があるわけではないのです(太極拳では決まっている、と言いましたが、今のところ一番信じているのがこれ、というだけのことです。絶対の正解ではないと思っています)。だから決めて、やってみて感じることが大切です。これを通じて、頭(意思)と体が連動していくようになります。

 

これって、人との関係にもつながるような気がするのです。個の体と人の集合体を対応させてみると、個の体の各部位にあたるものが、個人になります。ある活動、たとえば、環境保全とか、教育とか、それぞれの分野にはそれをリードしていく人たちがいます。一人がすべての分野をリードするのではありません。別の人は関係ないわけではなく、リーダーが動くことで呼応して動いたり、動かなかったりします。でも、動く準備ができる状態にはいるわけです、きっと。自分でプレッシャーをかけて固まったりしなければ、です。そしてリーダーも、やってみて違うと感じ、変わることもあります。でも、最初にリーダーだった人が、それで役割を何も果たさなくなるわけではないのだと思うのです。

 

表面的に起きている現象がどんなことであっても、どんな人にも、自分の居場所はあります。その仕組みがわかると、ほっとしませんか?

 

アレクサンダー・テクニークを通じて経験したこと、理解したことはまだまだ他にもあります。これから少しずつ育てて、機会を見て言葉にもしていこうと思っています。でもそれより前に、わたしがとても興味深かったことは、F.M.アレクサンダーさんがこれを発見していった過程なのです。自分の悩みを解消すべく方法を探したり、こうじゃないかと思って何年か取り組んでみては「うおーできないんだ、それ!(注:このセリフは、わたしの勝手な想像です)」(たとえば、「これをやめる」と思うと、人間は必ずそれをやってしまう、ということ)と気づいたり、など。その取組姿勢や情熱、がっかり(したかどうかわかりませんが)加減など、とてもチャーミングに感じられるのです。生きるとは、そういうことと、教えられたような気がします。

 

教えてくださったボディ・チャンスの青柳彰一さんには、本当にお世話になりました。一緒に考えてくださったこと、わたしの変化を細かく観察してくださったこと、いろんな気づき、その過程を、時には悩みつつ楽しんで過ごすことができました。ありがとうございます。

 

生きるって、試行錯誤の連続で、楽しいです。

 



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