古琴:泣顔回

2017.04.06 Thursday

(2015年秋、武当山にて)

 

半年ぶりに古琴のお稽古を再開しました。

 

古琴は、2年前に中国の武当山にお稽古に行ったときに、兄弟子が弾いていたことから、始めたものです。文武両道と言いますが、太極拳、古琴、書道、中国茶は、みんな「天地人」の概念を持つ中国文化に基づいています。そのため、太極拳をする人には、音楽をする人、書をたしなむ人、お茶を好む人が多いのです。

 

今、お稽古しているものは「泣顔回(Qì yán huí)」です。この曲の背景を、先生が解説をしてくださいました。

 

顔回(Yán huí, 日本語では がんかい(紀元前514〜483年)は、春秋時代の学者で、孔子が最も愛した弟子だったそうです。貧しい家に生まれ、学問を好んで孔子に重んじられましたが、早逝して孔子を嘆かせたと言われています。(参考:大辞林 第三版)

 

顔回が亡くなったことを悼んで泣く曲なのですが、中国や韓国には、「泣き屋」(もしくは泣き女)という職業があり、お葬式に呼ばれて誰よりも先に泣く、という役割をするのだとか。日本ではお通夜やお葬式では涙をこらえる方が多くみられると思いますが、中国や韓国では、徳が高い人ほどその人の死を悼むのは当然で、それを大泣きして表現するようです。

 

この曲、最初は泛音(はんおん、ハーモニックスとも言う)のフレーズから始まります。右手で弦を弾いて左手で弦を軽く押さえてはなすことで、天に届くような軽くて高い音が出ることから、”天の音”と呼ばれます。「ここは泣き屋さんが真っ先に泣くところ。」と、先生。同じフレーズを2回繰り返すのですが、「1回では足りないから、繰り返すの。」

 

そして、按音(あんおん)が入ります。これは右手で弦を弾きながら左手で弦を押さ得る音です。左手で弦を押さえたまま左右に動かして、音を揺らすこともあります。これは、動きも大きく、音のバリエーションも一番多く、”人の音”と言われています。「気持ちが高まって、ここから自分が泣くの。」ストーリーがわかると、イメージが膨らみます。

 

(古琴の説明や、奏法の説明について詳しくは、「古琴:天と地と人の音」)

 

中国最古の楽器のひとつである古琴は、音がとても小さいのです。そのためか弾く人が減少して衰退気味だったそうですが、2003年に世界遺産に指定されたことがきっかけで、盛り返してきているようです。自然や人生に向き合うものが多く、この泣顔回のように、メランコリックなテーマがほとんどです。

 

音の間を大切にするところは、太極拳にも通じます。わたしの太極拳をご覧になった先生は、「ずっと流れるような動きだったでしょう。古琴も同じ。弾いた後の余韻を自分で楽しむの。”間(ま)”が大事。」とおっしゃいます。天地とつながるという姿勢や、呼吸と合わせるという点も似ています。技術はありますが、それだけでは足りないところ、技術の前に大切なところがある点も、つながりを感じます。

 

太極拳の套路は、最初に生まれてから閉じるまでの”人生”を表現していると感じるのですが、古琴も、生きることを表現している気がします。伸びがあって、揺れがあって、芯があって、軽さも重さもあって、人生、いろいろです。

 

半年前に中国に行っていたときに古琴を弾く機会がほとんどなく、それから意欲をなくしていたのですが、(簡単に言うと弾けなくなってきたので、億劫になったのです)、日本の先生が「いつからお稽古始めますか?」と何度も声をかけてくださいました。「せっかく始めたなら、こういうものは続けた方がよいからね。」と。先生に感謝です。

 

いつのときも、先生という存在は、わたしにとってはありがたい存在です。

 

わたしは案外せっかちなのですが、急な発展を期待することなく、少しずつ育てていこうと思います。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

イベント:「青空坐禅と太極拳」(4月23日(日)13:00- 明治神宮)は、こちらから

 

このエントリーをはてなブックマークに追加


中国の文化:お茶を楽しむ

2016.11.03 Thursday

今回、武当山に行ったとき、友人のお茶屋さんで、”伝統的な茶道の作法”でお茶を淹れていただきました。めずらしいのでご紹介します。

 

まず驚いたのが、このやかん。清の時代のものだそうです。どっしりした素材に繊細な細工がほどこされています。

次に驚いたのが、水。実は武当山には水が汲めるところがあり、透明で、甘くてやわらかいのです。

 

そして、最も驚いたのが、こちら。

 

これが伝統的な茶道の作法だそうです。どんぶりのような陶器にお茶の葉を淹れ、沸かしたお湯を注ぎます。ひしゃくに穴が開いたような道具を使って、茶葉が入らないように、お茶だけすくうのです。茶こし兼、茶汲みの道具です。

 

(やらせてもらっているところ。とてもご機嫌)

 

茶海に移し、そこからそれぞれの茶杯に注ぎます。

 

(うれしくてたまらないところ)

 

茶道は、中国でも大切な文化のひとつです。学校に行くと「よく来たね」と、夕食後にお茶を淹れて歓迎してくれたり、出かけた先でのんびり過ごす時間にお茶を囲んだり。友人たちとわいわい、おしゃべりしながら夜遅くまでお茶を飲んでいたときは、目が冴えて眠れなくなってしまったこともありました。

 

中国茶と聞くと、まず烏龍茶を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実は最も多く飲まれているのは緑茶です。

発酵のさせ方により、6種類に分けられます。

 

緑茶:発酵させないタイプ。有名なのは龍井茶。

白茶:微発酵。茶葉の若葉や芽を選んで摘んだもの。茶葉が白い産毛に包まれているのが特徴。白牡丹など。

黄茶:かるく酸化発酵させた茶葉を積み上げ、湿気を堆積熱で微生物発酵させた後発酵タイプ。貴重品らしいです。

青茶:半発酵。烏龍茶はここに入ります。鉄観音、東頂烏龍茶、武夷岩茶など。

紅茶:加熱して発酵を止める作業をせず、完全な状態まで発酵させる。正山小種(ラプサンスーチョン)など。

黒茶:微生物発酵させて乾燥させ、高圧で蒸し固めたもの。プアール茶。

 

このほかに、菊花茶やジャスミン茶(茶葉に花を混ぜて加熱し、香りを移して花を取り除いたもの)などの花茶があります。

 

(写真左から、緑茶、白茶、青茶、紅茶、黒茶)

 

お茶を淹れた色はこんな感じです。

(上段左から緑茶、白茶、青茶、下段左から 紅茶、黒茶)

 

季節によっておすすめのお茶の種類は変わります。春は解毒作用のある緑茶。夏は、体内の熱をとりたいので、冷やしてくれる緑茶、白茶。秋は青茶。冬は、体を温めてくれる紅茶、黒茶がおすすめです。

 

みんなでいただく時は、小さな茶杯でいただきます。中国茶は何煎も出るので、お代わりして香りや味の変化も楽しみます。茶器が小さい理由はわかりませんが、以前、お茶屋さんが「小さい方が香りを楽しみやすい気がする」と話してくださったことがあります。日本の玉露はうまみを楽しみますが、中国茶は香りが特徴的なので、小さい方が合っているかもしれません。烏龍茶などは香りが茶杯に移るので、小さいと飲んだ後に香りを楽しみやすい、というのもあるかもしれません。

 

香りを楽しむために、特別な茶器もあるのです。聞香杯(もんこうはい)という縦長のものです。これにお茶を注ぎ、ちょっと置いてから茶杯(この場合は品茗杯(ひんめいはい))に移します。空になった聞香杯の残り香を楽しみ、お茶をいただきます。

(聞香杯)

 

ひとりでいただく場合、蓋碗(がいわん)に茶葉を入れ、お湯を注ぎ、蓋をずらして茶葉が入らないように飲みます。この蓋碗は「天地人」を表していると言います。お皿が地、蓋が天、碗が人です。教えてくれた中国人の友人が、「人が一番大きいんだよ」と笑いながら話してくれました。

 

(蓋碗)

 

茶会のときには、ホストがいます。みんなにお茶をふるまう役割で、空いた茶杯があったら注ぎ、冷たくなったお茶があれば新しくしたり、お湯が足りなくなれば沸かし、などなど、ずっと動いています。静かに手際よく、おしゃべりに水を差すことなく動きます。

 

お客さんは、お茶を注いでいただいたとき、「ありがとう」と言っても良いのですが、人差し指と中指でテーブルをトントンと軽くたたく方法もあります。これが、ありがとうの合図になります。その場の流れに水を差さず、ホストにもお礼を伝えやすい良い方法ですよね。

 

丁寧にお茶を淹れて、みんなで楽しむ時間は、心と体をリラックスさせてくれます。わたしの太極拳クラスでも、お稽古前後にお茶を淹れていただく時間を設けているのは、こんな理由もあります。ほっと一息つける時間でもあり、お稽古中に伝えきれなかったことを話す時間でもあります。こんな時間も、お稽古と同じように、大切にしていきたいと思っています。

 

(友人がホスト役をやらせてもらっていたとき、うらやましくて横から手を出したところ。)

 

参考:「中華のシンプルレシピ」パン・ウェイ著 株式会社オレンジページ(2005年)

   「元気とキレイの薬膳的暮らし」 パン・ウェイ著 PHP研究所 (2009年)

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

心と体が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


お酒は飲んでも、飲まれない(その1)

2016.06.17 Friday

(武当山で、ニルス君のお誕生日に。左からわたし、ニルス君、トーマス君、明月師父(わたしの先生)、虚谷師父(先生の弟弟子)、張申霖師兄(先生の弟弟子)すでにほろ酔い気分。)

ところ変われば習慣も変わりますが、宴会でのお酒の飲み方も、中国と日本では異なります。わたしが経験している限りで、ご紹介してみたいと思います。カンフーにも、関係あるのですよ。

まず大きく違うポイントは、一人では飲まないことです。

必ず誰かと一緒に、目を合わせてグラスを差し出しあってから飲みます。このときに、何か言葉を添えることもあります。自分のペースで飲めなくて最初は戸惑いましたが、これ、良い習慣だと思うのです。誰かと顔を合わせて、お互いの関係に感謝したり幸せを願ったりしながらは、一人で好きに飲むのとだいぶ感覚が違います。

そして「乾杯」は、中国語では文字通り、飲み干すことになります。グラス同志をカチンとさせたら、乾杯の合図です。一気に飲み干したら、空になったグラスの内側の底を相手に向かって見せます。

あまり飲めないわたしのような場合はどうするか、と言えば...カチンとされた場合、飲めるくらいの量、たとえばグラスの上から1/4くらいを指で指して「これだけ飲み干す」と意思表示して飲んでいます。これで良いかどうかわかりませんが、みんなのペースには付き合えないので、自衛です(笑)。たくさん注がれてしまったときには、友人のグラスに移してしまうこともあります。これも、自衛です(笑)。

グラスをカチンとさせるときも、ちょっと注意です。相手が自分より目上の場合、自分のグラスを下にします。先生と乾杯する場合、当然わたしが下ですが、先生が気を使ってくださって下に持って行くことも多いため、お互いにグラスを下げる競争のようになることもあります。そんなことも、楽しかったりします。

よく出てくるお酒は、白酒(Báijiǔ)です。穀物を原料とした蒸留酒で、たいていはアルコール度数が50度以上ある強いお酒です。口当たりは良いのですが、喉を通るときに、ヒリヒリ焼けるような感じがします。特に注意なのが、英語でこれをホワイトワイン、つまり白ワインと呼んでいることです。「何飲む?赤ワイン?白ワイン?」と聞かれたら、赤ワインは本当に赤ワインですが、白ワインとは白酒のことです。その違いたるや、恐ろしや。

何が恐ろしいかと言えば、これもわたしの経験の範囲内ですが、このお酒、胃に来るのです。しかも突然です。強いとは言っても口当たりは良いので、比較的スルスルと飲めます。初体験の人、そしてお酒が強い人に多いケースは、調子よく杯を重ねていくうちに、突然ダウンするのです。その晩、もしくは翌日の朝まで胃の中のものが全部出るというひどい状態に。それでも、胃が空っぽになると復活して、気持ち悪さが後に残らないのも、ひとつの特徴です(個人差があるので、飲むときはくれぐれも注意してくださいね。)

先月、中国に行っていたときも、ドイツ人の友人、ニルス君のお誕生日をお祝いする宴会がありました。ちょうどお友達のトーマス君がドイツから遊びに来ていて、白酒初体験となりました。先生たちと男性同志、良い調子で「かんぱーい」と、どんどん進んでいきます。このときのお酒は特別で、ライチのような姿の「ヤオメイ」という実を漬け込んだものでした。虚谷師父(先生の弟弟子)のお父様が自分で摘んで3年漬け込んだとか。「体に良いんだよ」と言いますが...飲むと喉や胸が焼けるのは同じですが、口当たりはさらにまろやかです(さらに危険です)。

この実も、食べます。「体に良いから」です(本当なのか...)。当然アルコールが効いてすごい味なのです。やっとのことで1つ食べると、お酒を注ぐのと一緒に実も足されます。その場にいた中で一番”末っ子”の張申霖師兄は、みんなにいじられて、2個も3個も入れられては「助けてくれ〜」と悲鳴を上げていました(笑いながら、です)。ニルス君はボソッと、「お酒はいいけど、この実はダメだ。つらい...」。わたしはささやかに1つだけ食べ、足されたもう一つは、他の人のグラスの中にポン。

初体験のトーマス君、先生たちと調子よく酌み交わしていたら...突然、ふらふらに。身長190センチの巨体が、空いている窓にもたれかかり、ぐったりしています。先生たちは、よく見ている光景のせいか、愉快そうです。余裕です。(普段からあまり深刻な顔をしない、というのもありますが)

それでも家に帰らなければなりません。ひきずるように車に乗せ、降ろす時は、男性5人がかりで両手、両足、頭を持って、運びます。うち3人はカンフーマスターです。重すぎて「ちょっと休むぞ」と、途中でみんなに地面に下ろされるトーマス君。ぐっすり、高いびき。最後は巨体の先生が「わたしが背負う」と雄姿を見せて階段を登り切り、無事、部屋に戻れました。

翌日、すっかり回復したトーマス君、「失礼なことをしてしまった」と恐縮しまくり、先生たちに会うたびに謝っていました。でもみんなは、「そんなことないよ。一緒にお酒を飲めて、とっても嬉しかった。」というお返事です。それが本心だと信じられるのは、昨晩、トーマス君をみんなで運んでいる間もみんなニコニコだったのです。倒れちゃったよ、しょうがないなあ、運ばないとね、くらいなのです。

お酒を一緒に飲むのは、信頼関係を温める場でもあります。「また来たときには一緒に飲もうね」に、トーマス君は苦笑いしていましたが。

話の流れがタイトルの「お酒は飲んでも飲まれない」とは逆方向に進んでいますが、長くなってしまったので、残りは改めて書こうと思います。まずは、中国で(もしくは武当山で)よく見る宴会の光景のご紹介まで。
 


文化の違い

2016.06.09 Thursday


(中国、武当山。休日、みんなでいちご狩り)

中国にいるとき、話しかけられる言葉や、やり取りされる会話を聞いていて、「おかしいなぁ」と感じることがあります。

日本語でもありますが、言葉そのものの意味にとると勘違いする、というケースです。

例えば、中国人は頻繁に「你吃饭了吗?(ごはん食べた?)」と聞きます。
朝、お散歩していて出会った人に「ごはん食べた?」「もう食べたよ」。しょっちゅうです。
最初はごはんを食べることが大事なんだなあ、と思っていたのですが、どうもおかしいときがあるのです。

今回、5年ぶりに今の先生の先生にお会いする機会がありました。
田理阳師父(武当玄武派第十五代伝承人)です。先生のお弟子さんの一人に案内され、同じく元生徒のドイツ人の友人と一緒にたずねました。緊張しながらの再会、先生の最初の一言は「ごはん食べた?」

夕方4時頃だったので、「まだです。」特に返事はなく、会話はそのまま別の話題へと移りました。
ごはんの話題は、最後まで出ませんでした。

それもそのはずです。「ごはん食べた?」は、単なる挨拶なのです。「こんにちは」とか「おはよう」程度の意味しかありません。
「まだ食べてない」と言っても、「じゃあ一緒に食べよう」と、必ずしもなるわけではありません。

もうひとつ、よく聞かれる質問があります。
「いくつ?20歳?」というものです。比較的若くみられますが、さすがにそこまでは「おかしい」。しかも、何人か、同じ質問をするのも「あやしい」。

あるとき、日本語のわかる中国の方が、「あれは何歳か知りたいときに使う質問で、本当に20歳だと思っているわけでないのですよ。」と教えてくれたのです。「『20歳?』と聞かれると、『いやいやそんなことは。。。(ちょっとうれしい)』となるでしょ。『じゃあ、何歳?』『〇〇歳です』と、本当の年齢を聞き出すの。」

なるほど。。。なかなか巧妙な手口です。

なお、「ごはん食べた?」は、本気の場合もあります。この場合は「食べてない」と答えると、そのまま会話が続きます。「あまりお腹が空いてないからいらない」と答えると、「ごはんを食べないのは体によくない。食べに行くぞ。」と軽くお説教され、食べに連れて行かれます。きちんと食べることが、大切なことは確かです。

食べることが大切だからこそ、あいさつがわりの言葉にもなったのかもしれないな、と思っています。

言葉どおりにとってはいけない表現は、まだまだあるようです。
暮らしていく中で「おかしいなあ」と思いながら発見していく過程も、楽しいと思っています。

それでも中には、知らないでは済まされないこともあります。

中国人に送ってはいけないもののひとつに、時計があります。
昔、会社員だったときに中国系のクライアントさんを担当していた同僚が、会社のお客さまにお配りするものとして時計を用意したことがあります。品物としては、とても良いものでした。しかし。。。「钟(Zhōng)」と発音される時計は、「终(Zhōng)」とという終わりを連想させ、関係を終わりにしましょう、という絶縁を意味するのだそうです。幸い事前に分かったため、大事に至る前に回避されました。

相手の文化に入るということは、その慣習を尊重することでもあると思います。
中国にお稽古に通うようになって、最初は周りに中国語ができない生徒もたくさんいたせいか、「言葉はわからなくても、なんとかなる」と思っていました。でもだんだんと、それでは取りこぼすこともあると思うようになり、中国語を習い始めました。今はそれに加えて、その国に行きたいなら相手の文化を尊重するひとつとして、言葉をできるだけ話そうと思っています。

ちょっとずつ、小さな子どものように話し始めたわたしに、「今の中国語聞いて、わかったんだね」とうれしそうに言ってくれたり、「流暢に話せるから、もう中国人だね」と笑顔で言ってくれたり(この流暢、に該当するセリフは、極めて限定されます)、昔、ほぼ話せなかったわたしを知っている友人たちの反応を見ていると、もっとちゃんと話せるようになろうと思います。

今回は、13歳と16歳の子供たちが、わたしの会話の通訳をしてくれたこともありました。わたしの中国語と、ネイティブの中国語の通訳です(笑)。大人の早い中国語を、わたしが聞きとれるようにゆっくり言い直してくれるのです。さらに、わたしの中国語の返事を、もう一度中国語で言い直してくれたこともありました。年は違っても、頼りになる優しい友人たちに感謝です。

道は遠いですが、続けていれば、きっといつかはできるはず。
国の違い、言葉の違い、文化の違いはありますが、相手のそれを尊重しつつ、超えた先にもっと大切なものがあると思っています。


(中国、武当山)
 

体で探る間のとり方:古琴と太極拳

2016.01.26 Tuesday


(古琴。世界遺産(無形文化遺産))

今日は古琴のお稽古でした。

先生が「良く練習しましたね。でもね、息をつけるところがありません。」

「焦って音だけ追うと、聞いている人も息がつけずに苦しくなります。
ひとかたまり終わるところで一息ついて、間を置いて次に行く。そうすれば、
聞いている人も同じように息ができて心地よいでしょ。
そのタイミングは、自分で探って体で覚えていくしかないの。」

古琴に楽譜はありますが、そんなに細かく書いてあるわけではなく、
新しい曲を弾き始めるとき、音は取れても、音の流れを作っていくのは、なかなか難しいです。
そのためか、弾く人の表現によって、だいぶ違ったりするそうです。

「今はネットで映像も見られるから、それを聞いて練習する場合もあるけれども、
昔はそんなものはなかったから、わたしは自分で探ってきたの。体で覚えると、忘れないから。」

太極拳も同じだと思いました。
套路(型)はありますし、止まらず続けるところ、一呼吸置くところ、など、
決まっています。でも細かい部分は、自分で呼吸をしながら居心地の良いところ、
体が動きたいところを探り続ける感じがあります。

わたしの場合、習っている途中で映像を見ることはありません。
自分の体で感覚を探りながら、覚えていきます。
そうやって覚えたものは、頭では忘れても、体は覚えていて、
しばらく動いていると思いだすこともあります。

套路(型)は大切です。昔の人たちの智慧がたくさんつまっているので、
自分のオリジナリティなど加えようとせず、その通りにできることが大事だと思っています。
でも、その通り、というのは、外側に見える形だけではないような気がするのです。

古琴の先生は、「良いものをたくさん見るといいです。絵でも、なんでも。そうすることで、
どんなバランスが良いのか、わかってくるから。」とおっしゃいます。

太極拳も、中国の先生たちの動きを目の前で見ると、すごく印象に残るものがあります。
それが何かはうまく言えませんが、その一瞬の印象をずっとどこかに持っていて、
お稽古を続けていっているような気がします。
そういう印象は、わたしの場合、映像からではなかなか得られないのです。
(ただし、これはわたしの場合で、人によって違うかもしれません。
古琴の先生も、今の時代に映像を見て練習することを否定されているわけではありません。)

どんなに便利な世の中になっても、人の体は同じで、呼吸して生きています。
呼吸によって、居心地の良さは変わってきます。
メトロノームが刻むリズムは正確で、そこから生まれてくるものもあるのだと思いますが、
そうではなく完ぺきではない人が、探り探り表現していくことが、すごく人間らしいような気がします。

ちょっと話はとびますが、ミンチ肉を使った料理のとき、機械で挽いたか、包丁で叩いたか、
プロの料理人はどちらで作られた料理か、すぐにわかるそうです。
機械は断面が均一になります。包丁で叩く方は均一にはできない分、調味料がしっかりしみこむそうです。
急いでいるときには機械で挽くのもありですが、時間があってよりおいしく作りたいなら、断然
包丁で叩く方がおすすめだそうです。
この包丁で叩くことで生まれる”おいしさ”が、古琴も、太極拳にも共通する大切なことような気がします。

どう料理するか、どう表現するかは、その人次第です。
芸術とは、そういうものなのでしょうか。
そこが楽しいところですね。
















(包丁で叩いてミンチにした羊のハンバーグ。見た目ではわかりません、笑。)


calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM