問い続ければ、いつかはわかる

2017.08.17 Thursday

 

最近、読み始めた本があります。「老子と太極拳」(清水豊著 ビイング・ネット・プレス 2013年)。

 

太極拳を始めてしばらくしてから、「老子」(中国語の原題は「道徳経」)は、心のよりどころにもなりました。これまで何度も読み返しているこの本は、読む時によって、とらえ方が変わります。「これは、どういう意味なのだろうか」と、常に問いを持って、今の感覚で読みます。

 

道教(*1)の修業者である道士は、これを一生読み続ける、と聞いたことがあります。「読み続けていれば、いつかはわかると信じているから」です。

 

昨年、中国の武当山にお稽古に行ったとき、今の先生の上の先生(武当玄武派第十五代伝人 田理阳 師父)に、5年ぶりにお会いする機会がありました。そのとき「何か困っていることはあるか?」と聞いてくださったのです。あれこれと試行錯誤しながらやっている、と答えたわたしに、「老子を読むとよい。生徒さんにも読んであげなさい」と言ってくださいました。

 

日本でも、「老子」の本はたくさん出版されています。最初に手にしたのは詩人である加島祥造さんの「タオ(老子)」(筑摩書房)です。詩というやわらかな文体のため、はじめて老子に触れる方には、読みやすいと思います。

 

ただ、こういうものは、どうしても翻訳される過程で翻訳者の理解や思想が反映されます。「老子」自体が古典であり、難解であるため、そのまま訳してもわかりにくいからです。

 

それでだんだん、他の方が訳してる本も、そしてシンプルに訳している英語も、いろいろ合わせて読むようになりました。

 

そんな中、今から4年前に「老子と太極拳」を手にしました。ワクワクして中を開いてみたのですが、難しくて、最初の方だけ読んで挫折してしまいました。

 

なぜか最近、この本を開いてみたら.....面白いのですよ、とっても。ところどころ、わかりづらいところもありますし、十分理解しているとは言い難いですが、何より、とっても刺激的です。

 

太極拳に関して、わたしが普段思っていることを、別の表現で言っている部分には、うんうん、うなづきながら読みすすめます。違う解釈をしている部分もあって、それが良い刺激となり、自分なりに考えを深めるきっかけにもなります。著者なりの解釈や考えも入っていますが、ずっと突き詰めて、体験を通して探究してきた方の言葉は、とっても深く、刺激的です。

 

著者の清水さんは、10代から八卦掌、太極拳、合気道など様々な武術を修行され、さらに大学では神道や中国思想の研究を行ってきた方です。なぜ、この本を書いたのかについて、”まえがき”に次のように書かれていました。

 

「中国の武術や気功が、日本に本格的に紹介されて、三十年ほどになろうか。優れたエクササイズは、おおむね移入されたといってよいのであろう。そうした今日にあって、求められているのは、内的な深さであると、わたしは考えている。内的な深さを得るには、どうしても神仙道(*2)の古典の力を借りなくてはならない」(「老子と太極拳」P3)

 

4年前に読んだときは、当時のわたしの体験と知識が、あまりにも稚拙だったのだと思います。たとえば、太極拳の”太極”の意味も、その頃はよくわかっていなかったのです。

 

太極拳という名称があまりにも有名すぎたせいか、太極拳を始めてから5年くらいは、”太極”の意味を疑問に思う機会がありませんでした。

 

それから「太極って、どういう意味なんだろう?」と問いを持ち始めました。

 

話を聞いたり、文献を読んだりもしました。でも何よりも、お稽古を通して、先生から教わること、そして自分で感じることからも、だんだんと理解していったと思います。あくまでも、今の自分なりの理解ですが。

 

山登りから見える景色と同じですよね。五合目まで登った人に見える景色は、八合目にいる人が見ている景色とは違います。五合目なのに、八合目の景色を見たいと願うのは無謀ですよね。4年前は、そんな感じだったのだと思います。

 

だから今、「面白いっ!」と思って読み進められることが、とっても嬉しいのです。

 

そして「問い続ければ、いつかはわかる」ことも、実感する機会になりました。

 

もちろん、まだまだ道は半ばです。わかっていないことも、たくさんです。全部をわかりきることなど不可能だと知りつつ、「自分は知らないのだ」を基本に、でも、少しずつわかっていく過程がとても楽しいのです。

 

著者の清水さんは、”まえがき”に次のようにも書いています。

 

「古典が古典として残っていくためには、それが読みつがれていく必要がある。(中略)時代に左右されることなく、常に価値を見出すことができるもの、それが古典なのである(中略)しかし、なかなか手に取りにくいのも事実である(「老子と太極拳」P3)

 

その理由のひとつとして、「いまの時代には合わないような内容も書かれている」(「老子と太極拳」P4)と言っています。

 

太極拳という伝統も、同じです。時代に合わない部分もあり、時代に左右されることなく価値を見出すことができるものでもあります。教えることも、常に試行錯誤です。みんなが今の生活の中で、伝統が伝えるものを享受できるように、やるもの、やらないもの、足すもの、を、生徒さんの様子を見ながら、決めていきます。

 

太極拳で得られるものは、たくさんあると思っています。健康な体、心身のバランス、落ち着いた心、円満な人間関係などなど。

 

時間をかけて得ていく感覚は、今の時代の人には必要だと思っているため、効率的に学べるようにしたいわけではありません。でも、わけもわからず「とにかく続けて」だけでは、ちょっと乱暴すぎます。どこかに良いバランスがあるはずです。

 

まだまだこれからです。でも、その過程が楽しいのですよ。

 

 

(*1)道教:古代の神仙思想を母体に、陰陽五行説、老荘思想を加え、さらに仏教の影響も受けて組織化されたもの。中国の武当山は、道教の聖地のひとつで、武術(武当拳=内家拳:太極拳、形意拳、八卦掌)が発達した場所。

 

(*2)神仙道:仙人となり不老不死をめざすこと。現代のわたしなりの解釈では、「一生をかけて青春を追い求める」。

 

 

(Photo by Xie Okajima)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


老子の「道徳経」

2016.07.22 Friday

(武当山の南岩宮に飾られていた、老子の掛け軸)

 

生徒さんから「おすすめの太極拳の本は?」と聞かれると、「老子の道徳経」とお答えしています。

 

質問の主旨からすると、この回答は、ちょっとずれています。道徳経には、太極拳とは?とか、歴史、意識の持ち方、型の説明などなどは、直接的には何一つ書いていないからです。

 

太極拳とは、体の緊張を取り除いて体を安定させ、血流を促して内臓を活性化させる、というように、健康促進の作用は大きいですが、それをさらに進めてい行くためには、心の面も大切です。たとえば、頑なな心は、体を緊張させます。感情の起伏が体に与える影響は大きいのです(詳しくは→「病は気から。心のあり方」)。

 

太極拳とは、形だけの運動ではなく、意識から導き出される動きだと思っています。結果としての形ではなく、その過程が大切です(ただし、その過程は、結果としての形に現れることも多いです)。そして、たとえば站椿功(立禅)のように見た目に動かないものでも、内部ではぐるぐると動いているように感じます。

 

わたしの先生の言葉でもありますが、武当功夫でまず大切なのは、心を静めることです。どういう心で自分の体に向きあうのか、そんな自分の在り方を求めていく過程も、大切だと思っています。わたしにとって、その基盤づくりに役立っているのが「道徳経」です。

 

武当功夫は、道教の聖地のひとつである湖北省の武当山で、道教の修行者たちによって育まれ、伝えられてきました。道教とは、中国三大宗教(儒教、仏教、道教)のひとつで、中国古代の神仙人思想を母体に陰陽五行説、道家思想を加え、さらに仏教の影響も受けて組織化されました(出典:ブリタニカ国際大百科事典)。

 

神仙思想とは、簡単に言えば仙人となって不老不死を目指すことで、わたしはこれを、「一生をかけて青春を追い求める」と習いました。これは、功夫をする人は、20年たっても同じ体という表現にも表れています。そして実際、鍛錬を積んできている人は、実年齢よりもはるかに若々しく見えますし、何よりも見えないところ、体の軸がしっかりしています。

 

老荘思想とは、老子や荘子の思想で、道家思想とも呼ばれます。

 

仏教の影響も受けている、という点については、わたしが武当山の太子洞に住む道士からお守りを3ついただいたときに(3というのは、道教では”発展”を示す数字で大切にされています)、一つがお釈迦様だったことからもうかがえます。

 

道士は、老子の道徳経を一生をかけて読みます。「読み続ければ、いつかはきっとわかるはず」と信じているから、と聞いたことがあります。この姿勢自体にも、道教の教えが見えるような気がします。

 

本というものは、その時の自分に必要なことを教えてくれます。道徳経は何度も読んでいますが、読むたびに感じることは変わります。どれが正解で、どれが間違っているというのではなく、そのときの精一杯の理解で十分なのだと思っています。だからこそ、「読み続ける」という道士の姿勢には共感できます。

 

その教えは、ご自分で読んで感じていただくのが一番ですが、わたしにとって一言でいえば、エゴにとらわれず、無理やりなんとかしようとせず、自然のままを受け入れる道で、これが流れに乗って生きるということでもあると思っています。

 

(老子がどんな人なのか、道徳経が書かれた経緯や、武当山との関連については、こちら→「老子と道教と武当山」。)

 

さて、最初の生徒さんの質問、「おすすめの太極拳の本は?」戻ると、どれでも気になったもの、目に留まったものを読んでみたらよいと思うのです。どの部分を知りたいのかは、人によって違います。中国武術とは?という全般を知りたいのか、太極拳の歴史を知りたいのか、套路(型)を詳しく知りたいのか、体への影響を知りたいのか、ポイントはいくつもあると思います。自分の興味がわかるのは自分だけですので、本屋さんなどで、ざっと見てみればよいと思うのです。

 

わたしもそんな感じで、そこそこ読んできましたが、どれも役に立っています。なるほど、と思うこと、首をかしげること、いろいろですが、先に書いた老子の「道徳経」の解釈に、どれが正しくてどれが間違っているというのはないように、どれも”あり”なのだと思うのです。それは、書いた方にとってのその時の精一杯の理解で書かれたものだと思うのです。そして、久々に読んでみると、前は気づかなかった点が理解できたりするのです。読み手側の意識や状態によって、伝わるものは変わります。

 

本の解釈と同じように、わたしにとってのお稽古は、探求の連続です。いつも手さぐりです。先生は、功夫のお稽古には方法がある、とおっしゃいます。意識を持たずにお稽古しない、という意味だと思っていますが、その方法に、絶対の”正しさ”はないような気がします。絶対にこれが正しいと決めたときに、発展の道は閉ざされますし、それは、長い時間をかけて熟達していくという功夫の道から外れるような気がするのです。

 

そんなことで、いつでも今の精一杯を。精一杯と言っても、眉間にしわを寄せて視野が狭くなるようなやり方や、”やっている感満載”のやり方では、また道から外れます。ちょうど良いことに、ちょっと行き過ぎると体がちょっとおかしくなって来たりします。そのたびに軌道修正です。続けることの良い点は、間違えたらいつでもごめんなさい、と軌道修正できることでもありますね。

(武当山 逍遥谷にある老子の像と、真似っこ)


今を生きる:老子とカンフーパンダの言葉から

2016.01.19 Tuesday














とても大切にしている老子の言葉があります。

“If you are depressed you are living in the past.
If you are anxious you are living in the future.
If you are at peace you are living in the present.”

(もしあなたが落ち込んでいたら、あなたは過去に生きている。
もしあなたが心配ばかりしていたら、あなたは未来に生きている。
もしあなたが平穏だったら、あなたは今に生きている。)

この流れをくんでいるのかな、と思うセリフが、
映画「カンフーパンダ」にあります。
パンダのポーの師匠、亀仙人の言葉です。

"You are too concerend with what was and what will be.
There is a saying:
Yesterday is a History, Tommorrow is a Mystery, but today is a Gift.
That's why it is called the PRESENT."

(お前は過去と未来を気にしすぎている。
こんなことわざがある。
昨日は歴史、明日はミステリー、でも今日はギフトなんだ。
だから今日は、プレゼント(英語のpresent)と言うんだよ。)

過去を振り返ると後悔ばかり、未来を思うと心配ばかりになりがちです。
わたしにも、過去を振り返って後悔ばかりしていたこともあります。
未来を心配しすぎて、新しい一歩を踏み出せないことも、たくさんあります。

でも、過去も未来もどうにもできません。
何とかできるのは、今だけです。

今にいるために、役に立つのが体です。
頭は過去や未来に行けますが、体は行けません。
そして体の状態は、その瞬間で変わります。

先日、曹洞宗の僧侶の小杉瑞穂さんと一緒に、「心も体もゆるめる太極拳と坐禅」という
企画を実施しました。坐禅のときに参加者の方から、「意識がどこかにいってしまうのは、
どうすればよいですか?」という質問があったとき、小杉さんは
「体に意識を持っていってみてください」というようなアドバイスをされていました。
まさにこれが、今を生きる、です。

お稽古でも同じです。

わたしの例ですが、過去の成果への自信を思うと、ほぼ確実に失敗します。
「これだけやったからできるはず」とか、「以前できたから、できるはず」と、
思ったところで、力んでしまうのかもしれません。

未来の結果を期待しすぎても、うまく行きません。
「これをやったらこんな感覚がある」とか、「こんな効果がある」というのを知るのも
良いですが、それを期待しすぎると、その成果は、ほぼ、絶対にやってきません。
期待は横に置いて、とにかく今、それをするだけです。
結果は、後からわかります。焦る必要はないのですよね。

先生から、「お稽古するときに、いつもはじめてやるような感覚で臨む」と
教えていただいたことがあります。
立つことも、歩くことも、太極拳も、生まれて初めてするように。
そのときの感覚を感じていくだけです。
すごく丁寧にやろうとすると、どうやるのか、やり方がわからないこともあります。
でも、そこから得られる感覚は、すごく新鮮です。

今を生きるとき、
やりたいと思えることがあって、やれているなら、それで十分だと思うのです。

わたしと太極拳は、ずっとこんな感じで続いてきました。
「やれるかどうかはやってみないとわからないけど、今はこれをやりたいな」、です。
始めたばかりで何も知らなかった頃も、今も、同じです。

そもそも、今わかっていることは、ほんの一握りです。
ほとんどのことが、わかっていません。
知っていることなどないという方が、適切なように感じます。

どの瞬間の”今”も、これがやりたいと思えていれば、
結果として見たら、それが向いている、ということなのかもしれません。
それを才能と呼ぶことも、あるのかもしれませんよね。


(中国、武当山)

老子のことば 「道法自然」:今を生きる

2015.03.14 Saturday


(武当山の夕焼け)

「道法自然」

老子「道徳経」第25章にあることばです。

人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、「道は自然に法る」。

武当拳(太極拳、形意拳、八卦掌)は、老子の思想を取り入れた
道教哲学をもとに成り立っています。
武当拳が生まれて伝えられてきた中国、湖北省の武当山は、道教の聖地のひとつ。
老子のことばも、あちこちに見られます。
↓こんなふうに。

(武当山の道教のお寺にて。この建物も、世界遺産です)

この言葉の意味を、食事中に学校の先生に聞いたことがあります。

「今はごはんを食べるときで、それを話すときではないよ」

というのが先生の答えでした。

つまり、今に集中せよということです。
道は自然に従う、とは、ごはんを食べるときは、食べ、
話をするときは、話し、お稽古するときは、お稽古して、
いつも、「今にいる」ことです。
食べながら次にやることを考えたりしないことです。

わたしの人生の師匠から、最近言われたことばがあります。
「太極拳をやっているときのように、日常を過ごすんだよ」

つまり、丁寧に過ごすことです。(結構、がさつなのです。。。)
一つひとつの動作をするときに、どこが動いているのか、自分の体を観察してみなさい、と言われました。

これは、曹洞宗のお坊さんから教えていただいたごはんの食べ方にも似ています。
ごはんを食べるために、お箸を持ちます。口に運んで、お箸をおいて、噛んで、飲み込みます。
またお箸を持ち、おかずを口に運び。お箸をおきます。そして噛み、飲み込みます。
その繰り返しです。
ごはん中におしゃべりは、ありません。
時間をかけて、ゆっくりといただきます。

今日、やってみました。
気づいたことを書いてみます。
普段は、噛みながら次の食べ物をお箸でつまんでいます。目は違うところを見ていたりします。
誰かと一緒なら、話ながらです。
意識せずにいろんなことを同時にやっています(すごいことでもありますが)。

自分が何をやっているかに意識を向けると。。。
30回噛んで食べると言いますが、回数を数える必要がありません。
10回では「まだこんな状態では飲み込めない」とわかるからです。
汁物だと、飲んだ後の軌道を追うと、面白いです。
あっという間に胃まで落ちて、ちょっとだけ滞留したあと(ほんのちょっとね)、腸に流れます。
こんなに早くて大丈夫なのか、と心配になったりもします。
噛んでいる間に別のものにお箸をつける、と、同時に別の行動をすると、軽いパニック状態になります(笑)。
ずっと今にいること、今の自分を瞬間瞬間で味わうことは、たとえばこんなことだと思うのです。

いかにそれができていないか、雑に過ごしているかがわかります。

ずっとこれだと大変なことになりかねませんが、
1日の中でちょっとでもこんな時間を持つと、ゆとりが生まれる気がします。
食べることでいえば、食べすぎることもなくなるような気がします。
十分咀嚼するから、消化・吸収も良い。味わいも、ひときわです。
食べることで、すごく豊かになれる気がしました。

ちなみにこれをやっているとき、外から見た姿は、とても優雅できれい」だったそうです。
(わたし自身は、上に書いたように軽いパニック状態になっていても、です)。
そうそう、曹洞宗のお坊さんの身のこなしは、とてもきれいで美しいです。

そしてこんな意識の向け方に慣れてくると、
食べながら別のことを考えても、”考えること”だけに意識が持っていかれなくなるとか。
きちんと食べる。でも、考えることもできるのです。
そうでないと、食べている間に火事が起きたとき、動けないですものね。

これぞ、修業です。
自分でやっていくしかありません。

太極拳をするように、日常を過ごすことを意識して、
わたしもまだまだ、これからです。
どんな感じになっていくのか、楽しみです。


(今年の春、庭に咲いたクロッカス)

 

老子と道教と武当山

2015.03.14 Saturday


(中国、武当山にある大常観という道教の寺にある、老子の壁画)

武当拳は、道教の聖地のひとつである武当山(中国、湖北省)で育まれてきました。
それは道教哲学をもとに成り立っています。
道教は、老子の思想を用いて、その思想の一面を取り込みながら生まれた民間宗教で、
老子を神格化しています。

では、老子とはどんな人物なのでしょうか?

司馬遷の「史記」老子伝からみると、
老子は周王朝の宮廷に仕えて、守蔵室の史(し)、つまり周の国立図書室の役人をしていました。
やがて周の国が衰えるにおよび、老子は周の都の落陽を立ち去ることにしました。
落陽を出て、函谷関(かんごくかん)散関(さんかん)どちらかの関所に至ります。
そこには関守の尹喜(いんき)という人物がいました。
老子を見た尹喜は、これはただ者ではないと感じ、「どうか国にとどまってほしい」と懇願しますが、
老子は首を縦にふりません。そこで尹喜は、「ならばせめて書を著して残していただけませんか?」と
依頼します。そこで老子が一晩で書いたものが、5,000語ほどの「道徳経」だと言われています。
日本語では「老子」というタイトルで出版されていることもあります。

「道徳経」を読んで感銘を受けた尹喜は、関守をやめて老子とともに旅に出たとも言われています。
そして老子と別れた後、尹喜が修業の地を求めてたどり着いたのが、武当山の南岩という話も。
南岩は、玄武大帝(道教の神様のひとり)が、ここから天へととんだという説もある、聖なる地です。
武当山にある36の岩のうち、最も美しいと言われ、わたしがいつもお稽古にいっている場所でもあります。





















(南岩。右の崖に張り付くように建っているのは、
道教のお寺、南岩宮)

南岩で修業に励んでいた尹喜が、いつも憧れをもって眺めていた場所がありました。
それが金頂。武当山の頂上です。「あそこならもっと良い修業ができるはずだ。」

今でこそ南岩から山頂までの道もありますが、もちろん、その頃にはありません。
大変な苦労をした末に、ついに尹喜は金頂にたどりついたそうです。

わたしがいつもお稽古している場所からも、金頂が見えます。


(左手、高いところが金頂)

尹喜も、こんなところから眺めていたのかな。

さて、尹喜はなぜ金頂を理想の修業の場と考えたのでしょうか?
それは、山頂は天と地が接する一番高いところ、つまり宇宙のおへそ、丹田にあたるからです。
中国武術では丹田を大切にし、その鍛錬をします。
人間を小宇宙、宇宙を大宇宙と考え、小宇宙の丹田の鍛錬には大宇宙の丹田という場が良い、
と考えたようです。

宇宙のおへそで太極拳。

南岩という場所のご紹介や、老子の「道徳経」の言葉は、
また次の機会に。


(南岩の夕焼け)
 

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