教えること

2017.06.08 Thursday

(溝の口クラスは、終了後ヘナ(ハーブ)の足湯つきです。ここで、お稽古中に伝えきれないお話をします)

 

前回は、太極拳を10年続けた理由を、書いてみました。今回は、”教えること”です。

 

どうして教えたいと思うようになったか、実はあまりはっきりしていないのです。

 

わたしの単発クラスを受けてくださった友人Aさんの感想を読んで、友人Bさんが、声をかけてくださったことがあります。当時勤めていた会社で「単発の講座をしてもらうことはできる?」と打診してくれたのです。うれしいな、やりたいな、と思って、先生にお話しすると、「教えたい理由は?」と質問されました。最初の答えは忘れてしまいました(すみません......)が、わたしの答えを読んだ先生は「違う。もっとよく考えなさい」でした。

 

考えてみましたが、短い言葉にまとめると、どうにも表面的で、他人ごとのように感じられてしまうのです。そこに至るまでの経験すべてが、今にいたったもとになっているような気がしたのです。悩んだあげく、これまでのストーリーをすべて書いて送りました。たいそうな長文です。

 

当然のことながら、「長すぎる!これを全部読めというのか!これも違う」というお返事が返ってきました。

 

何度かやりとりをしている間に、自分の中で、教えたい情熱がすっかり減退していることに気づきました。もういいや、と。「ここであきらめるなら、それだけのものだったのだよ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、あきらめようとしている自分に気づいたときに、「これは違う。最初に感じたやりたい気持ちを大切にしよう」とも、思い直したのです。

 

結局そのときは企画自体が流れ、この話もそこまでになりました。

 

先生は、「答えがあるものではない。ずっと考え続けていくものだから」というような話をされていました。

 

今から考えてみると、あのとき、「やりたい」以上に、明確な理由などなかったのだと思います。それなのに、それらしい理由をつけようとしたために、自分で自分を追い込んだような気がします。だから「それは違う」と言われたのかもしれないと、思います。

 

もちろん「やりたい」と連呼するだけでは、ダメなときもあります。いろいろな人が絡んむ企画をスムーズに通すためには、「わたしが適任者です。なぜなら○○○ですから」と、言えることが大切です。

 

でも、もっと手前の自分の思いをみるときには、言葉でも理屈でもない、ふつふつと盛り上がる気持ちみたいなものが、あるだけだったりします。それがあるなら、挑戦してみよう!です。ちょこっとでもやりたい、と思った気持ちを、丁寧に、大切にしたいと思うのです。

 

その先、クラスを実現するために、いろいろな方の同意や了解を得る必要があるなら、わかりやすく言葉にしていけばよいのです。

 

わたしがレギュラークラスを持つのは、それから1年後くらいのことです。やはり友人が「会社の中でやりたい」と、声をかけてくれたことが、きかっけでした。わたしは「ぜひ!」と答えただけで、あとは友人の行動力と、人としての魅力や交渉力で、あっという間に決まりました。

 

会社員だった頃は、「チャンスは自分で捕まえに行かないと、つかまえられない」と思っていました。そして、チャンスが見えれば、赤信号でもわたって取りに行くようなこともしていました。そんなことをすれば、事故にも遭っていたでしょう。心身に不調も出るはずです。そんなわたしを見て、「あなたは”待つ”ことができない。待っていたらチャンスは来ないと思っている。そんなことないのですよ」と言ってくださった方が、いらっしゃいました。

 

準備だけして、それを表現していけば、チャンスが来るときは来るということが、ようやく実感できるようになりました。

 

先生という存在は、学生時代も、社会人になってからも、わたしにとってはとても大切な存在です。背中を押してくれたのは、いつも先生でした。そして先生の日ごろの在り方からも、たくさんのことを学びました。「あんな人になりたいな」という憧れも、たくさんあります。

 

だから、わたしは”先生”としていられることが、うれしいのです。そして、そもそも生徒さんがいらっしゃらなければ、先生にはなれません。生徒さんのおかげで、先生をさせていただいている、ということですね。

 

わたしにとって先生の存在が大きいように、生徒さんにとって、気づきのきかっけを与えられる人でありたい、と思っています。人が真剣に生きる姿、取り組む姿、変っていく姿を間近に見ることのは、とっても幸せなことです。

 

たくさんの方、経験には、本当に感謝です。そして、やはりここでも伝えたいのは、「やりたい」気持ちを大切に、です。自分にも、生徒さんにも、誰にとっても、ですね。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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10年続いた理由

2017.06.08 Thursday

 

はじめて太極拳を体験したのは、2006年8月5日です。それから途中、約半年フィトテラピー(植物療法)の勉強のためにお休みした時期を除いて、約10年、続けてきたことになります。

 

武当功夫に出会ったのは、2008年の末です。最初は、違う流派で始めました。

 

武道をやっていらっしゃる方には共感していただけるかと思いますが、10年では、ひよっこです。この道、30年、40年の方々が、たくさんいらっしゃるのです。

 

しかし武道という枠をはずれると、「長い!」と驚かれることもあります。

 

今日、友人と話していたときに「それだけ長い期間、ずっとやってきた理由は何?」と聞かれました。

 

出てきた答えは、いつのときも「もっと、やりたいと思ったから」です。とってもシンプルです。

 

始めたときは、身体は今よりもずっと弱かったのです。最初に武当山の頂上まで登ったとき、足首は、ひねってもいないのに腫れてしまいました。下記のポーズは、”座らない”のですが、最初の頃は筋力がなさすぎて、下がるとそのまま地面にお尻が落ちていました。何ひとつ、目立って出来たことはなかったように思います。

 

 

それでも、初めて武当太極拳を体験したときには、何もできないにも関わらず「これは良い気がする」と思ったり、初めてひとりで武当山に行ったときには、悲しくないのに涙がぽろぽろとこぼれたり、心の琴線に触れるような体験が、いくつもありました。わからない”何か”を感じて、「もっと、やりたい」につながった気がします。

 

「それだけ奥深いものなのですね」とおっしゃる方もいらっしゃいます。今となっては同意できますが、はじめたばかりのわたしには、そんなことはわかりませんでした。

 

今、生徒さんに対して、そして誰に対しても思うことは、「やりたい気持ちを大切に」ということです。明確な理由や目標などなくても、”なんとなく”だけで、十分だと思います。やったことがないものは、やりながらそれを確かめていけばよいのですから。「もう○歳だから」とか「ムリだから」とか、遠慮する必要など、ないのですよ。

 

特に太極拳に関していえば、何歳からでも、その人なりの太極拳があります。太極拳の套路では、低い姿勢を取るものもありますが、以前、兄弟子が、「筋力も体力もありあまっている若い男子は低くすればよいし、高齢の人は、無理のかからない高い姿勢でやればよい。どちらも、同じだから」と言っていたことがあります。見た目のカタチは違いますが、同じなのです。

 

わたしの場合、30代後半から始めたこともあり、「今からでもやっていけるのだろうか」と思ったときもあります。それ以外にも、”やならければ”と自分を追い込んだり、どうしたらよいかわからなくなったときも、あります。

 

でもその都度、いろいろな気づきがあったり、助けられたり、本当にたくさんの”おかげさま”のおかげで、「やる」という選択をし続けてきました。この期間、今もそうですが、良いタイミングで良い先生方に巡り合えたことも、大きかったと思います。

 

その結果、10年前の自分には想像できなかった現実が現れます。事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、その通りだと思います。

 

まだまだ先は続きます。これからもシンプルに、「やりたい」気持ちを大切にしていきたいです。そして「やりたい」気持ちが芽生えた人たちを、わたしなりに応援していきたいと思っています。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

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陰と陽のおはなし

2017.05.22 Monday

 

先日、面白い話を伺いました。一輪挿しのお花を見ていたときのことです。

 

「花は、光の方に向かうというでしょ?でも実際には、茎は逆の方に伸びていて、その結果、花が光の方を向くんですよ。」

 

植物は、暗い中で育つのだそうです。

 

「もやしは暗いところで、にょきにょき伸びるでしょ?」とも。

 

光合成のためには光は必要ですので、暗いところに置き続けるほうがよい、という話ではないと思います。育つためには、光だけではなく、暗さも大切、ということではないでしょうか。

 

「陰陽と同じですね。陰のベースがないところには、陽は育たないから」とお話したら、「そう!良く知っているね。」

 

一日で見てみると、昼間は陽気が強く、夜は陰気が強くなります。朝日を浴びて元気になるのは、陽気を取り入れていることになります。光を浴びることは、セロトニンという”しあわせ物質”を脳内に分泌することにもなります。

 

では、陰気はどうでしょうか?夜の公園を歩くと陰気が入ってきてしまうため、避けている人の話を聞いたことがあります。でも逆に、自分を癒すため、夜に木々の多い公園に行く人の話も聞いたことがあります。陰気のとらえ方の違いかもしれませんね。

 

陰のないところに陽は育たないという点から見れば、夜の公園はNGではありません。わたしは積極的に行くわけではありませんが、時々は、夜、静かな樹の気配を感じたいときもあります。ただしこれは本人の感覚次第ですので、心地よいと思えば行けばよいし、居心地悪いと思ったらやめた方が良いですよね。

 

太極拳とか気功は、陽のエネルギーを育てると教わったことがあります。陽のエネルギーは、成長エネルギーです。太極拳とか気功などの動功は、外から取り込んだ栄養や水分を成長のエネルギーにしていく過程全般にかかわるすべてを活性化させます。

 

でも、陽が育つためには、ベースとなる陰が必要です。それを育てるのは、站椿功などの静功だと教わりました。瞑想や坐禅も、ここに入ると思います。

 

心身を健やかに育むためには、陽の動功(太極拳や気功など)と陰の静功(站椿功など)、どちらも必要です。ただし、静功がなければ、動功が活かされないということで、これ以上、言葉で説明することはできませんが、自分の体験にあてはめると、すごく納得できます。

 

花のケースを見てもわかるように、人はどうしても目立つ方に意識がいきがちです。でも実は、地味な土台(陰)がなければ、華やかな部分(陽)は生まれないのだと思います。

 

その土台は、地味ではありますが、よく言う人生の暗さと明るさのように、つらく苦しいものであるわけではないのだと思うのですけれどもね。

 

 

☀「陽だまり」とは

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本当の願いに気づくこと:お稽古の回数は、どのくらいが良いのか?

2017.05.18 Thursday

 

お稽古について、わたしがずっと大切にしてきたことがあります。

 

「あまり来られなくても、来られるときに来たら良いよ。間が空いても、気にせず来てね」というものです。

 

これは自分の体験から来ているものなのです。自分が習っていたときは、多いときで週3日、4.5クラスを入れてお稽古していました。たいていのことよりはお稽古を優先させていたのですが、それは強制されたわけではなく、やりたかったからです。

 

それでも、時々は何かの理由で行けないことがあります。そんなとき、「来なかったから、○○を経験するチャンスを逃した」というような言われ方をしたことが、何度かありました。

 

”お稽古にたくさん通うのが良い、回数が少ないのはダメ”というような、感覚が生まれていました。

 

お稽古という面で見たら、言われたことはそのとおりです。でも、もっと広い視点で見たら、違う経験をしたのだから、それはそれで良いのではないかしらと、モヤモヤと思っていました。

 

そんなこともあり、自分でクラスを始めるときには、誰にとっても来やすい場所、それぞれが自分のタイミングで来られる場所にしたい、という思いが強くあり、それで冒頭のようなことをずっと言っていたのです。

 

でも実はこれ、大切なことを大切にしていたつもりが、別の大事なことを無視してきてしまっていたのです。

 

今年に入って、週2回通い始めた生徒さんが、メキメキと上達し始めました。身体の使い方、套路の覚えのスピードなどなど、それまでとは全然違います。何よりも、意識や向き合い方も、大きく変わりました。それまでは「○○をやりたい、○○もやりたい」と言っていたのが、「丁寧に、今やっているものをできるようになりたい」と、どんどん他のものをやりたいと言わなくなりました。これは、大きな変化でした。

 

その生徒さんが、ぽそっとおっしゃったのです。「もっと早く週2日にすればよかった」と。

 

それは、わたしのせいなのです。わたしがその違いを伝えていなかったのです。

 

この話を友人にしたとき、「みんみんにとって、週3お稽古に通うとか、毎日お稽古するということが、あまりにも普通すぎて、きっとわざわざ言うことではなかったのだよね。でも他の人からみたら、言わないとわからなかったと、今、わかったということだね」と言われました。

 

身体を使うものは、頻度が多いほど受け取れるものは大きくなります。週1回と週2回は、単純に倍になるわけではなく、自分と周りの傾向をみていると、それをはるかに超える結果を導きだしてくれます。

 

体を使う場合によく言うことは、「結果を出したいのであれば、本当は週3日やるのが良い。無理であれば週2日」です。自分でウォーキングをしていたときには、2日空けずにやる(つまり週3回ペース)を心がけて、周りに明らかにわかるほど、すっきりと痩せました(カンフーを始める前のことです)。ほかの種類のトレーニングをしている方も、同じようなことをおっしゃいます。

 

週1回では意味がない、というのではありません。ただ、状態でいうと、毎回ふりだしに戻って始めるような感じに近く、「套路が覚えられない」というのは、当然といえば当然なのかもしれません。

 

わたしが武当カンフーを始める前に習っていたときは、月に3回のお稽古で、週1回に満たないペースでした。先生はとっても良いと感じたのに、自分はいつまでたってもピンと来なかったのは、もしかしたら頻度が大きく影響していただけかもしれない、とも思うのです。

 

繰り返しになりますが、頻度が少ないことがダメと言いたいわけではありません。”やる”という選択をしてやることは、自分だけの経験になることは間違いありません。それによって、何かに気づいたり、感覚が育ったり、何かのきかっけになったりする可能性はたくさんあります。

 

ただ、カンフーで結果を出していきたい、体なり心なり、何かを変えていきたい、というのであれば、週2回以上やるほうがいいことは確かです。週1回でも、間、自分で練習する、という方法もあります。

 

それは、やっていない人にはわからないことです。経験している人が言わないといけないことだったと感じます。

 

その一方で、タイミングがあうときに自分のペースで来たら良い、というのも、これまで通り大切にしたいと思っています。矛盾するようですが、意味が違うので、わたしの中では比べるようなものではないのです。

 

どちらにしても、せっかく始めるのであれば、長く続けていくことが大切です。それがもたらしてくれるものは、はじめたばかりの人には、まだわかりません。得られるものは人それぞれですので、”こんな風になる”という確証もありませんが、どの方向になるにしても、自分の可能性をより信じられるようになったり、自分をもっと好きになれること、尊重できるようになることは、確実に起きてくると思います。

 

自分をもっと好きになれて、尊重できて、「もっとできるんだ」という可能性が信じられたら、素敵じゃないですか?

 

本当に大切なことを大切にするためには、とにかくやってみることだと思います。やってみてはじめて、わたしの今回の場合のように、「あれ?」と気づくこともあります。気づいたら、修正して、またやってみることですね。

 

そんなことなので、これからはちゃんと言います。「上達したいのであれば、週2回ペースのお稽古がおすすめですよ。」と。

 

なお、冒頭のわたしのモヤモヤに戻ると、当時の先生の発言自体は、それで良いのだと、今のわたしは思うのです。「来なければ上達しない」というのは、ある面では真実ですし。大切なのは、それを自分がどう受け取るか、そしてどう選択するか、だと思います。当時のわたしは、その受け止め方と、選択が、あまり上手ではなかったな、と思います。

 

わたしが生徒さんに向き合うときには、そのあたりも含めてやっていきたいな、と思っています。

 

何ごとも、経験ですね。そして、失敗してもやり直せるところが、すばらしいところです。(ご迷惑をおかけした方には、ごめんなさい、ですが。)

 

 

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1,000本キックにチャレンジするとき

2017.04.18 Tuesday

(中国、武当山)

 

夕方、なんとなく気分がのらなかったので、「こんなときは走るに限る!」と、外へランニングへ。

 

ぐったりしているときでも、動けるときは、頭を使いすぎていたり、気持ちが落ちていたりするだけで、体は疲労していません。こんなときは、動く方がバランスが取れて、スッキリします。

 

案の定、すんなり走れて公園まで行きました。まだまだ元気そうなので、久々に1,000本キックをしてみることにしました。

 

お稽古は、やりたいと思う分だけやる主義です。つらいことを我慢しながらやる志向はないため、「だめなら途中でやめる」という気楽なオプション付きで、はじめます。

 

前、横、後ろ蹴り、外回し、内回しなど、バリエーションを変えて、間にちょっと休みを入れながら、続けます。今日は暖かかったこともあり、すぐに玉のような汗がたくさん出てきました。

 

1,000回とは言っても、所要時間は30分程度、あっという間です。やっているときは、そこそこハードですが、終わるとすっきりです。帰り道は、体がまっすぐ伸び、目がぱっちり開いて、なんだかとってもかっこよく歩けた気がします。(ほぼ、自己満足です)。

 

1,000回キックを初めてやったのは、4年くらい前のことです。いろいろ思い悩んでいたときに、相談した人から「そういうときは、ぶんぶん体を動かして、くたびれてコテンと寝るのが一番!」と言われたからです。

 

心身のバランスを取る以外にも、そのときの自分の状態のチェックにもなります。1,000本どんな感じでできるかは(または、できないかは)、そのときの体力や気力の状態を教えてくれます。

 

動ける体であること、動く気力があることが、わたしにとってはとても大事です。

 

太極拳を始めて、10年前より今の方が、ずっと元気です。風邪をひくことも熱を出すことも、ほとんどありません。(大きく崩れる前に、さっさと休むから、ということもありますが)。

 

体力が衰えてきたと感じることも、ありません。(もともと体育会系ではなく、スタート時点のレベルがたいしたことないから、とも言えますが。)

 

昔はもっと、ひ弱でした。初めて中国の武当山に行った2008年の年末は、金頂という山頂まで足で登ったとき(片道、約4時間)、ひねったわけではないのに足首が腫れてしまったほどです。翌日からも、体中筋肉痛でした。

 

今では名刺にも使っているこの↓ポーズも、当時は脚が弱すぎて、下がるとそのまま座りこんでしまい、立ちあがれませんでした。

 

その後も、武当山にお稽古に行くときは、毎日の練習の後の足首のケアが欠かせませんでした。膝の話をする人が多いですが、足首も、結構、弱いのですよ。

 

振り返ってみると、体は、少しずつ、少しずつ、強くなっていきました。そこにはいつも、”ちょっとのチャレンジ”があったように思います。

 

この”ちょっと”が肝心です。わたしは自分を追い込んで練習するアスリートタイプでもなく、打たれ弱く、反骨精神などなく、あるのは「やりたいことを続ける力」という、ごくふつうの人だからです。

 

でも、その”ちょっと”を続けていくことで、いくつになっても「もう○○歳だから」と、あきらめたりしなくて良くなるような気がします。きっとそれは、誰にとっても同じことです。人と比べるのではなく、自分なりに進めばよいだけですしね。

 

カンフーの良いところは、体を大切に扱うところです。少ない労力で大きな力を出すためにはどうするか、膝や腰を痛めないためにはどうするかなどの体を守る方法や、老化を遅らせるコツなど、さびない体にするための智慧がたくさんあります。それがなくてただ体を動かしてきただけだったら、今の状態にはなっていないような気がします。

 

とりあえず、今日は1,000本クリアしたことに、ほっと一安心です。終わりに近づくにつれてちょっぴりヘタレになってきても、気にしません。終わった後、スッキリかっこよく歩けたことに、大満足です。

 

この先、おばあちゃんという年齢になったときも、動ける体と動く気力をもっていたいと思います。そんなおばあちゃんやおじいちゃんがたくさんいる社会は、なんとなく明るい気がしませんか?

 

(2017年秋、中国武当山の南岩宮で)

 

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イベント:「青空坐禅と太極拳」(4月23日(日)13:00- 明治神宮)は、こちらから

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