尾白川渓谷のトレッキングと 太極拳と 修行

2018.08.14 Tuesday

 

先日、尾白川渓谷にキャンプに行きました。南アルプス天然水の、名水の地です。

 

川にはいったり、翡翠色の滝壺にドボンと入って泳いだり、夏を満喫した翌日は、渓谷道のトレッキングです。途中、滝の絶景ポイントがあり、滝のしぶきをめいっぱいに浴びる所もありました。頂上では遠くに3段の滝が見えるという、めずらしく美しい景色に出会えるコースです。

 

しかしこの道、ところどころに「滑落注意。死亡事故あり」と、看板が立っています。鎖やロープを頼りにして歩いたり、地面に張り巡らされたような木の根っこをつかんで急な坂を登るなど、アップダウンも激しいコースです。道は整備されていますが、幅が細く、片側は渓谷にすっぱりと落ち込んでいて、それはそれは、落ちたらキケンでしょう。

 

「死亡事故あり」なんて見てしまうと、怖いですよね。これを「慎重に」というアドバイスとして受け取ればよいのですが、文言にとらわれて怖くなると、体は緊張して硬くなります。貴重な情報に感謝して、心を落ち着けます。深い呼吸を意識することも、役立ちます。

 

過信は禁物です。「普段、鍛錬しているから、できるはず」なんて思いすぎると、逆に体が硬くなることは、過去に体験済みです。

 

歩くときは、一歩ずつ。落ち込む崖など見過ぎると、怖くなってしまうため、次の一歩を大切にして歩きます。

 

こんなとき、ふだん太極拳でやってきたことが、とても役に立った気がします。心の落ちつけ方、体の使い方、目の使い方などです。

 

慎重さは大事ですが、あまりに集中しすぎると、精神的にどんどん疲労していきそうです。こんなときには、太極拳の目の使い方です。「木を見て、森もみる」という、視界は開けているけれど、細かくも見えている状態です。これだとエネルギーを使いすぎることも、ありません。

 

体も、できるだけ筋力を使わないで済むように、楽な方法を探ります。段差がある下りは、膝を痛めないように、膝に体重がかからないで行ける方法で。腕を使うときも、腕力頼みにならないように。

 

「どんなところも大丈夫!」という自信があるわけではありません。「軽んじたらあぶない」と思いながら、歩きました。でも、そんな中で良かったのは、自分の体との信頼関係があったことです。今、自分がどのくらい緊張しているか、楽な状態か、無理をしようとしているか、などが、おそらくそこそこ正確に把握できていたと思います。その上で、無理しないよう、心がけました。

 

2時間くらい歩いたでしょうか。無事に頂上までたどり着き、遠くの滝をぼんやり眺めて休憩です。下りは比較的広めの道で、のんびりと歩けました。

 

慎重に、丁寧に、でしたが、どうやって歩くかなど、その行程自体も楽しみながら、歩けました。滝はもちろんですが、途中、風穴があったり、水がちょろちょろ流れていたり、小さな発見もたくさんです。

 

おかげで筋肉痛も出ず、太極拳をやっていて良かったなあ、と思いました。

 

 

話は変りますが、「毎日、どのくらい練習するのですか?」と聞かれることがあります。

 

5年くらい前までは、「1日、2時間」と決めていました。まだ会社員だった頃の毎日は、ほぼ、仕事とお稽古しかしていなかったときもあります。あの頃は、そうしたかったのですね。

 

中国の武当山にお稽古に行くときも、1週間ほどの短い滞在を有効活用したくて、お休み日(学校によりますが、週に1.5〜2日はお休みです)にも、お願いしてお稽古してもらっていました。

 

「もっとやりたい」という向上心とか、

「誰よりも上手くなりたい」という競争心も、あったと思いますが、

「これをやり続ければ何かある」という漠然とした、理由のない理由も、あったと思います。

 

でも続けていくうちに、そんな向き合い方も、ずいぶんと変わってきました。

 

中国にお稽古に行っているとき、お稽古時間の中で、ときどき、サッカーや鬼ごっこ、馬跳びや棒とびなど、遊びの時間が入ってくることもあります。お稽古時間だからといって、いわゆる”お稽古”だけではなく、ゆるーく、アバウトなのです。

 

最初の頃は、「ずっとここにいる人たちと違って、わたしは短い期間しかいないから、この時間が貴重なのに」と思うことも、ありました。

 

でも、そんな遊ぶ時間は、いつもすごく楽しい時間です。そして、みんなで大笑いした後の、いわゆる”お稽古”は、びっくりするほど楽で、調子がいいのです。

 

そんな経験は、わたしにいちばん足りなかったものを、教えてくれました。

 

太極拳とは、カンフーとは、生きていくことです。太極拳の套路(型)を練習している時間だけではありません。日々の生活の中で、自分の体や心のあり方、動き、他人との関係などなど、すべてがお稽古であり、それが修行もあります。

 

その意味では、今回のようなトレッキングは、とってもよいお稽古でした。

 

修行とは、楽しいものなのだと思います。今回のように。

 

(川辺で朝ごはん)

 

【特別クラスのお知らせ】

8月19日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(5)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


站椿功と進化

2018.07.13 Friday

 

先日、お稽古で站椿功をやってみたときのことです。

 

初めて体験した生徒さんに、終わってから感想を聞いてみたら、「肩が痛くて辛いだけだったのですが、正しくできたら、気持ちよいものなのでしょうか?」

 

正しくできたら、という点はさておき、わたしの経験で言うなら、「ずーっとこのままでいたい」と感じるときもあります。そういうときは、30分でも、1時間でも、それ以上でも、いくらでも続けられそうな気がします。

 

つまり、痛さ、辛さ、苦しさとは無縁です。気持ち良いのですよ。

 

そうではないときも、あります。痛く、辛く、苦しいときです。

 

でも、その痛さとか辛さを経験することも、大切だと思っています。なぜなら、それを解消するためにあれやこれやと、自分で工夫し始めるからです。その工夫が、進化につながると感じています。

 

ダーウィンの進化論でも、強い生物が生き残ってきたわけではなく、変化に対応できた生物が生き残ってきたといいます。過去、人間に至るまでの過程でも、なんらかの不便さを感じ、上手く適応しようとした結果の変化が、進化につながってきました。

 

そう思えば、站椿功の不便さも、進化へのヒントなのですよ。

 

わたしはこれまで、人間とは、直立歩行する動物の完成形だと思っていました。

 

でも実際、きれいに楽に立てる人は、とっても少ないのです。

 

体の調整をしている友人も、「きれいに立てている人って、いない。なんでこんなに大変なのに、立つって決めたんだろうと思う」と、言っていました。

 

そうなのです。知れば知るほど奥が深く、難しいのが、”立つ”ことなのです。

 

そう思うと、二足歩行する動物としても、人はまだまだ発展途上、進化の過程にいるような気がします。よく考えてみれば、あたりまえですよね。生物は絶えず変化しているものだから、今の”人”が、完成形であるはずがないのです。

 

カンフー(功夫)をする人は、站椿功、”立つ”鍛錬を、とても重視します。

 

站椿功とは、杭を打つように立つ、という意味です。

 

一般的には、腕を前に丸く上げる形(上の写真)がよく知られていますが、腕を下げて、ただ立つだけ(下の写真)でも站椿功です。

 

(これは腕を下で重ねていますが、横にラクに下げても良いのです)

 

”立つ”鍛錬をする意味として、中国の先生の兄弟子(清風子、武当玄武派第十六代伝承人)が、こんな話をしていました。

 

「人は、年を取るにつれて、下半身が弱くなり、上半身が重くなる。上下のバランスが崩れて、膝を悪くしたり、転びやすくなる。だから、下半身を鍛えることが大切です。」

 

体に加えて、わたしは、上半身が重くなる、という中には、いろいろ知恵がついて頭でっかちになることも含まれているような気がするのですよ。

 

立つため、歩くための筋肉は、毎日使っていないと衰える、と言います。お年寄りが入院すると、入院の原因が治っても、立てなくなったり、歩けなくなってしまうこと、ありますよね。

 

立つことは、大変です。どう考えても四つ足よりは不安定です。だからこそ、上手くバランスを取ろうとして、頭(知能)が発達した、という話もあります。ジョギング中やお散歩中に、アイディアが浮かぶ、という人が時々いますが、うなづけますよね。

 

さらに、この”大変さ”があるからこそ、どうにかしようと工夫して、その結果が進化につながるのだと思うのです。

 

最初に「正しくできたら、というのはさておき」と書いたのは、そういう意味です。自分で探っていく中に、間違いとか正しいは、ありません。

 

もちろん、膝を痛めたり、腰を痛めたりするやり方は、よくありません。その意味では、先生の指導はあった方が良いと思います。

 

でも大切なのは、正しさよりも、自分で感じることです。

 

同じ姿勢で制約をつけると、その中で何とかしようと工夫を始めます。意識もそうですが、体自身も、そうだと思います。自覚はなくても、楽になる方向を探っているときも、あるような気がします。

 

さらに、同じ形を取ることが、ひとつの基準というか、バロメーターにも、なります。

 

たとえば、中国でお稽古するとき、時々、お稽古時間に鬼ごっこや、サッカー、馬跳び、縄跳びならぬ棒跳びなど、遊ぶような時間があります。大声で笑ったり、きゃあきゃあ言いながら遊んだ(?)後、站椿功をしたら、とっても楽なのです。

 

遊ぶと、体はゆるみます。大まじめに「さあ、練習しますよ」と構えるよりも、思い切り楽しく遊んだ方が、ずっと緩むわけです。

 

站椿功で感じられることは、たくさんあります。先生や、先人たちは、それについて、いろんな話をしてくれます。すぐにそれを感じられなくても、ふーん、と聞いておくと、ある日、それがやってくることもあります。

 

いくつか挙げてみますね。

 

]咾魎櫃上げる場合、腕の内側を、気が時計と反対回りに回る。

 

⇔つことで地とつながる。地とつながれば、天ともつながる。

 

9を低く落とす場合、15分でもものあたりが震えてくる。縦揺れ、横揺れ、とやってきて、ピタッと止まる。

→これは、グリコーゲンが足りなくなって震えるらしく、足りないものが補給されると震えは止まるようです。1度終わっても、また15分後に震えはやってきます。

→ただし、腰を低く落とす場合、膝を痛めるやり方をする方が多いため、腰を落とす方法は、初心者にはおすすめしていません。

 

と瓩靴ないのに、涙がでる。

 

上で上げたことは、聞いたことでもありますが、その後、実際に自分で体験し、実感したことでもあります。

 

站椿功のよさは、頭では理解しきれないことです。体での体験、経験がすべてです。そしてそれは、生物が魚から陸に上がり、走り、二足歩行をするまで進化をしてきた人間の、現在の進化の過程なのだと思います。

 

だからこそ、時間をかけて、やっていく意味はあるのです。

 

なんでも便利にすぐわかる今の時代には、地味でそぐわないですが、技術の進歩だけではなく、自分の進歩、進化に取り組むことも、すてきなことじゃないかしらね。

 

一見、地味に見えるこれは、本当はとてつもなく豊かなのだと、やっている人はみんな、知っているのですから。

 

 

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太極拳は、健康のため、自分を守るため、人を守るため

2018.06.25 Monday

 

 

千葉県の香取市で、新しいクラスを始めました。

 

月1回、2時間ずつの開催です。「立って、歩いて、太極拳」と名付けたとおり、立つ、歩く、という基本をしっかり押さえながら、武当十三式太極拳をお稽古していこうと思っています。

 

昨日、第1回目を開催しました。そのとき、最初にみなさんにお伝えした言葉があります。

 

「太極拳には、3つ目的があります。1.健康のため、2.自分を守るため、3.人を守るためです。これからお稽古を通じて、この言葉の意味を、自分なりに探して、体感していってくださいね。」

 

この3つの目的は、2011年、中国の武当山で、先生(田理陽師父、第十五代武当玄武派伝人)が話してくださった言葉です。シンプルなことばですが、わかるような、わからないような、ですよね。

 

それから7年、わたし自身も、この言葉の意味を探し続けてきました。

 

最初に聞いたとき、1の”健康のため”と、2の”自分を守るため”は、なんとなく理解できましたが、3の”人を守るため”は、さっぱりわかりませんでした。

 

今は3つとも、自分なりの答えはあります(でも、みんなに探していってほしいので、ここではいいませんよ。)でも、これで完成ではなく、これからまた新たな気づきがあったり、変っていくだろうと思います。そこがまた、よいところです。

 

この問いがある意味は、大きいと感じます。

 

話は変わって、先日、別のお稽古で生徒さんが「太極拳は、究極の養生だと聞いた」という話題を出してきました。

 

”養生”とは、生命を養って長生をはかることで、中国語でも同じ言葉があります。狭い意味では、上の健康のためが、該当しそうですよね。

 

”究極の”については、世の中すべてを比較できるわけもなく、わかりませんし、興味もありません。でもあえて、その表現を使った思いをくんでみるならば、それを自分を守るため、人を守るためと、広い範囲でとらえるならば、”究極”と言っても良いのかな、と感じます。

 

そして太極拳が目指すものが和(調和)であるならば、円満ならすべてよし、じゃないかしらね。

 

他のものと比較して秀でている、と言いたいわけではありません。つまり、究極の養生は、別にもあっていいと思います。

 

言葉は便利ですが、落とし穴もあります。

 

「太極拳って、究極の養生なんだって」「へえ、そうなんだ」で会話が終わり、理解できたと思ってしまうことも、あるでしょう。

 

もしくは「究極のって、何?」「他のものと、どうやって比べるわけ?」という議論や批判に発展していったり。

 

それよりは、その表現に対して、自分なりに感じてきたことを、一生懸命に言葉にして伝えるほうが、ずっと健全です。わたしはそうしたいですし、そもそも、それしかできませんしね。

 

脳は五感をフル活用して理解する、と聞いたことがあります。見る、聞く、触る、味、香り、全部がそろって初めて「理解した」と安心するのだそうです。

 

でも今のようなインターネットの時代では、「見る」と、せいぜい「聞く」で「理解した」と思ってしまいがちです。でもこの状態では、脳は本当には理解していないため、それがストレスになるそうです。わかっているつもりで、本当はわかっていないという、自分の表層意識とのギャップは、苦しいかもしれませんよね。

 

だからこそ、ちゃんと体験して、それを言葉にすることを、大切にしたいと思っています。

 

それはそうと......え?太極拳の味と香り?と思われたかもしれませんね。思い出は、味や香りとともにあります。先生が、この話をしてくださったときの雨の香り、お稽古の途中で食べたスイカの味も、理解を深めるために、役だっているはずです。たぶん。

 

※次回の「立って、歩いて、太極拳」(千葉葉県香取市)は、7月29日(日)13−15時です。詳しくはこちらから。

 

 

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7月11日/25日(水)19:00-20:30は「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

7月15日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(4)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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タオの生き方と、太極拳

2018.05.25 Friday

(中国、武当山で。站椿功のお稽古)

 

タオの生き方とは、「無為自然」、自分から意識的に生み出そうとしないことを言います。

 

無為とは、何も為さないこと、自然とは、自ら然り=あるがまま、です。

 

老子は「道徳経」の第7章で、次のように言っています。

 

天地が永遠に続いていくのは、自分から命をのばそうとしないからだ。
そういうわけで聖人は、わが身を後まわしにしながら、かえって先になり、わが身を度外視しながら、かえってその身を保全する。
わが身をどうにかしようという意識がないからであろうか。
だから自己を実現できるのだ。

(「老子」蜂屋邦夫訳注 岩波文庫より、抜粋)

 

ここで言う「聖人」とは、タオ(道)を知って、道に従う賢者のことです。

 

”私(我)”がない、無為自然な状態は、自分を捨てることで、状態に応じて適応し、変化できます。わが身を後まわしにするとは、人に従う=人を受けいれること。それが闘争から調和を導く第一歩です。

 

うつくしい姿ですよね。

 

......でも、ちょっと現実離れしているような気がしませんか?

 

いま、老子の「道徳経」を読むクラスを開催しているのですが、この前、生徒さんが「老子の思想に触れて、癒されて、また争いのある現実に戻る」という話をされていました。

 

「これは理想で、日常とは違う」というご意見も。わかる気がします。

 

でも、老子は日常に活かせないことを、つらつらと語っているわけはないと思うのです。

 

人に従い、あるがまま、というのは、何にもしないこととは違うと思います。それは、”老子の教えを体で表現するもの”とも言える太極拳で、体験することができます。

 

太極拳は、武術ですが、自分から攻撃することはありません。武術の”武”は、”戈を止める”と書くとおり、起きてしまった争いを終わらせるためのものです。相手から攻撃されたときに、反応します。

 

そのとき、相手から向かってきた力に対して、反発するわけではなく、受容します。別の言葉でいうと、吸収、です。

 

相手から打たれるがままの状態は、受容とは言い難いですよね。痛いですし、怪我したり、場合によっては命を落とすかもしれません。ここに相手と自分の”共存”はなく、調和もありません。

 

ではどうするか。

 

”天地とつながる立ち方”を守り続けることです。

 

太極拳の立ち方は、ただ力を抜いて、ぼんやり立つわけではありません。一般的に思われているリラックスとは異なります。

 

足で大地を柔かく押して立ちます。体重に、下に押す力がプラスされることで、下に向かう力が大きくなります。人が立つときには、下に向かう力と均等の力が上に向かっているため、上に伸びる力も大きくなります。これで、縮こまっていく背骨の関節に隙間を空けていくのです。

 

站椿功(立禅)を歌で表現している中国語があるのですが、その冒頭は「头顶脚踩身空灵」です。”頭は上に伸び、足は大地をしっかりつかむと、体は空(くう)になる”です。「頂」という中国語のもともとの意味は、英語でいうとto equal、つまり均衡することです。大地を足で押して、下に向かう力に均衡するように、頭が上に伸びる、という意味に捉えています。

 

これを縦に伸びる力、「竖劲 Shù jìn」と言っています。自分の中心に、しなやかな細い軸がある感覚です。軸というより、個人的には、天と地を結ぶ”縁(えにし)というイメージが、好きです。

 

細くしなやかな軸(縁)が中心にあると、残りの体は、柔かいまま存在することができます。水が入ったビニール袋は、机の上にぽんと放置するとぐだぐだですが、細いしなやかな串を真ん中に通すと、やわらかいまま、しっかりしますよね。そんなイメージです。

 

柔かいから、押されれば、形は変ります。でも、天地とのつながりである縁(軸)は、しっかりあります。人に従い、あるがまま、ではありますが、人に振り回されたりはしません。

 

天地につながるとは、地球とともに、宇宙とともに動く、という意味です。太極拳とは、自ら動かず、地球や宇宙と共に動くことです。それが「あるがまま」「自然=自ずと、然り」です。

 

太極拳のクラスでも、老子のことばを読むクラスでも、これを体感するようなお稽古をします。「老子のことばは理想で、現実とは違う」とおっしゃっる方も、こんな体感から日常に結びついていくことがあり、そんなときは、とっても嬉しいです。

 

体感してなんぼ、とはこのことです。もちろん、読んで理解することも大事ですけどね。

 

さて、この縦に伸びる力が、より大きな力を外に向かって出すことにもつながると思っているのですが、長くなってしまったので、それはまた次回、書きますね。

 

「老子のことば」クラスは、6月から「タオを生きることば」に変えて、引き続き開催します。6月は6日、20日の夜です。詳しいことは、こちらの講座案内からご覧ください。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

6月10日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(3)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

(武当山の雷神洞にて。朝の站椿功)

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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カンフーと、男性性と女性性

2018.05.24 Thursday

(中国、武当山 逍遥谷)

 

3年くらい前に、「高度成長期からごく最近までは、活動的な男性性が強い時代で、目標を設定して達成するという、イケイケどんどんが続いてきたけれども、それが行きすぎてバランスが崩れ、だんだん男性性さえも生かせないようになってきた。そこで受容である女性性が求められる時代になってきた」というお話を聞きました。

 

さらに「ちょっと前は、男性性が強い組織の中では、女性性の強い人は不適合となり、はじき出されるようなことが起きる」とも話していました。

 

わたしが会社を辞めた頃は、そんな傾向の始まりの頃だった気がします。長い間、合わないところにいたのではなく、流れも自分も環境も変化していく中で合わなくなったという解釈は、腑に落ちる気がします。

 

都合のよい解釈とも言えますが、自分の人生ですからね。自分が納得できるなら、それでよいと思いませんか?

 

陰陽で見ると、男性は陽、女性は陰です。

 

陽は、”動”。花が大きく開くように、活動、表現、発展があらわれます。

陰は、”静”。木の葉た落ちて土に還ったり、植物が種に生命エネルギーを満たしているように、受容や熟成があります。

 

陰と陽は、質の違うもの同志が、助け合って”ある現象”をつくります。人間が、精子と卵子から生まれることも、そのひとつですよね。陰陽のバランスが取れていると、形どおり、”円満”になります。

 

円満を示す”〇(まる)”は、陰陽の母であると言われる太極(王宗岳「太極拳経」より)の象徴でもあります。

 

「あの人はまるい人だね」と言うと、大らかで、柔かい人柄をイメージしませんか?逆に「角がたつ」と言うと、ぎくしゃくした関係をイメージしますよね?

 

では、〇を示す”太極”の文字が入った太極拳を鍛錬していくと、どうなるのでしょうか?

 

中国にいるわたしの先生たちや、過去に教えていただいた四節八卦掌の伝人の李先生を見ている限りの感想ですが、男性性も女性性も、どちらも強くて大きいと感じます。

 

先生たちは、みな男性ですが、まず、とっても優しいのです。大らかで、でも繊細でこまやかな面もあります。すごく女性らしさも感じます。動きも柔かく、角がないところにも、柔かい女性性を感じます。

 

でも、力はあります。内側から外に向かって拡大していくパワーを、感じます。活動とか、外に向かう表現は、男性性ですよね。

 

わたしは女性ですが、カンフーを始めてから男まさりになったわけではないと思います。むしろ8年くらい前の方が、きつい顔をしていたと思いますし、実際にそう言われることもあります。一方で、中国の先生の言葉を借りるなら、今は「身体の内側から、たくさん力がある」と言われます。

 

太極拳を鍛錬していくと、男性性も女性性も、両方育つような気がしています。パイグラフで表すと、奏法のバランスが整いつつ、パイ全体の大きさが拡大していくような感じです。

 

だから、バランスが整ってくることで、中性っぽくなるわけではありません。もともとの性(今の時代、この表現がふさわしいのかどうかはわかりませんが)が、失われるわけではありません。

 

何年か前、合気道を長いこと鍛錬されている方と話しているときに、”中庸”という話題になったことがあります。陰、陽、どちらにも偏らず、真ん中、中庸を行くのが良い、という話だったのですが、その方は「中庸とはいっても、その幅は広いような気がするのですよね」と言っていたのです。

 

パイグラフの中のバランスが整いつつ、パイが拡大していく感じと、似ていますよね。

 

もともと太極拳を始めとするカンフー(中国武術)の”武”は、”戈を止める”と書くとおり、起きてしまった争いを終わらせるためのものです。相手から力がかかったときには、自分から積極的に攻撃することはなく、それを受容(女性性)しますが、ただ受け入れただけでは、相手に振り回されてしまいます。

 

受容の方法に、コツがあり、積極的に活動するところも、あるわけです。それも含めて、広い意味では受容と表現することもあると思いますけどね。

 

タオの生き方とは、無為自然、自分から意識的に生み出そうとしない生き方を言います。「私」という我を捨てて、人に従う=人を受け容れることで、調和を導きます。

 

それは「あるがまま」とも表現しますが、「なすがまま」とか「なされるがまま」とは違うのかな、と思っています。なされるがままでは、打たれたら痛いし、怪我して、場合によっては命を落とすかもしれません。それは、共存ではなく、調和が保たれているわけではありません。

 

ここをカンフーでどうやっているかに、面白さと、すごさや奥深さがあるのです。でも、ちょっと長くなってきたので、また次回に書きますね。

 

※続きの「タオの生き方と、太極拳」(2018年5月25日)は、こちらから。

 

 

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5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

6月10日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(3)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

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