焦らず、じっくり育てていこう

2017.08.09 Wednesday

(64式武当太極拳)Photo by Xie Okajima

 

太極拳とひとことで言っても、いろいろな流派があります。

 

わたしがお稽古している武当太極拳は、やっている人が少ないためか、ときどき遠い地方からお稽古にいらしてくださる方がいらっしゃいます。中には、太極拳歴がわたしよりも長い方もいらっしゃいます。

 

先日は、太極拳歴30年、伝統太極拳をお稽古されている先生がいらしてくださいました。

 

年数の長さだけで語れるものではなく、その間にどういう心でどんな練習をどれだけしていきたかもあると思っていますが、一方で、年数にはそれだけの重みがあります。

 

功夫(カンフー)とは、長い時間をかけて熟達していくもの、深めていくもの、という意味があるとおり、10年は10年でしかなく、30年にはその年月の重さがあります。

 

太極拳歴30年の方の前では、わたしは”ひよっこ”です。教えるなど、恐れ多いです。

 

でもお稽古が始まると、わたしは、今の自分にできることを、精一杯お伝えするだけなのです。今の自分が理解している武当太極拳の基本や、体や意識の使い方のコツなど、体感して実感としてつかんでいただくために、いろいろと試みるだけです。

 

こういうとき、わたしは自分に、絶対の信頼があるのだと感じます。

 

自分が完ぺきなわけではありません。わかっていないこともあります。これで終わりというものではなく、これからも変わっていくものです。そして今までそうだったように、来年の今頃には、説明も変わってくるでしょう。

 

不完全であることを受け入れて、信頼とは、これが今の精一杯で、この先もまだ深めていくという、過去から現在、未来に続くプロセスを経験している自分への信頼です。

 

自分への信頼を感じられることは、うれしいです。太極拳をやってきて、心身ともに良かったことはたくさんありますが、これは格別かもしれません。

 

ただし大きな課題としては、気づかないうちに柔軟性が欠けることです。このお稽古のときも、陰陽のとらえ方がこの方の理解とはちょっと違ったのですが、そんなときに、ちょっとかたくなになる自分にも気づきました。こういうところ、ホントにまだまだです。小さいなあ、と思います。

 

この日は、太極拳の発展の過程や、いろいろな流派の話、発祥についての話、いろんなことを教えていただきました。「一緒にやっている中には80代の方もいらして、周りの同年代の方に比べると、本当にお元気ですよ」というお話もしてくだいました。

 

カンフーには、「20年後も同じ体で」という表現があるように、実年齢が70歳でも、見た目は50代の方は、本当にいらっしゃいます。

 

わたしも、80歳になったときに、誰よりも速くしなやかに動けるおばあちゃんになりたいのです。それはまだまだ、当分先のことですね。

 

わたしの教室は、まだまだ始めたばかりです。生徒さんのカンフー歴は、当然、短いですし、ほぼ初心者です。今回、長くやっていらした方のお話を聞いて、焦らず、ゆっくりじっくり育てていこう、と思いました。

 

これから育てていく時間は、たっぷりあるのですから。

 

たくさんの出会いにも感謝して、まだまだこれから、がんばります。みなさま、これからもどうぞよろしくお願いします。

 

(64式武当太極拳。カメハメ波と言われてしまうところ、笑)Photo by Xie Okajima

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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自然の中でお稽古するのは、なぜ?

2017.07.12 Wednesday

(中国、武当山、夕暮れ時)

 

太極拳というと、外の公園でやっているイメージを持つ方が多いようです(これまでに接した方から受けた、個人的な感触です)。

 

「なぜ外なのでしょう」というご質問も、ときどき受けます。

 

今のわたしなりの考えを、いくつかご紹介してみようと思います。

 

 

☀自然に習う

 

自然と大宇宙、人を小宇宙とみる見方があります。自然の中に身を置くのは、大宇宙の在り方を体感し、小宇宙である自分の在り方に気づく機会とすることもあります。

 

たとえば自然界では、水は上から下に流れます。逆は、モーターやポンプが必要です。より自然で楽に力が出るのは、上から下です。人は、いろいろ複雑な動きも出来ますが、反面、やりすぎてしまうこと、力みすぎてしまうこともあります。無駄な力を使わない自然の中に身を置くことで、そのあり方を自分に取り入れようとしています。

(参考:自然と人、大宇宙と小宇宙

 

 

☀丹田

 

太極拳や気功では、丹田を育てるとか、丹田に気を集める、というような表現をします。西洋でも、お腹はストレスが出るところです。ストレスのある人のお腹は硬く、マッサージするとストレスが和らぐという話もあります。西洋、東洋に関わらず、このあたりは大切なようですね。

 

ではなぜ、自然の中、特に山の上でやるのでしょうか?それは山が、地球のおへそ、つまり丹田だとされたからです。大地と天が接する一番高いところだから、地球のおへそです。丹田を育てるのであれば、大宇宙である自然の丹田にあたる場所で鍛錬するのが良い、と考えたようです。

 

伝わっている話によると、老子の弟子だった尹喜さんは、老子が亡くなった後に武当山の中腹、南岩にたどり着いて修行します。南岩からは山の頂、今では金頂と呼ばれているところが見え、尹喜さんは、憧れをもって、そこを眺めていたとか。当時は、今のように山道が整備されていなかったため、山頂に行くことは大変な困難でした。でもついに伊喜さんは、困難を乗り越えて山頂に到達した、と言われています。(参考:老子と道教と武当山

 

地面に足は触れているため、つながりを感じやすいですが、天とのつながる感覚は、だいぶ違います。できるだけ天に近いところ、と考えたのかもしれないな、と思います。

(南岩にある、南岩宮)

 

☀環境に適応する

 

もっと環境的な要因もあります。クーラーの効いた部屋の中は、人工的に作られた環境です。それは快適や便利さをもたらしますが、反面、忘れてしまうこともあります。たとえば、お天気です。雨が降っても雪が降っても、お部屋の中ではお稽古できます。効率的ですが、お天気なら外に出る、雨が降ったら休む、という、当たり前のリズムを思い出すことも、ときには必要ではないでしょうか。効率は良い面もありますが、人のリズムがそれに追いつかないこともあるような気がします。

 

さらに、地球は本当は平らではありません。丸いというのは、技術の進歩のおかげで誰でも知っています。地面は、平らに見えますが、それは幻想とも言えます(ちょっと大げさですが)。でも床は、平らに作られています。そして小石や枝のような、障害物もありません。

 

外でのお稽古で太極歩の練習をしていたとき、生徒さんが、そこそこの大きさの石があるのに、その上に足を置いて、重心をかけようとしていたことがあります。当然、よろけます。「なぜ、そんな難しいところに足を置くの?」と聞いてみました。生徒さんは「えっ......?」。「ほんのちょっと足を動かせば、もっと安定したところに足が置けるでしょう」生徒さん、「はあーっ。そうですね.......」。

 

地面は安全である、と思い込んでいるのか、足を出したそのまま重心をのせるのだ、と思いこんでいるのか、両方か、それに無意識になってしまっているのか、理由はどれかわかりませんし、そこはどうでも良いような気がします。ポイントは、もっと安定して歩ける方法があるのに、なぜそれを選ばないのか、です。足裏というのは、危険を察知して避けることにも使えるのですよ。

 

 

☀この瞬間は、今しかない

 

站椿功(立禅)などをしているとき、目をつぶっていることも多いのですが、終わって目を明けると、目の前に広がる光景に、驚くことがあります。さっきも見ていた場所なのに、初めて見るように、びっくりするのです。赤ちゃんの”はじめて”は、こんな感じなのかな、と感じます。きれい、とか、そんな言葉を覚えるまえに、「うわーっ」と驚く感じ、それを感じるとき、「同じ時は二度と訪れない」と思うのです。

 

行動として同じことを繰り返しているようでも、実は同じことは二度とないのだ、と思うと、毎日は、新鮮で驚きの連続であることが、わかってきます。日常の見方、感じ方、過ごし方が、大きく変わるきっかけになると、思っています。

 

 

いろいろ書きましたが、とにかく外でのお稽古は、気持ち良いのですよ。今は暑いので時間は選びますが、クーラーの効いたお部屋よりも、やっぱりわたしは外が好きです。

 

(武当山の朝)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

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エネルギーは、目、口、耳から出て行く

2017.07.08 Saturday

(Photo by Xie Okajima)

 

太極拳のお稽古で「エネルギーは、目、口、耳から出ていく」と習いました。

 

太極拳の大きな目的のひとつは”健康”です。元気の”気”を、できるだけ目減りさせないようにするのです。”気”を使いすぎない”ためにも、目、口、耳の使い方が大切になります。

 

まず、口です。口は閉じて、下を上あごの下につけて、鼻呼吸にします。

 

鼻には、ほこりなどを体内に入れない機能がありますが、口で息を吸うと、フィルターがかからず、そのまま体内に入ります。さらに、口で呼吸すると一度にたくさん空気が入るため、浅い胸式呼吸になりがちになります。胸式呼吸は交感神経を刺激しやすく、精神的な興奮状態を起こしやすいそうです。

 

鼻で呼吸することで、深い腹式呼吸に誘導しやすくなります。すると横隔膜が広がり、内臓の動きや血液の循環が良くなり、自立神経のバランスが整いやすくなります。

 

吐く時も、口から吐くと、一気に空気が出すぎてしまいます。鼻で吐くことで、”ゆっくり”のペースを保つことができます。

 

身体的なパフォーマンスが高い人の場合、間違いな、く舌を上あごの舌につけて鼻呼吸している、と聞いたこともあります。この舌の位置は、習慣にしてしまうと良いですよ。最初はできていなくても、意識して続けていると、自然に習慣になります。

 

 

目の使い方にも、特徴があります。太極拳では、見る場所が決まっています。そこに目を”置いて”、凝視するのではなく、自分の内側を見つめます。さらに、黒目をきょろきょろ動かしません。横を見る場合、顔ごと動かします。黒目は、目の真ん中に置いたままです。黒目がくるくる動くことで、エネルギーを消費してしまうそうなのです。

 

中国の武当山でお稽古していたときのことです。当時13歳だった男の子が横目をしたとき、先生がものすごく怒ったのです。「カンフーをやっている者なら、横目で見ずに、堂々と正面で見なさい!」と。

 

最近読んだ、視力回復の本の中に、「コツは目の周りの外眼筋の緊張を取ること」と書いてありました。文字を見る訓練方法が紹介されていたのですが、そこでもやはり、黒目を動かさずに、顔を動かして文字を順番に見ていく、と書いてありました。太極拳の目の使い方と、同じですね。

 

耳は、なぜここからエネルギーが出て行ってしまうのか、最初はぴんと来ませんでした。ずっと「どういうことだろう」と考え続けて、ここ1〜2年くらいで「こうかな」と思い始めたことがあります。簡単に言うと、目の使い方と同じです。

 

耳からは、外の音がたくさん入ってきます。それに気を取られすぎると、自分に意識が向かなくなります。騒音にストレスを感じることもあるでしょう。この状態が、耳からエネルギーが出てしまうことだと思うのです。

 

武当山で站椿功(立禅)を練習しているとき、先生が「耳は外に向けて大きく開いて、心の音を聞く」とおっしゃったことがあります。このとき、自分の外と内という境界線がなくなって、ひとつにつながっている感覚になり、それがとても気持ち良かったのです。

 

太極とは、陰陽の母で、ひとつの源であるなら、自分と周りの境目が曖昧になってくる状態が、太極に近づいているとき、もしくは太極に触れているときのような気がします。自分と周りの空気もそうですし、もっと広げると、自分と他人との境界も、曖昧になってきます。区別がつかないものの間には、対立は起きず、平和が広がります。

 

太極拳は、最初はわからなくても、続けていくうちに「上手くできているなあ」と思うことが、たくさんあります。口、目、耳の話も、そうです。最初はわからなくても、”型”をなぞっていくと、そのうちにわかってくるところも、良いところです。伝統的に伝えられた先人の智慧に、感謝ですね。

 

これからも、続けるうちに、もっとたくさんの発見があるのかしらね。80歳くらいになったとき、自分がどんなところにいるのか、楽しみです。

(中国、武当山)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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夏越の大祓と穢(気枯れ)

2017.06.30 Friday

(大宮八幡宮)

 

今日は6月30日。夏越の水無月の大祓(おおはらい)です。

 

これから暑い夏を迎えるにあたり、半年間の罪穢(つみけがれ)を祓い清めます。

 

今日、大宮八幡宮の大祓で、宮司さまのお話の中にとても印象深いことがありました。大宮八幡宮は、”東京のおへそ”とも言われ、とても気もちの良いところで、よくお参りに行くのです。

 

「穢(けがれ)は、気枯れ。気が枯れて、元気がなくなること」

「清めは、気がよみがえること」

 

わかりやすいですね。清浄を大切にしてきた日本人の背景が、よく現れているような言葉です。

 

太極拳でも、”気”を練るとか、”気”がある、とか、”気”を育てる、と言います。さて、”気”とは何でしょうか?

 

「元気」「気力」「気配」「気づかう」「気疲れ」などなど、日本語には”気”を使う言葉がたくさんありますので、感覚的にはわかりやすいと思います。

 

”気”は、生きていく力、生命を支えるエネルギーのようなものだと捉えています。

 

ランプに例えるとわかりやすいかもしれません。人の丹田のあたりにランプがあり、命の火がともっています。これには燃料が必要です。その燃料になるのが、"気(陽気)”です。

 

気には、先天の気、後天の気があります。先天の気は、生まれたときに持ってくるもの。後天の気は、生まれてから死ぬまでに自分で調達するものです。先天の気だけ燃やすと、わずか数分しか持たないと言われています。このわずかな先天の気を、寿命が来るまで持ち続けるために、後天の気で補っていきます。赤ちゃんは生まれたら自分で呼吸し、お乳を欲しがって栄養を取ろうとするように、人は生まれるとすぐに、後天の気を生成しようとします。

 

生成して継ぎ足してはいきますが、人生は、陽気の消耗のプロセスです。天寿を全うするためには、どれだけ消耗を最小限にするかが、大切です。

 

冷えやストレスは陽気を大きく消耗させます。過労死は、命を支える”気”がなくなった状態と言えます。

 

太極拳や気功は、言われているとおり、気(陽気)を育てると感じます。でも”気”は、目に見えるものではありません。どうやって練ればよいのでしょうか?

 

「気を練る練習をしていますか?」と聞かれたことがあります。わたしの答えは、「結果的には気を練ることになっていると思いますが、それを意識すると、そうはならないので、お稽古中は”気を練ろう”とは思っていません。」でした。

 

中国でお稽古する場合も、足裏で大地を踏みしめるとか、具体的にできる指摘が多く、「さあ、気を練りましょう」みたいなことはないのですよ。やるべきことをやっていけば、結果は自然に現れると思います。

 

こんな、わかりやすい表現もあります。「血が流れれば、気が流れる。気が流れれば、血が流れるのを応援してくれる。」つまり、血流が上がればよいのです。

 

自律神経の研究をされている医師の小林弘幸先生は、「真の健康とは、細胞のすみずみまで、質のいいきれいな血液を流すこと」とおっしゃっています。すると、すべての臓器の機能が良くなり、体調は良くなります。

 

血流が上がれば、体温が上がります。温かい、というのは、生命力がある証拠でもあります。生まれたばかりの赤ちゃんは、グングン成長するとおり、生命力のかたまりです。冷え症の赤ちゃんというのは、聞いたことがありません。体温があることが、成長には大切なのです。

 

ここで、「陽気があるなら陰気もあるの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。もちろん、あります。陽気を育てるのは動功(太極拳や気功など)だとすれば、陰気を育てるのは静功(站椿功など立禅、坐禅、瞑想など)です。動功は、主に体を育てる(整える)もので、静功は、心を育て(整え)ます。

 

陰のないところに陽は育たない、と言います。陽気は陰気が転化したもの、とも言います。

 

昔の話ですが、太極拳を習う場合、最初は站椿功ばかり何年もやらされる、と聞いたことがあります。これはまずベースをつくるためです。今は、それが入門の通過儀礼になっているわけではありませんが、それでも長くやっている人は、この站椿功を大切にして、長くやり続けています。わたしの今の師匠、明月師父(武当玄武派第十六代伝承人)も、「站椿功で自分の中に力を蓄えた」と話されていて、お稽古でも毎日のメニューに入っています。

 

站椿功がベース、というのは、自分でやってきても、実感としてよくわかる気がするのです。

 

今日、宮司さまは、「人は清浄で生まれてくる。でも、大人になると、悪気はなくても罪や穢れを負ってしまう」という話をされていました。だから半年に1回きれいにして、気をよみがえらせるのだ、と。この行事も、心も、大切にしたいです。

 

そして、日々の生活では、気が枯れないように、心がけていきたいです。

 

自分が元気であれば、周りを元気にすることもできますしね。

(大祓の帰りにいただいた、七夕の笹。お願いごとを吊るそうかな)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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教えること

2017.06.08 Thursday

(溝の口クラスは、終了後ヘナ(ハーブ)の足湯つきです。ここで、お稽古中に伝えきれないお話をします)

 

前回は、太極拳を10年続けた理由を、書いてみました。今回は、”教えること”です。

 

どうして教えたいと思うようになったか、実はあまりはっきりしていないのです。

 

わたしの単発クラスを受けてくださった友人Aさんの感想を読んで、友人Bさんが、声をかけてくださったことがあります。当時勤めていた会社で「単発の講座をしてもらうことはできる?」と打診してくれたのです。うれしいな、やりたいな、と思って、先生にお話しすると、「教えたい理由は?」と質問されました。最初の答えは忘れてしまいました(すみません......)が、わたしの答えを読んだ先生は「違う。もっとよく考えなさい」でした。

 

考えてみましたが、短い言葉にまとめると、どうにも表面的で、他人ごとのように感じられてしまうのです。そこに至るまでの経験すべてが、今にいたったもとになっているような気がしたのです。悩んだあげく、これまでのストーリーをすべて書いて送りました。たいそうな長文です。

 

当然のことながら、「長すぎる!これを全部読めというのか!これも違う」というお返事が返ってきました。

 

何度かやりとりをしている間に、自分の中で、教えたい情熱がすっかり減退していることに気づきました。もういいや、と。「ここであきらめるなら、それだけのものだったのだよ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、あきらめようとしている自分に気づいたときに、「これは違う。最初に感じたやりたい気持ちを大切にしよう」とも、思い直したのです。

 

結局そのときは企画自体が流れ、この話もそこまでになりました。

 

先生は、「答えがあるものではない。ずっと考え続けていくものだから」というような話をされていました。

 

今から考えてみると、あのとき、「やりたい」以上に、明確な理由などなかったのだと思います。それなのに、それらしい理由をつけようとしたために、自分で自分を追い込んだような気がします。だから「それは違う」と言われたのかもしれないと、思います。

 

もちろん「やりたい」と連呼するだけでは、ダメなときもあります。いろいろな人が絡んむ企画をスムーズに通すためには、「わたしが適任者です。なぜなら○○○ですから」と、言えることが大切です。

 

でも、もっと手前の自分の思いをみるときには、言葉でも理屈でもない、ふつふつと盛り上がる気持ちみたいなものが、あるだけだったりします。それがあるなら、挑戦してみよう!です。ちょこっとでもやりたい、と思った気持ちを、丁寧に、大切にしたいと思うのです。

 

その先、クラスを実現するために、いろいろな方の同意や了解を得る必要があるなら、わかりやすく言葉にしていけばよいのです。

 

わたしがレギュラークラスを持つのは、それから1年後くらいのことです。やはり友人が「会社の中でやりたい」と、声をかけてくれたことが、きかっけでした。わたしは「ぜひ!」と答えただけで、あとは友人の行動力と、人としての魅力や交渉力で、あっという間に決まりました。

 

会社員だった頃は、「チャンスは自分で捕まえに行かないと、つかまえられない」と思っていました。そして、チャンスが見えれば、赤信号でもわたって取りに行くようなこともしていました。そんなことをすれば、事故にも遭っていたでしょう。心身に不調も出るはずです。そんなわたしを見て、「あなたは”待つ”ことができない。待っていたらチャンスは来ないと思っている。そんなことないのですよ」と言ってくださった方が、いらっしゃいました。

 

準備だけして、それを表現していけば、チャンスが来るときは来るということが、ようやく実感できるようになりました。

 

先生という存在は、学生時代も、社会人になってからも、わたしにとってはとても大切な存在です。背中を押してくれたのは、いつも先生でした。そして先生の日ごろの在り方からも、たくさんのことを学びました。「あんな人になりたいな」という憧れも、たくさんあります。

 

だから、わたしは”先生”としていられることが、うれしいのです。そして、そもそも生徒さんがいらっしゃらなければ、先生にはなれません。生徒さんのおかげで、先生をさせていただいている、ということですね。

 

わたしにとって先生の存在が大きいように、生徒さんにとって、気づきのきかっけを与えられる人でありたい、と思っています。人が真剣に生きる姿、取り組む姿、変っていく姿を間近に見ることのは、とっても幸せなことです。

 

たくさんの方、経験には、本当に感謝です。そして、やはりここでも伝えたいのは、「やりたい」気持ちを大切に、です。自分にも、生徒さんにも、誰にとっても、ですね。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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