タオの生き方と、太極拳

2018.05.25 Friday

(中国、武当山で。站椿功のお稽古)

 

タオの生き方とは、「無為自然」、自分から意識的に生み出そうとしないことを言います。

 

無為とは、何も為さないこと、自然とは、自ら然り=あるがまま、です。

 

老子は「道徳経」の第7章で、次のように言っています。

 

天地が永遠に続いていくのは、自分から命をのばそうとしないからだ。
そういうわけで聖人は、わが身を後まわしにしながら、かえって先になり、わが身を度外視しながら、かえってその身を保全する。
わが身をどうにかしようという意識がないからであろうか。
だから自己を実現できるのだ。

(「老子」蜂屋邦夫訳注 岩波文庫より、抜粋)

 

ここで言う「聖人」とは、タオ(道)を知って、道に従う賢者のことです。

 

”私(我)”がない、無為自然な状態は、自分を捨てることで、状態に応じて適応し、変化できます。わが身を後まわしにするとは、人に従う=人を受けいれること。それが闘争から調和を導く第一歩です。

 

うつくしい姿ですよね。

 

......でも、ちょっと現実離れしているような気がしませんか?

 

いま、老子の「道徳経」を読むクラスを開催しているのですが、この前、生徒さんが「老子の思想に触れて、癒されて、また争いのある現実に戻る」という話をされていました。

 

「これは理想で、日常とは違う」というご意見も。わかる気がします。

 

でも、老子は日常に活かせないことを、つらつらと語っているわけはないと思うのです。

 

人に従い、あるがまま、というのは、何にもしないこととは違うと思います。それは、”老子の教えを体で表現するもの”とも言える太極拳で、体験することができます。

 

太極拳は、武術ですが、自分から攻撃することはありません。武術の”武”は、”戈を止める”と書くとおり、起きてしまった争いを終わらせるためのものです。相手から攻撃されたときに、反応します。

 

そのとき、相手から向かってきた力に対して、反発するわけではなく、受容します。別の言葉でいうと、吸収、です。

 

相手から打たれるがままの状態は、受容とは言い難いですよね。痛いですし、怪我したり、場合によっては命を落とすかもしれません。ここに相手と自分の”共存”はなく、調和もありません。

 

ではどうするか。

 

”天地とつながる立ち方”を守り続けることです。

 

太極拳の立ち方は、ただ力を抜いて、ぼんやり立つわけではありません。一般的に思われているリラックスとは異なります。

 

足で大地を柔かく押して立ちます。体重に、下に押す力がプラスされることで、下に向かう力が大きくなります。人が立つときには、下に向かう力と均等の力が上に向かっているため、上に伸びる力も大きくなります。これで、縮こまっていく背骨の関節に隙間を空けていくのです。

 

站椿功(立禅)を歌で表現している中国語があるのですが、その冒頭は「头顶脚踩身空灵」です。”頭は上に伸び、足は大地をしっかりつかむと、体は空(くう)になる”です。「頂」という中国語のもともとの意味は、英語でいうとto equal、つまり均衡することです。大地を足で押して、下に向かう力に均衡するように、頭が上に伸びる、という意味に捉えています。

 

これを縦に伸びる力、「竖劲 Shù jìn」と言っています。自分の中心に、しなやかな細い軸がある感覚です。軸というより、個人的には、天と地を結ぶ”縁(えにし)というイメージが、好きです。

 

細くしなやかな軸(縁)が中心にあると、残りの体は、柔かいまま存在することができます。水が入ったビニール袋は、机の上にぽんと放置するとぐだぐだですが、細いしなやかな串を真ん中に通すと、やわらかいまま、しっかりしますよね。そんなイメージです。

 

柔かいから、押されれば、形は変ります。でも、天地とのつながりである縁(軸)は、しっかりあります。人に従い、あるがまま、ではありますが、人に振り回されたりはしません。

 

天地につながるとは、地球とともに、宇宙とともに動く、という意味です。太極拳とは、自ら動かず、地球や宇宙と共に動くことです。それが「あるがまま」「自然=自ずと、然り」です。

 

太極拳のクラスでも、老子のことばを読むクラスでも、これを体感するようなお稽古をします。「老子のことばは理想で、現実とは違う」とおっしゃっる方も、こんな体感から日常に結びついていくことがあり、そんなときは、とっても嬉しいです。

 

体感してなんぼ、とはこのことです。もちろん、読んで理解することも大事ですけどね。

 

さて、この縦に伸びる力が、より大きな力を外に向かって出すことにもつながると思っているのですが、長くなってしまったので、それはまた次回、書きますね。

 

「老子のことば」クラスは、6月から「タオを生きることば」に変えて、引き続き開催します。6月は6日、20日の夜です。詳しいことは、こちらの講座案内からご覧ください。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

6月10日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(3)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

(武当山の雷神洞にて。朝の站椿功)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


カンフーと、男性性と女性性

2018.05.24 Thursday

(中国、武当山 逍遥谷)

 

3年くらい前に、「高度成長期からごく最近までは、活動的な男性性が強い時代で、目標を設定して達成するという、イケイケどんどんが続いてきたけれども、それが行きすぎてバランスが崩れ、だんだん男性性さえも生かせないようになってきた。そこで受容である女性性が求められる時代になってきた」というお話を聞きました。

 

さらに「ちょっと前は、男性性が強い組織の中では、女性性の強い人は不適合となり、はじき出されるようなことが起きる」とも話していました。

 

わたしが会社を辞めた頃は、そんな傾向の始まりの頃だった気がします。長い間、合わないところにいたのではなく、流れも自分も環境も変化していく中で合わなくなったという解釈は、腑に落ちる気がします。

 

都合のよい解釈とも言えますが、自分の人生ですからね。自分が納得できるなら、それでよいと思いませんか?

 

陰陽で見ると、男性は陽、女性は陰です。

 

陽は、”動”。花が大きく開くように、活動、表現、発展があらわれます。

陰は、”静”。木の葉た落ちて土に還ったり、植物が種に生命エネルギーを満たしているように、受容や熟成があります。

 

陰と陽は、質の違うもの同志が、助け合って”ある現象”をつくります。人間が、精子と卵子から生まれることも、そのひとつですよね。陰陽のバランスが取れていると、形どおり、”円満”になります。

 

円満を示す”〇(まる)”は、陰陽の母であると言われる太極(王宗岳「太極拳経」より)の象徴でもあります。

 

「あの人はまるい人だね」と言うと、大らかで、柔かい人柄をイメージしませんか?逆に「角がたつ」と言うと、ぎくしゃくした関係をイメージしますよね?

 

では、〇を示す”太極”の文字が入った太極拳を鍛錬していくと、どうなるのでしょうか?

 

中国にいるわたしの先生たちや、過去に教えていただいた四節八卦掌の伝人の李先生を見ている限りの感想ですが、男性性も女性性も、どちらも強くて大きいと感じます。

 

先生たちは、みな男性ですが、まず、とっても優しいのです。大らかで、でも繊細でこまやかな面もあります。すごく女性らしさも感じます。動きも柔かく、角がないところにも、柔かい女性性を感じます。

 

でも、力はあります。内側から外に向かって拡大していくパワーを、感じます。活動とか、外に向かう表現は、男性性ですよね。

 

わたしは女性ですが、カンフーを始めてから男まさりになったわけではないと思います。むしろ8年くらい前の方が、きつい顔をしていたと思いますし、実際にそう言われることもあります。一方で、中国の先生の言葉を借りるなら、今は「身体の内側から、たくさん力がある」と言われます。

 

太極拳を鍛錬していくと、男性性も女性性も、両方育つような気がしています。パイグラフで表すと、奏法のバランスが整いつつ、パイ全体の大きさが拡大していくような感じです。

 

だから、バランスが整ってくることで、中性っぽくなるわけではありません。もともとの性(今の時代、この表現がふさわしいのかどうかはわかりませんが)が、失われるわけではありません。

 

何年か前、合気道を長いこと鍛錬されている方と話しているときに、”中庸”という話題になったことがあります。陰、陽、どちらにも偏らず、真ん中、中庸を行くのが良い、という話だったのですが、その方は「中庸とはいっても、その幅は広いような気がするのですよね」と言っていたのです。

 

パイグラフの中のバランスが整いつつ、パイが拡大していく感じと、似ていますよね。

 

もともと太極拳を始めとするカンフー(中国武術)の”武”は、”戈を止める”と書くとおり、起きてしまった争いを終わらせるためのものです。相手から力がかかったときには、自分から積極的に攻撃することはなく、それを受容(女性性)しますが、ただ受け入れただけでは、相手に振り回されてしまいます。

 

受容の方法に、コツがあり、積極的に活動するところも、あるわけです。それも含めて、広い意味では受容と表現することもあると思いますけどね。

 

タオの生き方とは、無為自然、自分から意識的に生み出そうとしない生き方を言います。「私」という我を捨てて、人に従う=人を受け容れることで、調和を導きます。

 

それは「あるがまま」とも表現しますが、「なすがまま」とか「なされるがまま」とは違うのかな、と思っています。なされるがままでは、打たれたら痛いし、怪我して、場合によっては命を落とすかもしれません。それは、共存ではなく、調和が保たれているわけではありません。

 

ここをカンフーでどうやっているかに、面白さと、すごさや奥深さがあるのです。でも、ちょっと長くなってきたので、また次回に書きますね。

 

※続きの「タオの生き方と、太極拳」(2018年5月25日)は、こちらから。

 

 

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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人の助けを借りること

2018.05.08 Tuesday

 

自分の足でしっかり立つこと、他の誰でもない自分であることは、大切だと思っています。太極拳でも、そして生きていく上でも、です。

 

でもそれには、人の助けも必要です。

 

太極拳のお稽古でも、ふたり組になってもらうことがあります。自分を育てるために、人の助けを借りるのです。

 

わたしが中国でお稽古するとき、一生懸命やっていると、ときどき注意されたことがあります。「もっと力を抜いて」と。言われたとおり力を抜くと、「そうそう!」。わたしの感覚は「えっ?こんなのでいいの?」ちょっとさぼっているような感じです。

 

力任せの場合、自分でも「やっている感」が、しっかりあります。でも太極拳的に見る場合、それではたいてい、”やりすぎ”です。

 

さぼっているくらい、楽に動くことが、実はいちばん力があります(ただし、コツはあります)。それは、ひとりでは実感できません。そのため、ふたり組になって、もうひとりに負荷をかけてもらうことで、力の出具合を実感してもらいます。

 

想像で、川に入ってみましょう。いちおう安全のために、ライフベストを着ておきます(笑)。

川上に向かってばしゃばしゃ泳ごうとすると、すごい抵抗を受けます。大変ですが、なかなか進みません。

川の流れに身を任せると、すうーっと、けっこうな速さで、川下に向かって流れて行きます。楽で、早いです。

 

太極拳の体の使い方は、川の流れに身を任せることに、似ています。

 

川の流れに身を任せると、最初は「どうなっちゃうのかしら」と、怖いかもしれません。ある意味、主導権を手放すからです。

でも実際には、何もしていないようだけれども、かなりの距離を、かなりのスピードで、移動しています。

 

自分に充実感があるときほど、弱くて、

自分が何もしていないときほど、強い、というのは、

 

ちょっと笑ってしまいませんか?

 

普段の生活でも、似たようなこと、ありませんか?数年前のわたしは、「これをするためには、これと、これをして」と、頭で段取りを考える人でした。そんなわたしに、「積極的にやらないと、何も手に入らないと思っているでしょ。違うよ。待っていても、くるから」と言ってくれた人たちがいました。

 

わたしは「待っていたら、何にも来ない!」と、反発しました。でもそれは、川上に向かって必死に泳いでいるのと同じでしたね。

 

あの頃は、宇宙を信頼していなかったと思います。宇宙とのつながりに目をつぶり、ひとり孤軍奮闘していたようです。恥ずかしいほどの頑張りぶりで、恥ずかしいほどの空回りぶりですが、あまりにも過ぎるために、思い出すと笑ってしまいます。(今でも、やるかもしれません。)

 

昔の人の智慧である太極拳は、意識の仕方、体の使い方に、コツがあります。それをやっていくことで、まだまだ発展する可能性のある感覚を育てていきます。そのためには、自分の”いままでの感覚”から出てみることも、必要です。

 

人と比べるものではありませんし、競争でもありませんが、新たな自分を発見していくために、他人の助けを借りるというのは、いいものだな、と思います。人は、ひとりでは生きていないと感じます。

 

ありがたいです。

 

太極拳でも、人生でも、孤軍奮闘している自分に気づかせてくれるのは、他人です。

 

そして、太極拳って、ひとりでやっているように見えますが、本当は人との攻防の連続です。自分を育てるために、人の助けを借りるという視点から見ると、太極拳ってよくできているな、と思ったりもします。

 

世の中、うまくできています。

 

 

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5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

 

(中国、武当山)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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教えるときの、よりどころ

2018.05.03 Thursday

 

先日、ちょっぴり遠くからお稽古に来てくださった方が、いらっしゃいました。

 

太極拳歴はわたしよりも長く、先生なのだそうです。ブログを読んでくださって、参考にしてくださっているのだとか。

 

こんな話を聞くと、嬉しくってたまりません。ネットのおかげで、遠く離れたところに住んでいる方とか、以前では考えられなかったつながりができることは、本当にありがたいです。

 

お稽古が終わった後、「もっと自分のために習いたい、と思いました」とおっしゃいました。それを聞いて、「あぁ、いいな」と思ったのです。

 

この方のように、先生と呼ばれる方が、お稽古に参加されることもあります。なかには、教えることの悩みを抱えている方も、いらっしゃいます。

 

教えるときに大事なこと、あるような気がします。”よりどころ”です。

 

以前、気功を教えていただいていた先生は、中医学の先生でした。わたしが教えられるようになりたいと思っていることを、ご存知でした。先生のクラスを閉じることになったとき、「支えがあることは、とても大事。中国に中医学を勉強しに行くなら、紹介しますよ」と言ってくださいました。

 

長く教えてこられた先生にとっての”よりどころ”は、中医学の知識・経験です。もちろん、通常のお稽古をすることに加えて、です。

 

それまで1年近く、先生から「黄帝内経」という中国最古の医学書を、少しずつ習ってきました。ほんのちょっとの知識ではありましたが、教え始めたときには、わたしの”よりどころ”になってくれていました。

 

先生のお心は、とても嬉しかったです。勉強したい気持ちもありました。でも「中国語の学習、専門用語の学習、中医大学で合計5年」という現実を前に、やめました。

 

先生にそう伝えると、「そうですか。今が20代だったらね。」とおっしゃいました。

 

20代なら、行ったかもしれません。先生が言った意味とは違うかもしれませんが、まだ何も成し遂げていないからです。わたしが太極拳を始めたのは30代後半です。でも太極拳とは縁がなかったその時代に、たくさんの経験をしています。

 

「わたしなりの先生になれれば、それでよい」と思ったのです。

 

もちろん、理論や知識は大切です。幸い、わたしは習う過程で、理論や説明をとても重視する先生方に恵まれました。30代から70代までばらばらですが、いくつになっても、こどものように好奇心旺盛、好きで続けてきた姿に、憧れました。

 

うれしそうで、楽しそうな人のそばにいるのって、よいですよね?

 

もちろん、問題が起きることもあります。そんなときでも、誰かのせいにせず、真摯に向き合っている姿にも、じん、ときました。じん、と、ですよ。

 

基本は、自分の「もっと」だと思うのです。今がダメなのではなく、今はそれでよし、でも、未来の”今”では、「もっと」です。

 

体を使うお稽古でも「もっと」ですが、疑問を解明したくて、体の構造を教えてもらったり、整体の先生やボディワークをやっている先生に習ったり、理論の本を読んだり、自分の体で試したり、いろいろとやってきました。

 

やってこられたのは、この方向の「もっと」が、好きなのだと思います。

 

きっと誰にでも、自分が「もっと」と思えることが、あります。なぜかわからないけど、やりたいこと、強制されなくてもやってしまうこと、です。

 

最近読んだ太極拳の理論の本に、「理論がわかれば、迷子にならずにすむ」というようなことが、書かれていました。

 

確かに、ずっと前は「こう?それともこう?」と迷っていたことも、今は「たぶん、こう」と思えることが、多くなりました。絶対の正解ではなく、今のベストな答です。やってみて不具合があるなら、再調整します。だから”仮”です。ここにも、「もっと」があります。

 

教えるときの”よりどころ”があるとすれば、それは自分にあります。

 

違う言い方をすれば、諦めかもしれません。自分ではない、ものすごい先生であろうとすることを諦める、とか。別の人になろうとすることを諦める、とか。

 

諦めも、肝心。それはがっかりではなく、もうちょっと、清々しい諦めです。(ときどき、悶絶したりしますけどね。)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月5日(土)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第6回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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太極拳は、心が大事

2018.05.03 Thursday

(2017年の秋、武当山)

 

先日、お稽古が終わって帰るとき、生徒さんが「太極拳は、心が大切な気がする」とおっしゃいました。

 

どんな流れだったか覚えていませんが、とても嬉しかったです。

 

套路(型)ができることは、努力の現れでもあります。「がんばったね」と言いたいです。

 

でも、套路が何種類できるかよりも、心のほうが大切だと感じます。心を育てるために、套路を覚えて、繰り返しお稽古するような気もします。そして心が育たないことには、体の更なる発展はないと、感じます。

 

(ほんとうのところ、なんのために套路を練習するのか、それはあまり考えたことがありません。でも振り返ってみたときに、こんな感想が出ることもあります。)

 

武当六十四式太極拳は、第一式から六十四式まであり、最初のふたつは動作がありません。

 

第一式は、”浄身収心”。身体を落ち着かせ、心を穏やかにします。

 

第二式は、”吐故納新”。古い息を吐いて、新しい空気を入れます。第一式で、心身はすでに落ち着いて穏やかな状態にあり、バランスが取れています。第二式で呼吸しながら、自分の心身と周囲との調和を図ります。天地、左右に、平和な空間をつくります。

 

第三式は、”混沌初分”。陰と陽が分かれ、動き始めます。ここから動作が始まります。

 

太極拳の始まりは、宇宙や天地の創造、人が生まれるときに、なぞらえることもできます。

 

もともとひとつの太極の状態から、陰と陽という二極が生まれ、陰と陽ががクルクルと転換しながら、命が進んでいきます。

 

いろいろと経験して、最後はもとに還ります。人であれば、生涯を終えて天に還るときです。ひとつの命の一生だと思うと、ドラマチックですよね。

 

いろいろと経験するときも、心は常に静かです。動いてはいますが、体も静かです。

 

”入静”という言葉があります。心身ともに”静”の状態になることを言います。

 

”静”の状態とは、どういうことでしょうか?「太極拳理論の要諦」の著者、銭育才さんは、「心も体も自分で動かさずに、地球の運動に同調させること。」と言っています。「すべての雑念が排除され、体内部の陰陽バランスが保たれ、よって経絡が疎通されて気血が順調に運行している状態」とも書かれています。

 

そのためには、心を清め、欲をなくすことです。

 

そう言われても、どうやって......となりますよね。よく瞑想などで、「雑念が浮かんでも、ただ眺めて、無を目指す」と言われたりしますが、これ、難しいですよね?

 

わたしは気功の先生から「意識をひとつに集中させる」と習いました。「雑多なものをひとつに集中させれば、消すことはできるから」と教えていただいたのです。呼吸に意識をむける、体に意識をむける、などいろいろありますが、太極拳の動きに意識を集中させることも、そのひとつだと思います。

 

いろんな経験をしながら、心身ともに静かであるためには、柔かさが必要です。硬いものは、カキーンと壊れたり、ガチガチと相手?に当たったり、柔軟に対応できません。そう思うと、”静”は、なかなか奥深そうです。

 

柔かさには、〇(丸)も、大事です。三角や四角には角がありますが、丸にはありません。線には始点と終点がありますが、丸はどこが始まりか、わかりません。優劣がない、と言えます。丸の意識を持ち、弧を描いて動きます。そして体は球体が外に向かって膨らみ続けるように、力が外に向かいます。でも同時に、求心というか、内側に向かう力もあります。洗濯機の渦を見ると、外に向かって出て行く力もありますが、真ん中にも集まっていますよね。

 

暗さのないところに光は射さないように、静のないところに動は生まれません。またちょっと、”静”のイメージが膨らんだでしょうか?

 

7年前、中国の武当山で田理陽師父(武当玄武派第十五代伝人)に教わったとき、「あなたには、太極の心がある」と言っていただきました。

 

ある、というよりは、それを見失わないように心がけなさい、という意味だと思っていますが、当時は言葉をいただいたことがうれしいだけで、それがどういうものか、よくわかっていませんでした。

 

でも、こういうことがあると、その問いを意識し始めます。今も「わかった!」とは言えませんが、自分なりに思っていることは、「調和の心(和の心)」です。それは、すべてはもともとひとつ(太極)ということにも、関係しています。

 

争いやケンカ、すれ違いやイライラなど、いろいろなことが起きる世界は、調和しているとは言えません。不調和に突入す誘惑も、あちこちにあります。

 

体がどこかにぶつかるとその箇所を意識するように、相手と衝突することで、自分を感じたいのかもしれない、と思っています。

 

その根底には、自分を感じることができない、自分の価値を認められない問題が、ある気がします。

 

だからこそ、心身を落ち着けて静かな状態にして、調和に向かう時間が必要なのだと思います。そして調和の時間を増やすために、太極拳の鍛錬があると、思っています。

 

”静”の感覚は、言葉の限界をはるかに超えるものです。それは体験を通して、感じていくものです。その先に何があるのかも含めて、です。だって銭さん曰く、「地球の運行に同調させる」ですからね。それは、頭で考えても無理です。

 

だからみんな、ながーくながーく、続けるのではないでしょうか。

 

わたしは10年をちょっと超えたところで、まだまだ、ひよっこです。でも、ひよっこは、いきなりニワトリにはなれませんし、今はひよっこを満喫しています。

 

 

(参考図書:「太極拳理論の要諦」銭育才 2017年 武道ユニオン社)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月5日(土)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第6回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

(2017年の秋、武当山で。明月師父(武当玄武派第十六代伝人)とのお稽古。形意拳の”馬”。)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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