静かに深く立つ

2020.09.07 Monday

 

(Photo by Xie Okajima)

 

9月1日から「21日間チャレンジ:やさしく立てば やさしくなれる♪体をゆるめて立ってみよう(立禅)」というプログラムを走らせています。

 

Facebookにプライベート(非公開)グループを作り、そこで毎日、楽に立つためのポイントを投稿しながら、みなさんに、それぞれのペースで、それぞれの場所で取り組んでもらうものです。

 

今日で7日目、1/3が過ぎました。今回は、21日間かけて積み重ねていくプログラムで、これまでにポイントを説明したのは足のパーツのみです。頭を含めた上半身は、まだこれからです。

 

一つひとつを丁寧に感じて、それを足していったときにどう感覚が変わるか味わってほしくて、みなさんにも「感じたことや疑問を投稿してね」とお願いしています。いろいろで、読むのがとっても楽しいです。

 

自分を表現することが苦手な人、やりたくない人もいらっしゃるとは思いますが、感じたことをそのまま表現することで、他の人が何かを感じたり、動き始めることがありますよね。そんなことも感じてもらえたらいいな、と思っています。

 

プログラムでは、わかりやすいかなと思って「立禅」としていますが、これは、わたしがずっと続けてきた站椿功です。

 

站椿功は、杭を打つように(椿)立つ(站)、という意味で、腕のカタチは、いろいろです。通常、わたしは腕を上げて木を抱えるような形にする站椿功をしているのですが、今回のプログラムは、もっと基本的な、腕を下すタイプです。

 

違いは、1つだけです。

腕を下すタイプは、縦に伸びる力を働かせます。

腕を上にあげるタイプは、縦に伸びる力に加えて、横に伸びる力を働かせることで、四方八方に広がる力が働き始めます。

 

縦に伸びる力がないと、横に伸びる力は働きません。縦に伸びる力の感覚をつかむことは、とっても大切で、そこに時間をかける価値は、十分あります。21日では、足りないくらいです。

 

今回、みなさんには腕を下げるタイプに取り組んでもらいながら、わたしはいつも通り、腕を上げるタイプをしようと思っていました。縦に伸びる力と横に伸びる力、両方を育てる方がいい、と思っていたからです。

 

そうは言っても、自分が伝えたことを自分でも確認したくて、自分の声のガイドを聞きながら、腕を下げて立ってみました。

 

自分の声に沿ってやってみるというのは、なかなかない体験ですが、これが、とっても良かったのです。

 

縦に伸びる力を働かせることだけでも、まだまだできることがある、と思いました。まだまだ足りない、とも言えます。

 

気づくことはたくさんあるのですが、昨日、今日と、大きかったのは、背中の上の方にある小さな緊張でした。後ろ側は「ふわっと開く」といつも言っているのですが、そこがちょっとだけ硬くなっているのに気づきました。まだまだ手放せるものが、ありました。

 

「縦と横とじゃないと」なんて思い込み、ダメですね。

 

立つことは、大地に足をしっかりつけることです。縦に伸びる力を働かせるためには、ほんの少し、足で地面を押します。ぼーっと立つのではなく、少し積極的に立つ感じになります。

 

このとき、「足の裏から地球の真ん中に届くくらい、長い根っこを生やす」という表現を、よく使います。中国で習っているとき、そう言われたことはないのですが、なんとなく好きで、自分が教えるときには、よく使います。

 

昨日も、このイメージを持ちながら、立ってみていました。

 

すると、大地に守られている、ものすごい安心感を感じました。ぽろっと、泣けてきました。

 

 

「立つ」って、自分の意思で立つ、と思っていませんか?

 

でも本当は、大地がなかったら立てません。重力があって、大地があるから、立っていられます。

 

それに気づくと、自分が、とっても小さく思えます。自分ができることなんて、本当に小さいのだ、と思います。

 

違う見方をすると、ひとりで立っていても、ひとりではありません。必ず大地が共にいてくれるし、守ってくれています。そして、大きな力を貸してくれています。

 

地球の真ん中に届くくらい、長い根っこをはると、地球と一緒に動き始める感じがします。地球と一緒に動くことは、宇宙とも一緒に動くことになります。そうなると自然と、天との繋がりも生まれてきます。

 

地上で、小さな体で、ちまちま動くよりも、ずっとダイナミックに動けるわけです。しかも労せずして、です。すごくないですか。

 

イメージですが、これを「流れに乗る」と言うのだと思っています。

 

アインシュタインの名言の一つに、「人生最大の選択は、宇宙を自分の味方だと思うか、敵だと思うか」が、ある、と教えてもらったことがあります。(うる覚えなので、一語一句は正確ではないかもしれませんが。)

 

いい言葉だな、と思っていましたが、

 

こうやって、大地に守られて立つ経験をしていると、それは選択ではなくて、真実なのだと感じられます。

 

「だって、そうだもの」みたいな感じです。

 

わたしたちは、絶対的に、守られています。

 

この世のことに「絶対」はない、と思っているのですが、なんとなく、こういうことは、絶対と言ってもいい気がします。

 

大地にしっかり根をはって、でも、ふわふわと宇宙に浮くみたいに天に向かって伸びていきながら、安心感を感じると、

 

いろいろ大丈夫、と思えてきます。

 

それをいつも覚えていられたらいいのだけれども、忘れてしまってアワアワすることもあるから、そのためにも、

 

日々、立つことを続けるのだと思います。

 

立つって、すばらしいのですよ。

 

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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    「立つ」ことが与えてくれたもの

    2020.08.24 Monday

     

    9月1日から、Facebookのプライベート(非公開)グループで、「21日間チャレンジ!やさしく立てたら、やさしくなれる♪体を緩めて立ってみよう(立禅)」を始めます。

     

    詳しいご案内は、こちらからご覧ください。

     

    立禅とは、太極拳では站椿功(たんとうこう)といいます。杭を打つように(椿)立つ(站)という意味です。

     

    ただひたすら立つだけの地味なものですが、それは驚くほど豊かです。

    わたしの体験をベースとして、簡単に書いてみようと思います。

     

    站椿功には、腕を前にあげるタイプなどもありますが、ここでは腕を下げたタイプのお話をします。21日間チャレンジでするのも、こちらのタイプです。

     

    順番に、

     

    1.鍛えて

    2.緩めて

    3.軸が立ち

    4.ゆとりが生まれ

    5.めぐり始め

    6.心が深く静かになり

    7.よい呼吸が戻ってきて

    8.本当の願いに触れに行く

     

    です。ひとつずつ、詳しく見てみます。

     

     

    1.鍛える

    人は、立って歩く生物です。でも野山を駆け回っていた古代に比べて、今の生活では、足を使う機会が少ないですよね。

    頭でっかちで重くなる上半身に対して、弱い足は耐えられず、転びやすくなります。アンバランスです。

     

    立つことで足を鍛えるのは、そのアンバランスさを解消するためでもありまます。それは生きる力を得ることでもあります。

     

     

    2.緩める

    たいていの人の体は、必要以上に緊張しています。その積み重ねが、たとえば腰痛や肩こりとして現れます。

    それは、緩めるコツを知らないからです。

    無意識に「緩めたら立っていられない」「生きていけない」と思っている場合もあります。

    すでにある緊張やコリを持ちながら、そしてさらに緊張を作りながら立つのは、苦行です。

     

    苦行する意味なんてありません。もっと楽でいいのです。

     

    緩めるには、2つあります。すでに凝り固まっている部分を、準備運動でほぐしておくこと、

    そして、立つことで緩めていくこと、です。後者は3の「軸を立てる」に関係してきます。

     

     

    3.軸を立てる

    「立つ」ことは、緊張がないわけではありません。全くなかったら、ぺしゃんとつぶれてしまいますよね。

    大切なのは、天と地を結ぶ中心軸を立てることです。家でいうなら、大黒柱をしっかり立てることです。

    柱がしっかり立てば、残りの部分は、緩めても大丈夫です。緩めるためには、頼りにする柱を認識することです。

     

    中心軸は、どっしりと根を生やして、ぐんぐんと上に伸びる樹木のようなものです。

    これがあれば、びゅうびゅう風が吹いても、中心から外れませんよね。

    体がしっかり立てば、心も惑わされにくくなります。あれこれ聞いても、それに流されず、自分で選択しやすくなります。

     

     

    4.ゆとりが生まれる

    年齢が上がると、体が硬くなり、身長が低くなったりしますよね。なぜでしょうか?関節の隙間が詰まってしまうのだと思います。

     

    コツをつかんで、今までとは違う立ち方をすることで、縦に伸びる力を作り出し、関節の隙間を空けていくことができます。

    大地に根をはり(下に伸びる力)、樹木が上に向かって伸びる(上に伸びる力)が働くように、縦に伸びるバネが効いている状態です。

     

    これで関節の隙間を常に開けば、体の中にはゆとりが生まれます。きゅっと狭い場所よりも、ゆとりがある方が、居心地はいいですよね。)

     

     

    5.めぐりはじめる

    (1)足を鍛えることで、下半身から血液をポンプで上に押し出しやすくなります。

    (2)ゆるめば、めぐりを妨げる詰まりや滞りがなくなります。

    そして、(4)ゆとりが生まれることで、血やリンパが流れやすくなります。

    血が流れれば、体温が上がり、体温があることは、生命力があることでもあります。ぐんぐん成長する赤ちゃんは、あたたかいですものね。

     

    めぐりの良い体は、すこやかさを保つ秘訣です。

     

     

    6.心が深く静かになる

    上記1〜5までは、体に関することです。体が整うと、心が整う準備ができます。

    心が落ち着かないときは、意識が体の中から外れて、外に向きがちになります。今にいられず、過去を振り向いて後悔したり、将来に向けて心配したりも、起きてきます。

    それを、体に意識を向けることで、心があちこちに行ってしまうことを防ぎ、だんだん、深く落ち着いていきます。

     

     

    7.よい呼吸が戻ってくる

    体と心が整えば、よい呼吸は自然と戻ってきます。

    生まれたときに、誰にも教わらずに呼吸したように、人は誰でも呼吸の達人です。体から無駄な緊張が取れ、心が落ち着けば、本来の、よい呼吸が戻ってきます。

     

    無理に深い呼吸をしようとする必要は、ありません。楽に続けられるペースで、続けます。だんだんと肺も育ちますので、長く続けていけば、呼吸も自然と深くなっていきます。

     

     

    8.本当の願いに触れに行く

    体と心が整って、よい呼吸が戻ってくると、意識がぼんやり、夢を見ているような状態になってきます。

    これは、睡眠時に夢を見ているときと同じように、潜在意識の領域に入っていくことになります。

     

    顕在意識と潜在意識は、よく氷山にたとえられます。海面から出ている氷山が健在意識、自分で自覚できる意識です。

    海面の下に隠れているところが潜在意識で、普段は自覚できていない部分です。氷山は、海面下の方が、ずっと大きいです。

     

    この潜在意識の方に、本当の自分の願いがあります。この世に生まれてくるときに、どんな願いを持って生まれてきたのか、です。

    自分の生かし方とも言えます。それは、人それぞれです。世間の価値基準とは関係ありません。

     

    「立つ」だけでも、体と心が静かに深くなっていくと、この潜在意識の領域に入っていけることがあります。

     

    天地と繋がり意識が広がっていくと、それまで悩んでいた問題がどうでもよくなったり、自然と次の行動が決まったり、アイディアが浮かぶこともあります。

     

    自分の本当の願いに沿った選択や行動が、できやすくなると感じています。

     

    これを瞑想と呼ぶのだと思いますが、いきなりここに行くのではなく、その前に、体を整え、心を整えることが、大事です。そうすれば、準備ができたときに、この状態はやってくると思います。

     

     

    この1〜7は、わたしがずっとやってきたことで、8は、続けてきた結果として起きたことです。

     

    今回の21日間で、参加される方がどこまでいけるのか、わかりませんが、1〜7までは、ひとつずつやっていけば、ある程度はできると思っています。

     

    これが、「やさしく立つ」です。立つことは難しくない、という意味にもなりますが、無駄な力が抜けたり、背負ってきた荷を下ろすこともできるため、自分に優しくなる意味でもあります。

     

    世界を見る目も変わり、世界がもっと優しいものだと感じられることも、あるでしょう。

     

    8は、自然に任せたいと思います。起きないとは言えませんが、起きるとも言えません。

    意図的にする方法もありますが、今回はそれが目的ではありませんし、わたしの専門外ですので、今回はお伝えしません。

     

     

    どうでしょうか?「立つ」ことって、奥が深いんだな、と、ちょっと思ってもらえたら、うれしいです。

     

    これはひとりでやっても、できることですが、このほかに、今回の企画では、グループでやるからこそのメリットやチャンスも、すごくあります。

     

    それはまた、近いうちに書きますね。

     

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      14年の間に、太極拳がもたらしてくれたもの

      2020.08.12 Wednesday

       

      武当三十六式太極拳(Photo by Xie Okajima)

       

      太極拳のよいところは、いっぱいあります。

      14年やってきて、わたしに起きたことを、駆け足のダイジェスト版で書いてみようと思います。

       

      まず体を鍛えます。特に、脚です。

       

      カンフー(注:太極拳は、カンフー=中国武術のひとつです)には、動功という動きがあるものと、静功という動かないもの、両方があり、太極拳は動功、站椿功(立禅)は静功に入ります。

       

      静功には、静坐という、あぐらで座るものもありますが、割合としては少ないです。

       

      現代人は、野山を駆け回ることが普通だった古の時代の人に比べて、体が弱いです。特に脚は、年齢が上がるにつれて重くなる上半身(頭の使いすぎで、頭でっかちになることも含まれると思っています)に対して、どんどん弱くなります。脚を鍛えることで上半身と下半身のバランスが取りやすくなります。

       

      この世で生きていくために、脚が強いことは大切です。「地に脚のついた人」と言うと、落ち着いて、しっかり生きている人をイメージしますよね。

       

      さらに体を持って生きるとき、不要な緊張に気づいて取り去ることにより、滞りをなくし、めぐりの良い体を作ります。血がめぐり、リンパがめぐれば、体温も上がります。無駄な緊張がないことで、内臓もうまく働きやすくなります。

       

      「血がめぐれば気は巡り、気がめぐれば血はめぐる」と言います。

       

      気は、元気の気、ですよね。生きていくための活力のようなイメージです。見えないものですし、お稽古では「気を巡らせて」と意識することも、する必要もないと思っていますが、元気がなかった人も、お稽古の後の方には、すっきり元気になるのは、気が巡って活力が湧いたと言えると思います。

       

      体から無駄な緊張が取れていく過程で、自分の心のクセにも気づきます。

       

      たとえば、立ち方を直して、もっと楽に立てることを経験してもらうと、「ずいぶん頑張りすぎていたんだな」と気づいたり。

       

      頑張る力があることは、すごいことです。でもその力は、日常で消費してしまうのではなく、ここぞ!というときに使いたいですよね。

       

      人が触れただけで、びくっと緊張して固くなったりする人もいます。素直な反応なので、それがダメなわけではなく、まずは気づくことが大事だと思っています。気づいた後は、不要だったらやめられますし(練習は必要です)、今は持ち続けたいなら、自覚して持ち続ければいいと思います。本人が必要だと思っているのに、無理やりはがしてしまうと、アイデンティティの崩壊になりかねません。成長のスピードや段階は、人それぞれです。

       

      そして、体を観察し続けることで、意識と体が結びつくようになってきます。意図したとおりに体が動き、体の様子を把握できるようになります。この意識と体を結ぶ回路が、たいていの人は錆びついていて、思ったとおりに体が動きませんし、体の様子を把握することもできません。バラバラで、連動できない状態です。

       

      体を細かく観察できるようになってくると、心の状態も、わかるようになります。心が閉じると、体の緊張として現れるからです。

       

      このとき、まずは「心が閉じている」と気づくことが大切です。それからどうするかは、自分の選択です。

       

      心は、穏やかな方が良いとされますし、健康にもよいです。自然に怒りを鎮められるならいいですが、無理やり押さえつけたら、いつか爆発します。健康にも悪いです。

       

      ここから先は、今、感じている怒りをピンポイントでなんとかしようとするのではなく、意識のレベルを変えて、もっと広い視野から見ていく方がいいです。

       

      どうやって?と思いますよね。その段階も、太極拳のお稽古のプロセスに含まれています。

       

      太極拳をしているときって「夢を見ているような感じ」と表現されます。日常の意識とは、違います。

       

      夜、寝ている間に夢を見るときは、潜在意識にアクセスしていると言いますよね。顕在意識のように通常、自分が認識できる意識では把握していないことも、夢には現れます。

       

      ネイティブ・アメリカンの部族は、夢を大切にしていて、朝、起きると家長が家族を集めて、夢解きをするのだと聞いたことがあります。夢を、より真実を知るために大切にしてるのだと思います。もっと簡単なところでは、夢占いもありますよね。

       

      太極拳をしているときは、起きて動いていますので、意識ははっきりしています。でも同時に、意識が潜在意識の領域にまで広がっていくので、少しぼんやりしてきます。

       

      潜在意識よりもさらに深いところには、世界の普遍的なもの、集合の無意識があります。深く入ると、そこまで行きます。

       

      「入静」という状態ですね。心も体も、深く静かな状態に入っていきます。

       

      どんな感じかを言葉で書くのは難しいのですが、体も心も、広がりが生まれます。少しぼんやりして、でもはっきりしていて、宇宙にふわふわ浮いているみたいな感覚です。

       

      とっても気持ちいいのですよ。

       

      実際、体は、見えている限界よりもさらに遠くまで届くような動き方をしていますし、脚で大地を押して頭が天に伸びることで、自分のいる空間が、浮力の効いている空間になり、現実に体が軽く浮く感じになります。

       

      太極拳の動きがゆっくりなのは、丁寧にプロセスを飛ばさずにすることもありますが、体感が、浮力が効いている水の中にいるようになるので、自然とゆっくりになることもあります。

       

      片足を前に出すときに、猫が歩くように足音が出ないのも、浮力が効いているためです。ひざに負担も、かかりません。

       

      そして意識も、(それは心、と言ってもいいかもしれませんが)、自分の体の限界を超えて、広がっていきます。

       

      広がっていっても、自分の体から抜けたりしないのは、体がしっかりしていて、地に脚がついているからです。これって、すごく安全な方法なのです。

       

      昔、中国で気功が流行ったときに、精神病棟が満床になった話を聞いたことがあります。気功で到達する脳波の状態と、精神的にあぶない脳波の状態はとても似ていて、ちょっとしたことで、コロッと落ちてしまうのだそうです。

       

      実際にどんなことが起きていたのかは知りませんが、もしかしたら、体が育っていないうちに、意識が広がってしまうと、そういうことが起きるのかもしれないと思っています。気功が危ないわけではなく、やり方によると思いますし、わたしが知る気功は、脚を使うので、危険だとは感じていません。

       

      自分が天地と繋がって、意識が広がっていくと、さっきまで気になっていた日常のことは、ささいなことに思えるようになります。

       

      50cm四方の紙の上で見ていた問題が、紙の大きさが1kmになったら、相対的に小さくなりますよね。そんな感じです。

       

      怒りがあったとしても、自然と「ま、いいや」と思えるようになることもあります。

       

      ですから、何か煮詰まったり、イラっとしたときは、いったんそこから離れてお稽古する方がいいのです。終わったときには、答えや次の行動が、自然と決まっていることも、多くあります。

       

      もしかしたら「呼吸は?」と思う方がいらっしゃるかもしれないので、触れておきます。呼吸は、体と心が整ったら、自然と、本来の良い呼吸が戻ってきます。

       

      人は、生まれたときに、誰にも教わらずに呼吸を始めますよね。生まれながらにして、呼吸の達人なのです。

       

      その呼吸が浅くなってしまうのは、心と体に無駄な緊張があるからで、その問題が取り除けたら、本来の呼吸が戻ってきます。一気に、というよりは、そこから肺を育てたりすることが始まるのですけれどもね。

       

      呼吸は、「呼吸法」としてお稽古することもあるようですし、いろいろな取り組み方があるのだと思いますが、わたしが習ってきた方法は、こんな感じで、特に意識したりしません。

       

      それでも呼吸は自然と深くなり、7年前には1分7回(吸う、吐く、で1回)だったのが、今は、3〜3.5回くらいです。だいぶ育ちましたよね。

       

       

      ここまで太極拳の話だけを書いてきましたが、太極拳だけで、この体と心の状態になるわけではありません。

       

      体を育て、意識の広がりを促すために役に立つのが、站椿功(立禅)です。

       

      特に腕を前にあげて木を抱えるようにする形の站椿功は、生きていくために必要な筋肉も育てますし、バランスのとり方も育ちます。

       

      (站椿功)

       

      「辛くて苦しい」とか、「意味がわからない」と、敬遠されがちな站椿功ですが、続けていると、もたらしてくれるものの価値を体感で理解できます。ですから、強制されなくても、自ら進んでするようになります。

       

      わたしの場合、今のところは站椿功の方が、意識は深い静かなところに入っていきやすいです。

       

      太極拳は動きがある分、気を取られるのか、深さがちょっと浅くなる気がします。

       

      それでも站椿功で体を育てることで、動くときに勝手に体がバランスを取って動くようになってきていますし、これからまた少しずつ、站椿功をしているときと同じような状態に行けるのかもしれない、と思っています。

       

       

      参考になるかどうかわかりませんが、站椿功をしているとき、わたしが感じていることをひとつ、ご紹介します。

       

      朝は、音楽をかけずにすることが多いです。鳥の声とか、夏は虫の声とか、世界は音に溢れているからです。

       

      東京の住宅街に住んでいるため、自然音だけではなく、車の音や、生活音もたくさん聞こえます。自転車がキーッとブレーキを踏んだり、子どもが叫んだり、パトカーや救急車のサイレンが聞こえることもあります。

       

      めちゃめちゃですよね。

       

      でも、体と心が静かな深い状態に入っていって、意識が広がっていると、このすべてが調和の中にあると感じられます。ふつうだったら嫌な音も、全く気になりません。

       

      不思議でしょ。不思議だけど、そうなのです。

       

      もう一つ、例をあげます。

       

      放松功(ファンソンゴン)という、二人一組になってするお稽古があります。一人が腕を下した站椿功の状態で立ち、もうひとりが、あちこちから押したり引いたりして、立っている人の無駄な緊張を探していきます。

       

      このとき、くすぐったり、爪でつねったりすることもあります。最初は、びっくりしました。

       

      普通の意識だと、当然、くすぐられたら笑ってしまいますし、つねられたら痛いです。

       

      でも、体と心が深く静かな状態に入っていると、わりと平気なのです。爪の跡がつくくらいつねられても、平然としていられます。

       

      外で起きていることは同じでも、自分へのダメージは、全然違うのですよ。

       

       

      こんな風に、意識が広がっていくと、ものごとや問題のとらえ方も、おおらかで気楽になりますが、それだけではありません。

       

      潜在意識や、その先の集合無意識に入っていくということは、自分の本質に触れに行くことになります。自分の本当の願い、何のために生まれて、何をして生きていきたいのか、に触れにいきます。

       

      人生は選択の連続ですが、自分の本当の願いがわかっていると、望ましい選択をしやすくなります。

       

      集合無意識にもつながっていくので、自分の動きが、宇宙の動きと呼応するようになります。流れに乗るというのは、こういう感じだと思います。

       

      わたしの場合は、たとえば星占いとか運勢を、先取りして行動するようになってきました。「今年はこんな年になりますよ」と言われる前に、それがすでに起きているような感じです。「そうだよね」という答え合わせみたいになってきます。

       

      カンも、適当ではないような気がします。

       

      もちろん大変なことも起こりますが、それに振り回されるのではなく、自分の人生の舵を、いつでも取っている感じです。静かな海でも、突然の荒波でも、です。

       

      いつでも舵を取っていられたら、自分への信頼も育ちます。

       

      この体を持って、この世界で生きていくことが、より、嬉しく楽しく感じられるようになります。

       

      もちろん、常に安定しているわけではなく、揺れている中でバランスを取り続けているようなものなので、ぶれるときもあります。でも、相対的には、10年前よりもずっと楽に、望むように生きられていると思います。

       

       

      ざっくり14年の間にもたらしてくれたものを書いてみましたが、抜けているものもあるでしょうし、扇や剣などの武器を使う経験や、八卦掌や形意拳での経験も、ここにでは触れていません。書ききれないほどの経験や気づきは、どれも大切なものです。

       

      何かができるようになることよりも、そのプロセスを歩んで経験していくことが、生きることを豊かにしてくれると思っています。

       

      出会いと、師匠たちと、友人たちと、生徒さんと、環境と、そして運に、心からの感謝を。

       

      大変な時期もありましたが、いつも楽しく努力を続けられたことは、大きな喜びです。

       

       

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      「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

       

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        広島・長崎原爆と、終戦記念日に思うこと

        2020.08.10 Monday

        (Photo by Xie Okajima)

         

        8月は、6日が広島原爆の日、9日が長崎原爆の日、そして15日に終戦記念日ですね。今年は75年目になります。

         

        戦争を知らない世代ではありますが、武道をする者として、思うことがあります。

         

        もともと、この世は調和に満ちた世界でした。

         

        もともと、とは言っても、たとえて言うなら、アダムとイブが知恵の実のリンゴを食べる前くらいのイメージです。

         

        宇宙の根源(=太極)は、すべてがひとつで、調和がとれています。そこから生まれたこの世も、はじまりは、調和がとれていたのだと思います。

         

        でも、ある欲望を持った人が、闘争の手段を考えて、世界には、搾取する側とされる側が生まれました。

         

        社会の不平等は、この世の始まりからあったものではなく、人為的で不自然です。

         

        失われた調和を取り戻して、自然(自ずと然り)に戻る修行法として受け継がれてきたものが、武道です。

         

        武は、「戈を止める」と書くように、戦うためではなく、終わらせるためのものです。

         

        日本でも、もともと兵法は平法であり、平和や調和を模索するためのものだったそうです。

         

        平時、つまり日常と、戦時とを区別することなく、平時はもちろん、戦時でも常に調和を模索します。

         

        それはちょうど、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」で、アシタカが、争う人たちに「共に生きる道はないのか?」と問い続けることと、同じです。

         

        どちらかが勝利したら、一時的に平和は訪れるように見えるかもしれませんが、それは搾取する側が、搾取される側を抑えただけで、調和ではありません。いつか立場が逆転するときも、きます。

         

        欲望があるのが人間で、それが引き起こす争いは、完全になくすのは難しく、

         

        大きなものの前に、個人の力など微々たるもので、絶望的な気持ちになったり、流されそうになったり、あきらめそうになることもありますが、

         

        それでも、共に生きる道を模索しようとすることが、希望の光になる気がします。

         

        そして、個が平和を取り戻せば、まわりの、そして国の、世界の安泰につながります。

         

        まずは、自分の平和から。

         

        言うは易し、行うは難し、あっという間に、ちょっとしたきっかけで外れてしまうから、お稽古は、ずっと続きます。

         

        自分の体を感じて、生きる喜びを感じること。

        でも、その体は、ちょっとしたことに反応して、硬く閉じること。

        その体で、人を傷つけてしまうこともできること。

        何かを恐れて、自分を守ために心を閉ざして、人との間に溝を作ってしまうこと。

        武道をしていると、そんな自分を知ることになります。

         

        深く静かな状態に入っていくと、個を超えた広がりと調和があることに気づきます。

        それは、自分の内にあることも、知っていきます。

         

        小さな自分が、大きなものにつながっていることも、知ります。

         

        天地と繋がる自分の中心軸を守り、

        体を緩めて心を開けば、

        人との溝をなくすこともできます。

         

        時間がかかることもありますが、

        共存への道を探ることも、できます。

         

        小さな自分でも、体を持って生きる限り、できることはあります。

         

        平和のために祈ることは、大切です。

        忘れないことも、大切です。

         

        でも祈るだけ、忘れないだけではなく、人には行動としてできることがあります。武道は、その行動のひとつになり、自分の基盤を作ってくれます。基盤は、自分への信頼になります。

         

        これからのために、日々、コツコツと続けることが、平和を守力になると信じています。

         

         

        参考図書:「老子と太極拳」清水豊著 BNP出版

        このブログは、第53章を読んでいて共感したことをもとに、書きました。

         

         

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          最初からわからなくても、いい

          2020.07.28 Tuesday

           

          (武当三十六式太極拳)Photo by Xie Okajima

           

          太極拳に出会って、14年がたちます。

           

          変なことを言うと思われるかもしれませんが、わりと最近まで、「なぜ、これをしているんだろう?」と、思っていました。

           

          好きで、やりたくて、楽しいから続いてきたのですけれど。わからなかったことが腑に落ちたのは、今年に入ってからです。

           

          そもそも、出会いも突然でした。身振り手振りがきれいな女性の「太極拳やっているの。見学できるよ」という一言で、体験に行くことを決め、そこで出会った先生を「すごい!」と思って、習うことにしました。

           

          それまで、全く興味ありませんでした。

           

          「すごい!」と言っても、何も知らないのに(笑)です。でも、”しろうと”の感じる力って、あると思うのです。

           

          それから縁あって、中国の武当山に行く機会があり、2009年からは、今の武当太極拳を含む武当拳を学ぶようになりました。

           

          あの頃は、習っていた太極拳がぴんと来なくて(もちろん、わたしのせいです)、もやもやしていたのですが、武当太極拳を習ったとき、「これは、シンプルでいい。やりたい」と感じました。またしても、何もわからないのに、です。

           

          2009年の7月、ひとりで武当山に2週間お稽古に行ったときは、何も悲しいことはないのにボロボロ泣けてきました。理由はわからりませんでしたが、「もうだめだと思っても、ここに来たら、またやり直せるかもしれない」と感じました。またしても、何の根拠もありません。

           

          それからの10年は、本来の自分として生きることを、取り戻そうとした時間だったと思います。

           

          それまでも、好きなことをやってきたつもりですが、実際は周りの価値観に左右されて、人の評価を自分の価値だと思っていたり、何かしたいことがあれば、常に頭で考えて、「行動しなければ何も手に入らない」と思っていました。

           

          「できない」というのは、やらない言い訳だと思っていたので、はたから見たら厳しい人ですよね。それを、自分に厳しいのだから、いいじゃないかと思っていました(自分にも、人にも、ごめんなさい。)

           

          情熱だけで進むわたしを見て、「あなたは待つことを知らない」とか、「自分のことが好きじゃない」と言ってくれた人たちがいました。

           

          そう言ってもらえたのは、今から振り返ればとてもありがたいのですが、当時はとてもつらかったです。なぜなら、わかればやっているからです。わからないから出来ていないわけで、それを指摘されても、できないのですよ。

           

          ただ、言われたことに反発する気にはならず、「きっとそうなんだろう」とは思っていました。同時に、体に不調が出てきたり、やりたいことが分からなくなったり、も起きたため、「これではない」とは、感じていました。

           

          それでも、行動に移せるほどには、わからないのですよ。

           

          これも、別の意味での「わからない」ですね。

           

          この「わからない」を、わからないまま持ち続けることは、大事な気がするのです。

           

          なぜなら、ベストなタイミングで「わかる」が、やってくると感じるからです。ベストなタイミングというのは、自分の準備ができたとき、受け取れる準備ができたとき、です。

           

          わたしはずっと、「太極拳は、現実的だから好き」と言っていました。心身を静めていくための、具体的な体の使い方や、動かし方を学んだり、自分の体の反応で自分の心を知っていくもので、そのことは、今でも変わっていません。

           

          わたしの場合は、「さっ、気を感じましょう」とか、「丹田を感じましょう」とは、習ったことがありません。それ、具体的ではないから、わかりにくいですよね。

           

          もちろん、気も丹田も大切ですが、直接的に何かをするというより、やり方にそって続けていけば、気は巡るし、丹田は守られるという感じにとらえています。

           

          でも、「入静」という心身ともに深く静かなところに入っていくと、体は重くて軽くて(詳しくは「重いと軽いは、同時にある」(2020年7月18日)、意識は内にも外にも広がっていきます。この世では、一見成り立たない組み合わせが、同時に現れるのを体験します。

           

          こういう状態になると、どうなるかというと、気になっていた日頃の問題が、取るに足らないささいなことに思えてきたり、迷っていたことの答えがやってきたり、「次はこうしよう」と、行動が、自然に決まったりします。

           

          太極拳の太極とは、陰と陽が生まれる前の状態で、宇宙の根源とか、すべてのひとつの源だと、とらえています。陰と陽の要素はありますが、分かれる前の状態です。

           

          陰と陽のある世界が「この世」で、太極は「あの世」にあたる、と思っています。

           

          意識で言うなら、「入静」とは、顕在意識から、潜在意識に入っていく状態です。夢を見ているような状態でもありますが、現実の夢と違うところは、意識が覚醒したまま、夢を見ているような状態に入っていくところです。これが瞑想の状態だととらえています。

           

          潜在意識の深いところは、みんなつながっていて、そこのひとつの呼び方が、太極だと思っています。ワンネスと言うのも、それかしらね。

           

          この深く静かなところに入っていくことを、長いことわたしは、「太極に触れに行く」と表現していました。「太極は、あの世だから、この世には存在しないけれども、それにちょんっ、ちょんっと触れに行く」と言っていたのです。

           

          今、振り返ると、表現が正直すぎて、笑ってしまいます。

           

          なぜなら、太極という「あの世」にずぼっと入ったら、死ぬと思っていたからです。怖かったのです。

           

          それが変わったのは、ある人の演奏を聴いたときでした。

           

          昨年末に、中村天平さんのコンサートに行きました。

           

          お友達の弟さんで、作曲家でピアニストで、なんとなく、その友人の感じから、応援しているのは身内だからというだけではないだろうな、と思っていました。

           

          めったにないのですけれども、出てきた時に、その場の空気ががらっと変わることって、あるのです。太極拳をする人や踊る人の場合は、「はじまるよ」という瞬間に変わるのですが、この方の場合、ステージに出てきたときではなく、最初の音が出たとき、そんな感じがしました。音楽家は、やっぱり音なんだな、と思いました。

           

          ほぼ自作の曲しか弾かないそうで、即興で弾くことも多く、その日もアンコールの最初に、登山家の栗城史多さんをテーマにした即興を弾いてくださいました。

           

          弾く前から、他の曲を弾くときと、ちょっと違っていて、待っているような感じでした。

           

          弾き始めると、どんどん、どんどん出てきます。それが、すごいのですよ。

           

          向こうから流れてくる、みたいな感じです。もちろん、それをこの世で表現するのは、ご本人の力なのだと思うのですけれども。

           

          そのとき、「この人は、大きなところと繋がっていて、それが怖くないんだ」と感じました。

           

          そして、「じゃあ、わたしも大丈夫かも」と、勇気づけられました。

           

          (ご本人がどう感じているかは知りませんので、わたしの勝手な感想と、勝手な思いです。)

           

          ここで持てた勇気は大きくて、今年に入って、感覚は、すごく変わりました。

           

          新型コロナウィルスに伴う自粛期間も、ちょうど自分の内側にぐっと潜る時期としては、良かった面もあります。しばらくして、「もう、怖くない」と感じました。

           

          それまでも、わたしのこの部分に気づいている人はいて、「自分が望むなら、あの世とこの世を行ったり来たりできる」と言ってくれたり、そこを越えられるように助けてくれようとした人もいるのですが、

           

          自分の準備が出来ていないときは、ダメですね。頑固なのか、正直なのか、いずれにしてもタイミングが来ていないのだと思います。

           

          じゃあ、何の準備が出来ていなかったのかというと、たぶん、体だと思うのです。

           

          この世にいながら、あの世にも行く、というのか、あの世を感じながら、この世を生きるためには、体が強くしっかりしていることが大切だと感じます。

           

          そうでないと、持っていかれてしまうからです。「そんなことしたら死んでしまう」と思っていたのは、そんなに外れていたわけではない気がします。

           

          以前、気功の先生から聞いた話で、昔、中国で気功ブームが起きたとき、精神病棟が満床になった、という話があります。気功で到達する脳波と、精神病のそれと、すごく似ているのだとか。「ちょっとしたことで、コロッといってしまう」と話されていました。

           

          イメージですが、意識が広がっていくときに、自分の体にとどまっていられなくて、するっと抜けてしまうのではないか、と思うのです。

           

          全部抜けていないとしても、意外と半分くらい抜けている人、多いのですよ。地に足がついていない、という表現のとおりです。

           

          そして、全身をフルに使えている人も、ほとんどいません。前半分しか生きていない(=後ろ半分が死んでいる)とか、指先が死んでいる、とか、脚が死んでいる、とか、よくあります(死んでいる、は使われていない、という意味です。)

           

          太極拳の場合、動きが多いので、どうやっても体から魂(もしくは心)が抜けてしまうことは、ありません。站椿功(立禅)の場合も、脚をすごく使うし、バランスを常に取り続けるので(つまり、キツイときはキツイ)、離れることは、ありません。

           

          そして、必ず全身をフルで使います。(できないこともありますが、それをできるようにしていくのが、お稽古です)。

           

          気功が危ないわけではなく、種類とか、やり方によるとも思います。わたしが習ってきた気功は、動きは少なくても、全身に意識があって、体はすごく使うので、離れてしまうことはありません。

           

          それでも、体が弱い間は、バランスを取って、心(と魂?)も、それなりの小ささにとどまるような気がします。

           

          続けているのは、きっとその先の予感があるからで、ちらっと大きな心(と魂?)の世界も感じるのだと思いますが、ここは大きな冒険に出るところではなく、準備ができるまで待つところだと思います。「待つ」とは、かつてのわたしが苦手だったところですね。

           

          さて、体が強いというとき、どんなことを想像するでしょうか?

           

          わたしを見たとき、「筋肉ついているね」という人は皆無ですし、筋肉だけではないと思います。

           

          もちろん、生き抜くために必要な筋力はあって、野山を駆け回らない生活をしている現代人は、圧倒的に脚が弱いです。太極拳を始めとするカンフーで、脚を鍛えるのは、年々重くなってくる頭(考えすぎの、頭でっかちも含まれます)と、弱くなっていく下半身とのアンバランスさを解消するためだと、教わりました。

           

          そのため、立ってするものがほとんどです。静坐という座禅のようなものもありますが、割合としては少なくて、わたしは、ほとんどしません。しても5%くらいです。

           

          太極拳で取る姿勢は、上半身と下半身をつなぐ大腰筋を育てると感じますし、大腰筋とペアで使われるハムストリングス(ももの裏の筋肉)も育ちます。

           

          ほかにも、整体師さんやボディワークをする人に、「〇〇がしっかりしている」と言われることはあるので、他にも育っているのだと思いますが、太極拳は「○○筋を育てましょう」みたいなものではないので、詳しいことは、わかりません。四方八方、上から押されても、倒れにいくい体だったら、それでよし、と思っています。

           

          でも、それに加えて大事なのは、意識と体のつながりだと思っています。

           

          見ていると、多くの人が、意識と体がつながっていません。体の様子を把握できないのは、それを感じる感覚が弱いからです。そういう体は、意図したとおりに動きません。

           

          太極拳のお稽古は、つながっていない(つながりが弱い)意識と体のつながりを、取り戻していくことです。それが、感覚を育てることです。

           

          もし筋力があっても、それをうまく使えなかったら、宝の持ち腐れですよね。筋力と、意識とのつながりとの感覚と、両方を育てることなのかな、と思っています。

           

          そのための手段は、いろいろあると思いますが、わたしにとっては太極拳でした。

           

           

          今年に入って、この体を持って生きることの意味を、強く感じるようになりました。

           

          4〜5歳くらいの頃、この体が自分だということが、不思議だったときがあります。いつも必ずトイレに入ったときなので、トイレには神さまがいて、広い世界とつながっている、と勝手に思っているのですが、

           

          自分の体をじっと見つめて、「これが、わたしなのか。ふーん」と、思っていました。生まれる前の、どこにでもすぐに行ける自由な頃の記憶が、まだあったのかもしれません。

           

          人の意識は、体よりもずっと広く、「あの人、元気かな」と思うと、その思いは届く、と言いますよね。意識の世界にいる人、いわゆるスピリチュアルな力が強い人や、占いをする人の中には、「この体が窮屈」と言う人もいます。

           

          それぞれの感覚なので否定することもなく、「そうなのか、そう感じるのか」と聞きながら、自分はどうなんだろう、としばらく観察してみました。これも、「わからない」ことを、そのままにしておいた例の、ひとつです。

           

          窮屈だとは思っていません。むしろ、この体があるから生きていると、感じました。

           

          わたしは、出会った人や、過ごした場所、経験から出来ていると思っていて、「わたし」なんてものはないと、感じることが多いのですが、

           

          唯一「これがわたしだ」と感じるものは、自分の体です。すると、自分が自分であることが、嬉しくなりました。これって、自分のことが好きってことじゃないかしらね。

           

          体を持って生きることは、「あの世」から見たら制限があるかもしれませんが、体がなかったら、この世では何もできません。

           

          心が深く静かなところに入って、宇宙からのメッセージをキャッチしたとしても、

           

          体がなかったら、それをこの世で表現することはできません。自分を表現して生きることもできなければ、誰かのために何かをすることも、出来ません。

           

          それ、ダメでしょう(笑)。

           

          「かみさまとのやくそく」という映画があるように、人は、生まれてくるときに、神さまと約束してきたのだと思います。ここで言う神さまとは、特定の宗教の神さまではありません。大いなる存在とか、愛と呼ぶ人も、います。呼び名がないので、とりあえず、自分に抵抗がない名前を付けているだけです。

           

          生まれてきて、育っていくうちに、それを忘れてしまったりしますが、生きていくこと、特に大人になることは、それを思い出していくことだと感じています。

           

          小さな子どもの頃の純粋さを取り戻す、とも言えます。保護が必要で不自由な子どもには、純粋さを貫きとおすことは難しいですが、大人なら、できます。「あの人、ヘン」と言われても、もう平気ですものね。

           

          わたしの場合は、「あんなでも、生きていけるんだ」と思ってもらえたら、それは本望でもあります。「こうあるべき」なんて、自分をしあわせにしないなら、どうでもいいのですよ。

           

          わたしが感じる宇宙からのメッセージ(神さまからのメッセージ)は、愛している、です。

           

          宇宙や神さまは、この世のすべてを愛していますが、この世に形として存在しないので、何もできません。そこで、人間の出番です。

           

          神さまのお使い(?)として、この世で体を持って、目に見えたり耳に聞こえたり、手で触れたりする形で、その思いを表現していくのではないでしょうか。

           

          方法は、人それぞれですよね。絵や文学や音楽などの芸術は、その最たるものだと思っていて、今のような時代にも大事で、無くなったら、心が死んでしまうと思っています。

           

          わたしの場合、自分の姿を見せることもひとつですが、誰でもやり方に沿ってコツコツ続けていけば、ここに行けるよ、という方法を伝えていくことも、表現方法だと思っています。

           

          ここ、というのはゴールではなく、こっちの方向、です。わたしも、まだまだ発達途上です。

           

          神さまの「愛している」を、違う言葉で言うと、「しあわせに生きようね」だと思います。

           

          だから、わたしにとっての太極拳とは、自分が自分であることが、めっちゃ嬉しくて、この体を持って生きいることがしあわせだと感じることです。

           

          個という意識は、孤独を生んだと言いますが、個だからこそ、人とのつながることに喜びを感じられます。「あの世」の意識だと、個はなく、ひとつしか存在しないので、つながりの喜びなど感じられません(たぶん)。

           

          孤独は、今の社会の大きな問題でもありますが、それを経験することは、つながりを取り戻すためには、大事なことです。

           

          わたしのこの世での命がいつまであるのか、わかりませんが、与えらえた時間を無駄に短くすることなく、大切にして、体があることをめいっぱい感じて、しあわせに生きようと思います。

           

          ということで、タイトルに戻ると、何かを始めるとき、目的とか、何のためとか、知らなくてもいいのだと思います。それは、経験していくうちにわかってくるし、その経験を積むこと自体が、大事だと思うからです。

           

          なぜ太極拳をやっているのか、わかるために14年⁉と思われるかもしれませんが、実際は、その間に心身はすこやかになり、周りは平和になり、悩みは少なくなり、たくさんのことを、もたらしてくれました。気が遠くなるようなことでは、ないのですよ。

           

          わからなくても続けるコツは、お利口でないことかもしれません。頭で考えるのではなく、心を優先させることで、それはわたしが太極拳を習っている中で学んだ、大きなことでもあります。

           

          悶々としたり、ああでもない、こうでもない、と悩むなら、1000本キックでもしたら、いいのだよ。ホントに。

           

           

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          「陽だまり」とは

          「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

           

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          いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

          太極道家

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