非常事態に生きるために

2020.01.28 Tuesday

(2018年夏、中国 湖北省 武当山の逍遥谷で。静坐する師匠と パパの真似をする小さな娘さん。平和で大好きなシーン)

 

中国で、新型肺炎が拡大していますね。

 

武漢をはじめとするいくつかの都市は閉鎖され、日本から湖北省への渡航は、4段階のうちの上から2番目、渡航禁止勧告が出されました。

 

湖北省には、わたしが毎年お稽古に訪れている武当山があります。武漢に住む友達もいて、何か助けられることはあるか、何人か連絡を取ってみました。

 

学校と、武当山にいる友人は、「元気だから大丈夫。」というお返事でしたが、武漢に住む友人は、武漢を離れてご両親の家(同じ省内)に避難していました。「マスクと防御用の眼鏡が欲しい」というので、集めて送りましたが、春節(旧暦のお正月)という、ただでさえ動かない時期入り、さらに都市の閉鎖などもあり、無事に届くことを願うばかりです。

 

日本など他国でも発症しており、すでに対岸の火事ではありませんが、できる予防をして、無事を祈りながら、淡々と過ごそうと思います。

 

SNSで「東日本大震災の時の日本を、海外の人はこんな気持ちで見ていたのだろうか」と投稿している人がいました。

 

そうだったのかもしれないな、と思いながら、あのときの怖かった気持ちなども思い出しました。

 

東京にいたために、被災者ではありませんが、その後の原発事故のことなどもあり、「いったい、どうなってしまうのか」と、冷静ではいられませんでした。

 

当時勤務していた会社の指示もあり、早々に関西に避難しましたが、ストレスがかかった状況では、人はヒステリックになりやすく、わたしも例外ではなかったような気がします。

 

震災当時、太極拳を習い始めてから3年くらいで、これからどうやって生きるかについても、過渡期のような時期でした。

 

好きな仕事を選んでやってきたつもりが、何が好きなのかもわからなくなり、皮膚疾患も抱えて体もきつく、精神的にもきついと感じることが多くなりました。

 

「このままではだめだ」と危機感を感じて、頭で考えるクセを変えようとしましたが、それまでの生活を続けながらでは難しく、そんなときに起きたのが震災でした。

 

「自分の体は、自分しか守れない」という思いもあり、このときは、何が何でも自分の体を優先させようと、震災の2か月後に武当山に行って、2か月間の静養期間を取ることにしました。

 

武館(カンフー学校)で、とにかく毎日、体を動かすことだけに集中したら、何かが変わるかもしれない、と思いました。

 

最初の1か月は旅行者気分で、その非日常感からくる楽しさや気楽さで、「もう大丈夫じゃないかしら」と思えました。でも2か月目に入って、その生活が徐々に日常になってくると、あれこれ小さなトラブルも起き始め、東京でもあることは武当山にいても起こるようになりました。

 

「結局、全然変わっていない」とひどく落ち込み、泣いたりしながら、とにかくコンスタントに練習することだけはやめませんでした。

 

それしか、できませんでした。

 

帰国する日、当時は武館のコーチだった今の師匠(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)が、「ずっと同じ調子で練習し続けたね。それは、体の調子がとてもいい、ということだ」と言ってくれました。

 

そして気づいたら、考えるばかりだったのが、まず感じて、それをもとに考えるというように、順番が変わっていました。

 

「結局、人は考えるのね」とは思いましたが、このときから順番が変わったことは、ものすごく大きかったです。

 

太極拳のお稽古とは、まず、詰まりのない、巡りの良い、すこやかな体を作ります。詰まりは、心の緊張が影響することもあるため、自分の体の緊張から、心の状態を知るようにもなりました。

 

その過程を通じて開いていくのは、感覚です。

 

今、自分の体がどうなっているのか、心がどうなっているのかを、繊細に感じるようになりました。

 

自分にとって居心地のよい、落ち着いている状態がどういうものか、

 

そして、ちょっとしたことで、その状態から外れてしまうことも、知るようになりました。

 

そして感じたことに、敏感に、俊敏に反応するようにもなりました。

 

わたしにとっての居心地のよい状態とは、本能で動けるときです。

 

最近の例で言うと、困っていそうな人がいたとき、「大丈夫ですか?」と声が出てから、その行動を起こした自分に気づいたことがありました。考えるより前に声が出ていました。

 

そうではないときは、「困っているのかな、声をかけようかな」と考えてから、声をかけると思います。

 

どちらも行動は同じですし、声をかけるタイミングも、ほんの1、2秒の差なのかもしれませんが、

 

わたしにとって、この差は大きいです。

 

ほんとうに大切なときに、自分が心から望む行動を起こせるのは、前者のように本能で動けるときじゃないのかな、と思います。

 

後者のように、”考える”が入ると、躊躇したり、「それは無理だ」と動きを制限してしまうこともあるでしょうから。

 

今回のような感染症や、災害や、なにか大きなことが起きたとき、不安になるのは当然です。

 

でも不安が膨れ上がり、頭の中の妄想で自分を追い詰めることがないように、自分の状態に気づけるようでありたいと、思っています。

 

そして、こういうときに大切なのは、すこやかな体です。

 

海外で地震が起きたときにボランティアに行かれた方が、「家を失ったのに他の人のために笑顔で活動する人たちがいて、そういう人たちはみんな、体が元気だった」と話されていたことがあります。

 

体が強いこと、正常に免疫力があること、そしてありもしない妄想で自分の心を追い詰めたりしないこと、などは、非常事態では、人を救えるか救えないかにかかわってくるような気がします。

 

自分も、他人も、です。

 

カンフー(功夫)とは、長い時間をかけて、技を磨いていくこと、そういうことをする人、という意味です。わたしの中では、匠みたいなイメージです。

 

はじめての体験で、その片鱗を感じることもできますが、習得するためには、長い時間、自分で鍛錬を積むしかありません。

 

感覚を育てるには、時間がかかるからです。

 

世の中には「〇〇のためには▲▼筋を育てるのがよいから、そこをトレーニングしましょう」という方法もあり、もちろんそれが役に立つこともありますが、人から言われた方法をやる前に、自分がどういう状態なのか、感じられることの方が大切だと思っています。

 

体幹を育てるよりも、体感が先です。

 

筋肉はそのままでも、骨の構造というのか、積み上げ方というのか、それを修正していくだけで、しっかり立てるようになることも、よくあります。よくありますというより、わたしの経験では、100%の方が、そうです。

 

いろいろ忙しい中、効率的にものごとをすすめたい風潮の中で、地味に鍛錬を重ねていくことは、時間的にも気持ち的にも簡単なことではないのかもしれませんが、

 

適切な方法で続ければ、誰でも必ず結果は出ます。

 

「なんだかおかしい」とか、「このままではだめな気がする」という気がする方は、ひとつの選択肢として、太極拳を試してみてほしいと思っています。

 

そして、どうせやるなら、しばらく頑張るつもりで。

 

感覚は、自分で思っているよりも、なかなか育たないのですから。

 

 

 

【2月の特別クラス】

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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アメリカ・インディアンの教えと、タオと、カンフーとわたし

2020.01.26 Sunday

(武当山 南岩)

 

カンフーには、武器を使うものがあります。

 

剣とか、扇とか、刀とか、槍とか。

 

扇は美しく見えますが、骨の部分が1本ずつ剣になっていて、立派な武器なのです。(実際に使うものは、竹ですが。)

 

わたしは剣と扇を使います。どの套路(一連の型)にも、ここで刺すとか、ここで横切りにするとか、そういう動作があります。

 

武器を使うものは好きなのですが、自分の中にそういう闘争心があるようには思えないのに、どうしてなのだろうかと、ぼんやり思っていました。

 

 

昔から競争には興味がなく、自分がしたいことができればいい、と思う方でした。(ただし、したいことが制限された場合は、猛烈に反発します。そういうところに行ってはいけない、ということですけれどもね。)

 

太極拳は、もともと武術ですが、武術の武は ”戈を止める”と書くように、争いを止めるためのものです。争いが起きないことが一番で、自分から攻撃したり、鎧を着て備えたりすることなく、ほわほわ弱そうに見えるくらいで、ちょうどいい感じです。

 

日常では、大なり小なり、人との衝突があります。そんな衝突を超えて、誰の命も失わずに、調和を図っていくための技が太極拳だと思っています。

 

でも武器を使う場合、刺すとか、切るとかするわけですから、争いを止めるというレベルを超えている気もしますよね。

 

実際に武器を使うとき、闘争心がメラメラと沸き起こるようなことはありません。むしろ逆です。

 

武器は、自分の心を映します。

 

たとえば心が荒れていると、剣の動きはバサバサします。武器は素直なので、扱っている人の心がそのまま表れます。

 

力で振り回そうとすると、剣は暴走して、手に負えなくなります。そうではなく、剣と自分のつながりを感じ、さらに剣の重さを命の重さとして尊重しながら一緒に動くことで、一体感が生まれて、剣はスーッときれいな軌道を描いて動き始めます。

 

剣の練習は、心の修練のようなものです。

 

お稽古しているときは思わないのですが、離れたときにふと、「それでもやっぱり、刺すとか切るなんだよね」が気になります。

 

そのぼんやりしていたものが、少しわかった気がしたのは、先日「虹の戦士」を久々に読んだときでした。

 

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えのお話です。

 

地球が病んで

動物たちが 姿を

消し始めるとき

まさにそのとき

みんなを救うために

虹の戦士たちが

あらわれる。

 

いま、まさに、じゃないかしらね。

 

お話は、山奥に暮らすインディアンのひいおばあちゃんのもとにやってきたひ孫のジムが、「なぜ天の偉大なる曽祖父は白人たちがこの大地を奪い去っていくことを許したのか」と質問をすることから始まります。

 

少年に希望の光を感じたひいおばあちゃんは、ジムに様々な課題を出します。

 

少年は、自然の中を動物が飛び跳ねるように走りまわるうちに、すっかりたくましい体になり、野生動物のいる、恐ろしい闇の野山を進む中で、動物たちは彼を傷つけたりはしない兄弟なのだと、恐怖に打ち勝つことを覚えます。

 

そして、ひいおばあちゃんは少年に弓を作るように言います。

 

インディアの作る弓には魂がある。弓は、お前の手のなかで生命を取り戻すのだ。だから、弓を造るときには、愛と尊敬をもって細部までていねいにつくらなくてはならない。(中略)お前の中にあるスピリットの力を弓にこめるのだ。」

 

そして、苦労して作り上げた弓で、鹿をしとめたとき、過去に人間によって傷つけられ、罠にかけられてきた動物たちの痛み知り、なぜ昔のインディアンが必要な場合以外は生き物を殺さなかったのかを理解します。

 

ひいおばあちゃんの答えは、

「彼ら(白人たち)はここへ、この地へやってくる必要があったのだ。彼らはここで、ほかの人種の者のことを学び、彼らと共にこの地で生きることを学ぶために、ここへ送られた。(中略)インディアンが昔のスピリットを取り戻したあかつきには、インディアンは白人たちに、互いに愛しあうとはほんとうにどういうことか、あらゆる人間を愛するとはどういうことかを、今度は教えることになるだろう。」

 

アメリカ・インディアンが大切にしてきたものは、自然と調和した感覚であり、それと共に生きることです。

 

それはタオの教えにもつながります。

 

太極拳にはさまざまな流派があるため、すべてがそうなのかは知りませんが、武当山で伝えられてきた武当太極拳は、自然との調和、ともに生きることを、大切にしています。

 

都会に住む少年ジムが、野山を駆け回って、しっかりした体を作ったように、わたしたちは鍛錬で、すこやかな体をつくります。

 

心静かにしていくことで、敵を作り出してしまう恐怖の幻想や、思い込みに気づいていきます。

 

そして、自分が本当に求めているものを思い出していきます。

 

ジムが弓にスピリットをこめたように、わたしたちは、スピリットを込めて武器を扱います。

 

武器は、人や動物など他の存在を無駄に傷つける力もありますが、本来そういうものではなく、インディアンの暮らしに必要だったように、生きていくために必要なものです。それを扱えることは、大切なことです。

 

扱うとはいっても、カンフーの場合は”疑似体験”でしかありませんけれどね。それでもカンフーをやっていなかったら、剣を扱うことなんて、なかったですものね。

 

わたしたちは、ジムと同じような道を進んでいる気がします。

 

インディアンの教えは、環境の問題で語られることも多いですが、そこに限った話ではありません。

 

あとがきでは、「癒し」とは、自己と、社会(共同体)と、地球の三者がひとつになっていることを理解し確信したうえでもたらされるもので、自分を癒すことが直接的に社会や地球そのものを癒すことにつながっていることを知らなくてはならない(抜粋)とあります。

 

地球のためにできることは、いろいろです。無駄にゴミを出さない、無駄なものを使わない、というように、日常で心掛けられることもたくさんありますが、

 

わたしの中では、しあわせに生きることが地球にできる最大のことだと思っていて、そのための手段としてカンフーを選んでいるのと思っています。

 

自分の中をきれいに巡らせるとき、自分だけではなく天地まで巡らせるのも、そのひとつです。武器は、わたしの心、スピリット、そのものです。

 

自然と繋がって大切なものを思い出したとき、それを守るために、実現するために、自ら行動を起こします。お稽古とは、お稽古で完結するものではなく、その先につながるものです。

 

小さな力のないわたしではありますが、大きなものの力を借りながら、感覚から浮かんできたことを、実現していこうと思っています。

 

武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父の武館には、下記のようなものがあります。

 

 

意味は、武当の技は、もともとは道(道教の教え)を伝えるために武術になったが、今は、武術が道を教えてくれる。そうすれば世界は平和になる、です。

 

心のささえにしている ことば のひとつです。

 

 

※出典:「虹の戦士 Warriors of the Rainbow」翻案 北山耕平 太田出版(文中青字は、本からの抜粋です)

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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トイレのかみさま

2020.01.24 Friday

(2018年12月 和歌山 千畳敷)

 

トイレって、不思議な場所じゃありませんか?

 

人によっては、本やマンガを持ちこんで読むとか、トイレにいるときにアイディアが浮かぶ、と言いますしね。(わたしは、ありませんが。)

 

「トイレの神様」という歌もあります。歌詞に、トイレにはきれいな女神様がいて、きれいにするとべっぴんさんになれるんだよ、とおばあちゃんが言ったと、ありますよね。

 

そのとおり、なんとなくここは、どこかにつながっているような気がします。

 

小さなころ、たぶん3歳とか4歳のころ、トイレに入ると、不思議な感覚がやってくることがありました。

 

「これが、わたし?」

 

体=自分、という感覚が、なじまないのです。

 

それがやってくるのは、いつも同じトイレ、家の1階にあったところでした。ぼんやり宙を見上げながら、なんだか違うような、でもそうなんだよねきっと、でもね、という不思議な感覚でした。

 

出ると、忘れてしまうのですけれどもね。

 

そのうちに、そんなことは起きなくなりましたが、あの不思議な感覚だけは、ずっと記憶に残っています。

 

おとなになって、その話をしたときに、「魂の記憶があったからじゃないの?」と言われました。

 

時間も空間もなく、とっても自由だった魂が、生まれるときに体に入り、なんだかその狭さになじめていない、みたいな感覚でしょうか。

 

ちょっと話は変わりますが、なぜ人は体を動かすとすっきりするのか、聞いたことがあります。

 

魂という存在は、とても振動数が高いのですが、生まれるとき、つまり人の体に入るときには、その振動数を低く落として入るのだそうです。

 

だから、その体がさらに動かないと、文字通り「落ち込んでいく」のだそうです。それはその人の、気持ちの落ち込みになります。

 

そんなときは、器の体ごと動かしてしまえば、振動数が上がってきて、落ち込みから抜けられるのだとか。

 

証明できる話ではありませんが、それを聞いたときに、なぜ自分が動きたいのか、そしてときどきは速く動きたいのか、腑に落ちた気がしました。

 

本来の振動数を、取り戻したいのかもしれませんよね。

 

 

その一方で、わたしはこの世界で体をもって生きることを、愛しています。

 

体は素直なので、それが教えてくれることはたくさんあります。

 

本能というのか、魂というのか、そういうものにあっているものとあっていないものも、体が教えてくれます。ここが入口みたいな感じです。

 

でも、体の声を聞けない時期も、ありました。

 

人前で話すとき、だんだんと酸欠状態になってくるのを、「それくらい、いっしょうけんめいに話している」と思っていたり、

 

ときどきじんましんや湿疹が出るのを、「そういう体質だから」「嫌ね(きれいではないので)」と思っていたり、

 

肩こりも、「慢性だから」と思っていたり、です。

 

ばか、ですよね。

 

酸欠状態になる話をしたら、友人がひとこと、「でもさあ、それってだめじゃない?」...はっ...その通りです。

 

じんましんや湿疹については、皮膚科の先生が「あなたは赤信号でも渡ろうとしている。赤は、止まるでしょ」と指摘されたり。そのころは、進むことしか考えていなくて、休むなんてサボっていると思っていたのです。

 

肩こりは、中国の武当山に行っているとき、「あなたは、自分が背負える以上のものを背負おうとしている。」...え?そうなの?

 

うまくできていて、ちゃんと「それは違うよ」と言ってくれる人が、現れるわけです。

 

わたしは、自分が何をしたいのかわからなってきたころにカンフーに出会い、それを続けていくことで、だんだんと体の声を聞けるようになってきたのですが、

 

人それぞれ、体の声を聞けるようになる入口があるのではないかしらね。

 

さて、体を大切にするようになると、外にも広がるようになります。先日書いた「大きいものに、ゆだねてみる」というブログは、そんな話を書きました。

 

站椿功をすると、「世界がどんどん広がっていって、それまで悩んでいたことが、取るに足らないことに感じられるよ」というのは、わたしの先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)のことばですが、

 

ほんとうに、そのとおりです。

 

無理せず、我慢もなく、なかったことにすることもなく、「ま、いいや」と思えるのです。

 

わたしがカンフーをするのは、体を感じて、すこやかな体を育てるためでもありますが、こんな感覚から離れたくないからでもある気がします。

 

そこは、いろいろと、居心地がいいのです。

 

小さなころ、トイレで感じた不思議な感覚を、

 

今は、実感と安心感をもって、感じているのかもしれないな、と思います。

 

そんなトイレですから、キレイにしておかないと、ですよね。

 

幸いなことに、わたしは女子高のときに、厳しくお掃除をしつけられました。通称「掃除不養成所」です。

 

忘れもしない中学1年生、はじめてのトイレ掃除当番の日、「トイレの便器は、素手で雑巾で、中まで洗います!」という先生の言葉に、ひょえーっと縮み上がり、

 

「トイレの床にパンを落としても食べられるくらい、きれいにします」という言葉にも、「ありえなーい」と思い、

 

「タイルのめじが、白くなるまで乾拭きします」という言葉にも、「それって、どだい無理な話じゃ...」と思い、

 

あの頃はどうやってサボるかばかり考えていましたが(ばれるので、サボれたことはありませんでした)、

 

今となっては、あの頃に教えてもらったことを、自然にやっています。

 

当時も女子高でトイレ掃除をさせるのは珍しい方でしたし、今はますますそうなのかもしれませんが、

 

させた方がいいと思います。

 

だって、トイレには神さまがいるかもしれませんしね。

 

 

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大きいものに、ゆだねてみる

2020.01.22 Wednesday

(武当山)

 

この前、久々にお稽古に来てくださった方がいらっしゃいました。

 

「先生に会いたくなって」と言ってくださり、うれしかったです。

 

普段はお家のお近くで習っているものがあるそうで、そのお話をしてくだいました。トラの形というのをやっているそうで、その手は、手首、手の甲はまっすぐなまま、指の第2関節を曲げる形をするのだそうです。(注:すべての中国武術で、トラがそういう形をするわけではありません。)

 

「なかなか手の甲がまっすぐにならなくて、難しくって」とおっしゃるので、

 

「体の端を終わりだと思わず、外まで続くイメージでやってみたら?」と言ってみました。この場合は、指の第2関節の先につながっていく感じです。

 

たとえば、この手の形のまま腕を横に、肩の高さに水平に上げます。指の第2関節の先が、左右遠く、お部屋にいるなら壁に届くように、公園にいるなら遠くの木にさくっと届くようにイメージします。

 

関節の力が抜けて、手首も、手の甲も、腕もきれいに伸びます。

 

難しい、とおっしゃっていた方も、きれいにできていました。

 

たいていの場合、体を動かすときに、見えている自分の体だけで動こうとすると思います。

 

そんなの当たり前じゃないの、と思うかもしれませんが、

 

これは自分の外側に枠をつくり、その中で何とかしようとすることになります。窮屈そうですよね。

 

見えている体には限界がありますが、意識は、体よりもずっと遠くまで届きます。

 

「あの人、元気にしているかな」という思いは届くと言いますし、虫の知らせみたいなものを、体験したことがある方も少なくないでしょう。

 

その意識に体をのせていくと、体には限界が生まれず、のびのび、ひろがりはじめます。

 

イメージは、こんな感じです。

 

 

左がのびのび、広がっていくイメージ、

右が、見えている自分の体の範囲でなんとかしようと、悪戦苦闘しているイメージです。

 

左の人の外側は、ぷくっと膨らんでいます。これが表面張力のような、適度な張り感です。

右の人の外側は、ガタガタですよね、これは、滞りを作る緊張です。

 

左のイメージでいると、体の関節の隙間は空いていきます。体の中にゆとりが生まれ、緩みも生まれます。

 

ゆとりある体の中では、血も流れやすくなります。内臓もゆったりと収まりそうですよね。

 

血が流れれば、気が流れ、気が流れれば、血が流れるのを応援する、というように、めぐりが良くなると、さびない体になります。流れる水は腐らないのと、同じです。

 

指をまっすぐ、腕を伸ばす場合も、上でも、横でも、わたしは「指先に意識を向けて、それが遠くに届くように」とお話しています。

 

そのとき、腰やひざなど、緊張で固まっている場合は、右のようになってしまいますが、

 

体に緊張がない場合は、指先は限界なく、ぐんぐんと伸び続ける感じがします。

 

実際に外から見たら、見た目には限界があるでしょう。でも自分の感覚としては、どこまでも伸び続ける感じがします。小さなわたし(身長155僂らいなのです)も、どんどん巨人になっていく感じです。

 

さらに、こうして伸びている腕には、力があります。右のように緊張した体で、筋力で腕を上げていくよりも、はるかに楽に、強い力が生まれます。

 

いいことしかありません。

 

コツは、見えている体の小ささに、惑わされず、もっと大きなものにゆだねることです。

 

 

站椿功も、同じです。

 

阪神淡路大震災から25年がたつという日、そのことや、その後の数々の災害で被害にあった人や場所のことを思いながら、やってみようと思いました。

 

息を吸うときに、地中深くから吸って、自分を通って天まで届き、吐くときには天から降りてきたものが自分を通って、地に下りるようなイメージです。

 

巡らせるとき、自分だけではなく、自分の外側も一緒に巡らせていきます。

 

すると、息を吸うときに、いつもよりも自分がふわっと上がる感じがして、楽に続けられました。通常は30分なのですが、この日はできるところまでやろうと思って、結局1時間になりました。

 

そのときの感覚は、うまく言葉では表現できないのですが、痛みとか、悲しみとかも感じましたが、ひとりではない感覚とか、大きなものと共にいる感じとか、「大丈夫」という感覚も、ありました。

 

自分をきれいにするときに、周りも一緒にきれいにする、というのは、わたしにとって、太極拳をするときの、大切な基本です。

 

すると、実はいろいろ、うまくいきます。

 

人は、社会で生きていくうちに、自分を無視して外ばかりに気を取られてしまうことがあります。外のルールに合わせようとして我慢したり、外の評価を自分の価値だと思ったり、そのうち自分が誰なのか、わからなくなることもあります。

 

そういうとき、まずは自分の内側に意識を向けることは、大切です。体を感じることです。

 

最初はわからないことも多いでしょうが、感覚は、必ず育ちます。感覚は、多くの人の場合、まだまだ育っていないと思っています。

 

自分の内側の居心地悪さ、良さに気づけるようになってきたら、自分の外だと思っている世界と、まったく違う関係でつながることができると思ってます。

 

それが、大きなものに、ゆだねる感覚です。一緒に動く、と言うほうがいいかもしれませんが。

 

そうなったときに見えてくる世界は、それまでとは違っていると思いますよ。

 

 

 

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太極拳は、性格が出る?

2020.01.20 Monday

 

最近お稽古に来てくださるようになった方が、「太極拳って、性格が出るのでしょうか?」と聞いてくださいました。

 

最初の数年は、わたしもそう思っていました。

 

せっかちとか、

焦り気味とか、

遠慮がちとか、

強気で張り切るタイプとか、

見た目を気にするタイプとか、

 

いろんな性格が、動きの中に現れます。

 

お稽古中に、動きを見たり、体を触ると、普段は見えていない姿が見えてくることもあります。

 

でも、この「太極拳は性格が出る」という見方は、ある日「違うのだ」と気づかされます。

 

武当山で武当玄武派第十五代伝人の田理陽師父に習っていたときのことです。

 

それまで1か月、毎日、個別に教えていただいていたこともあり、それなりに先生を知っているつもりでした。

 

明るく、優しく、おおらかな方でした。毎朝、学校に着くと、みんながお稽古しているそばを、ニコニコしながら小さな歩幅でランニングされていました。そんなときにも、みんなの様子をよく見ていらしたと思います。

 

お稽古は厳しい方でしたが、折に触れて「きみはよくやっている」と、励ましてくださいました。

 

お客様がいらっしゃるときは、生徒たちに演武をさせ、ご自分は一緒に座ってお話をされていました。

 

でもある日、ご自分で太極拳をされたときがありました。

 

短い部分だけだったのですが、「これは誰?」と思ってしまうほど、知らない人がそこにいるような気がしました。

 

つかみどころのない人のようで、それは、これまで先生に抱いていた印象とは、まったく違うものでした。

 

「これが太極拳なんだ」と、そのとき、感じました。

 

 

冒頭の、太極拳には性格が出る、というのは、その人の生きクセのようなものだと思います。

 

自分の本質が、まあるい風船だとしたら、生きクセとは、一部をひっぱって、ねじねじして、飛び出る部分を作っている、みたいな感じでしょうか。

 

 

太極拳は、無駄な力を抜いて、その人本来の力を取り戻すものです。つまり、そのねじねじして飛び出た部分を、するっと解けば、ぷんっと張り感のある、満ち満ちた自分がそのまま表れます。

 

飛び出た部分に気づくことができるのは、型がある良さだと思っています。

 

型は、その人を押し込めようとするものではなく、緊張を解くためのものです。

 

カタチではなく、こういう動き方をすれば、緊張しないですむよ、という方法です。その結果がカタチとして現れるだけです。

 

動きの中で、無理があったり、緊張がある部分に気づいては、解いていく、の繰り返しですが、どこに緊張が出るか、そしてどういう行動や動き方がその緊張を作っているのかに、その人のクセが出るように感じます。

 

滞りのない、巡りの良い体は、緊張のない体です。体と心はつながっているため、体がほぐれると心もほぐれ、生きクセも取れていきます。すると、田理陽師父のような太極拳になっていくように、思います。

 

では、そのクセがなくなったとき、個性がなくなってしまうのかというと、そうではないと思っています。

 

人というのは、外見上、頭ひとつ、腕2本、足2本と、同じに出来ています。

 

そのために、みんな同じだと誤解しやすいのかもしれませんが、

 

その中身というか、本質の部分は、見知らぬ宇宙人同士のように、いろんな形があって、ちょうどスターウォーズに出てくる登場人物みたいな感じじゃないか、と思うのです。いろいろ、なかなかユニークですよね。

 

簡単にたとえるなら、外見は同じでも、中身はイカだったり、タコだったりするわけです。

 

それが、「タコが良いのだ」と、どこかで教わったり、思い込むような出来事があると、イカは、はみ出してしまう自分の部分を、押し込めて隠したり、タコの着ぐるみを着て過ごそうとしはじめるかもしれません。

 

それは、無理がかかるでしょう。

 

タコはタコとして、イカはイカとして生きれば、それでいいですよね。

 

イカが、タコのふりをやめて、イカとして生きはじめたとき、あまりに自然で無理がないため、当たり前すぎて、目立ちませんよね。

 

わたしが、田理陽師父の演武を見て、つかみどころがないと感じたのは、そういうことではないのかなと思っています。

 

個性がないというというより、クセがない、という方がぴったりきます。

 

無理のない、その人の本質が表に出てきます。

 

それはとても静かで、清らかで、パワフルで、美しいものでした。

 

「する人も、見る人も気持ちよいのが、よい太極拳」というとおり、着ぐるみを脱いだその人が現れると、見ている方も心地よくなります。

 

性格とか個性といっても、実はそのレベルはいろいろあるようです。

 

クセもあれば、本質的な部分もあるでしょう。

 

クセは、社会に適用しようとして身に着けた鎧のようなものもあり、そのときは、身を守るために必要だったかもしれません。

 

でも、いつもそれを着続けていると、着ていないと不安になりますし、着ていることも忘れてしまいます。

 

「〇〇しないと」とか、「〇〇であるべき」という中にも、そういうものがあるのではないでしょうか。

 

太極拳のお稽古を続ける中で、「これは鎧で、素の自分じゃないよね」と気づいていきます。そこから先、脱ぐか、着続けるかは、自由です。

 

わたしは、気づかないうちに「〇〇であるべき」という考えにとらわれすぎていたときもありましたが、そのころは、自分が何をしたいのか、わからなくなっていました。

 

ひとつずつ、いらないものに気づいて、脱いでいくことを繰り返していくうちに、素の自分でいられるようになってきたと思います。

 

その方が、楽です。

 

イカはイカとして、堂々と生きるほうが、いいですものね。

 

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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