案ずるより産むが易し

2018.10.23 Tuesday

(今日の「すきなもの」は、カフェのグリーン。まわりの空間があるから、これが活きる)

 

Instagram(@mayuminmin927)で、「すきなもの」を、ほぼ毎日投稿して、今日で200になりました。

 

はじめたきっかけは、今年の春分の日、3月21日のことです。季節外れな雪が降った日で、いまいちな体調に、「そうだ、自宅ファスティングをしよう」と思いつきました。体の中をお掃除すると外もしたくなるのか、お片付け、衣替え、お掃除に、いつも以上に張りきりました。

 

そんな中で「家にいる時間が好きだな」と感じたのです。それで、はじめたばかりのInstagramで、すきなものを一つずつ紹介してみようと思いつきました。

 

どのくらい続くのかとか、それが何になるのかとか、まったくわかりませんでした。でも大切に思うものを一つずつ、短い文章をつけていくことが楽しくて、投稿するたびに、うれしさが溢れました。

 

ときどき、まとめて見返して、にんまりしたり。

 

いろんな発見も、ありました。

 

すきなものを一つずつ、丁寧に思いをつづることは、お片付けのこんまりさん(近藤麻理恵さん)がおっしゃる「ときめく」と同じかもしれないなあ、なんて思ったことも、ありました。そもそもこれ、お片付けしているときに思いついたことですしね。(すきと感じないものは、断捨離ですかね。)

 

そういえば、200件目の今日の「好きなもの」は、カフェで目にとまったちいさなグリーンです。これ、空間があるから、活きるもの。お片付けしないとね、と思ったのでした。やっぱりテーマは、お片付けなのですね。

 

「楽しみに読んでいます」と言ってくれる方や、すきなものをつづるわたしを、「祈りを届ける人」と表現してくれた方もいます。そういう反応も、嬉しかったです。

 

そして7月21日、そこから思いついて、Facebookpageで「太極拳、あるある、ないない話」をはじめようと決めました。こちらも短い文章で、ポイントを一つずつ、みんなが知らない太極拳を、いろんな面から紹介していくものです。こちらは今日で、71になりました。

 

太極拳は、名前は知られていますが、漠然としたイメージだけで、本当はどういうものか、あまり知られていません。この奥深さをもっとたくさんの人に知ってほしいと、いつも思っています。ひとつの方法として、こんな風に短いことばで伝えることも、ずっとぼんやり思っていたのですが、形にしていませんでした。勢いでやろう!と思えたのは、「すきなもの」シリーズを続けていたからのような気がします。

 

「すきなもの」も、「太極拳、あるある、ないない話」も、はじめる前は、項目をいくつか、リストアップしてみました。

 

でもはじめてみると、リスト通りに紹介することは、ありませんでした。

 

「すきなもの」は、その日、目に留まったものを、その日に書きます。いろいろと、あるものです。はじめる前はおうちの雑貨と思っていたのですが、空とか、緑のかおりとか、そとのものも、たくさん入ってきています。おうちだけではなく、そとも、すきなのですね。

 

「太極拳、あるある、ないない話」は、ひとつ書くと、数珠つなぎに書きたいものが出てきます。リストアップしていないものや、リストでは1項目だったものが5つくらいになることもあります。

 

案ずるより産むが易し、ですね。

 

わたしは「書く」という表現が好きです。

 

ことばには、限界があると思っています。たとえば、「すき」という表現に込められた、たくさんの思いや感情を、ことばで表現しきることはできません。同じことばでも、人によって感じ方も変わりますしね。それでも、その限界を知りつつ、表現したいのですよね。

 

だから、このふたつは、ほぼ自己満足です。

 

続けてみて、すごく感じることがあります。すきなものをすきと表現することは、わたしがこの人生でしたいことだと思うのです。

 

やっぱり、自己満足ですね。

 

でもみんなが、すきなものをすき、とうれしそうに言う世の中は、なんだか平和でよさそうじゃないですか。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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太極拳と呼吸

2018.10.19 Friday

(武当山で)

 

以前、「太極拳って、呼吸法でしょう?」と聞かれたことがあります。

 

深くて質のよい呼吸は、すこやかな心身のためには大切です。ただ、いろいろなご意見はあると思いますが、太極拳は呼吸法ではないと、思っています。

 

太極拳での呼吸(目指す呼吸、と言うべきかもしれません)は、”自然”です。自ずと然り、あるべき呼吸です。

 

そのために、まず体を整え、心を整えます。体から無駄な力が抜け、緩み、”放松(ファンソン)と呼ぶ状態になり、心が落ち着いて静かな状態になったときには、本来の呼吸が戻ってきます。(例として、体と心を整えて自然な呼吸に至る、站椿功のやり方は、こちらから:武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」

 

人は生まれたときから呼吸をしているのですから、生まれながらにして達人です。余計なことをしなければ、自然とよい呼吸になっているはずです。

 

よい呼吸とは、腹式呼吸、そして鼻呼吸です。

 

まず、腹式呼吸から。

 

人は進化の過程で二足歩行になったときに、胸式呼吸になりやすくなったと言われています。四つん這いだと腹式、ハイハイする赤ちゃんは、普通に腹式呼吸をしています。

 

胸式呼吸は、交感神経を刺激します。舞い上がったり、爆発したり、興奮度が上がるイメージですね。胸式の浅い呼吸では、吸った空気が肺の中まで到達せずに吐き出されるため、肺に炭酸ガスなどの不要なものが溜まるのだそうです。

 

腹式呼吸でも胸式呼吸でも、息が入る場所は肺です。腹式の場合、呼吸によって横隔膜が上下するため、それが下に押し下げられたときはお腹が膨れてくるのです。ときどき勘違いして、お腹を動かそうとする人がいますが、それは腹筋運動です。

 

横隔膜が上下することは、内臓のマッサージにもなります。こうやって日常的にマッサージすることで、内臓の機能を応援してくれます。

 

横隔膜が自然に上下しないとき、どんなことが起きているのでしょうか?

 

人の体は、骨と、それを支える筋肉を使うだけで、立てます。このときに使う筋肉は緊張筋と呼ばれ、赤い色をしていることから赤筋ともよばれます。主に下半身に多く、緊張していることを感じない筋肉です。いちいち「緊張してるー」と感じたら、立っていられませんから、上手くできています。

 

でも、いろんな理由や事情により、たいていの場合、骨と最小限の筋肉で立てていません。こうなると、体はその人を立たせることを優先させるため、本来使う必要のない筋肉を固めて、骨のようにして支えようとします。いろいろ固めるなかで、横隔膜もギュッとしてしまうと、呼吸しても動きませんよね。

 

防衛本能なので、このがんばりには「ありがとう」と感謝を伝えたいところですが、緊急事態が続くと負担が大きすぎます。太極拳で体を整えていくのは、この無駄な緊張に気づいてやめていく過程でもあります。

 

次は、鼻呼吸です。

 

現代人は、やわらかいものばかり食べていて、あごや口が弱くなりがちです。無意識に口がだらん、と開いてしまうのは、このためです。さらに胸式で浅い呼吸だと、たくさん息を吸おうとして、口を使うこともあるようです。

 

本来、口は食べるところ、鼻は息を吸うところです。口から吸ってしまうと、いろいろ不都合が出ます。

 

口が乾燥して、唾液が出にくくなり、

唾液が出ないことで、食べたものの殺菌が不十分になり、胃が弱ったり、

いろんな菌が途中で防御されずにそのまま肺に入り、風邪をひいたり、です。

 

太極拳では、口を閉じて、舌は上あごにつけ、鼻呼吸をします。

 

そう言われても、無意識にだらーん、と開いてしまう人は、口を動かす体操が、おすすめです。以前、テレビでお医者さんが、インフルエンザの予防として、口を大きく開けて「あ・い・う・べーっ」と言う体操を紹介していました。だらーん癖のあった人も、これで解消されていましたよ。

 

体を整えたら、次は心です。

 

心がわさわさ落ち着かない状態だと、交感神経を刺激し、胸式に傾いてしまいます。心は静かに、穏やかに、です。(整え方の一例は、上にもリンクをはった武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」に、書いています。)

 

体と心を整えれば、結果として自然にでてくるものだという点で、わたしは”方法”ではないと思っているのですが、その過程を方法だと呼ぶことも、あるかもしれません。

 

太極拳での呼吸については、もうひとつポイントがあります。

 

いつ吸って、いつ吐くか、です。自然であれば、呼吸は自ずと出てくると言ってしまえば、その通りですが、何が無駄な力を使うことになるのかわかっていないと、難しいですよね。

 

息を吐いたとき、吸ったとき、どちらが緊張すると思いますか?

 

吸ったときではないでしょうか。体が膨らむと、多少ではあっても、緊張は起こります。

 

このため、太極拳で攻撃する動きのときは息を吐き、その準備をしているときは吸うことになります。これだけは、原則というか、法則のようなものと言えるかもしれません。

 

でも、あくまで原則です。

 

ときどき、「ここは吐く場所だから」と、息が切れているのに、吸うのを我慢してしまう人もいます。苦しいですし、体が余計緊張しますよね。本人は必死、まじめなのですが、悲しいことに、これでは本末転倒です。

 

だから、息が続かなくなったら、そこで吸ったり吐いたりしてもいいのです。体が楽であることの方が、優先です。

 

いろんな本を読んでいると、ときどき「呼吸は自然で」という文章にあたります。「先生に呼吸を聞いたら、『自然』としか答えてもらえなかった」というものも。

 

「なら、なんでもいいのか」とも読めてしまいますが、シンプルな答えでありながら、奥が深い答でもあります。ふつうの生活の中では、不自然であることが、普通だからです。人はどうも、無駄なことをするほうが得意みたいですからね(わたしも含めて)。

 

こんな風に、わたしにとって呼吸は、ひとつの結果だったり、体や心の緊張を教えてくれるサインだったりしたわけですが、最近、気づいたことがあります。

 

6年くらい前、站椿功をしているときの1分間の呼吸は、6−7回でした。その後、あまり回数は気にしていなかったのですが、最近は3−4回になっていました。深くなったのかしら。ちょっと、いえ、とっても、すごく、うれしい。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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”立つ”こと

2018.10.17 Wednesday

 

太極拳のお稽古で、ベースになっているのは、立つことだと思っています。

 

”立つ”にはじまり、歩いて、動いて、また”立つ”にかえっていく感じです。だから、立つお稽古でもある站椿功は、大切なのです。

 

站椿功をする理由として、武当山にいる先生の兄弟弟子が、こんな話をしていました。「年を取ってくると上下のバランスが崩れる。重くなってくる上半身に、下半身が耐えられなくなり、膝を痛めたり、歩けなくなったりする。だからバランスをとるために、足を鍛えることが必要。」

 

人は、特に都会に住む現代の人は、足を使う機会が少ないです。電車や車、バスやタクシーという交通手段があり、歩くとしても野山ではなく舗装された道路の上です。お買いものも、足を運ばなくてもネットですみます。

 

足自体も、アスファルトの上を歩くために、クッションのきいたスニーカーや靴で防備されています。足自体も、鈍感になりますし、弱くなります。

 

逆に、頭は使う機会は増える一方です。パソコンや携帯電話でやり取りし、知りたいことがあればネットで調べ、ゲームで遊んだり。頭でっかちになる環境が、そろっていますよね。

 

足を鍛えるためなら、立つこと以外に、歩くこと、ランニングでもいいのでは?と思うかもしれません。もちろんそうだとも思いますが、歩いたりランニングするときに、膝に負担がかかって痛めることもあります。そうならないためにも、”立つ”という基本に戻ることは大切だと思っています。

 

站椿功は、10分とか30分とか、人によってはもっと長く、ひたすら立つ練習です。腕の形を変えていくものもありますし、同じ形を保つものもあります。

 

”立ち続ける”という制限がある中では、ある意味、逃げ場がありません。この窮地をなんとかしようと工夫する過程に、意味があると思っています。

 

例えば、慣れないうちに感じがちな痛みは、「ここが弱いよ」と、脳に伝えていることでもあります。人の体はものすごく柔軟に対応することができて、弱いところがあれば、そこをなんとかしようと工夫するのです。

 

さらに、要らない力を入れているために、痛みや苦しさを感じることもあります。長いことその姿勢を続けるために、そのままではいられません。不要な力みに気づいては緩め、気づいては緩め、を繰り返します。

 

この、自分で気づいて緩める、という過程が、大切なのではないでしょうか。「いらないんじゃないかしら」と気づいて緩めることは、意識と体がつながっていることでもあり、双方が納得して緩めていくからです。

 

コリや痛みの対策として、整体や針治療をすること、ありますよね。その時は効いても、また痛みがぶり返してくること、ありませんか?しかも、コリがもっとひどくなったり、整体に行くことがルーティーンになっていることも、あると思います。

 

体には防衛本能があって、痛みやコリは、何かの理由があって固めているのだと思っています。理由はどうであれ、そのときの体は、「守るためにはそれが必要」と認識しているのです。それを、外的な要因で急に緩ませた場合、体は焦るかもしれません。危機感を覚え、さらにカタくなるというのも、わからない話でもありません。

 

整体や針治療がダメという話ではありません。わたしも、必要だと思うときには、お世話になっています。整体や針治療の優秀さとは別に、本人の状態次第で起きるのではないかと、思っています。

 

不要な痛みは、「そのカタさ、要らないよ」というお知らせでもあります。それに体も意識も同意して緩めていけたら、元に戻りにくくなるのではないでしょうか。

 

站椿功をしているときは、意識と体と対話している時間でもあります。頭だけ動いているのではなく、からだ全体、意識も含めて、要らない緊張をそぎ落とし続ける感じです。もちろん、それ以外にやってくる感覚もあり、人によってはそれを「気を感じる」という言い方をするかもしれませんが、それは結果ですからね。自分でどうこうするものでは、ありません。

 

「站椿功の代わりに、スワイショウでもいいのでしょうか?」という質問を受けたことがあります。

 

個人的な感覚ですが、站椿功とスワイショウは、重なるところはあっても、代わりになるものではありません。

 

スワイショウは、中国で長く続けられてきた養生法で、とっても優秀だと思っています。腕を振り続けるという単純な動作で、誰でも簡単にできます。站椿功に比べたら、動きがある分、初心者にもなじみやすい気がします。立つときに、站椿功の立つ”コツ”を当てはめていけば、立つ練習にもなります。(スワイショウのやり方はこちら、感想や質問はこちらをご参照ください。)

 

わたしは1000回、16〜17分くらいをおすすめしています。これだけすると、もちろん個人差はありますが、体の中のめぐりも活発になり、腕の力は抜けやすくなります。その人なりに、やる前よりも、無駄な力が抜けてリラックスしている状態を感じやすくなります。

 

要らない緊張を抜くためには、リラックスした状態を知っていることが役に立ちます。スワイショウは、そのときの緊張を緩めることにも役立ちますが、その後にも目安となって、役立ってくれます。

 

こう書くと、スワイショウで代わりになるような感じもしてきますが、ひとつだけ足りないところがあると思っています。站椿功は、自分で気づいて緩めていくのに対して、スワイショウは、物理的に緩んでいく感じなのです。気づく、という過程がない(もしくは少ない)気がします。

 

そして、”めぐる”という点については、なぜだかわかりませんが、動かない站椿功の方が、めぐりやすい気がします。站椿功をすると、血流が3倍速くなるという話を聞いたこともありますが、それも納得できる気がします。(参考:「気功で新しい自分に変る本」星野真木著 BABジャパン)

 

冒頭でご紹介した、中国の先生の兄弟弟子は、「足を鍛えると、大地と繋がれる。大地と繋がれば、対になっている天ともつながれる」とも、言っていました。

 

人と、大地と、天がつながれば、意識は体の大きさを超えて、どんどん大きくなっていきます。日常のわずらわしいことが、小さなことに感じられるようになってきます。自分はひとりでは生きていないこと、もともとはひとつなのだということにも、気づいていきます。

 

ことばで言うと、どうしても薄っぺらくなってしまいますが、これを体で感じることは、とっても素敵なことなのですよ。

 

立つことは、人が人として生きるすべてを思い出させてくれると、思っています。

 

☀站椿功について、参考はこちらから:武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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お稽古は、決めたことをやり遂げる時間

2018.10.09 Tuesday

(2018年の夏、武当山にて)

 

自宅でひとりでお稽古しているとき、「ピンポン」と呼び出しがかかったり、電話がかかってきたりすることがあります。

 

そんなとき、どうするでしょうか?やっていることを途中でやめて、対応するでしょうか?

 

お稽古をしているときは、「いきなりやめてはいけない。まずは収功(そのお稽古を終えて、日常に戻るための動作)してから対応すること」と、教わりました。

 

中途半端にやめてしまうのは、よくないのです。

 

もうひとつ、例えば站椿功(立禅)で腕を上げて立っているとき、腕が痛くなったり、苦しくなったら、どうするのでしょうか?

 

「やめて、仕切り直ししてもいい。ただし、なぜ途中でやめたか聞かれたときに、ちゃんと答えられるようにすること」と、教わりました。

 

理由をはっきりさせずにやめてしまうと、失敗体験になります。理由があれば、それは経験という蓄積になります。

 

お稽古の時間というのは、周りに流されず、人の都合に合わせるのではなく、自分を尊重して、決めたことをやり遂げる時間でもあります。

 

社会の中で生きていると、なかなか自分に集中するのは、難しいですよね。声をかけられたら、ちゃんと顔を見て答えたいとは思いますが、呼ばれるたびにそうしていると、気づかずに、自分が後回しになってしまうこともあります。

 

他人の期待を優先させているうちに、自分が何をしたいのか、わからなくなってしまうこともあります。

 

過去のわたしにも、そんなときがありました。

 

2009年の夏、初めてひとりで中国の武当山に行くことになったとき、友人から「今回はどんな時間にしたいの?」と聞かれました。考える前に口から出てきた答えは、「わがままに過ごすこと」でした。周りに合わせるのではなく、社交性を優先させることなく、とにかくそのときに自分が一番したいこと(お稽古)に集中しようと、思いました。

 

その頃は、自分が何がしたいのか、迷子になっていた時期だったと思います。

 

周りからも、「あなたは、自分を大切にしてない」と言われていた頃でした。

 

「わがままに過ごす」と決めて過ごした2週間は、自分ともじっくり向き合い、お稽古にも集中できました。そして結果的には、周りの人たちとも仲良く、楽しく、過ごせました。「自分がしたいことを優先させても、こんな風に過ごせるんだ。友達は、作ろうとしなくてもできるんだ」と、わかる、いい経験になりました。

 

太極拳の教室でも、自分で練習するときも、決めたことをやり通すことは大切です。30分、1時間、1時間半、自分で決めた時間は、それに集中します。

 

電話がかかってきても、後でかけ直せばいいことです。すごく大事な電話だったら、何度もかけてくるでしょう。(ただし、本当に急を要する電話があるとわかっているときは、もちろん出てください。)

 

以前、会社員だったとき、海外での研修に参加したときのことです。同僚たちと、「未読メールが溜まっていくよね」という話になったとき、そのうちのひとりが「研修中は見ないし、この期間に来たものは、みんなまとめて削除しちゃう。」と言うのです。「だって、後からなんて、読みきれないもの。本当に大事だったら、また連絡してくるでしょ。」と。

 

そのときは、度胆を抜かれましたが、あっぱれですよね。

 

決めたことをやり遂げることは、周りに流されることなく、そのときの自分に大切なことを見極めて、それを実現していく力をつけることでもあります。

 

自分の人生に迷子にならないために、自分の願いを実現していくためにも、大切なことですよね。

 

お稽古は、何ができて、何ができないかよりも、その時間をどう過ごすかが大事だと思っています。よい過ごし方をすれば、結果はちゃんとやってきます。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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武当山日記:そぎ落とす

2018.10.04 Thursday

 

何かを習うことは、「得ていく」イメージかもしれません。これを覚える、これができるようになる、とかです。

 

でもカンフーのお稽古は、その逆で、そぎ落としていくプロセスだと感じています。余計なことに気づいて、やめていくのです。

 

新しいものを習うときは、力が入りがちです。力みも緊張もありますし、習うのだ!という意気込みも、あるかもしれません。

 

最初は、動き方、位置、そして何をしているのかという用法(剣であれば、突き刺すとか、上から切り下すとか)を教わり、真似します。

 

すると、いろんなことが起きます。

 

たとえば何度も同じところでダメ出しされる場合は、自分で何ができていないのか、わかっていません。余計なことをやっていたり、意図したことをやっていないのですが、どちらも無意識ですので、なかなか気づかないわけです。

 

頭でわかっていても、体がその通りに動かないときも、あります。頭(意志)と体がつながっていない状態です。

 

動きも、なぞっているうちは、不自然です。表面的な形だけ真似しても意味はない、とわかっていても、視覚からの情報に影響されるようです。五感のうち視覚は9割近くを占めるため、当然なのかもしれません。

 

今回、武当丹剣を習っているとき、こんなことがありました。剣を正面で突き刺す場面を練習していたら、隣で見ていたお稽古友達が「やりすぎ」と、ひとこと。先生は、つっと強く突き刺すので、それを真似していたのですが、「先生はパワーがあるから、ああなるだけ。きみは、自分にあったパワーでいいんだよ。」と言うのです。

 

なるほど、ですよね。やりすぎないように注意して、自分の内側から出る力のままにしてみたら、「そうそう!いい感じ」。分相応って、大事です。

 

やりすぎは、エネルギーを消耗します。太極拳にしても、八卦掌や形意拳にしても、「やってもくたびれない」のが良く、生きるためのエネルギーを満タンにしてくためのものなのですが、それを消耗していたら、本末転倒です。

 

お稽古の時間は、こんな風に無意識にやっている「いらない」ことに気づき、やめていく繰り返しです。何度も、何年も繰り返すのは、このためでもあります。

 

そぎ落としていくプロセスだと、思っています。やりすぎず、偏らず、陰と陽のバランスを保ち続けて進んでいくこと、です。

 

「無為自然」という言葉があります。老子の思想を表すもので、「無為」とは、何も為さないこと、「自然」とは、自ずと然り、他からの影響を受けることなく、あるがままの姿、という意味です。

 

「何も為さなかったら、行動しなかったら、何も結果がでないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんよね。

 

以前のわたしが、そうでした。そんなわたしに「あなたは待つことを知らない」とか、「行動しないと、何も手に入らないと思っているでしょ。そんなことないよ。」と言ってくださる方々が、何人も現れました。世の中とは、ありがたく、上手くできています。

 

老子の「道徳経」には、「道は常に無為にして、而(しか)も為さざるなし(原文:道常無為、而無不為)」(道はいつでも何事もなさないで、しかもすべてのことを為している)(第37章より)と、あります。

 

天や地は、意志で動いているわけではなく、無為と言えます。それでも朝になると日が昇り、夜は日が落ちて、季節は移り変わります。その中で植物は育ち、動物も、人間も、育っていきます。意志がなくても、天地はすべてを為していますよね。

 

無為自然とは、そいういう意味です。

 

人は生まれると、誰に教わらなくても、空気を吸い、おっぱいを吸いはじめます。赤ちゃんが立って歩くようになるためには、立ち方教室に行くからではありません。生きる力、育つ力は、もともと備わっています。

 

「でも、50歳を超えたら、そうはいかないよね」と思った方も、いらっしゃるかもしれません。

 

それが、そうでもないのですよ。2000年以上前に誕生した中国最古の医学書「黄帝内径」には、「昔の人は100歳をこえても衰えることはないと聞いたが、なぜ今どきの人は、50歳くらいで皆衰えてしまうのだろうか?」と書いてあります。

 

2000年前から、人は早死にだったのですね。季節にあった過ごし方、必要なだけ食べること、日が昇ったら起きて、沈んだら寝る、という自然に合ったリズムが崩れると、生きるエネルギーを損ないます。

 

話は飛びますが、ここしばらく、太極拳の最初で脚を横に開くとき、左足が右足よりも後ろにずれていました。こんなときに「ふつうに出すと1センチ下がるから、ちょっと前気味に出す」と、作為的に考えて行動しては、ダメです。

 

「何もしない。無駄なことしない」とだけ思ってやってみたら、揃いました。脚が揃わないのは、骨がずれているのかとも思ったのですが、そうではなさそうです。

 

無駄なことをしないためにも、鍛錬が必要です。何も為さなければ、本来の力が生きてきます。「生きているだけでいい」というのは、こんな意味じゃないのかしらね。

 

 

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