強い絆と深い絆

2018.08.17 Friday

 

4年前、2014年に参加した講演会の感想が、Facebookで上がってきました。

 

「あるがままの自分を生きていく インディアンの教え(大和書房 2013年)」の著者である、松木正さんの講演会です。

 

”心の残ったこと、その2。「関係性」”とありました。

 

ロープの端をふたりでつかんで、ぴんっと張っている状態は、「強い絆」。いつもロープの先に相手を感じています。片方がロープを動かすと、もう一人はついていきます。同じ意見、同じ行動に、安心を覚えます。どちらもひとりで立っているのではなく、相手に振り回されます。

 

ロープが垂れ下がった状態は、「深い絆」。お互いに自由に動きます。相手の動きはわかりませんが、つながっています。自立しているから、対立もします。対立するのは、切れないという信頼感、安心、愛情があるからこそです。子供の反抗期も、これにあたるそうです。

 

わたしにも、強い絆から、深い絆にしようと試みたときがありました。大人になってからの、親ではない相手への反抗期です。

 

相手にNOと言って、自分に正直に、自分の考えを伝えようとしました。信頼しているからこそでしたが、ただわたしが反抗しているだけと受け取られたようでした。

 

わたしがロープを緩めると、相手はロープを引っ張ります。どんどん強くなっていき、ついに苦しくなって、わたしはロープを離しました。

 

相手は、ロープをぴんと張っていないと不安だったのかもしれません。それをわかっていながら、わたしがロープを緩めたのは、誰に属するのでもない、「自分」を生きたかったからだと思います。

 

今、振り返ると、わたしは相手にNOと言う勇気はあったけれども、相手が言うNOを受け入れることはできていなかったと思います。

 

だからわたしはロープを緩めたけれども、相手がピンとロープを引っ張ろうとしたら、わたしもぴんっと張りかえしたのだと思います。緩めることは、できませんでした。

 

「嫌だったら嫌だと言っていいよ」を、大切にしたいのに、いざ自分が言われると、それを受け入れることができませんでした。中途半端だったと思います。

 

この講演会を聞いたときは、ロープを離してから半年くらいたっていたと思います。

 

そして今、その人との間には、強い絆も、深い絆も、ありません。

 

あの頃は、「どうしてロープを持ち続けられなかったのだろう」という後悔を、たくさん持っていました。

 

人には、自由意思があります。将来をみるとき、自由意思は希望になりますが、過去を振り返ったときには、後悔にもなります。あのときのわたしのように、「どうしてできなかったのだろう」と思うからです。

 

状況から離れて、起きたことが過去になると、そのときの状況や精神状態、いろいろなものが薄れます。自分ができなかった、ということだけがクローズアップされがちです。

 

でもあの状況では、できなかったのです。

 

他人から見て、それがわたしの未熟さゆえだったりしたとしても、当時の自分には、そうとしかできなかったのです。

 

そんな過去の出来事については、「あれは運命で、どうしようもなかったのだ」としてしまうほうが、楽なこともあります。

 

大切なのは、そんな経験をした自分が、今、どう生きるかだと思います。

 

そうは言っても、そんなに大げさなことではなく、今日の空はきれいだな、とか、風が気持ちいいな、とか、ごはんがおいしく食べられてうれしな、とか、息ができていることに感謝だな、とかで、十分だと思うのですけれどもね。

 

小さくて大きなものを感じながら、深い絆を育てていけたらいいな、と思います。

 

......しかし、その2ということは、その1があるのですよね。なんだったのでしょう。ま、いいですかね。自分のどこかには、残っているはずですから。

 

 

(参考:過去のとらえ方について、わたしが感銘を受けた本はこちら:「マチネの終わりに」平野啓一郎 著 毎日新聞出版

 

 

【特別クラスのお知らせ】

8月19日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(5)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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尾白川渓谷のトレッキングと 太極拳と 修行

2018.08.14 Tuesday

 

先日、尾白川渓谷にキャンプに行きました。南アルプス天然水の、名水の地です。

 

川にはいったり、翡翠色の滝壺にドボンと入って泳いだり、夏を満喫した翌日は、渓谷道のトレッキングです。途中、滝の絶景ポイントがあり、滝のしぶきをめいっぱいに浴びる所もありました。頂上では遠くに3段の滝が見えるという、めずらしく美しい景色に出会えるコースです。

 

しかしこの道、ところどころに「滑落注意。死亡事故あり」と、看板が立っています。鎖やロープを頼りにして歩いたり、地面に張り巡らされたような木の根っこをつかんで急な坂を登るなど、アップダウンも激しいコースです。道は整備されていますが、幅が細く、片側は渓谷にすっぱりと落ち込んでいて、それはそれは、落ちたらキケンでしょう。

 

「死亡事故あり」なんて見てしまうと、怖いですよね。これを「慎重に」というアドバイスとして受け取ればよいのですが、文言にとらわれて怖くなると、体は緊張して硬くなります。貴重な情報に感謝して、心を落ち着けます。深い呼吸を意識することも、役立ちます。

 

過信は禁物です。「普段、鍛錬しているから、できるはず」なんて思いすぎると、逆に体が硬くなることは、過去に体験済みです。

 

歩くときは、一歩ずつ。落ち込む崖など見過ぎると、怖くなってしまうため、次の一歩を大切にして歩きます。

 

こんなとき、ふだん太極拳でやってきたことが、とても役に立った気がします。心の落ちつけ方、体の使い方、目の使い方などです。

 

慎重さは大事ですが、あまりに集中しすぎると、精神的にどんどん疲労していきそうです。こんなときには、太極拳の目の使い方です。「木を見て、森もみる」という、視界は開けているけれど、細かくも見えている状態です。これだとエネルギーを使いすぎることも、ありません。

 

体も、できるだけ筋力を使わないで済むように、楽な方法を探ります。段差がある下りは、膝を痛めないように、膝に体重がかからないで行ける方法で。腕を使うときも、腕力頼みにならないように。

 

「どんなところも大丈夫!」という自信があるわけではありません。「軽んじたらあぶない」と思いながら、歩きました。でも、そんな中で良かったのは、自分の体との信頼関係があったことです。今、自分がどのくらい緊張しているか、楽な状態か、無理をしようとしているか、などが、おそらくそこそこ正確に把握できていたと思います。その上で、無理しないよう、心がけました。

 

2時間くらい歩いたでしょうか。無事に頂上までたどり着き、遠くの滝をぼんやり眺めて休憩です。下りは比較的広めの道で、のんびりと歩けました。

 

慎重に、丁寧に、でしたが、どうやって歩くかなど、その行程自体も楽しみながら、歩けました。滝はもちろんですが、途中、風穴があったり、水がちょろちょろ流れていたり、小さな発見もたくさんです。

 

おかげで筋肉痛も出ず、太極拳をやっていて良かったなあ、と思いました。

 

 

話は変りますが、「毎日、どのくらい練習するのですか?」と聞かれることがあります。

 

5年くらい前までは、「1日、2時間」と決めていました。まだ会社員だった頃の毎日は、ほぼ、仕事とお稽古しかしていなかったときもあります。あの頃は、そうしたかったのですね。

 

中国の武当山にお稽古に行くときも、1週間ほどの短い滞在を有効活用したくて、お休み日(学校によりますが、週に1.5〜2日はお休みです)にも、お願いしてお稽古してもらっていました。

 

「もっとやりたい」という向上心とか、

「誰よりも上手くなりたい」という競争心も、あったと思いますが、

「これをやり続ければ何かある」という漠然とした、理由のない理由も、あったと思います。

 

でも続けていくうちに、そんな向き合い方も、ずいぶんと変わってきました。

 

中国にお稽古に行っているとき、お稽古時間の中で、ときどき、サッカーや鬼ごっこ、馬跳びや棒とびなど、遊びの時間が入ってくることもあります。お稽古時間だからといって、いわゆる”お稽古”だけではなく、ゆるーく、アバウトなのです。

 

最初の頃は、「ずっとここにいる人たちと違って、わたしは短い期間しかいないから、この時間が貴重なのに」と思うことも、ありました。

 

でも、そんな遊ぶ時間は、いつもすごく楽しい時間です。そして、みんなで大笑いした後の、いわゆる”お稽古”は、びっくりするほど楽で、調子がいいのです。

 

そんな経験は、わたしにいちばん足りなかったものを、教えてくれました。

 

太極拳とは、カンフーとは、生きていくことです。太極拳の套路(型)を練習している時間だけではありません。日々の生活の中で、自分の体や心のあり方、動き、他人との関係などなど、すべてがお稽古であり、それが修行もあります。

 

その意味では、今回のようなトレッキングは、とってもよいお稽古でした。

 

修行とは、楽しいものなのだと思います。今回のように。

 

(川辺で朝ごはん)

 

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より良くしたいという願い

2018.08.01 Wednesday

 

「誰にでも、より良くしたいという願いがある」と、信じています。

 

これを実感したのは、10年くらい前のことです。そのとき、人事や組織のコンサルタントをしていて、プロジェクトの最初には、多くの人にインタビュー(面談)していました。

 

この話をすると、「みんな本当のことなんて、話さないでしょ」と疑う人が、けっこういます。

 

実際には、そんなことありませんでした。みなさん、話にくいであろうことも、話してくださいました(と、思っています)。

 

「どうやって聞き出すの?」と聞かれれば、手法として、「インタビューの目的や守秘義務などをお話してから、名前、部署、社歴、などなど、考える必要のない質問から始め、質問して答える、というリズムを作ります」みたいな説明をします。

 

でも、それは手順としては必要でも、本当に大切なことではないと、思っています。

 

きっと、人は誰でも、自分のいる場所を、よりよい状況にしたいと願っているからだと思うのです。

 

それを信じること、そして自分はその手助けのためにいるのだと理解していることの方が、大切だと思っています。

 

批判だらけでも、文句ばかりでも、その中には真実や課題もあります。

 

よく考えてみれば、当然です。自分がいる場所が、居心地の悪いままでいいと思っている人は、いないですよね。

 

組織であれば、自分がいる場所をよりよくしたい、人であれば、よりよく生きたい、ということになるでしょうか。

 

言葉にすると薄っぺらい表現しかできませんが、頭での理解ではなく、実感できたことは、とても大きなことでした。ありがたいです。その仕事を離れた今でも、人に関わるときの根底には、これがあります(ときどき忘れて、きーっっ、となりますが。)

 

体験に、勝るものなし、です。

 

そして「みんな言うわけないでしょ」という話も、当たっているとは言えませんよね。

 

案ずるより産むが易し、かしらね。

 

どんな仕事にも意味はあります。あの仕事から、今、太極拳を教えていると言うと、不思議に感じる方もいるようですが、あのときは、あの経験がしたかったのでしょう。そしてそれは、みんな生きています。

 

これからも、自分で感じることを大切にして、自分が大事にしたいことを大事にして、目の前のことをコツコツと、やっていきたいと思います。

 

 

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無用の用

2018.07.30 Monday

(中国、武当山 南天門)

 

先日の「タオを生きることば」のクラスは、老子「道徳経」第11章を取り上げました。

 

器は、中が空洞だからものを入れて使うことができます。家も、空間があるから、人が住むことができます。そんなことが、書かれています。

 

「『無用の用』と同じかしら」と生徒さん。確かに、似ていると思って調べてみたら、そのとおり、これは老子の考えを継いだ荘子の教えでした。

 

老子と荘子の教えは、老荘思想とよばれ、ひとくくりにされています。道家思想とも言われています。

 

荘子が説いた例に、くぬぎの大木の話があります。

 

あるところで神木としてまつられていた巨大なくぬぎがありました。ひとめ見ようと、わざわざやってくる人が多い中、石という棟梁は、目もくれずに通り過ぎます。理由は、何の役にもたたないから、です。「舟をつくれば沈んでしまうし、棺桶をつくればたちまち腐ってしまう。あんなに成長できたのも、もとはと言えば、無用だからである。」

 

くぬぎの霊は、棟梁の夢に現れて、こう言います。「人も物も、みな有用であろうとして命を縮めている。だが、わしは違う。今まで一貫して無用であろうとつとめてきて、遂にそうなりきることができた。おまえのように、有用であろうとして命を縮めている者とはわけが違うのだ。」

 

有用だったらとっくに切り倒されていたところ、無用だからこんなに長生きができたわけです。(出典:「老子」守屋洋 SB Creative)

 

家をみてみると、部屋にモノがあふれていたら、部屋としては上手く使えませんよね(耳の痛い話ではありますが)。

 

ちょっと昔の日本の家は、この空間を上手く取り入れていた気がします。

 

たとえば、縁側。そして、土間。一時的な作業場所になったり、作業の合間にちょっと座って休む場所になったり、空間だからこその活用は、無限大です。

 

外なのか内なのか、あいまいで、だからこそ、外と中をつないで、いろいろ使えるとも言えます。

 

ブログタイトルにしている「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。

 

縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。

 

生け花を見ても、空間を活かしていますよね。花束のようにお花がギュッとなっているものも好きですが、生け花が大切にしている(と、わたしが思っている、ですけれども)、空間が生み出す美しさも、素敵です。

 

コップの中に半分水が入っている、というたとえは、「半分しかないと見るのか、半分もあると見るのか」という視点の違いで取り上げられます。ここに、もうひとつ、空間に目を向けることもできますよね。「まだあと半分、入る。」

 

コップも、空間があるからこそ、扱いやすくなります。溢れんばかり満杯のコップは、持ち上げて飲むのも一苦労です。このあたりは、どれがいいかというより、視点の違いで、いろいろある、というだけのことですけれどもね。

 

「タオを生きる言葉」クラスの後半は、体感する時間を設けています。この日、体験していただいた中に、こんなゲームもありました。

 

”ふたりが、一人分の空間を間にあけて、立つ。→ふたりとも前に歩く。→反対側から、ひとりが歩いてきて、ふたりの間を通る。”です。

 

最初は、何も言わずにやってもらいました。すれ違うとき、窮屈そうに体を緊張させてた方もいらっしゃいました。

 

二度目は、「ふたりの間にある空間に意識をむけて、通ってみて」と言いました。すると、全然違うのです。「ふたりの間の先にある空間にまで、視界が開けた」という感想もありました。ふたりが向かってくることが、プレッシャーになりにくいのです。

 

これ、混雑している駅の構内で試してみると、面白いですよ。空間、空間、と意識をむけていると、ぶつからずにいいペースで進めます。

 

空間は、ゆとり。

空間は、あそび。

空間は、のびしろ、ゆたかさ。

 

ひとりより、みんなでワイワイ話しながら、あれこれ脱線しつつ、発見あり、発展あり、となっていくことも、空間があるからこそのゆたかさです。共に生きていることに、感謝です。

 

 

≪「タオを生きることば」≫

月2回、水曜日の夜に、池尻大橋駅付近の会場で開催しています。 老子「道徳経」を1章ずつ読みながら、タオのあり方を体感していきます。後半は体を動かしますが、お着替えいただく必要はありません。

8月の開催は、8日と22日、19:00−20:30です。詳しくは講座のご案内からご覧ください。

 

 

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OKバジさん

2018.07.28 Saturday

(本文と無関係ですが、武当山の朝)

 

先日、OKバジさんにお会いして、お話を伺う機会に恵まれました。

 

本名は、垣見一雅(かきみかずまさ)さん。今年で79歳、これまで20年以上ネパールのパルパ郡で支援活動を続けてこられています。

 

まなざしが美しく、一人ひとりの顔をしっかり見て話す方です。

 

組織も作らず、オフィスも持たず、ひとりで支援してこられました。OKバジ(OK Baji)というあだ名は、"OKおじいさん"、という意味で、なんでもOKと言っていたことから、つけられたとか。

 

「わたしは御用聞きです」と、毎日あちこち歩いて回るため、日々の寝床は毎日違います。高齢になってこられた垣見さんを心配して、村人たちが家を建てたそうですが、「ほとんどいない」とか。

 

ネパールと縁が出来たきっかけは、「エベレストを見たかったから。」でもそのとき、登山中に雪崩に遭い、垣見さんの荷物を持っていたポーターさんが亡くなりました。

 

「借りができた」というような表現をされていたと思いますが、その後にポーターさんの村を訪ね、貧しく厳しい現実を知ることになります。

 

冬なのに穴だらけの薄いシャツで、寒さに震える子供たち。ひどいやけどをしても、お金がないため放置して、ひじの内側がくっついてしまった人。子供たち、特に女の子は、小学校にさえ行かせてもらえなかったり。貧しいために働き手として数えられることもありますが、親世代の教育への理解がなかったことも、あるようです。

 

目の前にいる人たちを助けたい、という思いから始まりました。その思いが、今でも続いています。

 

「自分はパイプ役だ」とおっしゃるとおり、活動資金は寄付で集めます。ひとりの子供が学校に通うためには、1か月50円あればよいのだとか。それで必要なサンダル、ノート、ペンを用意できるのだそうです。1年で600円ですよね。

 

診療が必要な人への援助もします。最初は診察代を渡したそうですが、病院に行かずに家族のお米代にしてしまう人がいたため、病院に自分の口座を持ち、垣見さんが書いた手紙を持って行けば診察を受けられるようになっています。

 

これまでに建てた小学校は、200を超えるそうです。創立記念日には呼ばれてスピーチに呼ばれるため、それだけでも大忙しです。その貢献は、ネパール国王からも表彰されているほどです。

 

「組織も持たず、どうやって......」と驚きますが、垣見さんは「援助活動は、はがき一枚あれば、できます」と言うのです。

 

寄付をいただいた方への報告はがきです。でもこれが、ただの報告書ではありません。

 

Aさんから1000円の寄付をいただいたら、その1000円を使って何をしたか、たとえば「20人の子供が1か月学校に通うための費用にあてました」と書いて、その子達が笑っている写真などをつけて、送ります。

 

報告の数、なんと1年で1200通ほど。「Bさんにいただいた1万円は〇〇に使いました」など、すべて個別の内容です。

 

寄付は、現金だけではありません。「退職してお金はないけれど」と、きれいなしおりを作ってくださる方、闘病中にアクリルたわしを作ってくださる方なども、いらっしゃいます。しおりを手に喜ぶ女の子たちの写真つきの報告書が届いたら、なんと、うれしいじゃないですか。

 

ひとりの力を、ものすごく考えされられました。

 

「オフィスも持たないから、いただいた寄付は全額支援に回すことができる。」もちろん経費はかかりますが、それも「これは切手代に使ってください」とか、「これは垣見さんの洋服代にしてください」と、寄付してくださる方がいらっしゃるのだそうです。

 

「日本から技術者を連れてきて、大がかりな支援プロジェクトをすることもありますよね。でも彼らに聞くと、『ネパールにも技術者はいる。足りないのはお金だ。』と言うのです」と話されていました。垣見さんひとりだからこそ、現地の方の助けを借りて、協力して活動を続けてこられました。「申請が必要なものも、みんな現地の人にお願いする」と、飄々とおっしゃいます。

 

活動を通じて、喜びを得ているとおっしゃいます。「寄付をいただいて、支援することで感謝されたり、寄付してくださった方にも喜ばれたり、それはすごくうれしい。」と。何事もそうかもしれませんが、使命だけでは、長くは続きませんよね。

 

アクリルたわしやしおりを作ってくださる方は、「自分の生きがいです」と、おっしゃるそうです。垣見さんは、「必要とされることって、人にとっては大事ですよね」と話されていました。

 

最初の頃は、寂しい思いをしたこともあるそうです。診察を受けさせようと病院に送った後、治療が終わっても何も言ってこなかったり。「日本人としては、お礼は言いますよね。それが何もなくって」と。

 

でもそんなとき、「OKバジ、よかったね。今、徳を積んだよ」と言ってくださる方がいたのだとか。

 

そして、感謝の心がないわけではないのです。

 

ある日、いつものように歩いていたら、駆け寄ってきた人が、「あのときに助けていただいた子が、こんなに大きくなりました!」と言うのだそうです。何年もたっていたそうですが、忘れていないのですね。ほかにも、「卵、好きでしょ。家で取れたから」と持ってきてくれたこともあるそうです。

 

感謝のしかたの違いというのか、人間関係のとらえ方の違いというのか、何かが違うようです。

 

できる人が、できることを、できるときにするの、ということでしょうか。これをやってもらったから、それにお礼をいって、お返しをして、というものではないようです。

 

危ない状況にあったことも、あるようです。マオイストという武装闘争を行う組織と、政府との間で内戦が起きたとき、ボランティア団体は活動ができなくなり、国外に退去したそうです。現地に残っていた垣見さんは、マオイストから見ても不思議な存在だったようで、その長は、「お前の目的はなんだ。」「あなたは、目の前に倒れた人がいたら、助けようとするでしょう。わたしがやっていることは、それです」というように答えると、納得してもらえたのだとか。

 

「今、思いかえしても、あの言葉はとっても良かったと思うのですよね」とおっしゃいますが、その通りに行動してきたからこその言葉で、それは立場を超えて伝わったのかもしれないと、思います。

 

さらにそんな垣見さんを、危険だったり難しいことがあるたびに、村人たちがみんなで守ってくれたのだそうです。

 

かわいいエピソードもあります。柿の種をあげたときは、村人みんなでひとり1つずつ、ピーナッツは半分に割って分けあったのだとか。飴玉を子供にあげたときは、「ひとつしかないから、ここで食べていきなさい」と言ったにもかかわらず、外に持って出て、ひとつを割って、子供たちみんなでちょっとずつ食べたのだそうです。それも、「いちばん小さな子に、いちばん大きなかけらをあげて、本人はいちばん小さなものを選ぶんだよ。」と。

 

分け合う心が豊かだなぁ、と感じます。そして想像するだけで、なんだかとっても楽しそうです。

 

「日本に帰ると、毎日が五つ星ホテルに泊まっているようですよ。蛇口をひねれば水が出て、飲んでも安全だし、お湯だって出るから、シャワーも浴び放題、電気もある。」日本に暮らしていると当たり前のことが、いちいち感動の対象になります。

 

何もないところの方が、ある意味では豊かに暮らしているというのは、わたしも中国の武当山に行くたびに思います。お天気がいいな、とか、ごはんがおいしいな、とか、日常、生きていること自体が、うれしくて楽しいのです。(ただし武当山は、水も出るし、お湯も出ます。電気もあります。断水や停電が、ときどきある程度です。)

 

垣見さんは、「感謝日記をつけたらいいですよね。毎日3つ、感謝を書くの。」と言います。垣見さんは3つどころではなく、ものすごくたくさんになるそうですが、「息ができる、も、入ります」と。そういうことですよね。息ができることって、当然のように感じますが、こうして生きていること自体、ミラクルと言えば、ミラクルです。

 

垣見さんのような方にお会いすると、ひとりの力はすごいことを、あらためて感じます。そして垣見さん自身は、とっても軽やかで、楽しそうです。

 

勇気がでますよね。希望も、ぴかーんと明るく見えてくるようです。

 

喜びから行動しよう。そうすれば、きっとうまくいく。

 

 

☀OKバジの著書などは、こちらから。

 

 

(注:お話を録音してはいませんので、「」内の言葉は、記憶にあるものです。言葉の表現が多少違うこともあると思いますが、その点は、ご勘弁ください)

 

 

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