太極拳は、ほんとうに体にいいのか?

2020.02.19 Wednesday

(右足だけで縦に伸びる力を働かせ、左足は猫足のようにふわっと着地する直前。Photo

by Xie Okajima

 

太極拳というと、一般的には体にいい印象があるのではないでしょうか。

 

以前いらしてくださった方が、「何よりも、いちばん体にいいのが太極拳と聞いた」と言っていたことがあります。

 

わたしの体は10年前にくらべたら、ずっと健康ですし、体はしっかりしていて、筋力もあります。太極拳は、確かに体にいいと実証できます。

 

でもそれは、やり方によります。

 

体にいいと言われる食べ物でも、人によっては合わないこともありますよね。お薬や漢方でも、最初に処方されたものが合わず、変えることもあります。

 

それと、同じです。

 

太極拳が体にいいと言えるのは、正しい方法で、自分に合った方法であれば、という条件がつきます。

 

それでも、「何よりもいちばん」かどうかはわかりません。一般論よりも、本人に合うかどうか、じゃないかしらね。

 

ひとつだけ、気功の先生に、「太極拳は体の75%の筋肉を働かせる。それだけ使うものは、他にはない」と教えていただいたことがあります。何よりもいちばんというのは、ここに関係しているのかもしれませんが、これも、やり方次第ですよね。

 

太極拳は中国武術、つまりカンフー(功夫)のひとつです。功夫は、今では中国武術と同じ意味で使われることが多いですが、もともとは、時間をかけて技を磨いていくというだけの意味です。

 

功夫茶とよぶ中国茶を聞いたことがある方も、いらっしゃるかもしれません。武術の功夫とは全く関係なく、また、特にその名称をつける基準があるわけではなく、生産者が「長年のわたしの経験と技を注ぎ込んで作った、珠玉の品」みたいな意味を込めたいときにつけるそうです。

 

武術としての功夫をするときも、時間をかけて技を磨いていくのですが、そのときには、自分に合った方法で、という点も大切です。

 

よく「太極拳と言えば、ずっと中腰ですよね」と言われることもあります。腰を落とした低い姿勢を保ち続け、それが健康によい、という見方もあります。

 

これは、100%間違っているわけではありませんが、一部だけ取り出している感じで、誤解を生みやすいと思っています。

 

太極拳に、「中腰でする」という定義はありません。「最初から最後まで、頭の高さが同じ」と聞いたこともありますが、それも正解ではありません。

 

いちばん大切なのは、バネのように縦に伸びる力が働き続けていること です。立ち姿勢でも、腰を落とした低い姿勢でも、です。そうでなければ、ひざは守れません。

 

中国でも日本でも、太極拳でひざを悪くしてしまう人が、かなりいると聞きます。実際、「健康になりたくて太極拳をやったら、ひざを壊してしまった」という方も、いらっしゃいます。

 

やり方を間違えると、いっしょうけんめいする人ほど、ケガのリスクが高まります。それは辛いですよね。

 

いっしょうけんめいにやる人が、ちゃんとそれなりの成果を出せるように、正しくその人に合った方法を教えることは、すごく大切なことです。

 

わたしは習い始めて5年目くらいで、大会に出る前のお稽古をしているとき、ひざ、足首、腰を痛めないように、と心配しながらお稽古していたことがあります。でもあるとき、ふと、「これって、ケガの心配をしながらするものかしら?おかしくない?」と、疑問に思ったことがあります。

 

心配しながらやっていた、ということは、当時の練習方法では、なんとなく、ここに負担がかかりそう、と感じていたのだと思います。

 

さらに、続けているうちに、もともと少しあったゆがみが、ひどくなったこともありました。それも、おかしいですよね。

 

そのときやっていたすべてが悪いわけではないのだと思いますが、何か、大事なことが抜けていたのだと思います。

 

わたしの師匠(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)は、ひざを守ることにかけては、とても熱心です。そのおかげで、わたしの前半の太極拳人生(今のところの前半ですが)で、疑問に感じていたところ、わからなかったことが、ずいぶんわかるようになりました。

 

さて、上に書いた、「いちばん大切なのは、バネのように縦に伸びる力が働き続けていること」を、もう少し説明してみます。

 

一般的に、ひざには体重がかかると言われています。歩くときには体重の2〜3倍、階段の昇降には5倍以上の負荷がかかる、という話もあります。そのまま中腰にしたら、ますます大変そうですよね。

 

そして、一般的には、体がバネのように縦に伸びる力が働いていません。重力のおかげで、体重が下に落ちて、地面に足がついた状態になりますが、重力に流されすぎて、頭が下向きに落ちていることが、ほとんどです。

 

関節の間はぎゅっと詰まり、年ととるにつれて身長が低く、体が硬くなっていくのは、この流れだと思っています。

 

そういう人たちに、ちょっと腰を落としてもらい、頭の上から押してみると、ずぶずぶと下に落ちていきます。

 

バネのように縦に伸びる力が働き続けている人は、関節の隙間が開いていて、年をとっても身長が縮むことなく、体も硬くなりません。腰を落として頭の上から押してみても、上に向かう力があり、落ちていきません。

 

この場合の中腰は、バネを縦にきゅっと縮めた状態で、ぴゅんっと伸び戻る力を蓄えています。中腰がよい、と推奨されるひとつの理由は、こんな風に強い力を秘めているからだと思います。

 

縦に伸びるバネを効かせるコツは、関節をカクンと曲げないことです。ひざも、股関節も、です。関節は、曲がるようにできていて、曲がることでバネのようなクッションになります。それを、たとえばひざを前に折って曲げてしまうと、その形で固まってしまい、クッションにはなりません。

 

ちょっと想像してみてください。ひざや股関節にバネが入っていて、それがびよーんと伸び縮みしたら、体がふんわり浮くような気がしてきませんか?

 

さらに、背骨すべての関節にバネが入っていて、それがびよーんと伸び縮みしたら、さらに体がふわりと浮いてきませんか?

 

それが、縦に伸びる力です。冒頭の写真のように片足で立っている場合、もう片方の足がどすんと落ちずに、猫が歩くようにふんわり着地するのは、こんな風にふわりと上に浮く力が働いているからです。

 

空間が、浮力のあるお水のような状態に変えている、とも言えます。

 

水の中を歩くと、ひざに負担がかからない、と言いますよね。日常のすべての空間が、そうなったら、ひざをケガするリスクは減りますよね。

 

「太極拳は、最初から最後まで、頭の高さが変わらない」という点も、縦に伸びる力を働かせるという点から見ると、違います。ある動きに関しては、「ここは頭の高さが変わらない」というのはありますが、最初から最後まで通してみると、頭の高さは変わります。むしろ、縦にぐっと伸びる形になるときは、自然と頭が上がります。

 

站椿功で、木を抱えるように腕を上げるタイプの場合、ぐっと腰を落とすやり方もありますが、この縦に伸びる力を働かせないまま腰を落とすと、ひざを痛めるリスクが高くなり、危険です。

 

縦に伸びる力を働かせることができる人であれば、低い姿勢をとっても問題ありませんが、站椿功でそれをする意味は、あまりないと思っています。

 

むしろ、命門(背中側にある、おへその裏のツボ)を後ろに引くことで、腕が前に伸びていくという、横に膨らむ力を得ることが大切です。このとき、高い椅子に座っているような姿勢になり、もも裏のハムストリングスが使われます。ハムストリングスが使われるときは、大腰筋も働きます。ここを鍛えることは、とても大切です。

 

そんなに低い姿勢を取らなくても、長い時間、この姿勢のまま立っていることで、足の力はつきますし、必要なときにはバネを効かせたまま低い姿勢が取れるようになります。

 

ただし、年齢や個体差もありますので、低い姿勢は、無理なくできるなら取ればいいし、そうでなければチャレンジする意味はありません。

 

若くて元気な10代のAさんは、やり方が合っていれば低い姿勢でいいですし、最近お稽古を始めた80代のBさんは、やり方が合っていれば、腰の位置は高いままでいいのです。養生の観点から見たとき、この両者に優劣はありません。

 

本人に合ったやり方を教えるのは、先生の役目ですが、本人の「感覚」も大切です。

 

ある動きをしたときに、ひざに負担がかかるか、楽にできるか、それを感じる力は、本人が育てるしかありません。太極拳のお稽古を通じて育てる大きなものは、この「感覚」です。

 

体のどこかに詰まりがあるか、無駄な緊張があるかを感じられたら、ある動きをしたときに負荷がかかったら「これじゃない」と気づくことができます。

 

先生という役割の人は、外に現れた形から見て直すこともできますが、それだけに頼っていてたら、毎回、直されるのを待たなくてはなりません。

 

低い姿勢で、かっこいいポーズを決めるよりも、この感覚を育てる方が、はるかに大切で役に立ちます。自分の状態を、常に等身大で把握しやすくなるからです。それは日常でも、非常事態でも、いろいろな場面で本人を守り、助けになると、思っています。

 

そういう人は、周りの人を助けることもできるのではないでしょうか。

 

明月師父の師匠である田理陽師父は、「太極拳とは、健康によく、自分を守り、他人を守るもの」とおっしゃっていたことがあります。

 

太極拳は、体にも心にも、いいものです。ただし、正しく、自分に合ったやり方でされたものであれば、です。

 

はじめて5年目くらいのわたしに足りなかったのは、正しく自分に合ったやり方と、それがわかる感覚だったと思います。その体験があるからこそ、今があるのですけれどもね。

 

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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音の粒と、体と心の粒

2020.02.18 Tuesday

 

站椿功をするときは、音楽をかけることが多いです。

 

今朝のお供は、映画「マチネの終わりに」サントラ盤。クラシックギターの音が、やわらかく染みてきます。

 

大好きなバッハの無伴奏チェロ組曲が入っているのもうれしいところですが、いちばんのお気に入りは、オリジナル曲の「幸福の硬貨」です。映画に合わせて、作曲されました。

 

音楽をかけながらの站椿功をする理由は、単純に、きつくなってきたときに応援してもらえる気がする、というのもありますが、それだけではありません。

 

ひとつは、音の粒です。

 

いい音楽は、音の粒がきれいにそろっている気がします。

 

強弱だったり、速いテンポ、遅いテンポ、間の取り方とか、いろいろありますが、

強い音はしっかりと、ささやかな音はひっそりと、間もちゃんとそこに存在している、というように、それぞれの役割を果たしていると、「粒がそろっている」感じがしますし、それが調和を作る気がします。

 

聞こえる音自体は均等ではありませんが、それぞれが、それぞれであるという意味では、均等です。

 

そして、ひとつの曲というまとまりもありますが、曲と曲の間の、微妙な間というのも、全体の調和には大切な役割を果たしている気がします。終わりとはじまりが、まざっているところですね。この静かだけれども、動き出しそうな余白が、好きです。

 

音は、機能的には耳から聞くのですが、感覚としては、体で聞く感じです。わたしの場合は、中心部分の胴体で聞く感じが強いです。

 

粒がそろった音が体の内側に響いてくると、それに体の動きも同調していきます。

 

站椿功は、見た目は静止していますが、実際には動き続けています。自然の摂理とは、変化し続けることですし、人は呼吸が止まったら命が終わりますしね。呼吸だけではなく、体は縦に伸び続け、風船のように四方八方にも広がり続けます。

 

そろっている音の粒は、そういう体の広がりの動きの粒をそろえるのを、助けてくれる気がします。

 

続けているうちに、体が内側からふんわり温かくなったり、指先がピリピリしたり、足の裏とか腿の裏がじんじんきたり、いろんな感覚がやってきます。

 

頭の中も、ぐわーんと動く感じがします。頭の骨はけっこう動くので、それもあると思いますし、それだけではなく、巡りがよくなってエネルギーが回っていることもあるような気がします。

 

こういう動きは、実際に聞こえる音ではないかもしれませんが、これも”音”という感覚です。

 

ここにさらに、世の中の音や生活音も加わります。鳥が鳴いている声や、車の音、家のきしむ音、人の声、いろいろ入ってきます。

 

鳥の声も、ちゅんちゅんという可愛らしいものもあれば、ぎーぎゃーという声も、あります。

 

一般的に思われている心地よい音ばかりではなく、どちらかというと耳障りな自転車がキーっとブレーキをかける音もあります。

 

あれこれバラバラ、なんでもありです。

 

でも不思議と、「調和がとれている」と感じます。

 

世界は、もともと調和しているし、雑音と言われてしまうものさえも、受容できるくらい懐が深いような気がします。

 

そもそも、音楽という形の前に、世界には音があふれています。雨の降る音とか、木の葉がそよぐ音とか、いろいろと。

 

 

ルネサンス期の作家、ウィリアム・シェイクスピアの作品には、「天体の音楽(music of the sphere)という言葉が出てきます。以前、「シェイクスピアの音楽会」というコンサートに行ったとき、シェイクスピア研究者の河合祥一郎先生が、こんな話をしてくださいました。

 

当時は、地球が中心にあり、太陽や月がそのまわりを動く天動説が信じられていて、地球を取り囲む惑星がぐるぐる回ってハーモニー(和音、調和)を奏でていると、信じられていました。

 

それは、ふつうは人の耳には聞こえないのだけれども、心の清らかな人だけは聞くことができて、それをみんなが聞けるようにするために、楽器を使ったという話もあるのだとか。

 

だから、音楽を奏でるとき、歌うときは、私(我)を出すのではなく、天体をそのままおろすのだ、と。

 

いいな、と感じる音楽は、初めてでも、懐かしく感じること、ありますよね。天体をそのままおろした音なのであれば、それはもともと、誰もがつながっているからなのかもしれませんよね。

 

 

素直な粒がそろっている音に同調するように、体の不自然な部分(無駄な緊張や詰まり)を取り去って、体の粒をそろえて巡りがよくなってくると、心の粒もそろってきます。

 

それが、丁寧さにつながります。

 

丁寧な生活、というのは、比較的よいイメージだと思います。丁寧を心がけるのは、ひとつの方法かもしれませんが、それは頭で考えて指示している段階だと思うのです。それより、わたしは、当たり前のように、自然に丁寧になっている、という方が好きです。無理がないので、続きます。

 

「普段は、おっちょこちょいなのだけれども」という生徒さんが、「仕事の合間に站椿功をすると、不思議とそういうミスがなくなる」と話してくれたことがあります。

 

わたしの場合も、面倒でたまらなかったかけ布団のカバーかけや、シーツを敷く動作が、まったく苦にならなくなったことがあり、それは站椿功の成果だと思っています。

 

粒がそろうと、一見、つながらなさそうな、不思議なことにも、つながります。

 

自然というのは、無理のないことで、変化し続けることで、それは頭で考えてすることではないと思っています。

 

このあたりの感覚は、都会で暮らす現代人は、多くの人がまだまだ未発達で、「体験したことのない、知らないこと」のままだと感じます。

 

誰にでも備わっている感覚を育てるには、体から入るのが一番だと思います。心や頭は嘘をつきますが、体は嘘をつかないからです。

 

技術が発達した世の中ですが、人はまだ、ネットのない原始的な時代のままのような気がしていて、もっと体を使わないと、備わっている能力が目覚めないのではないか、と思っています。

 

体を使う方法はいろいろありますが、わたしが太極拳がいいと思うのは、やればやるほどうまくできていると感じるからです。体の使い方、体と心のバランスなど、いろいろと調和がとれた構成になっています。先人の智慧とは、そういうものなのでしょう。

 

音楽が、楽器委や声を媒体として天体をそのままおろすように、

站椿功も、太極拳も、自分の体で天体をそのままおろしています。

 

それは、魂が震えるような体験です。

 

 

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(Photo by Xie Okajima)

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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「やらなくちゃ」が「やろう」に変わるとき

2020.02.13 Thursday

(站椿功の姿勢になる、ちょっと前の動作 photo by Xie Okajima)

 

 

「やらなくちゃ」が、「やろう」に変わるときが、あります。

 

義務とか強制ではなく、躊躇なく自発的に動けるようになるときです。これ、いいですよね。

 

内容にもよるかもしれませんが、ここに行きつくまでには、続ける努力が必要なこともあると思っています。

 

最近わたしが経験したひとつの例を、ご紹介しようと思います。

 

 

昨年10月、中国の武当山にお稽古に行ったとき、毎日、1回30分の站椿功を2〜4回していました。

 

その流れで、帰国してからも毎日1〜2回は続けています。調子がよさそうなときは長めに、1時間続けます。

 

站椿功は、杭(椿)を打つように立つ(站)という意味ですので、姿勢はいろいろあります。腕を下ろして立つだけもありますし、腕の形を変えていくものもあります。形、やり方によって、得られるものが違いますし、難易度も変わります。

 

武当山でやっていたのは、木を抱えるように腕を前にあげて静止するものです。縦に伸びる力と、四方八方に膨らむ力が働くタイプで、慣れないと、腕や肩、背中が痛くなってきます。

 

「それだけ続けたら、難なくできるだろう」と思われるかもしれませんが、やる前は、毎回、「絶対できる」という自信はありません。「とにかく、やってみよう」だけです。

 

実際、途中で痛くなったり、苦しくなることもあります。それでも「やめるのは簡単だから、もうちょっと続けてみよう」と、少しでも楽になるところを探ります。

 

誰に強制されているわけでもなく、「やる」と自分で決めているので、よほど疲労がひどくない限りはするのですが、やる前には、ベッドの上でゴロゴロしてみたり、別のことに逃げてみたりして、最後にあきらめるように、「さ、やるか」ということも多かったのです。往生際が、すっごく悪いです。

 

それが、ここ数日で、変わりました。

 

今なら時間があるな、というときに、「さ、やろう」と、逡巡することなく、するようになりました。

 

こんな風に、「やらなくちゃ」から、「やろう」と自然に思えるように変わるタイミングって、あると思うのです。それは続けていないと来ないですし、いつ来るかもわかりませんが。

 

ここ数日、痛いとか、辛いとか、感じないことも、大きいかもしれません。

 

時間の感覚とは不思議なもので、同じ30分が長く感じるとき、短く感じるとき、両方あります。調子がいいときは、わりと、あっという間に30分たちます。

 

これが、師匠がいう「気持ちいい」なのかどうかはわかりませんが、自分史上としては、いい感じです。

 

この「気持ちいい」というのは、温泉に入って緩むような気持よさとは違います。

 

カンフーでよく言われる「放松(ファンソン)」という状態は、適度な緩みと適度な張り感(緊張)が同居した状態です。

 

見た目は静止していますが、自然の摂理は動き続けることですから、これも止まることはありません。身長は、縦にバネのように伸び続け、体は風船のように膨らみ続けます。

 

無駄な緊張や詰まりがないので、血はすみずみまで流れます。体が中心から、ふわっとあたたかくなってきます。

 

無駄に緊張しているところがあると、それが詰まりになって、巡りが悪くなり、縦に伸びるバネも切れたり、風船も穴が開いて、膨らまなくなります。すると、この姿勢を続けることは苦しくなります。単純な仕組みですよね。

 

下の絵で、左が無駄な緊張があって辛い人、右が調和がとれて巡りのいい人のイメージです。矢印は、働いている力の方向です。

 

痛くなったり、つらくなってきたときに、あれこれ楽になるところを探るというのは、詰まっているところを探して楽にする、という意味です。

 

全方向にバランスが取れている状態を作り続けるためには、時間が必要ですし、この感覚が気持ちいいと思えるまでには、時間がかかるような気がします。

 

だからこそ、続けることは大切なことですし、続ける努力をすることも、大事です。

 

努力と聞くと、腰が引けてしまう人もいるでしょう。そのとおり、努力とか頑張るという言葉は、状況によっては、人を追い詰めてしまうこともあります。

 

陰陽の観点から見ると、陰は休む、陽は動く、です。ベースとなるのは陰ですから、「動くためには、まず休む」が基本です。

 

動き続けて休めていない人に、「がんばれ」と言ってはいけません。

 

でも、ちゃんと休んだ人には、がんばる力が備わっています。ここで頑張らずに、いつ頑張る、です。

 

何か新しいことをするとき、まだ開いていない可能性を育てていくときは、太極拳でも、他のことでも、こんな風に、ある程度、長く続ける努力が必要だと思っています。

 

このとき、師匠や先生、先を行く経験者の先輩たちの存在は、大切です。

 

経験してきた人たちは、それで得られるものを知っています。

 

未経験の人は、それまでの自分が知っている狭い世界での判断で、「やってみたけど、苦しいだけ」と、すぐに、さじを投げてしまうこともあるでしょう。

 

それを、最初はとにかく強制のような方法であっても、続けさせるのが、師匠たちの存在でもある、と思うのです。

 

站椿功には、形意拳の基本姿勢となる三体式という方法もあり、ある意味、パワーがつく最強の站椿功だと思うのですが、それだけにキツイです。

 

兄弟子のひとりが、「苦しくて腕が下がりそうになるとき、師匠が『下げるな、頑張れ』といつも言ってくれた。そのうちに、できるようになった」と話していたことがあります。

 

そうやって習ったひとたちは、その意味がわかるから、時期がきたら、自らするようになりますし、教えるときにも同じようにします。

 

師匠が、武当山の武館で、初心者を含めた生徒たちに、毎日30分の站椿功を、2−4回やらせているのも、同じことだと思います。

 

続ける努力をする意味を知っているし、その先でしか得られないものも知っているし、それを知らない人たちの可能性や力を、信じているからだと思います。

 

 

今の時代、「これをやったら、こういう効果がある」という情報も多いですよね。同じことをするにしても、時短で、できるだけ効率的にというのも、ひとつの流れです。

 

それの恩恵にあずかっている部分もあり(たとえば洗濯機とか)、太古の時代に戻りたいとは思いませんが、

 

これがどういいのかわからなくても、先人の言うことを信じて、ひたすらやり続けてみるという姿勢も、忘れたくありません。

 

今の自分が感じていること、知っていることは、この世のすべてではなく、ほとんどのことを知らないからです。

 

わからないけれども、前を行く人を信じてやってみれば、自分の可能性や力が育つし、世界も広がります。

 

 

站椿功の場合、続けてきて感じるのは、自然と体がバランスを取るようになることです。

 

套路という太極拳の型をする場合、たとえば「ここが陰で、こっちが陽」と考えながらバランスを取っていくことも多いのですが、それが、頭で指揮しなくても、体が自ずと、バランスを取るように動いてくれる感覚です。

 

たとえるなら、同じところを100回練習しても、できなかったことが、1回でもできる、みたいな感じです。

 

これって、すごいのです。自分のことながら、感動します。

 

師匠は、「準備をしたら、準備ができていない」と言います。

 

たとえばどこか攻撃されるとき、それに備えてしまうと、その時点でダメだ、という意味です。構えの姿勢を取らない、という意味でもあります。

 

そうではなくて、攻撃された瞬間に、そのダメージを受けることなく、感知して反応する、ということです。こんなこと、頭で考えていたら、間に合いません。

 

站椿功は、そんな不思議な力をつけてくれます。

 

不思議な力は、ちっとも不思議なものではなく、続ける努力の上に、やってくるものなのですけどね。

 

 

※次回の「やさしい站椿功」は、3月29日(日)14:00-16:30 (池尻大橋)です。詳細とお申込み方法はこちら

 

 

【2月の特別クラス】

2月16日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

2月23日(日)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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やさしい手当て

2020.02.11 Tuesday

 

(武当五形功 鶴形 Photo by Xie Okajima

 

先日、久々に会った友人が、「手が固くなっちゃうの」というので、手をもみもみしてみました。

 

「みんみんの手って、すごく気持ちいい」と言ってくれたのが嬉しくて、さらに張り切ってもみもみ。

 

この様子だと、そうだよね、つらいよね、巡りたいのに途中で阻まれて流れない、みたいな感じかな、と感じながら、もみもみ。

 

ちょっとでも詰まりが取れたらいいな、と思いながら、です。

 

 

わたしの手は、身長(155僉砲粒笋砲和腓くて、ふっくらしています。このふっくらした手が、好きです。

 

手当て、と言いますよね。

 

幼いころ、お腹が痛かったときに、母が手のひらをお腹に当ててくれたことがあります。

あったかいなあ、と安心しているうちに、痛みは消えていました。

 

魔法のようですよね。

 

やさしい手には、力があります。

 

 

去年の末から、重度の障害を持つ 寺崎 櫟(れき)さんのプライベートレッスンをしています。

 

通常のレッスンのように、套路(型)を説明しながらやっていくわけにもいきません。いつもとは違うコミュニケーションと、内容になります。

 

老子が好きだ、というご縁で見つけてくださり、いろいろ豊かな経験をさせたいというお母さまの思いを尊重したくて、できることを、やっています。

 

今、主に取り組んでいるのは、体をほぐすこと、無駄な緊張を取ることです。

 

それって太極拳なの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませが、太極拳のひとつの作用は、関節の隙間を開けて、体にスペースを作っていくことです。

 

体にゆとりが生まれれば、血は流れやすくなります。筋肉や筋膜の緊張も、ほぐれます(もしくは、ほぐれやすくなります)。血が流れれば、体温は上がり、体温は、生命力の象徴でもあります。

 

ほぐしていくときには、わたしが自分の手や体を使って、手伝いながらほぐしていきます。

 

もちろん、無理をかけないように気をつけて、です。

 

体の緊張は、誰の場合も同じですが、何か理由があります。何かしら、自分を守るために必要だと思っているための緊張だったりします。

 

それを無理やりほぐしてしまうと、本人にとっての命綱を切ってしまうようになることも、ありえると思っています。

 

櫟さんの場合は特に、言葉で伝えることが難しいため、この緊張で、外の世界に何かを伝えたいのかもしれない、とも感じます。

 

「何か、伝えたいことがあるんだよね」と話しかけながら、ゆっくりと手を添えて、揺らしたり、伸ばしたり、ほぐしていきます。

 

他人のことはわからない、と言いますが、そうでもありません。相手の様子、顔色、呼吸、手から伝わってくる感覚をもとに、どのくらいいけそうかを探ります。

 

やりすぎもだめですが、遠慮しすぎもだめです。遠慮は相手の可能性を奪うことになるからです。それは優しさではありません。

 

最初にお会いしたときは、顔も緊張していました。あごはいつもぎゅっとしていて、頬も左側が特にきゅっとしていました。

 

それにもきっと、何か理由や思いがあるのだと思います。それが何かまでは、わかりませんが。

 

ゆっくり手で触って、ほぐれてくるまで待ちます。触れた手を、押したりさすったり動かすか、そのまま触れているだけかは、そのときの感覚です。

 

「そんなに守らなくても、ここは緩んで大丈夫だよ」と心で伝えながら、です。

 

櫟さんの思いを尊重しつつ、彼女の力と可能性を信じます。

 

すると、だんだんと緩んできます。どのくらい緩むかは、本人が許す範囲なので、それもちゃんと尊重します。

 

後から聞いたのですが、障害のある方の場合、顔はとても敏感なのだそうです。だから、あまり顔を触ることはしないのだとか。

 

レッスンをする前に、お医者さんから止められていることや、気をつけた方がいいことは聞いていたのですが、「顔は敏感なので触らないように」という説明がなかったのは、かえってよかったのかもしれません。

 

1か月後にレッスンに行ったときには、だいぶ緩んで、前よりもかわいらしい顔になったような気がしました。

 

普段の写真の様子を見ても、顔が柔らかくなっているような気がします。

 

手を触れたからだけではなく、きっと毎日が楽しいからだろうな、と思いますが、ほんのちょっとのきっかけにでもなってくれていたら、うれしいです。

 

もっと緩められるだろうし、そうしたら、もっと楽になるし、もっとできることもあるかもしれません。楽しみですよね。

 

 

(2019年11月。初めてお会いしたときの櫟さん。あごが、ぎゅっ。)

 

 

(2020年2月、レッスン4回目の櫟さん。お顔が柔らかくなっていませんか?首筋をにゅーっと伸ばしているところ。)

 

(2020年2月。腕をにゅーっと伸ばしているところ。すっごい見てます、笑)

 

体をほぐすことは、中国にお稽古に行っているときも、ほぐし合いっこをすることもあるので、よくやることです。そして、ボディやハンド、フェイストリートメントを習ったこともあるので、スキルとしても、そこそこできます。

 

でも、大切なのは、習ったスキルではないと思います。

 

まず、自分がほぐれていることです。
 

手だけ緩む、というのはないので、体全体が緩んでいることも大切です。

 

緩んでいるだけではなく、同時に適度な張り感も必要だと思っています。適度な緩みと適度な張り感が同時に存在するのは、カンフー特融の”放松(ファンソン)”という状態です。張り感があることで、血が、指の末端の血管までちゃんと行き届き、全身が巡りやすくなります。

 

ほぐれて緊張のない手は、触れたときに相手の体の形に沿って、ぴったり、しっくりきます。それだけでも気持ちいいです。

 

そして、やわらかいというのは、相手に向けて壁を作らないことでもあります。心を開いている、とも言えます。

 

そして、相手を尊重することです。緊張やこわばりも、ちゃんと尊重します。それは、その時点のその人にとっては、必要だとされているものだからです。自覚していない場合も含めて、です。

 

そして、相手の力や可能性を信じます。

 

相手を感じる感覚を育てることも、大切です。それは、自分の状態を感じられるようになれば、おのずとついてきます。

 

 

わたしには、自分が人を癒したいという思いは薄いので、自分がセラピストとしてトリートメントをすることは、していません。

 

それよりは、その人が自分で気づいて、自分でほぐして、癒していくきっかけになることをしたいです。

 

誰もが本当は優しいし、どんなときでも優しいままでいられることを、自分でつかんでいけると信じています。本人が望むなら、ですが。

 

そのために、手で触れることも、大事にしています。「大丈夫だよ」と伝えるためにです。

 

最近、ギスギスしているなあ、と思ったら、自分でも触れてみるといいかもしれません。温めた手のひらで、自分の頬を覆ってみたり、片手でもう片方の腕を、肩から指先まで丁寧に撫でてみたり。

 

ちょっと安心できるかもしれませんし、優しい気持ちを思い出せるかも、しれません。

 

 

【2月の特別クラス】

2月16日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

2月23日(日)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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足し算ではなく、引き算

2020.02.11 Tuesday

(武当山 明月道院のお稽古場にある 老子のことば)

 

ずっと大切に続けてきた練習のひとつに、武当五行六合功があります。

 

養生功、気功のひとつです。5つの歩法(下半身)と6つの動き(上半身)の融合で、動きは単純ですが、奥深いです。

 

たとえば、”随波遂流”(波に従い、流れにのる)という動きは、立ち姿勢でする場合、両腕を交互に、前後に動かすだけです。

 

(武当五行六合功)

 

このとき、下がっていく(後ろに動く)腕が陰、上がっていく(前に動く)腕が陽になり、左右の腕の感覚は、全然違います。

 

陰と陽の関係は、質の違う両者がお互いを補完して、調和を作りだします。どちらかが多いと、バランスが取れません。

 

この陰と陽が調和する関係を活かして、力を生み出すのが、てこの原理です。

 

重いものを持ちあげるとき、そのまま上に持ちあげるのではなく、てこを使って、もう一方を下げれば、重いものは簡単に持ち上がりますよね。

 

太極拳の力の出し方は、てこの原理を使います。

 

下がるが陰、上がるが陽です。陰を作り出すことで、陽は自然に発生します。

 

”随波遂流”の場合も、意識して作り出すのは、下がっていく腕の方です。作り出すとはいっても、腕の重さをそのまま利用すれば、落ちる力になります。

 

もう片方の上がっていく腕は、それに押し上げられるように、ふわっと上がります。

 

陰と陽が調和する関係、てこの原理を利用せず、この動きをすると、両腕を、ある意味では均等に使って、片方を下げ、片方を持ち上げることになります。よくある日常の体の使い方は、こんな感じだと思うのです。

 

下げる腕、上げる腕が、調和もなく、それぞれに緊張して、それぞれに筋肉を使い、そしてその他の体の部分である胴体や足とは無関係に動かします。

 

大変そうじゃないですか?

 

気づかずに、こんな大変なことをしていることも多いのです。

 

そしてもうひとつ、これでは全身の巡りは滞ります。

 

流れる水は腐らない、というように、全身が常に巡っていれば、体はすこやかでいられますが、どこかに緊張という詰まりがあると、巡りは遮断されます。

 

その大変なことを、やめていくのに役立つのが、こういう単純な動きの基本練習です。

 

最初は「左右の腕の感覚の違いが、さっぱりわからない」こともありますし、

 

下がっていく腕が、重さだけで自然に落ちていく感覚が、ぴんとこないこともあります。

 

重力があるので、そのままにしておけば落ちるのですが、見た目に騙されて、力で引き落としてしまうことも、あります。

 

そういうところを、ひとつひとつ丁寧に「それはしなくても大丈夫だよ」と教えていきます。

 

もうひとつの難関は、視線の使い方です。

 

よくあるパターンは、意識があるところに視線が行きます。

 

この練習の場合、意識があるのは、作り出したい陰、つまり下がっていく腕です。上がっていく腕、陽は、陰のおかげで自然に発生するからです。

 

そして視線は、陽の腕に向けます。向けるとはいっても、ピンポイントで見るのではなく、ぼんやりと周辺まで含んでみる感じです。

 

これも、最初は戸惑います。

 

でもこのときに、意識が陰、視線が陽、と分けることで、陰と陽の調和がとりやすくなると感じています。

 

意識も視線も陰にいってしまうと、陰の方に偏りすぎてしまう気がします。

 

型って、ほんとうにうまくできています。

 

それは、新しい方法、新しい体や意識の使い方を学ぶためのもので、最初は足していくように見えるかもしれません。

 

でも実際は、その型にはめることで、やりすぎていることや、いらない緊張に気づいて、やめていくためのものです。

 

身についてくると、巡りがよくなります。そして型があるにもかかわらず、いろんな呪縛から解き放たれて、心身ともに自由になっていきます。

 

 

老子の「道徳経」の第48章には、次のようなことばがあります。

 

為学日益、為道日損 (学問をする者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を得る者は、日々何かを捨てる)

損之又損、以至於無為(これを捨て、また捨て、そして無為に至る)

無為而無不為    (無為であれば、為しえないことはない)

 

老子のことば は、ぱっと読んだだけでは難しいのですが、太極拳のお稽古に照らし合わせていくと、腑に落ちることもたくさんあります。ここも同じです。

 

上にあげた五行六合功でも、太極拳でも、他のカンフーでも、最初は学びます。型を学ぶというよりは、まだ知らない体や意識の使い方が型に入っている、と言うほうが、わたしには、ぴったりきます。

 

ひたすらそれを続けていくことで、いらないものを手放していけます。

それは、外から得た知識をそのまま持ち続けるのではなく、自分の体内で消化して、血肉にしていくことにもなります。

 

足し算よりは、引き算です。

 

そうやって、本来の自分に戻っていくのではないかしらね。そして、「無為であれば、為しえないことはない」になっていくのだと思います。

 

 

クラスでこの”随波遂流”を練習した方が、後日、「あの後、体調がすごくよくなった」と教えてくださいました。

 

「今、いろいろあるから、内臓が冷えていたみたいで。冷えていることにも気づいていなかったのだけれども、あの後、お腹があったかくなったから、すごーい、と思って。」と。

 

不安になるような話もある中、緊張していたこともあるのでしょうか。うれしかったです。

 

気づくこと、変わることは、こういう ちょっとしたきっかけだと思います。

 

うまくいかないとき、何かを足せばと思いがちかもしれませんが、得た知識を活かすためにも、ほんとうに必要なのは、引き算だと思っています。

 

こういうことを、「あなたは、ありのままの、あなたのままでいい」ともいうのではないかしらね。

 

 

(photo by Xie Okajima)

 

 

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